01 エスコート
残酷な描写が出るので、R15を指定しています
朝日が昇る。
その光を受けてマルは、眩しさで目を細める。その表情は微笑みにも見えた。
「ついにこの日となったな」
バルコニーに出ているマルは、離れた庭木の枝の上に隠れて囁くバツの声を拾う。もし誰かに見られていても怪しまれない様にと、マルはほんのわずかにだけ肯いた。
「本当に良いのか?」
バツの問いにマルは答を躊躇う。
「・・・でも、私にはもう、他に出来る事はないし・・・」
「・・・そうだな」
言いたい想いは沢山あるけれど、今それらを口に出したらマルの声は震えてしまう。そうしたら嗚咽も漏れてしまうだろう。
別れの言葉もなく、バツの気配が消えた。
部屋のドアがノックの小さな音を立てる。しかし使用人が入室するのは、もう少し大きな音でノックがされてからだ。まだ時間はある。
マルは朝日を集める様に両腕を広げて手のひらを太陽に向け、心の中で神々に祈りを捧げる。
そして腕を下ろすと振り返り、マルは朝日に背を向けた。
王太子は恋人の肩を抱きながら、深く息を吐いた。
「大丈夫?」
恋人の問い掛けに、王太子は顔を蹙める。
「大丈夫な訳がないだろう?あいつがとうとう聖女になるんだぞ?」
「そうね。偽物なのにね」
「本当に、その通りだ。父上も大神官長も、偽物の証拠を見て置きながら、全然取り合わないなんて、この国を滅ぼす気か?」
「魔獣からこの国を救ったあなたと、この国を滅ぼす偽聖女を結婚させようなんて、いったい誰が企んだのかしら?」
「昔からの王家の風習だからな。相手が本物の聖女ならだが。だが私はあんな女と結婚するために、魔獣を蹴散らしたんじゃない」
「私の為って、言ってくれたわよね?」
「もちろんだ。反対の声を上げるバカ共の口を塞いで、君を王妃として迎える為に、私は実績を作ったのだから」
「あなたが国王になったら、あの偽聖女を追い出してくれるのでしょう?」
「もちろんだ。王家の風習なんて書き換えてやる。だが、それまで本当に、私の事を待っていてくれるのか?」
「ええ。その代わり、その時には私を聖女にしてね?」
「もちろんだとも」
「嬉しいわ。愛してる」
「私もだ。愛しているよ」
そして二人は口付けを交わす。
王太子はその先も望んだが、間もなく式が始まるから服装は乱せないと恋人に拒否をされて、王太子の機嫌は一気に元通りに悪くなった。
大神官長は、準備がすっかりと調えられた大聖堂の誓いの間を見回して、満足の笑みを零した。
傍にいた一人の副神官長がそれを見て、追従の笑みを大神官長に向ける。
「とうとうこの日になりましたな」
「・・・そうだな」
「これであのうるさい侯爵から、聖女を取り戻せますな」
「ああ、その通りだ。うるさくて汚い貴族共から聖女を救い出し、あの愚かな王太子に嫁がされる迄に、聖女をすっかりと清めなくてはならん」
「それに付きましては、わたくしにお任せを。教会の教義を聖女の骨の髄まで染み込ませ、立派な本物の聖女とさせてみせましょう」
「くれぐれも、先代聖女の様なわがままは許してはならんぞ」
「心得ておりますとも。先代は王族生まれでしたから、何かに付けて死ぬまで威張りくさっておりましたが、今度の聖女は平民の出。侯爵家に奪われるまでに施した神罰教育も、まだあれの魂に刻まれております。侯爵家の付け焼き刃の貴族教育など、一夜で塗り替えてご覧にいれます」
「頼もしい言葉だが、くれぐれも魂を壊さんようにな」
「もちろんです。わたくしが苦労して見付けて、あそこまで教育した平民聖女です。聖女には死ぬまで正気でいて貰わなければならない事は、充分に分かっておりますし、注意致しますとも」
「ああ、それで良い。頼んだぞ」
「お任せ下さい」
そう言って顔を見合わせると、大神官長と副神官長はそっくりな笑みを浮かべた。
「マレニリア。用意は出来たのか?」
入室して来た侯爵に声を掛けられて、マルは椅子から立ち上がる。
マルが身に着けている物はドレスもベールも下着までもが全て白く、そのそれぞれを縁取る様に、愛と美と豊穣を司る女神を讃える言葉や紋様が金糸で細かく刺繍されていた。
マルは周りの使用人達に合わせ、同じ様に侯爵に対して頭を下げた。
「はい、お義父様」
「ほう。所作もなんとか見られるレベルにはなった様だな」
「はい。これもお義父様とお義母様を始め、皆様に教育して頂いたお陰でございます」
「よし。その言葉、忘れるのではないぞ?」
「はい、お義父様」
「しっかりと胸に刻んでおけ」
「はい、お義父様」
「誰のお陰で、王太子と結婚出来るのかをな」
「はい、お義父様」
自分の言葉に対して、顔を伏せたまま何度も従順な返事を返すマルに、侯爵は愉悦の笑みを浮かべた。
「他の聖女見習いを蹴落とす為に、どれだけ金と手間と時間を掛けた事か。本来なら自分の娘や親族から聖女に引き立てるところなのに、親も家も行き場も未来もないお前を引き取って、我が家の家名を名乗らせたのは何の為なのか、分かっておるな?」
「はい、お義父様」
「一時たりとも忘れるなよ」
「はい、お義父様」
侯爵は「うむ」と深く肯くともう一度笑みを浮かべ、満足気な態度を表す。
「会場までエスコートしてやる。ほら、来い」
そう言って腕を差し出す侯爵に、「はい、お義父様」とマルは答えた。
マルが顔を上げた瞬間に、侯爵は気圧された。
しかしそれは、マレニリアの顔が傍で見ると思ったより白かったから驚いたのだ、と侯爵は自分を納得させる。
そして差し出されたマルの手が光を放つ様に見えるのも、マルの体形に沿って衣装から光が漏れて見えるのも、顔のインパクトよりは小さかったので、肌の手入れの所為だとかなんとかだと言う事にして、侯爵はそれらを無視する事にした。