一反木綿の宮島観光物語
「大国主大神様のバカー!」
ボクは一反(幅40cm長さ12m)ある白い木綿の布をなびかせながら、縁結びで有名な出雲大社を飛び出した。
ボクは文字通り中国山地を飛び越え、途中で見つけた三良坂チーズを肴に三次ワイナリーでワインを飲み、ほろ酔いのまま南下を続ける。
山々を抜け、川に沿った町並みが現れ、三角州に広がる大きな市街地へ。
でも、悲しみに暮れるボクの目には映らない。
「大国主大神様のバカバカ。もう知らないんだから」
グジグジのボクの鼻を潮風が優しく撫でた。荒々しい日本海とは違う穏やかな潮騒。波がほとんどなく大きな川か湖に見える瀬戸内海。大小様々な島が点在する。
その中の一つ。横たわる涅槃像の横顔にも見える島が目に入った。
有名な観光地で世界遺産の一つでもある宮島。
「市杵島姫命様に慰めてもらおうっと」
子守の神様としても有名な市杵島姫命様。きっと甘やかしてくれるはず!
ボクはフェリー乗り場の近くにある穴子屋さんで穴子弁当を買って海を渡った。お弁当を入れたビニール袋が風でカサカサと音をたてる。
「どうせなら景色がいい所で食べたいなぁ」
海に浮かぶ赤い鳥居が見えてきた。改修を終えたばかりのため、いつもより色鮮やかで海の青に映えている。これが干潮だと鳥居の下まで砂浜となり、真下まで歩いていける。
「ま、飛べるボクには関係ないんだけどねぇ~」
長い木綿をひらめかせながら鳥居を潜る。海の水面に白い木綿が写り、魚が深く潜った。
「驚かせちゃった? ごめんねぇ~」
そこで香ばしく美味しそうな匂いが漂ってきた。
「なんだろう?」
ひょいひょいと風上へ進路を変える。厳島神社への参道の途中。食欲をそそるような油が跳ねる音が聞こえてきた。
「なに、なに? 牡蠣入りカレーパン!? なに、それ!? 絶対美味しいヤツじゃん!」
ボクは一つ買って、その場でかじりついた。
「熱っ! でも、うんまぁぁ!」
こういうのは出来たて、揚げたてが一番!
カリッとしたパンに程よい辛さのカレー。そして、真ん中には大きな牡蠣! プリップリッでカレーに負けない存在感!
湯気が上がるカレーパンをほくほくと食べきる。
カサ、カサ……
ボクが穴子弁当が入ったビニール袋を誰かが突っつく。
「ん?」
いつの間に鹿に囲まれていた。しかも、ボクの体に鼻を近づけて臭いを嗅いだ後、口を開けて……
「食べちゃダメぇぇぇえ!!!!!」
ボクはピュ~と空に飛び上がった。
「こ、ここはダメだ。お弁当もボクも食べられちゃう」
そこで視線をあげるとロープウェイが目に入った。
「頂上で食べよう!」
ボクはロープウェイ乗り場にいって、ちょこんとゴンドラの上に座った。木綿が垂れたら景色を楽しむ人の邪魔になるから、ちゃんと折りたたんで。
ユラユラと揺られながらのんびりと山頂を目指す。途中で乗り換えをして、最後は少しだけ飛んだ。
「絶景だぁ!」
山頂に到着したボクは太陽の光で輝く瀬戸内海と島々を眺めながら穴子弁当を出した。
わくわくしながら蓋を開けると、白いご飯の上に並んだ穴子の切り身。端には漬物がちょこんと鎮座している。シンプルだけど、それ故に味の誤魔化しがきかない。
「いっただきまぁす!」
穴子とお米を一緒に口に入れる。冷えていても美味しいお米は艶やかで穴子の旨みとタレがしっかり染みこんでいる。そこに穴子の甘みが加わって、いくらでも食べられる。
「美味しい!」
時々、漬物で味と食感を変えつつ、あっという間に完食。
「お腹いっぱいだけど、デザートが食べたいなぁ。あ! アレ食べよう!」
ボクはここでしか食べられないデザートを思い出して、さっさと下山した。猿に囲まれて怖くなったわけじゃないよ!
お土産物屋さんが並ぶ商店街。所々から甘い香りが漂う。
「チーズの揚げ紅葉を一つください!」
竹串に刺さった紅葉饅頭に天ぷらの生地をたっぷりつけて揚げたお菓子。天ぷらの衣がサクッとして、中の生地はふんわり。熱々で普通の紅葉饅頭とはまた違う食感。
「チーズのしょっぱさがまた良いんだよね」
しかも竹串から食べるというワイルドな感じも日常では出来ない特別体験。
ほくほくと食べていると道行く人の声が耳に入った。
「……が護摩行に来ているんだって」
「見に行かないと!」
みんなが同じ方向に足を速める。
「護摩行? 炎の前で真言を唱えるやつだよね? そんなに珍しいかな?」
なんとなく気になったボクはお寺へ飛んだ。すると、いつもは閑散としているお寺の周囲が真っ赤に染まっていて。
「な、なに!? どうしたの!?」
集まって人たちが赤い帽子や赤いユニホーム、果ては小さなバットまで持っている。
「なに? なに? なにがあるの?」
ボクは人々の上をスイ~と泳いでお寺の中に入った。すると、そこでは炎だけではない熱気に包まれ、真剣に真言を唱える一団。
「すごいなぁ」
その迫力に圧されて呆然と眺めていると、お尻の方がムズムズと熱くなってきて。
「なんだかボクの体まで熱く……って、なんか焦げ臭い?」
木が燃える臭いとは違う焦げ臭さ。そっと、お尻を見ると、そこから小さな火が……
「ぴゃぁぁぁぁ!!!!!!」
ボクはお寺を飛び出して厳島神社の本殿の海に飛び込んだ。
「うわぁぁぁん! ボクの真っ白な木綿が黒くなっちゃたよぉ!」
しくしくと泣いていると本殿から市杵島姫命様が姿を現した。
「まあ、まあ。一反木綿、どうしたの?」
「護摩行を見学していたら燃えてしまいましたぁぁぁ」
「あら、可愛そうに。大国主大神のところへ戻って治してもらいなさい」
その名前にボクは忘れていた胸の痛みを思い出した。
「嫌です! 大国主大神様のところには戻りたくありません!」
「喧嘩でもしたの?」
「はい」
拗ねるボクに市杵島神姫命様が穏やかに微笑む。
「百年前も喧嘩してここまで来ましたね。今回の喧嘩の理由はなんですか?」
俯くボクを市杵島神姫命様が撫でる。白く柔らかい手はボクの傷ついた心まで癒してくれる。
「大国主大神様が……」
なかなか言葉にできない。あんな侮辱を再び口にしないといけないなんて。
そんなボクを市杵島神姫命様はジッと待ってくれる。急かすわけでもなく、淡々と頭を撫でながら。
ボクは両手にグッと力を込めた。
「大国主大神様が、ひぃーとってっくの方が良いって……木綿だと温かさが足りないって!」
叫ぶように言った後、大声で泣いた。あんな新参の若布に比べられた上に負けるなんて、ボクのプライドが許さない。
わんわん泣くボクに市杵島神姫命様が優しく笑う。
「一反木綿は自分が木綿であることに誇りを持っていますからね。百年前も同じようなことが原因でしたし」
悔しくなったボクは泣きながら言った。
「はい! 百年前は毛糸のまふらぁーという布のほうが温かい、と言われたんです! あの時は二度と言わないって約束されたのに! たった百年で約束を破るなんて!」
思い出しても腹が立つ。だから、ボクは出雲を飛び出した。
ひとしきり泣いたところで、市杵島神姫命様の手が止まる。
「大国主大神も反省しているようですし、そろそろ戻ったらどうでしょう?」
「反省?」
顔をあげると慈しむように微笑む市杵島神姫様。その顔に見惚れていると背後から足音がした。
「大国主大神様……」
バツが悪そうな顔で頬をかきながらボクに近づく。
「その、悪かったな。まさか、ここまで家出をするとは思わなかった」
ボクはプイッと顔を背けた。
「もう大国主大神様のことなんて知りません!」
その言葉に慌てたような声が響く。
「本当に悪かった! おまえの好きなちょこれーとも買ってきたぞ」
「ちょこれーと?」
振り返ると可愛らしくラッピングされた箱。
「ちょこれーとだけではないぞ。西条の日本酒とカカオを混ぜた飲み物もある」
日本三大酒造の一つである西条で造られた日本酒……
ボクは垂れかけた涎を拭いて澄まし顔を作った。
「今回だけですからね」
こうしてボクは市杵島姫命様に見送られて出雲へ戻った。
百年後、また泣きながら家出することになるとは知らずに――――――