妻
あれから一年は経ち、俺は十九歳になった。薔薇のコサージュは婚約者を殺してはくれず、失敗したかと思っていた。しかし、着けているときに確認すると、成功どころがその力は増していた。
今日は俺の結婚式。その相手は、彼女ではない。
祝福してくれた方々が、とても嫌味に聞こえた。
今日この日は、俺にとって一番の不幸になるだろう。そう思っていた。
初夜をすっぽかし、その日から彼女の家に帰っていた。彼女の家といっても、私が彼女の為につくった邸。
妻のいるところには、何かしらの自分が行かなくてはいけない用事がない限り行かなかった。そうしていると、そこには、一ヶ月に一回行くか行かないか。その程度になっていた。
俺は文官として働き、領地の全ては妻に任せていた。自身の稼ぎは全て自分と彼女に使った。彼女は、やれ宝石が欲しい。最新のドレスが欲しい。彼女の欲望は尽きなかった。そんな彼女に、俺は可愛いわがままと思い、何でも買い与えた。
その日は、珍しくどうしても妻のいる家に行かなくてはいけなかった。
その事を彼女に伝え、俺は妻の所へ出向いた。
久しぶりに見た妻は、益々心を囚われるようなものになっていた。
だけど、彼女の瞳に光がなかった。昔は鬱々としたところはあったが、目には引き込まれるような光があった。
それが今はどうだ。鬱々としたところはなくなって妖艶とした様になったが、目には光がない。
俺はそんな妻が怖くなり、泊まる気だったはずが、彼女の家に逃げ帰った。
そこで、見てしまった。王子の取り巻きの一人が、彼女と一緒にベッドにいるところを。
そこからは、大乱闘だった。俺はそいつを殴り倒した。そいつもその姿のまま、俺に殴りかかってきた。
「何でお前がここに」
「それは、俺のセリフだ!」
「お前は彼女のなんなんだっ」
「恋人だよ」
「俺も恋人だ」
殴り合いながら、会話とは言えない会話をしていたら、おかしな発言があった。
俺もそいつも無意識に拳を下げて、彼女の方へと顔を向けた。
「あははは、あっはっはっ」
彼女はとても可笑しそうに、けらけらと笑っていた。
「……何で笑う」
「当たり前でしょう?」
彼女は今までの純粋無垢な笑顔が嘘だったかのように、意地の悪い嗤い顔をしてた。
「それはそうでしょう。二人とも……いえ、五人とも。言い訳できないような証拠が見つかるまで、疑いもしないんだもの」
俺はその言葉で今までの彼女が、信じられなくなった。それに五人――第二王子の取り巻きの人数と全く同じだ。
「行け、ここから出て行けっ!」
「何を言っているのかしら?」
彼女は懐から、何やら紙を出してきた。
「つくった人は貴方かもしれないわ。でもね、この邸の権利は私にあるのよ。譲渡した本人が忘れるなんて、貴方本当に馬鹿ね」
馬鹿にしたように彼女は嘲け嗤う姿を見ると、あの時の事を思い出す。
『そうかそうか。あの芋っ子阿婆擦れ女を好きと言うくらいだ。お前には、節穴が空いてるどころが、大穴が空いてるくらい見る目がないんだね』
確かに王子の言った通りだ。彼女の今までが全て嘘なら、俺の見る目は全くない。誰も信じれなくなりそうだ。
権利はどうしようもない。あの邸の維持費はどうにか私から外すことができた。それでも、万々歳だ。
俺は黄昏ながら、妻のいる家に帰っていった。
その時に思ったのだ。妻は昔から俺の為に何でもしてくれる。今だってそうだ。殆ど帰ってこない俺の為に、他の夫人方はしない邸の管理から領地経営までしてくれる。
あの時、妻を殺さなくてよかった。もう俺には、妻しかいない。妻なら信じられる。そう、思った。
だからと言って、今まであんな扱いをしてきた妻に今更素直になれなんて到底無理。あの薔薇のコサージュはこっそり捨てた。
だから、俺は彼女を遠くから見つめては、合う度に反らす。俺を昔から知っている執事は、呆れた目を向けてきた。
でも、今毎日見ているからこそ思う。妻は、やっぱり目に光がない。知っているからこそ注意深く見れば、光がないばかりか、どこか一点を見つめているときもある。さらに、誰もいないときにその一点へ、そこにいる誰かに話をかける。誰もいないはずなのに。
妻の近くにいた、メイドに日頃の生活を聞いても、可笑しいところは見当たらない。自分だけが、妻がおかしく見えているのか。と、思ってしまう。
ある日。俺は妻が怪しく思えて、妻の部屋へ忍び込んでみた。
妻がいつも見つめる方へ、俺は向かってみた。夜だったので、彼女は寝ている。そろりそろりと慎重に行くと、そこにあったのは花だった。
何の花だっただろうか。しわしわの花弁が特徴的な、あまり美しくない。確か、午後から咲く花だと、どこかで聞いた気がする。花言葉もあまりよくない、そうだったはずだ。
俺はどこかで、嫌な予感が身にひしひしと感じた。
それからは、俺は妻を観察し続けた。仕事はしっかりこなすが、日に日に目は可笑しくなるし、少しずつそれは態度にも表れはじめた。
その頃になって、ようやく妻の近くにいたメイドが異変を感じはじめた。
俺はそのメイドに妻の監視を頼み、危ないことはしないよう頼んだ。
そこで、俺は安心したんだと思う。
妻が可笑しいと思うのは、一人ではない。自分はおかしくない。そんな安心感を与えてくれた。なので、俺は気が緩んでしまったのだろう。
その日は仕事がたて込み、王宮に泊まることになった。
その夜のことだ。家の執事が、息を切らして俺のところに来た。
「奥様が帰ってきません」
俺は急いで帰っていった。上司の宰相にはどうにかして融通を聞かしてもらった。
早くしないと、二度と妻には会えなくなるような気がして。
俺は邸につくなり、そこで頭を下げていた、妻付きのメイドに怒鳴り散らした。
「どうして、行かせたんだっ!」
メイドは目に涙を溜めながら、言い訳を述べた。
「奥様が、行かせてくれないならここで死ぬ。と、隠し持っていたナイフで首ともを当てたのです。自殺はしては欲しくなかったので私は奥様を行かせ、執事にこの事を伝えた次第です」
「くそっ」
俺はこのイライラを、上着を投げることによって少々解消した。
「旦那様、これを」
俺の執務室の掃除を頼んでした侍従が、何やら手紙を渡してきた。
旦那様へ、と綺麗な字で書かれたこれは、どう見ても妻が書いたものだ。手紙と一緒に、あの花が添えてある。
『旦那様へ
この二年間、私はとっても幸せでした。私はこのままいなくなります。両親には死亡と伝えました。旦那様は愛人様と一緒に末長くお過ごしください』
これしか書かれていない脈略のない手紙でも、妻は死のうとしていることだけは分かった。
それに、俺はこの手紙で確信した。彼女は狂っていたのだと。それは誰のせいかは、分からない。それでも、俺がその誰かには入っていることだけは、すぐに分かった。
握り潰してしまった花を見てみると、花弁がしわしわしていて、今にでも萎れそうだ。今なら思う、この萎れそうな儚さが美しい花なのだと。
「誰か、妻を見なかったか?」
俺は声を張り上げ、邸内を駆け回った。すると、庭師のおじいさんが恐る恐る声をかけてきた。
「私見ました。たぶん奥さんは、すぐ近くの森へ行ったのだと思います。あの森の中心には、花畑がありますし」
俺は庭師を信じて、彼を先頭に馬を使って駆けていった。
三十分はかかっただろうか、確かに花畑はあった。しかし、そこは俺が幼かった頃は、ただの空き地だった場所のはずだ。
その中心に、妻と初めて見る男がそこにはいた。
金髪に金の瞳、薄絹を纏ったその姿は、まるで伝説の光の精霊王そのものだ。
「そこの男、妻を返してもらおう」
俺が声をかけると、男は妻に向けていた顔を上げて俺を見つめる。
「ああ、お前が次代の元夫か」
何の感情も乗せない瞳で、俺に語りかける。
「まだ離婚していない」
「離婚も何も、人ではない身で何ができるの?」
「人ではない?」
俺は妻の手を触ろうとするが、すり抜けてしまった。自身の掌を見つめるが、可笑しいところはない。もう一度と触ろうとすれば、やっぱりすり抜けた。
「どうなってんだよ!?」
「どうも何も、この人はもう人ではないよ。言ったよね、次代と」
「次代とは何だよ」
「次代の精霊王だよ」
嘘だろう。何もかもが、もう遅かったのだ。
「お前がそのプライドを捨て、次代と心を通わせれば、違った未来があったかもしないね。しかし、それももう二度とない話」
それだけ言うと、男はにっこりと笑いこう言った。
「お前がプライドだけは無駄に高い傲慢で、過去を省みるこもない。他人のことを考えない人でよかったよ。僕が求めていた、狂った精霊王が生まれるのだから」
それだけ言うと、男は幻のように妻と一緒に消えていった。
俺の後悔はもう尽きない。掌にあった花弁を見て、今更分かってしまった。この花は、妻を彼女自身を写していたのだと。
アルビドゥスの花言葉は、『私は明日死ぬでしょう』
よく考えれば、ここに着いたのは日付が変わってからだ。
アルビドゥスの花言葉通りになったのは、何の皮肉だと、俺は嗤い続けた。
俺のこれからが、光が一寸のない暗闇に見えた。
一年後、魔王が復活したとどこかで聞いた。




