4 ネズミさんごめんなさい
ヒースとの暮らしは、柔らかくて、あったかくて、少し不思議だった。
ずっと移動するばかりの生活をしてきたウルにとって、ずっと同じ家で暮らすという体験は新鮮だった。
雨雲が出てきても、雨宿りが出来る場所を探さなくていい。急いでテントを張らなくてもいい。
強い風が吹いても、テントが飛ばされるんじゃないかと怯えなくて済んだ。
夜の森の中はいつも、虫の声や夜行性の鳥の声、或いは肉食獣の遠吠えに満ちて騒がしいのだが、家の中にいればそれらも気にならない。
静かな夜、“ベッド”というふかふかの台の上で、身の危険を感じずに眠れる幸せ。
ヒースは無口だけれど、ウルが分からないことはなんでも辛抱強く教えてくれた。
ドアの使い方。井戸での水の汲み方。薪を集めて暖炉にくべる方法。ニンジンのグラッセのつくり方。
ヒースはウルに優しかった。彼はウルがどんな失敗をしても、絶対に怒ったりしなかった。
ただ、ネズミを取れと言った割に、ウルが本当にネズミを取って玄関前に並べておくと、朝外に出たヒースはいつも卒倒してしまうのだった。
「ネズミは、もう取らなくて大丈夫だ」
「でも…」
―――ネズミを取る必要がなくなったら、あたしは追い出されちゃうの?
正直にそう尋ねることもできず、ウルはいつも黙ってヒースを見上げた。
その度に、ヒースはいつも気まずそうに目を逸らすのだった。
ウルはヒースと同じ物を食べた。
ヒースの主な食事は葉っぱや根っこだった。
肉に比べて味気のない、食べごたえもない。
こんな食生活を送っているウルを見たら、狼族の人たちは情けないと眉を顰めるだろう。
でも、それよりも誰かと一緒に食卓を囲めるという事実の方が、ウルには大切だった。
いつも群れの隅で、息を潜めるように生きてきたウルだ。
小さな頃からずっと、母親に甘える同じ年頃の子供達を羨ましく見てきた。
群れに入れば獲物の肉は分け与えられても、それを誰かが一緒に食べようなんて、言ってはくれなかった。
ヒースは食事の最中でも、ウルが尋ねればなんでもこたえてくれる。
森の外に暮らす兎族の暮らし。
兎族も狼族と同じように、色味が混じっていない毛色の方が美人とされていること。
じゃあヒースは美人さんなのねと言ったら、ヒースは明日葉がのどに詰まったのか黙り込んでいたっけ。
あたしはこんなだからなぁと、ウルは黒が所々に交じるこげ茶の尻尾を揺らした。
その翌日には、何を思ったのかヒースは再び魚を取ってきてくれたりした。
ウルはお礼を言って、それをヒースから隠れてこそこそと食べた。
すごく、本当はすごくお肉が食べたかったけれど、ウルはヒースと仲良しでいたかったから、我慢した。
「ヒース、兎族の女の人は、どんな言葉遣い?」
「ヒース、兎族の女の人は、どんなおしゃれをするの?」
「ヒース、兎族の文字、あたしにも教えて」
「ヒース、お肉を我慢したら、いつか私も森の外で暮らせるかな?」
ヒースは何だって、わかりやすく教えてくれた。
でも、最後の質問にだけは、黙ってウルの顔を悲しそうに見つめるだけだった。
ヒース。ヒース。
この家からネズミがいなくなったら、私はいなくならなくちゃいけない。
ウルは毎日、一匹ずつしかネズミを捕らなくなった。
それでも綺麗にネズミがいなくなってしまうと、今度は朝早起きして、家の外のネズミを捕まえに行った。
狼族は基本、ネズミなんて小さな動物は食べないから、森に暮らしているネズミを捕まえるのは大変だった。
時には、昼まで掛かってしまってヒースを心配させたこともある。
どこに行ってきたのかと尋ねられた時、ちょっと散歩と答えたウルをヒースは疑わしそうに見ていた。
ヒース。私は、ずっとここにいたいよ。
けれど、嫌われ者の狼族が、そんなこと素直に言えるはずもなかった。




