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五百デナリの男〜炎天下と上司と課金〜  作者: 地野千塩


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5/9

Beautiful Song

 あの頃の私は、鬱々としていた。新卒で入った会社だが、上司に細かいところばかり注意される。書類のクリップの位置や備品の貼ったラベルの位置が一ミリずれているだけで怒られた。


 元々少し神経質そうなアラフォー女性だったが、自分だけに冷たい気がする。休憩時間に上司はお菓子を配るのだが、他の人には配るのになぜか私にだけは持ってこない。挨拶も無視される。


 こんな地味な事、誰にも相談できない。暴言や暴力でもないので、ひたすら耐えるしかない。


 そんなある夏の日。盆休み中の炎天下は、死ぬほど暑いが、会社で上司に会うよりマシだった。


 最寄りの駅の南口を歩いていた。買い物の帰りだが、熱風に耐えられそいになく、少し日陰のある道に入った。風俗店や占い師の店があり、あまり治安の良い道ではないが、少しだけ日が翳る。


 ふと、そんな道を端をみると、ホームレスがいた。服はボロボロで身なりはよろしくない。まだ若い男だったが、顔も真っ黒で、臭そう。誰も近寄っていなかったが、アコースティックギターを片手になんか歌っていた。


 雑踏の音で、その歌声はかき消される。なんだか、気になってしまう。漏れ聞こえる歌声は意外にも美しかったからだ。すっと透き通り、天からの光のような美しさがある。


 ホームレスに近づくには勇気がいったが、勝手に足が動き、彼の歌を聞いていた。


 讃美歌のようだった。英語の歌詞だったが、サビではJesusとある。別に宗教には興味はないが、聞いていると、なぜか泣けてきた。歌そのものよりも、ホームレスの真摯さ、熱心な思いみたいのが心に響く。いつも聞く音楽はsyrup16gのような暗めなロックだったが、耳が離せない。


 曲が終わると、拍手をし、彼のそばに小銭を置いた。身の上に同情ではなく、単純に歌への評価だった。


 ホームレスは、恥ずかしそうに鼻の頭を掻いていた。むわっとした夏の風が流れていたが、不思議と元気になった。


「なんていう曲なの?」

「讃美歌さ。Beautiful Saviourという曲だ」

「へえ。美しい救い主って意味だね」


 それからというもの彼の曲を聴きに行くようになった。もちろん毎回、演奏が終わったら小銭を置く。同情心は全くないが、少しは生活の糧になればとも思う。


 多くは讃美歌ばっかり歌っていたが、「syrup16g歌ってー」とリクエストすると、意外にもノリよく演奏してくれた。


 私以外に客はいないという事もあり、時々、雑談もするようになった。上司のことで愚痴ると、「そのお局、若いあんたの事を嫉妬してるんじゃねーか?」という。そんな事は無いと思うが、少し気持ちは救われた。今の私には、彼の音楽や他愛の無い会話が、救いだった。彼が救い主の音楽を奏で続けている事は、全く否定できなかった。むしろちょっとだけ気持ちがわかる。


「プロにはならないの?」

「それはなぁ。音楽業界は悪魔の遊び場さ」

「そう?」

「悪魔は元々讃美隊長だった。堕落しちまったけどな。あいつにとって音楽を悪魔的にさせるのは、優先度が高いんだろーな」

「ふうん」


 彼の言う事は難しくてよくわからなかったが、こんな風に音楽聞いていると幸せだった。思うに彼は世間から切り離され、浮世離れていたせいかもしれない。だから彼と会うと世間、仕事、上司など悪い事は忘れた。


 そんな日々も長く続かず、秋の終わった頃は、姿を見せなくなった。


 仕方がない。寒い季節の路上生活は、難しいのだろう。どこか施設に入り、福祉の支援を受けた方が良い。私の小銭も全く役に立たない事を悟る。


 そして数年経った。


 転職し、同僚も上司もみんな優しく、あの上司が異常だった事に気づいた。いつか彼が言っていた言葉も嘘ではない気もしたが、確かめようがない。


 今はもう元気になったが、当時の私は彼の歌、言葉、存在に救われていたのは事実だった。


 せめてもう一回会い、お礼も言いたいが、もうあの場所にはいない。そもそも生きているのか。


 わからないが、手がかりはひとつある。讃美歌だ。「Beautiful Saviour」で検索し続けた。


「あ、この人……」


 とある動画サイトで、あの彼を見つけた。もうホームレスではないようで、身なりは綺麗にしていた。こうして見るとイケメンだが、そんな事は重要ではない。生きていた事、今も音楽を続けていた事に涙が出そうだった。


 この動画サイトは、投げ銭として課金出来るらしい。


 私は彼への御礼のメッセージを送り、課金もした。今は小銭じゃないけれど、その気持ちは昔と全く変わらない。


 出来れば美しい気持ちであるように。そう、願っていた。

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