二章-深夜のコンビニと?
布団の上からふらつきながら立てつけの悪い木製の扉へと目指す途中、田中はあるものを忘れたことに気づいた。物に執着しない彼であったがそれだけは大事に扱っていた。それはプレミアもののヘッドフォンであった。もう夏だというのに涼しげな顔でそれをかけると、気を取り直してドアへと向かう。
「そういや、あいつは暑がりで年中イヤホンだったな」
彼はまた中田のことを思い出しドアを開けたまましばらく立ちすくんでいたが、意を決したかのように頭を振ると、ようやくドアを閉めた。
「こんな日はチャイコフスキーに限るな」
歩きながら携帯音楽プレーヤーの選曲をするが、急に中田に対しての後ろめたさを感じ、何か神聖なものを汚すような気がして電源を切った。途端に真夜中の静寂が耳をつんざく。外ではヘッドフォンを装着することが常であった彼にはこの静寂は耐えがたいものだ。そして、外の居心地の悪さなど慣れたはずなのに、歩くのが酷く億劫になり電柱へともたれかかった。
「何をやっているんだ、俺は」
彼は今までに幾度となく唱えられてきたこの独り言を吐くと、戻ろうかどうかしばらく思案したが、もうコンビニの毒々しい色の看板は視界に入っている。結局、田中はそれまでより歩を速めて目的地へと向かっていった。
深夜3時、行きつけのコンビニは店員一人を除いて無人であった。当たり前だ。この時間帯のせいもあるが、時間帯に限らずこのコンビニに客が多くいたことは彼の記憶にはない。ただ、レジにいる女性店員を彼は何度か見かけたことはあった。
冷蔵庫の棚の中から強めの缶チューハイを三本ほど適当に選ぶ。例のごとくおつまみはなく、冷蔵庫に写った薄気味悪い自分の姿に気まずい感じはしつつも、酒をレジへと持っていく。
よれよれのジャージに無精ひげ。軽蔑されているのだろうな、と思いつつも至って平気な振りをして会計を待つ。レジでの会計は事務的に行われ-もっとも、彼は店員の顔を直視することは出来なかったが-少しの安堵を覚えつつ自動ドアをくぐった。
温い空気の中、道すがら飲んでしまおうという思いに駆られながらも彼は何とか思い止まった。
「どんなに苦境でも品位を忘れたくはないよね。」
いつか中田がそう言っていたことを思い出したからだ。
無論、故人の意思であっても、当たり前のマナーを守ることで故人が浮かばれるということはない。そうして、田中は結局帰り道での誘惑に勝ったのだった。
帰宅すると生温く澱んだ部屋の空気が田中を待ち受けていた。この部屋に冷房はない。網戸は閉めていたはずだが、蛍光灯には羽虫が群がっている。その虫たちを田中は哀れに思うと同時に何故か羨ましくも思えた。その盲目さに一種の敬意を表したのだ。盲目さ、ひたむきさこそ、田中が欲していたものであったから。
しばし、虫たちに心を奪われていた田中であったが、思い出したかのようにレジ袋から温くなった缶チューハイを取り出すと、グイグイとそれを飲み干していく。そして、最後の缶を取り出す時に、レジ袋の奥底に小奇麗な便箋があることに気づいた。