03-01 長江のほとりにて
淇水の向こうを覗き見りゃ、竹林でお猿がガァガァガァ、とくらァ。
寄奴が建康の都でやおら忙しなくしてた頃、己ァ左手に長江を見ながら、えっちらおっちら西府軍の基地、南郡に向かってた。
京口から離れての一人旅なんざ、まさかそんなことするたァな。見るモン聞くモン、何もかんもが初めて尽くしで、途中ちょっと手前ェの旅の目的忘れかけたりもした。
「おぅおゥ、手前ェ! ずいぶんとまァ豪勢じゃねえか!」
――にしても野盗ってな、己みてェなボロ着た奴も襲うんだな。まァあいつらの身なりも己と大して変わんなかったし、どいつも食うや食わずやで大変だったんだろう。
「お前ェみてえなガキにゃ勿体ねェ、その得物、俺らによこせや」
頭目らしき男の後ろで、子分どもがケヒヒ、って笑う。
お目当ては、己が腰に提げてた短刀だったみてェだ。淝水でいただいたシロモンで、ぱっと見でもそれなりの業物って分かる奴だ。枝葉を払ったりとか何かと重宝するもんだから、すぐ使えるようにしてたのがまずかった。
全部で六人。物腰を見るにチンピラ以外のなにモンでもねェ。蹴散らすな訳ねェが、変に殺しでもすりゃどんな面倒に巻き込まれるかも分かったもんじゃねェ。
「ンなこと言われてもな。じゃあ、代わりになるモンなんかくれよ」
己がそう返すと、頭目はきょとん、としたツラで子分どもを見た。
「親分、コイツ誰に絡まれてんのか分かってねえみてえですぜ」
いや知るわけねェだろ初対面だよ、そうツッコミかけたが、ぐっとこらえる。
野盗どもが持ってんのは欠けた剣だとか、途中で柄が折れてずいぶんとちんまりとなった矛だとか、そんなんばっかだった。戦場漁って盗んできたんだろう。素手よかちっとマシ、くれェだな。
そんな感じで、どう頭目を料理してやろうか。
己がそんなこと考えてた時だった。
――先生、アンタが馬に乗ってふらふらと近付いてきたのァよ。
「何だい、寄ってたかってひとりに絡んで。情けないね」
いきなり頭の上から声かけられたもんだから、何のことかって思ったぜ。
いまでも思い出すぜ、ぶかぶかでボロボロな朝服でも、その丸っけェ腹ァ全然隠し切れねェでよ。団子っ鼻から何からが真っ赤に染まった先生を初めて見たときゃ、正直別のアホに絡まれたとしか思わなかったぜ。
あいつらも、カモがもう一匹増えた、くれェにしか考えなかったんだろうな。はじめあっけに取られかけたが、結局奴らのニヤつきは消えやしなかった。まァ先生が悪りィよなありゃ、郡主簿さまにも関わらず、あんなぼろ着てウロウロしてやがんだ。
「ンだ手前ェ、ッラ、すっこ」
頭目が言えたな、そこまでだったな。
あん時ゃ己もワケわかんなかったぜ。いきなし頭目が、こてん、って倒れんだ。しかも先生の手にゃ、いつの間にやら己の背丈っくれェの棒が握られてる。
武術なんてモンにゃからっきしだったあん時の己ァ、何の妖術だ、くれェにビビってた。伸びてる頭目の顎先よーく見りゃ、ちっと擦った跡でも見っかったんだろうけどな。
「不粋だ、っつってんだよ。大のおとながいちいちつるんでんのだって見苦しいのに」
「――え、あぇ?」
実に間抜けな子分の呻き。足元の、なんだかいきなり目ェ白黒させて転がった頭目と、気付きゃもう棒を鞍にくくりつけ直してた先生と、を代わる代わるに見て、ようやく目の前に来たオッサンが化けモンだ、ってことに気付いたらしかったな。ろくすっぽ言葉にもなんねえ言葉喚きながら、頭目置いてわっと逃げ出した。
「しかも親分置いてくのかい」
いまだったら笑うとこなんだが、あん時ゃもう、先生の早業に固まっちまってた。
それにしても、先生。アンタあん時「何だい反応なしかい、詰まんないねぇ」とか言いやがったよな。こちとら反応しすぎてたんだよ。ビビりすぎて身動きひとつできねェでいた奴捕まえて、よくも言ってくれたもんだ。
ただ、いきさつはどうあれ、先生が己を救ってくれたな間違いねェ。だからこそ全力で気を取り直して、己ァ先生に「すんません、助かりました!」って頭を下げたんだ。
や、本当に助かったんだぜ。面倒ごとが己のほうにあんま降ってこねェ形で、先生が野盗ども蹴散らしてくれたわけだし。
そしたら、先生、こう言ったよな。
「礼には及ばないよ。面白そうな奴のツラ仰ぐのがアタシの趣味だからね」ってよ。
あん時ゃもう、だいたい己のこと分かってたんだろ? ちっと白髪になったってだけの京口のチンピラがそんなに顔売れてるなんざ、全然知らなかったしよ。
そっから南郡までのおかしな野郎のふたり旅、まァ楽しくなかった、って言や嘘になる。己にしたって、まさか先生が桓玄の部下の一人だなんて思いもよらなかったしな。
だから南郡に着いて、先生の取りなしであっさり西府に入れちまった時にゃ、正直血の気が引いたぜ。その頃にゃ、もうとっくに広陵で寄奴が崔宏にかち合ってたからよ。アイツみてェに小さなとっかかりから寄奴の秘密に気付いちまう奴が他にもいんのかって――まァ、そいつァ余計な心配だったわけだが。
覚えてるだろ、先生。西府の中庭にこれでもかって積み上げられてた、謝玄大将軍弔問の品々に、己が阿呆みてェに真っ青になっちまってたの。いやもう、今にして思やアレのせいでいろいろ桓玄にバレる懼れもあったわけだし、青ざめちまったことに青ざめるけどよ。
あん時、戦地で寄奴が聞いてたんだよ。謝玄将軍が、いきなり亡くなった、ってな。




