家出若様 城下の風
今はお江戸の開拓時代。全国統一を目指した家康が、今で言う『大阪夏の陣』で大阪城を陥落、豊臣秀頼・淀君を自害に追い込んだ戦いは、つい先頃まで世の中にとどろいていた。元和偃武と呼ばれる和平の時代が、今まさに始まろうとしている頃である。武家諸法度の締めつけも、次第に厳しくなる中。ある外様大名のある藩の、あるお城で重大な問題が起きていた。
「兄上、お呼びでございましょうか」
広間の上座に座っていたご城主は、自分より下段に座る、そのどこかきっぱりした印象を持たせる声の主に、仰々しくしないよう声を掛けた。すっと顔を上げて見ると、髪をすべて一つに纏めて銀杏に曲げ、眉も目元も涼しげにきりりとしたなかなかの好青年である。殿様の前で礼儀を尽くしてはいるものの、どこか態度が大きい様に思う。
「すでに承知の事と思うが、お前の歳もすでに二十二じゃ。そろそろお父上の遺言に沿って、家督を相続せねば・・・・・・・」
「いいえ!」
彼は目線を上げて真っ直ぐ城主の顔を見ると、先程よりきっぱりと言い切った。
「今日までこの藩が平穏で豊かであるのは、兄上が御苦労を重ねて治めておられた御陰でございます。今更死んだ親父のアホの遺などに忠義を立てる必要はございません!」
「これこれ、父上を捕まえてアホはなかろう」
「話はそれだけでございましたら、下がらさせて頂きます」
「こら、鷹月-----」
とまあ、ここ数ヵ月ずっとこの調子であった。
重大事件と言うのは、どの藩も時期が来ると抱える問題の一つ、家督相続なのである。今上座で困った顔をしている殿様、正式には城主の代行をつとめているお方で名を北原政平と言う。きゃしゃな体つきは、武芸向きではないが、その広い額を見れば、いかにも切れ者であると知れた。誰もが認める城主であったが、ただ政平は先代城主、北原月影の二番目の側室の息子である。側室には何人かの子供をもうけたものの、正室の紫の方にはなかなか子供が出来ず、やっと出来た時は、政平が十四の時であり、通算すると末っ子になる。それが先程の男、北原鷹月殿であった。 父は鷹月十二才の冬に他界したが、その間際に、一言言い残した。
『家督は、鷹月に譲る』
しかし時代が時代。まだ元服も済んでいない子供では家臣に不要な不信感を持たせるだけと考え、ある程度大きくなるまで政平が城を預かる事になったのだった。政平は、ただ城主の中継ぎをするというだけではなく、いろいろな政策や改革を実行し、家臣や領民達に厚い信頼を受けていた。そしてやっと政策が軌道に乗り始めた時期に政平は、『そろそろお父上の遺言にそって、家督を鷹月に返す』と、言い出したので、鷹月がそれに反発してこのような事態になってしまったのである。
「鷹月にも困ったものだな・・・」
そう溜め息まじりに呟いて、肘掛けに体を預けた時、家老の中村が入って来た。
「殿、例のお話でございますが、先方のご主君様がご承知されまして、早々に進めたいとの事でございます」
「そうか、それは良かった。この話が上手く進めば、鷹月も家督を継がないわけにはいかなくなる」
先程までの沈み切った顔が一転し、満足そうに頷きながら、にんまりと笑った。
今朝はまた一段と良い天気だった。それに城内はとても静かで、物音と言えば庭にある獅子脅しが、一定の間隔で柔らかに乾いた音をたてているだけである。
「大変でございますぅぅぅ!政平様、殿ぉぉぉぉ!」
空高く飛び回っていたトビもびっくりするような、凄まじい叫び声と、廊下を思いっきり走ってくるのが同時に聞こえたかと思うと、礼儀もなにもかなぐり捨てて、気分良く寝ていた政平の部屋の戸がパチンッと鋭い音をたてて開かれた。
「何用じゃ騒々しい」
半分寝とぼけて、半身を起こして政平は問い掛けた。
「申し訳ございません。一大事にございます!実はいつもこの時刻になると庭先で一振りなされます鷹月様なのですが、今日は一向に姿を見せず。寝間の方に伺いにまいりますと、昨晩整えたまま温もりもなく、寝られた御様子がないのでございます。只今家臣総出でお探ししておりますが、どこへ行かれたのか・・・・」
政平は始め、中村の言っている事が理解出来ずに、ボーッとしていたが、時間がたつに連れて、寝惚けた眼が焦点を合わせていった。
「な・・・なにいぃぃぃ!」
さて同じ時の北原の城下では、すでにほとんどの人達が働き始めていた。魚屋が仕入れた魚を町の方へ運んだり、大店の庭を刈る為に道具を背負った職人が急ぎ足で進む中、一人の浪人が家に帰る道を進んでいた。何か書状に目を落としているようだ。
「へえ、鷹月様が行方知れず、心当たりの者は取り急ぎ城へ申し出る事・・・か」
この男、栗原桂介と言う者で、戦乱の世より代々北原の家老を勤めていた家系の者である。先代の主君に父が仕えていた頃には、鷹月のお遊び相手として一緒に育った身の上であった。
父が死ぬと同時、栗原が北原から離れると、桂介は一人屋敷を抜け出して、城下で自由な浪人生活を楽しんでいた。
「お城かぁ、なつかしいな」
などとしみじみ感じ入りながら、町の中心部寄りにある二階建長屋の自分の家に着いた。
「あらあ桂介さん朝っぱらからお出掛けかと思ったら、もうお帰りかい?そういえばさっきお友達とか言う人が桂介さんを訪ねて来たわよ」
「お友達?」
桂介は心当たりの顔を思い浮かべた。声をかけたおばさんはついと声を顰め、桂介だけに聞こえるように言う。
「それがね、凄いカッコしてんのよ。汚くてやつれててね。もしかしたら逃げてきた罪人がもしれないよ。桂介さん気をつけてね」
桂介は首をかしげながら、戸に手を掛けた。
「罪人の友達なんていないけどなぁ」
そして戸を開けて中を見た途端、
「な、なんだぁぁぁ」
見ると囲炉裏端に一人の男が座っており、自分の朝御飯の残りを脇目もふらずに食べていた。その男は、白い着物を一枚だけ着ている上に、その衣のあちこちが破れていた。髪の毛も素のままで、何か鈍い刃物で切られたかのように長さもバラバラだった。手や足、体は土や炭がついた上、びしょびしょに濡れて、ひどい汚れ様だ。
「何者だっ!」
ただただびっくりして、戸口に立ったまま怒鳴る。中の男は一瞬止まって桂介を見たが、うれしそうに笑うと、
「おうっ!久し振りだな桂介」
と言った。
そう言われて声に聞き覚えがあるように思い、まじまじとその男の顔を見る。そして桂介の頭の中に、ある図式が現れた。
『目の前にいるこ汚い男と、昔馴染みの北原の若様は------似てる!』
「わ、若様じゃないですか!何でこんな所に、どうしてこんな所に・・・あーっ!」
噛みつくような勢いに押されながら、鷹月〔汚い男〕は苦笑いして制した。
「まぁまぁ、話を聞いてくれ、話を」
そこで鷹月は、先頃起こった政平との揉め事を話した。
「兄上の政の御陰で、この藩が成り立っている事は誰もが認めてる事実だ。それを何も知らずに言い残した父上の遺言のせいで、どうしてもオレに家督を譲ると言うのなら、オレがいなくなればいい・・と考えたわけだ」
桂介はハァと深く溜め息をついた。
「つまり、家出して来たと言う訳ですね。皆さん大騒ぎしてますよ。ほら、お城から書状がまわって来てます」
「まさかこんな大事になるとは思わなかったな」
「お世継ぎがいなくなったんですよ。当然の騒ぎです。それにどうしたのですか?そのカッコは・・・」
「ん?いやぁ、逃げて来る途中に番犬に襲われて、池に落ちたんだ。そうしたら門番に見つかって追っ掛けられてなぁ。もう少しで切り殺される所だったよ、ハハハハハ」
どんなに凄まじかったかは、鷹月を見ればすぐに分かる。桂介はそう言って呑気に笑っている鷹月にあきれてやれやれと溜め息をついた。帰れと言って素直に帰るような人ではなし。かと言って追い出して路頭に迷わせる訳にもいかない。しばらく落ち着くまでここへお泊めするのがいいだろう。と桂介は考えた。まずやるべき事は----と、桂介は鷹月の姿を見渡した。
「とにかく、そのお姿どうにかして頂きます」
そう言われた鷹月は、改めて自分の恰好を見て、こう言った。
「そんなに凄いか?」
まず桂介は、自分の数少ない着物を鷹月に着せた。そして一番始めに風呂屋へ行ってさっぱりとさせると、そのまま呉服屋へ行き、そこで着物と袴を見繕い、ついでに髪を結い直した。城にいた頃の上等な着物とまでは行かなかったが、清潔な着物を身に付け、紺の袴に帯を締るとあの気品が戻って来た。そして長さがバラバラになった髪をなんとか纏め、一束に結わえる。やはり上がりきらない前髪がはらりと額に掛かり、これがまたよい色気を出していた。
「まぁまぁ、あんなススけたドブネズミみたいなのが、こんなにいい男になるとはねぇ」
と、全て上から下まで面倒を見てくれた呉服屋のおかみが思わず言ってしまったぐらい、鷹月は見事に変身したのだった。
「代金の方、一両五分になります」
「一両五分・・・生活が苦しいのに・・・」
取り合えずは桂介持ちだ。一両五分が手から離れる時はっきり言って桂介は泣いていた。
そんな事を知るのか知らぬのか、店を出ると鷹月は新しい着物に刀を差しながら、関心したように言った。
「物を購入するには、金と言う物が必要なのだな」
桂介はその言葉を聞くと、少し笑顔になった。さっきから鷹月の容姿ばかりが目立ってしまって、桂介の印象が薄くなっていたが、桂介は鷹月より少しだけ背が高い鷹月も肩幅が広くがっちりしてたくましく見えるが、桂介はそれを一回り大きくしたような体つきである。額を剃らずに纏めた髪を髷に結い、着流しに二本差しのまさしく浪人と言う姿だ。しかし威圧感などを感じさせる事はなく、むしろ安心感を持たせてくれる。少々庶民生活が長かったせいか、名家の子息のわりには気品が感じられなく、それが鷹月ばかり目立ってしまう要因かもしれない。
「そうです。若様がお城でなんのごふじゅうなく過ごしていられるのは、町で働く皆さんの御陰なのです。ですから若様もお金はありがたく使わないといけません」
鷹月は道行く人々をしげしげと眺めた。ほとんどの人がおのの商売道具を持って忙しく道を行き交う。
「若様?どうかなされましたか?」
黙り込んでいる鷹月を不思議に思い、桂介は後ろからその顔を覗き込んだ。すると鷹月は、とても満足そうな笑顔を浮かべていた。
「面白い。桂介、オレは城を抜け出してきて本当に良かったと思ってるよ」
どうやら町を歩かせたのは失敗だったな、と桂介はガックリした。
鷹月が家出をして十日が過ぎようとしていた。浪人となった桂介は、長屋近くの寺の隅を借りて、近所の子供達十人程に手習いを教えていた。庶民の子供の手習いと言えば、読み書きそろばんであったが、桂介は読みに儒学の本を使い武士の子供と同じに『子、のたまわく-』などを教えていた。書きの方も年令に合わせて、流派のある字を教えたりしている。当時としてはかなり変わった手習い小屋であったろう。居候となった鷹月もそれを手伝う事にした。しかし学問には今一自信のない鷹月としては、得意な物をと考えて、空き時間に剣術を教える事にしたのである。剣術と言ってもお遊びのようなもので、その辺に落ちている枯れ木を拾って、鷹月相手にえいやっと元気に振り回しているのだ。しばらく日にちも経つと、子供達もこの楽しい男にすっかり慣れ『お兄ちゃん』と呼んで(桂介
は先生と呼ばれているのだが)親しんでいた。鷹月の方も自分が末っ子だったせいか、お兄ちゃんと呼ばれる日々がとても楽しく感じられたのだった。
「はぁ、はぁ、はぁ-----あー、疲れたぁ」 ある晴れた頃。北原の領地の外れで、とても疲れている人がいた。どこからか逃げ出して来たようだが、その身なりは少し妙だった。きゅっと持ち上げた島田髷は、見事な髪飾りで上品に纏められていたが、走っていたのでやや乱れが目立つ。艶やかだが上品に抑えられた色の着物は銘のある絹織物に違いない。歳の頃も十九、二十歳ぐらいで、容姿の方も、小ぶりな顔にくるりとした愛嬌のある目、整った顔のつくりは、かなりの美人と言える。娘は荒い息を整えようと深くゆっくり息を吸い込みながら、心配そうに後ろを振り返った。
彼女は自分のいる岩場からそろそろと下を覗いて見た遙か下の方に波しぶきが見える。下から吹き上げる海風が、恐怖心を与えた。
「落ちたら絶対死んじゃうわよね・・・」
この娘の正体を明らかにすると、彼女は名を市村凛と言い、隣の藩の藩主の娘、つまりお姫様なのである。またどうしてそんな高貴な人が逃げ出すような真似をしたかと言うと・・・。
「なにやってんだっ!早まるなぁぁっ!」
と、後ろから声が飛んできた。びっくりした凛は覗き込んでいる体を支えていた手の平をつるりと滑らしてしまった。言うまでもなく、凛の体は遙か下の海に吸い込まれそうなった。
「きゃぁぁぁっ!」
とんだ迷惑な声の主。鷹月なのだが、瞬間的に岩場の方へ走った。一緒にいた桂介が口を開く間も与えずに、二人が岩の上から消えた。
「わっ・・・若様ぁ」
桂介は急いで崖っぷちの方へ行った。下を覗くと、鷹月が凛を片手で支えて持って、もう片方の手で岩の縁にしがみついていた。
「大丈夫ですかぁ?」
桂介の慌てふためいた・・・訳でもない言葉。
「な訳ねーだろぉ!早く助けろ!」
ザバーンと波頭が、鷹月の足下に当たってきた。
「申し訳ございませぬ!」
北原の城内では、まさにとんでもない事が起きていたのだ。
「まさか凛姫様が失踪するとは思いもよらず、北原領地に入った安心感から夜の警備を手薄にしていた隙に」
政平の前でただただ謝り続けているのは、市村から凛を無事に北原のまで届ける役目を受けた藩士だ。
「いやいや、実はこちらも鷹月にちょっとした事情がござってな。婚儀は少し遅らせていだたきたいと願っていた所。そのように謝られてはこちらとしても心苦しい」
そうである。始めの内にちらりと言っていた、政平の鷹月に家督を必ず継がせる計画とは、有力な藩より姫を取らせて鷹月を城に定着させると共に、北原家の嫡男の婚儀として盛大にやり、大騒ぎして鷹月が世継ぎである事を世に知らしめようという作戦である。ところが、当の本人である鷹月は先手を打って家出をして、嫁になるはずの凛姫もこの婚儀を嫌って逃げ出してしまった。失敗もいい所である。
「しかし・・・どうしたものでございましょうかな・」
二人の男は、同じ口調で口を揃えて言った後、また同時に同じ溜め息をもらした。
鷹月と桂介、そして凛は、町中にあるお宮通りの茶屋に来ていた。
「いくら私が悩みに悩んで行列から抜け出して逃げて来たと言っても死ぬまではしないわ。
あんなクソ親父の為に、何もそこまでしたくないもの」
そう言いながら凛は運ばれてくる団子をせっせと口に運んでいる。
「ま、状況が状況だけに、勘違いされてもしょうがなかったけど・・・・・でもねー、それを団子で済ませようってのもねー」
呆れ顔の桂介が、こっそり鷹月に言う。
「もう五皿目ですよ。それだけ食べてよく言えたもんだ」
聞こえたのか聞こえなかったのか、凛は何も答えず食べまくる。
「ところで、凛さんはどういう御身分のお方で?」
「一応、市村明時が娘凛姫って事だけど、お城の方に上がったのは十の時。それまでは父は死んだものと思って母上様と町の方で育ったの。だからね、縛られた生活とか慣れてないのよね」
鷹月も同調して頷く。
「そうだよな。いきなり『今日からお城で生活をしろ』なんて。こっちの都合と言うものを考えないんだよな」
「そうなのよ!そんで歩き方が悪いとか、話し方が悪いとか」
二人はしばらくお互いの不満不平をぶちまけ合っていたが、強引に桂介が割って入った。
「分かりました分かりましたから、二人共落ち着いて下さい。で?そんな凛さんがどうしてこの藩内にいるのですか?」
盛り上がって拳を振り上げている鷹月の手を必死に抑えながら、しっかり聞く桂介。鷹月は口から火を吹きそうな勢いである。
「詳しくは知らないんだけどね。この藩の若様で、正室の息子でありながら、いまだに家督を継ごうとしない馬鹿がいてね。その人と婚儀をするんですって」
「こ・・・・こここ、ここ・・・」
あまりの衝撃的な事に、鷹月は鶏のようになってしまった。そんな鷹月を見て凛は不思議そうに聞く。
「あら、どうしてあなたがそんなにびっくりしてるのよ」
震える指先を凛に突きつけたまま、びっくりのしすぎで固まっている鷹月を横に押し退けたのは桂介。
「いや、その・・・その北原の若様を知ってるんですよ。だからこんなにびっくりしちゃって・・・、ね?ね?若様」
「お、おお。ま、認識がちょっとばかりあると言うか」
生半可な頷きの後、さらに小首をかしげて尋ねる凛。
「ね、ところでどうしてこの人の事若様って呼んでるのよ」
「そ、それは・・。私の母上が、この方の乳母をやっていたのですよ。その昔」
真っ青になっている鷹月と桂介に気がつかず。なんとか納得したようだ。ホッと溜め息をもらした後、桂介は鷹月の袖を引っ張ってひそひそと言った。
「馬鹿,オレはずっと城で育ってたんだぞ」
「でも、逃げてきた理由とか、この素晴らしい行動力なんてそっくりですよ」
「そう・・・だな。なんか嫌な予感が・・・」
その時、凛が後ろでポンッと手を打つのが聞こえた。
「そうだ!せっかく会ったのも何かの縁じゃない。あなた達の所に泊めてよ!」
『やっぱり』と、桂介は呆れるのを通り越して、苦笑いしてしまった。
時代劇において悪役はなくてはならない存在である。だいたいそれらの身分は、まず大商人で『越後屋』『大黒屋』など。もう一つがそれとつるんでいる武士で、地方では代官、家老などである。今回の悪役は、北原の側室の三番目の息子。つまり政平の弟、鷹月の兄に当たる北原政良と言う人物である。政良は、扇子を鳴らしながら言った。
「は、つい先程手下の者が浄院寺の通りの茶店で、そのような娘を見掛けたとの事でございます」
静まり返った屋敷の奥で、扇子のパチンパチンと言う音だけが単純に響き渡っていた。
「それは好都合。部屋隅の身ゆえ、正室殿の子など見たことはなかったが、聞けばせっかくの機会をみすみす棒に振ると言う馬鹿者。政平の兄上より私の方が優れているという事も、家臣の中で知っておる奴もおる。奴らの中には私を城主に迎えたらと申す者もいるそうだ。ここで他藩の姫君が正室殿の息子と婚儀をかわしたら、跡継ぎは公式に決まったようなものだ。さすれば私に巡ってきた希望の光りも消えてしまう事になる」
「よし、その姫君を始末せよ。夜盗に襲われたようにでも見せ掛ければよい」
「承知いたしました。それでは今夜にも・・・」
その武士が方膝をついて礼をして去る。一人残った政良は不敵に口端を歪めると、玩んでいた扇子を一度だけ大きく響かせた。
「私が、北原を牛耳ろうぞ----」
草木も眠る、丑三つ時。と言えば幽霊の出る時刻。闇の世と化した町中は、昼間の人通りが嘘のように、人の姿は見当たらなかった。
もちろん鷹月達も、昼間に大騒ぎがあったせいで、桂介の長屋に帰って来るとすぐに夜具を整えて寝てしまった。部屋の二階に凛を上げて、鷹月達は一階の細々とした道具の間で寝ている。カタカタ・・・・戸が音をたてる。風でも吹いたような音だ。そして次にはなんの音も出さずに、スッと戸が開いた。頭巾を被った男が二人、これもまた音もなく入って来ると、誰かの姿を探すように、鷹月達の方へ視線を送っていた。
「二階だ」
男達はまったく足音もなしに、二階の階段へ足を向けた。一人が階段に足を掛けた時、
「何やってんだよ」
いつの間にか、鷹月が半身を起こしていた。
「むっ、きさま!」
二人の男は慌てて刀に手を掛けたが、鷹月はその体制のままゆったり対応した。
「お姫さんに何の怨みがあるか知らないが、こんなに堂々と襲わせてたまるか」
この時、鷹月は自分でなんてかっこいいんだと思った。
「しかしお前も運の悪い奴だ。オレが厠に行きたくなった時にやって来るとはな」
ばーかばーかと言って、ベーッと舌を出す。頭巾の男達が怒りに震えたのも無理はない。
「おのれ、その減らず口、二度と聞けぬように叩き切ってやるわ!」
覆面の男が抜き様に刀を振り上げた。
「あいにくオレは厠に行きたいのでな。死ぬわけには行かぬのだ」
風を切る音と共に、鷹月の真上に刃が降りかかる。カキンッと言う耳をつんざく音が響いた。
「むっ!」
先程と全く変わらない半身を起こした体制で、枕元にあった脇差しを掴み、その刀を受け止めたのである。
「お、おのれ---」
もう一人がかかって来ようとした時。
「ちょいと、桂介さん。なんかあったのかい?やけに騒がしいじゃないか」
と、戸口で隣のおばさんが文句を言いに来た。男達はこれ以上騒ぎが大きくなる事を嫌ったのか、舌打ちをすると急いで刀を鞘に収めて、そのままくるりと背を向けると戸口に走った。戸が開いている事に気がついたおばさんがそろりと開けようとしたのと、男達が飛び出したのが同時で、おばさんのびっくりした声が上がった。鷹月は蒲団から飛び起きたが、奴らを追おうとはしなかった。すると隣で寝ていた桂介が、ムクリと起き上がると鷹月に頷いて見せて、着物に手を通すと外に出て行った。
「ね。昨日の夜中に何かあったの?」
早朝、鷹月と桂介が出掛ける支度をしていると、凛がお弁当を手渡しながらそう言った。お姫様がどうしてお弁当などと言う家庭的な物をつくれるのだろう?と疑問にも思ったが、元々は町で育った普通のお嬢さんなのだから、花嫁修行として母上が教え込んだと考えれば、疑問も消えた。
「・・・何かあったのって・・・?」
桂介がちょっとびっくりして聞いた。あれだけの騒ぎだったのに、いくら二階だからと言って聞こえないハズはない。
「だってね、今朝井戸に野菜を洗いに出ていったら、おばさま達がなんかやたらと心配してくれてるのよ。『怪我なかったかい?』とか『大変だったねぇ』とかって---」
そこまで言われて落ち着いていれば、大した度胸の持ち主なのか、それともやはりお姫様だからだろうか。
「ええまぁ、昨日の夜中にこんな所に盗賊が入りましてね。いえ、何もないと分かるとすぐに逃げて行ったんです」
ふうんと分かったような返事をする。鷹月と桂介が出掛けると、凛はそれ以上何も聞かずに機嫌よく手を振って見送った。
「大丈夫でしょうか?凛さんを一人残して来て」
「大丈夫だって、相手も馬鹿じゃないんだ。長屋の人達に顔を見られている以上二度同じ事をしようとしたら、今度こそ騒がれて、捕まってしまうのが落ちだ」
「はぁ、なるほどね」
こういう事は鷹月の方が考えが及ぶらしい。鷹月と桂介は、寺子屋のある方向に向かって大通りを歩いていたが、突然横道に飛び込んだ。
「なぁ、桂介」
「昨日の下手人の逃げ込んだ屋敷の話。間違いないんだろうな」
「当たり前です。奴の一人が逃げる時に踏んだ炭の跡。確かに屋敷の門下に残っていました」
二人はそのまた奥の、広小路と交わる十字路の真ん中に立つと、ゆっくり背中合わせになった。
「て事は、こいつらもその屋敷の手の者という事になるんだろうな」
「ええ多分」
前後左右の道から合わせて十人ほどの男達が鷹月達を囲んだ。そして何も言わずに刀を抜く。
「いっちょこらしめてやるか!」
二人は半ば楽しむような顔でゆっくりと刀を抜いた。
「若君は・・・一体どこへまいられたのか・・・」
茶色の羽織袴に、とってつけたような二本差し。体じゅうから、くたびれたという気を発しながら歩いている武士がいた。御存知北原の家老の中村である。ふらりふらりと顔を動かしながら、大通りをしょんぼりと進んでいる。と、突然中村はある一つの考えを思いつき、一人で青くなった。
「ま、まさか武士が嫌になって、髷を切ってしまわれたなんて事は-----いくら無謀な若君であっても、そこまではなさらないであろう。ハッハッハッ我れながら馬鹿な考えを起こしてしまった」
笑いながら、顔は真っ青だ。ただ自分に言い聞かせていただけである。と、その時。目の前の路地から浪人者が多数飛び出して来た。城勤めの中村である。避け切れずにまともに巻き込まれてしまい、ひっくり返ってしまった。そのまま浪人共は刀を収めるより早く退散して行く。
「あいたたたたっ」
通り行く人々の視線を受けながら、みっともなく座っていると、一人の男が駆け寄って引き上げてくれた。
「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」
「いや、かたじけない」
中村がお礼を言おうして、男の顔を見てアッと言った。
「これはお懐かしゅう。桂介殿ではござらぬか!」
「な、中村様・・・。こちらこそ御無沙汰してございます」
桂介はにこやかに笑って、頭を下げた。どうやら顔が引きつっていたのは気付かれていない。
「丁度良かった。実はそなたにご協力願いたい事があって----」
と、そこまで言い掛けた時。
「桂介、怪我人でも出たか?
ピーンと張りのある聞き覚えのある声に、中村はその声の方を見た。浪人姿の若者。着物も髪も変わっていたが、体からにじみ出ている気品は変わる事はない。中村はしばらく茫然と鷹月を見ていた。鷹月も路地から覗き込んだ恰好のまま、青ざめて固まっていた。
「た、た・・・鷹月様ぁ」
怒鳴るかと思いきや、力の抜けたような声で言って、鷹月によろよろと近寄った。
「御無事で何よりにございます・・・。あれからずっとお探ししていたのでございますよ。
それと言うのも夜分にだまって出て行かれるのですから-----」
ぐちぐちと泣き事と、説教をし始めた中村に、しまったという顔をして、側で知らん顔をしている桂介の袖を引っ張った。
「おい、桂介。お前城の方に報告していたんじゃなかったのか?」
「しようと、思ってたんですけど・・忘れてたんです」
あっさりと言う桂介を恨めしそうに睨むが、桂介は知らないと言うようにそっぽを向いている。
「心配掛けて悪かったな。その、オレはオレなりに考えがあってだな・・・・」
鷹月は弁解をしようとしたが止めた。中村の苦労は、弁解の意味とは関係のない事と思ったからだ。
「中村、すまん!申し訳ない、しかしオレはすぐに城へ立ち戻る事はできぬのだ。その代わり、もう一人の逃亡者の方教えるからさ----」
中村に何も言う間も与えず、鷹月は長屋に残して来た市村の姫君の事を話した。
空が夕日に染まった時刻。桂介と鷹月は長屋の方へ帰って来た。二人の姿を見つけると、いつもの隣のおばさんが、手拭いで手を拭きながら桂介に近づいて来た。
「あっ、桂介さん。大変よ大変、ついさっき立派なお駕籠があんたの家の前に来たと思ったらね、あの凛ちゃんを乗っけて行っちゃったのよ」
鷹月と桂介は顔を見合わせて溜め息をついた。
「中村の奴、もうちょっとお忍びっぽく出来ないのかね」
それを聞くなり、桂介も真顔になった。
「行ってみましょう」
二人はまた長屋を飛び出して行った。
駕籠の中で凛は深く溜め息をついた。
「鷹月の・・・桂介の・・ばかぁ」
夕飯の買い物をして帰って来ると、北原の紋の入った駕籠がどーんと桂介の家の前に置いてあった。すぐに自分を迎えに来た駕籠だと分かった。逃げようと思えば逃げられたが、凛はちょっと立ち止まっただけで、次には覚悟を決めると、しきりに困った顔をしている中村の前へ行って名乗ったのだった。
「お別れの言葉もなしじゃぁ、あんまりにも悲しいじゃないのよ」
二人がお城に知らせた事はすぐに察しがついた。昨日押し入った賊に自分が関係している事も分かっていた。鷹月と桂介が自分の身を心配してくれたこその配慮である事も充分分かってはいたが、久し振りに楽しかった同居生活の、お礼の一つも言いたかったと思うのである。
「うぬっ!何者だ、このお駕籠、北原の紋付と知っての狼藉か!!」
切羽詰まった中村の声が聞こえて来た。はっと息を飲んで急いで駕籠の屋根を少し上げると、何人かの浪人が不気味な刃を一斉に凛の乗っている駕籠の方へ向けた。
すぐに昨夜の賊と関わりがある事に気がつく。側に付いて来た市村の藩士が駕籠を守るように囲むと、凛には外の様子が入らなくなった。凛は自分が襲われていると言う恐怖心と、自分のせいで北原と市村の藩士に怪我人もしくは死人を出すという責任感との間で、必死に自分の取る行動を考えていた。その時、外の状態が変わったらしく、今度は浪人共が騒ぎ出していた。
「貴様は昨夜の!」
激しい刀のぶつかる音。人の呻き声。凛は外の悲惨な状況を想像して、ギュッと耳を押さえて小さくなっていた。いきなり光りが差し込んで来た。誰かが駕籠の戸を開けたのだ。
「きゃっ」
「凛さん!大丈夫ですか!」
そう言って凛の肩に手を置いたのは、桂介だった。
「桂介----」
ホッとして、しばらく放心したまま桂介を見つめていると、桂介も安心した笑顔を見せて凛を支えるようにして駕籠の外へ出した。駕籠の外ではすでに浪人のほとんどが、自分達の藩士達の手にかかって倒れていたが、ある一人だけは、鷹月の刃の先で、おののいていた。
「言え!姫君を襲うように言ったのは、北原政良殿なのか」
男は答える代わりにニヤリと笑った。鷹月がその表情に不審を感じた時、男は背中に隠し持っていた短刀を、鷹月に目掛けて振り上げた。鷹月はその一瞬の間に、突きつけていた刀の体制を変えると、男のみぞおちに深々と突き刺した。男の短刀は鷹月の首筋の手前で止まっている。鷹月が刀を引き抜くと、男の体はそのまま後ろへ倒れ崩れた。
「鷹月、桂介・・・ありがとう」
自分の側に近づいた鷹月と桂介に、凛は寂しそうな声で言った。今助けてくれたお礼と、今までのお礼。二つの意味が込められている事に気がついた鷹月と桂介は、少しの間凛を見れなかった。
「心配するな、また会えるって」
鷹月が元気な笑顔でそう言った。
「そうですよ。それに北原のお城でなら、今まで通りの凛さんで通用しますよ」
「ま、桂介まるで北原のお城の中を見てきたみたいな言い方するのね」
そう言ってくすくす笑う凛の前で、二人はギクリとした。実はその通りだからである。
しかし凛はまったく気がつかない様子で、今度はいつもの笑顔で笑って見せた。
「ホント、最後に会えて良かったわ。じゃあね、さようなら」
二人がゆっくり頭を下げるのを見て、凛もぺこりと頭を下げる。そして中村に声を掛けると、り向きもせずに駕籠へ乗った。さすがの中村も何も言えずに、鷹月を恨めしそうに見ると、そのままお城へ向かって行った。
「行っちゃいましたね」
「そうだな・・・。しかしさ、どうしてオレ、あいつに身分を隠す必要があったんだ?」
「そういえば・・・そうですよね」
これが自分の結婚相手だと思ったら、凛さん余計北原に来たくなくなるからじゃないか、と思ったが、桂介は分からない振りをしておくことにした。
「しかし若様、いかがいたしますか。相手が義理の兄上様とあっては」
鷹月はしばらく押し黙っていた。
「兄上と言っても、顔を見た事はない。なぜか儀式の時にもお顔を出さなかったしな」
「兄弟と言っても、複雑なんですね」
鷹月は答えずに城の方をじっと睨んでいたが、決めたと言うように桂介を見た。
「桂介、城に戻るぞ」
「はっ」
鷹月が何を思いついたのか、すぐに感じ取った桂介は何も聞かずに従った。
テレビで言うなれば、時間もそろそろ四十三分。悪党退治のはじまりはじまり。
「なに?正室殿の息子が?」
政良は自分の屋敷で、凛の暗殺失敗の報告に歯ぎしりをしていると、続いて北原の世継ぎ鷹月がここへ来たとの報告を受けた。
「確か鷹月殿は、婚儀も遅らせる程の病気だったのではないのか?」
「はっ、それがまぎれもなく鷹月様のようで。何でもその婚儀の運びについて、直々にご相談致したい儀だそうで、政平様も御一緒に」
「何、兄上も」
凛の報告をして来た浪人が、障子の裏から政良だけに聞こえるように案を言う。
「御前、この機を逃す手はございません。屋敷を出た後凛姫を襲った輩に殺された事にしておけば、家名が傷つく事もありませぬ。後は首尾良く御前が藩主におなりになれば後は思うつぼでございましょう」
少しの間、政良は浪人の言う事を考えていたが、その通りだと言う結論を出した。
「確かに、このままでは部屋隅のまま。お主の言う通りにいたそう。おなりの間、その方は屏風の裏にでも隠れておれ」
取次の家臣を呼んで、鷹月達にしばらくお待ち頂くようにと告げよ、と事づけると、口の端に厭味な笑みをつくり、その儀の支度の為に奥へ入って行った。羽織袴の政良が、床の間のある部屋の下段でうやうやしく頭を下げていた。上段の真ん中には政平が、そのすぐ隣に鷹月、そして上段の隅に桂介がいたが、政良はまだ表を上げる事を許されていなかったので、三人の顔を見ていなかった。
「兄上にはお久しゅう。鷹月殿にはお初にお目に掛かりまする」
政平が声をかけて表を上げる。兄の横に座っている羽織に袴の鷹月を見た途端、直観的にこれはと感じた。似ているのだ。先代城主北原月影に、面影も気品もそして凡人には手も届かないような徳が、似ているのである。政良はすぐに鷹月には勝てぬと見極めたが、これから起こる事を考え、まさに良き判断とほくそ笑んだ。そんな事は知らない政平は、本当に嬉しそうに頷くと鷹月を見ながら言った。
「突然の訪問、許せよ。実は鷹月たっての希望でな、まだお目に掛からない兄弟殿を拝見し、婚儀の報告を是非にしたいと言う訳で、まずそちの方に参ったのじゃ」
「それは、恐悦至極に存じます」
鷹月はじっと政良を見ていたが、一息つくと若々しい張りのある声で尋ねた。
「先の刻、市村の姫君凛殿が何者かに襲われたと言う報告をもらい受けましたが、兄上のお耳にお入りか?」
政良は動じる様子もなく、堂々と鷹月の顔を見て言った。
「いいえ、その様な事があったのでございますか?してお怪我などなさいませんでしたか?」
「いや、御心配には及びませぬ。しかし一つ気になる事がございましてな」
「と、申されると?」
鷹月は、じろりと後ろにある屏風に視線を走らせた。
「この屏風の裏からな、姫を襲った殺気と同じ殺気を感じるのだ」
その途端、屏風の裏から刀が凄い早さで伸びて来た。鷹月は政平の体を安全な方向へ押し退けると、その刀を避けながら浪人の腕を掴んだ。呻き声が聞こえた後、鷹月に投げ飛ばされて、浪人が公の場に姿を現した。
「よぉ、お主は以前長屋の方で会ったな」
締め上げた手を緩めると、浪人はさっと身を剥がして鷹月に向き直った。
「き、貴様は姫と一緒におった浪人!」
それを聞いた政良は、猫を被っていた表情を剥ぎ落とした。
「なんだと、では今まで凛姫の暗殺を邪魔しておった浪人とは-----!」
鷹月はゆっくりと立ち上がった。桂介もそれに従うように鷹月の隣についた。
「オレが家出をしていたと言う事を知らなかったのは運が悪かったな。姫を殺して北原の評判を下げる思惑だったのだろうが、そうはいかない。悪はな、いずれ滅びると、昔から決まってるんだ!」
政良は少しずつ後ずさっていたが、ふいに笑い出すと鷹月に指を突きつけた。
「ここで分かった事はただ一つ。お前が北原鷹月殿ではなく、裏長屋に住む浪人者だという事だ。出会え!狼藉者じゃ、皆の者切って捨てい!」
大声と共に、浪人者が半分家中の者が半分。刀を抜いて、鷹月達に向かって構えた。
「若様!」
「いくぜ桂介」
鷹月が柄に手を掛けた。桂介も政平を庇いながら刀を抜いて構えた。三人の浪人が鷹月に向かって来た。鷹月は刀を抜くと片手に持ち変え、十の字に振り落とす。あっと言う間にぱたりぱたりと 浪人達が倒れた。桂介の方には政良の家臣達がかかって来ていた。右から来る者の胴を切り、左から来る者を袈裟懸けに切る。すばらしい身のこなしで、あっという間に切って捨てると、それから掛かってこようとする者達を睨み付けた。
「若いからって甘く見るなよ。私だって立派な浪人だ」
二人の見事な働きによって、残ったのは政良ただ一人になった。鷹月と桂介が囲むと、政良は苦々しい表情で刀を抜き、鞘を投げ捨てた。
「政良殿、あなたが会心してこれからも北原を支えて行かれると申してくれるのなら、これ以上責めはいたしませぬ。どうかこれ以上--」
そう言う鷹月の目は悲しそうであり、また同情したような色も持っていた。持ち慣れない刀の先を、ふっと緩める。政良は分からないと言うように引きつった笑いをすると、震える声で鷹月に問う。
「許すと申すのか?そち達を殺そうとしたわしを許すと申すのか」
鷹月は何も言わずに立っていた。桂介もその後ろに控えて見守っている。
政良はフフフと笑い始めると、狂ったように笑い出した。そして次に笑うのを止めたと思うとじっと鷹月の目を睨みつけ、そしてゆっくりと細めた。その目に意味を感じた鷹月が口を開こうとした時、政良は持っていた刀で、自分の腹を割いて息絶えてしまった。
しばらく誰も動かなかったが、やがて鷹月は一つ溜め息をつくと、刀を鞘へ戻した。
「若様、もうお城へ戻られたらいかがです?」
そう言う桂介を見て、鷹月は思わせぶりに笑った。『どうしよっかなー』とでも言っているようである。桂介がその先を続けようとした時、
「そうだぞ鷹月」
二人が振り向くと、政平がゆっくり自分達の方へ来る。所であった。二人はすぐに片膝をついて礼をする。
「そなたが私に城主で居続けてほしいと思う心はあり難く思う。今を知らぬお父上の遺言に反発する気持ちも分からぬではない。よいか鷹月、私はこの父上が育ててきたこの藩を今まで通りに維持する事しか出来なかった。私の力ではこれが精一杯の事だ」
「しかし兄上は----」
鷹月が顔を上げて何か言おうとしているのを、片手で遮る。
「わしは父が生きている時もそなたの兄となり、そして亡くなられた後は父となり見守って来たつもりじゃ。父の目が信じられぬのなら、わしの目を信じよ。そなたなら、父上が達成できなかった数多くの発展を、達成させる事が出来るのだ」
政平はそこまで言うと、鷹月ににっこりと笑って見せた。
「わしとてこの藩がかわいい、遺言にあったからとて、見込みのない奴になど譲らぬわ」
鷹月は下を向いたまま黙っていたが、もう片膝を土につけると、そのまま政平に向かって土下座した。
「恐れながら兄上。この度の家出にはその事以外にも理由があるのでございます」
「若様---」
鷹月の後ろで様子を見ていた桂介が呟く。その時、ふわりと鷹月達の間に、温かい風が吹き抜けた。
「理由とな」
「はい、私は庶民の暮らしと言うものを体で味わって見たかったのです」
今度は顔を上げ、政平の目をじっと見た。
「兄上は城内にいたため、今回の騒動には全くお気付きになってはおられなかった。しかし、私は城下に居たため、凛殿を救う事ができ、今回の件について作戦を練る事ができました」
政平は何ともいいがたい表情で唸った。
「私が城下で学ぶ事は、まだまだ山ほどあると思っております。何も知らずに国を豊かにする事などできません兄上、鷹月は自分に自信がついた時には必ず御期待にそうようにいたします。ですから一生の一度、鷹月のワガママをお聞き届けください」
鷹月が地面に額を付けて願っている。桂介も政平もただただ見つめるばかりだった。しばらくして政平が深い溜め息をついた。そして鷹月の所まで膝を折ると、その肩に触れた。
「のう鷹月、そのように額をお付けなされるな。わしはただの城主の中継ぎ、当のご嫡男にこのようにされては何も言えぬ」
鷹月が顔を上げる、その姿は城主の姿ではなく、兄としての姿があった。
「そなたは昔から頑固だからのう。今更何を言っても聞かぬまい。しかしな、一つだけ約束をしてくれぬか?」
やさしい微笑みを浮かべ、政平は言い聞かせるようにゆっくりと言った。
「命だけは、落とさぬように・・・な」
「兄上・・・しかと、しかとお約束いたします!」
温かい風に乗って、桜の花びらがひらひらと綺麗であった。
「凛さんはお城でうまくやってるんでしょうかね?」
「旦那がいなくて、困ってるかもな」
「結局凛さんに何も言ってこなかったんですか?」
「言う暇なんてなかっただろ」
城下に戻った鷹月と桂介。いつか凛と来たお宮通りの茶店で団子を食いながら話していた。話ながらと言えども、手だけは敏速に動いている。その時、どこからか聞き慣れた声が飛び込んで来た。
「お----い!」
お茶を飲んでいた桂介は、ブッと吹いてしまい。鷹月は団子を飲み込んで、目を白黒させた。
「凛さん!」
「お前、城に居るんじゃなかったのかよ!」
ちょこんと隣に座って、さっそく団子に手を伸ばした凛を見て、鷹月が叫んだ。凛は平然として言う。
「ああ、あんまり退屈だから抜け出してきちゃったの。来る時にね、番犬に吠えられてあやうく池に落ちる所だったわ。そうしたら門番の人に見つかって、そのままつまみ出されて無事出てこれたって訳」
「なっ・・・」
「うっ・・・」
びっくりするやら、あきれるやらの話に絶句していたが、どこかで聞いたような話に、二人共思わず苦笑してしまった。
「あ?どうしたのよ」
二人は堪え切れずに、とうとう爆笑した。
「ちょっと、なんなのよ。何で笑うのー?」
二人の着物の袖を握りしめて、覗き込む凛。
「お前らしいなぁ、と思って」
涙を浮かべながら笑う鷹月。
「誰かさんにそっくりだと思って」
凛と鷹月を見比べる桂介。
お宮の階段を登ると、境内は桜吹雪の真っただ中だった。美しい渦の中、三人は晴れやかな笑顔で通り抜けて行ったのだった。
おわり