幕間;邂逅一歩手前1
その便箋には見覚えのない名前とメールアドレスと思しきアルファベットの羅列が記されていた。
「間違いかな」
田中はしばらくの間、訝しげにそれを凝視していたが、結局深く考えることなくそれを丸めて部屋の隅のゴミ箱へと投げ入れた。何であろうが、ただ煩わしかった。
翌日―日付的には変わっていなかったが-二日酔いで思い頭と身体を引きずり田中が向かった先は最寄駅近くの古本屋であった。そこを訪れるのは実に約三か月ぶりであったが、田中の唯一のお気に入りの場所だ。医学部の再受験。形ばかりの目標であったが、それを掲げてからはそこにお世話になっていた。
平日の昼間、店内は閑散としていた。静けさの中にインクの匂いが充満している。静寂と言ってもあの深夜の静寂のような田中をつんざく心地の悪いものではない。
他のコーナーに目もくれず向かった先は受験参考書コーナーであった。
「この田舎町の片隅でそんなに本の入れ替えがあることはない」
そう思いつつも、新品の参考書が買えないのはひとえに田中の寂しい懐事情故であった。本来的に潔癖症のきらいがある彼でも財布と相談すれば古本を手に取らざるを得ない。そもそも受験費用だってギリギリなのだ。そして、三カ月もたてばいくら分厚い参考書でもやり終えるには十分であった。
棚を上から順に物色していく。やはり、新しい本は入っていない。そのことは予想通りであったが、前回此処に来た時に気になった本がまだ残っていた。手に取って裏の値札を見たが値下げもしていない。しばらく本の表紙を凝視しながらレジに持っていくか逡巡していた田中であったが、ふとこちらに向けられている視線に気づく。そちらに目をやると、少し遠くから若い女性がこちらを躊躇いがちに見つめている。店員かな、と気まずく思ったが、どこか違う気もする。お互いの視線が数秒交差した後に、
「あの…」
と、田中は勇気を振り絞って声にならない声を発しようとしたが、その途端、その女性は踵を返して店から出ていってしまった。
「何なんだ」
彼は不思議に思いつつも、手に取ったままの本を見直した。買う気勢も削がれてしまったようだ。かといって、このまま手ぶらで帰る訳にもいかない。結局、気乗りはしなかったがその日は隣町の古本屋まで足を延ばすことにしたのだった。