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01-01 寄奴という男

 長江の向こうにゃ、化けモンがいる。

 ガキの頃からさんざっぱら聞かされてきた話だ。

 向こう岸も見えてこねぇ、このクソでっけえ川。

 いつかすげぇ将軍さまが現れて、己らを川の向こうの故郷に連れ戻してくれる。そんなことを、爺さん婆さんがこぞって言い聞かせてきた。

 けど正直なとこ、オレらァなんでアイツらがそんなことを話してくんのかよくわからねェでいた。京口けいこうの町で生まれ、そして京口で育った己ら。ジジババどもが、その化けモンとやらに追われて長江の向こうからおん出されたとか言われても、まるっきりピンときやしねェ。

 そもそもこちとら街中をたむろしてる荒くれどもの世話で、あっちゅう間に昼夜が吹っ飛んじまってたんだ。化けモンなんぞより、アイツらにぶん殴られたり、ぶっ殺されねぇようにどう立ち回るか、のほうがよっぽど大問題だった。

 京口って町ァ、まァロクなもんじゃねェ。

 すぐ西にある都と長江をつなぐ港ってもんで、えらい勢いで人やらモノやらは溢れ返る。だからいつも慌ただしいし、やかましい。そりゃ荒くれどもの巣窟にもならァな、ってもんだ。

 また、ちょっと有名になった将軍さまなんてのがすぐ「ホクバツじゃー、ケンドチョーライじゃー」とか言い出しやがる。そんで荒くれどもの雁首ひっ捕まえて、長江の向こうに攻め込もうって町ン中で大騒ぎし始めんだ。

 この将軍さまってのが、下手な荒くれどもよりタチ悪りィ。あいつら偉そうな御託ゴタク並べといて、結局やんのは追い剥ぎみてェなモンだった。あげく攻め入った後はズタボロになって逃げ帰ってくんのが常で、しかも帰ってきたら帰ってきたで、町で憂さ晴らししてきやがる。

 己みてぇなクソガキは、どうにかして自力で身を守ってかなきゃ、まともに生きてけなかった。同じようなクソガキどもとつるんでな。

 寄奴きどは――あァ、今は宋王さまだっけな。

 まァ、どっちでもいいか。アイツは、そういったクソガキどもの中でも、当たり前のように王さまだったよ。ガタイも腕っぷしも半端ねェ、その上気ッ風(きっぷ)もいい。博打はとことん下手くそだったけどな。あいつについてきゃ間違いねェ。当たり前のようにそう思ってた。実際、アイツと一緒じゃなかったら、己みてェな半端モンはとっくに魚の餌ンなってたろう。


「ムカつくんだよ」

 長江の川べりで、アイツはよく言ってた。

「なんなんだよ、化けモンって。そんな得体も知れねェモンに大の大人どもが怯えて、尻尾巻いて逃げ帰っても来て。そのくせこっちじゃデカい顔でのさばりやがって。晋国の尖兵が聞いて呆れらあな」

 こう漏らすような奴だから、当たり前のように兵隊どもともちょくちょく喧嘩してた。よく巻き込まれたもんさ。

 いくら負け犬ったって、相手ァ大の大人だ。はじめはボッコボコにされて終いだった。だが、何せ寄奴の野郎、あっちゅう間にデカくなったもんだから、そこいらの下っ端なんかすぐに相手にならなくなった。

 もめ事やら何やらに引っ張り出されてるうち、辺りの顔役みたいな感じになってったな。荒くれどもをねじ伏せて、町の奴らがそいつらからひでェ目に遭わねェように済む、みてェなことを請け負うことも多くなった。

 中には、そんな寄奴を気に入ってくれる将軍さまってのもいた。そういう将軍さまの兵隊ってのも、またいい奴が多くてよ。

 はじめに寄奴を気に入って下すったのが孫無終そんぶしゅう将軍。

 ご先祖は王族らしいが、ご本人はそんな偉ぶったところもなく、己らみてェな奴らともよく遊んで下すったもんだった。

「お主らのような者どもと共に戦えたら、さぞ心強かろうな」

 ため息交じりに、孫将軍が己らにそう言ってきたことがあった。例によって、負け戦の帰り。この時、将軍の部隊はずいぶんおっ死んだらしい。いつもはあんましお仕事の話なんざしちゃくんねェお方だったのにな。

「将軍、いったい何と戦ってきたんです?」

 ここぞとばかりに首を突っ込む寄奴。お前それ聞いちまうのかよってビビったが、当の将軍はそれほど気にする風でもなく「蛮族どもよ」と答えて下すった。

「蛮族? そんなのにボコされてんですか」

「そう言ってくれるな。残念ながら、奴らは途轍もなく強い。特に、てい族の苻堅ふけん。奴が蛮族どもの頭に立つようになってから、ますます手が付けられなくなってきた」

 そこから将軍は、長江の向こうに何がいるのかを教えてくれた。もともと己らの先祖が住んでたところになだれ込んできたって言う、匈奴きょうど鮮卑せんぴけつ・氐・きょうの五部族。そいつらがお互いに殺し合いを繰り返していく中で苻堅が力をつけ、他の部族を圧倒、ついには“天王”を名乗るにまで至った、と。

「何だ、化けモン、って訳じゃねぇんですね」

「いや、化物よりもたちが悪い。奴らは我らの同胞を取り込みもする。もともと荒れ野を駆け回っていた蛮族どもは屈強だ。そこに同胞の知恵が加わるのだからな」

 集まった奴らの中で、何人かが将軍の話にひるんだ。

 だが、寄奴は笑った。

「へぇ、面白そうだな。そいつら潰せりゃ、こっちのクソどもにデケえ面させずに済みそうだ」

 おいおい、と将軍が苦笑する。

「私もその端くれなのだがな」

 それが笑いごとで済んじまったのは、将軍のお人柄のおかげでもあったんだろう。だが、やっぱり一番は将軍が寄奴にほれ込んでた、ってことだと思う。


 後日、己らみてェなゴロツキ、厄介モンどもを、将軍は兵士として招き入れて下すった。ただ、そいつァいわゆる正規軍として、じゃなかった。

「苻堅、百万の軍を率い、侵攻。」

 最悪の急報に応じ、慌ててかき集められた、急ごしらえの軍。

 それでも、こっちは十万にも届かねェという。

「おい、えらいことになったな」

 そう己に言ってきた寄奴は、やっぱり、笑っていやがった。

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