13.delinquent
休日に当たる金曜日。休日の過ごし方は割と決まっていて、大抵はエコデと買い出し。
俺の重要ミッションは来週の献立についてのアドバイスと、荷物持ち。誰に代えることもできない、俺に与えられた過酷ミッションだ。
……なのに。
「先生、何か食べたいのってありますか?」
少し派手な色合いの食材が並び始めた八百屋で、エコデが振り返った。
さらっと空色のショートカットが遠心力で広がる。
そのすぐ隣で。
「そうじゃのぉ、やっぱりこの時期ならスイートポテトが食いたいのぉ」
腰の曲がった爺さんが、寝言をぼやいている。
「そうだな。俺、栗の」
「スイートポテトが食いたいのぉ」
若干声を大きくする爺さん。ていうか、それ俺にしか聞こえないんだよ!
ったく……何だその、寂しそうな眼は。 勝てるわけねーだろーがっ!
「先生? どうかしました?」
「……スイートポテト食いたいです」
棒読みで告げた俺に、エコデはくすっと笑った。 そのすぐ隣で、年甲斐もなくガッツポーズなんてしてみせる爺さん。 別に、爺さんのためじゃないからな!
俺だって、スイートポテトが好きなだけだ!
「じゃあ、今週のお楽しみデザートはそれにしますねー」
中身がばれててお楽しみとは笑わせる、とか思った奴出てこい。
このお楽しみは、エコデがいつ作り、いつデザートとして出してくれるか分からないから、お楽しみなんだ。目の前に人参吊られてる馬と一緒。
ん? てことは……俺は馬と同格か?
まぁいいか。それよりは。
「楽しみじゃのぉ、楽しみじゃぁ」
ほくほくと嬉しそうな顔をしている、ギフォーレ爺さん。 いつまで居る気なんだ。
◇◇◇
爺さんの葬儀から、早一週間。あれからずっと爺さんは居ついている。サタンがいい加減引き取ってくれればいいのだが、何故かサタンはあれから行方をくらませている。
爺さん曰く、別件で至急向かわなければならない用件があるとのこと。
それまで預かってろというらしい。
別に、それはいいんだが。せめて静かに、見えない居候として慎ましく過ごしてくれないだろうか。特に。
「いいのぉー、わしも食いたいのぉー」
食事時にべったり横に張り付くのはやめてくれ。鬱陶しい上に、食べにくい。
エコデは見えないから、俺だけの苦労。いつか暴れたらすまん、エコデ。
だが、俺は気が狂ったわけじゃないんだ。
せめて冤罪で女子高生から痴漢と間違われたサラリーマンを見るような、冷たい視線を向けてくれたら本望だ。何とか爺さんの存在を肘で突き返しながら黙殺し、俺は夕飯を終える。
皿の隅に残しておいた赤い悪魔は、エコデに見つかる前にさらっと消去。
「エコデ、俺ちょっと出て来るな」
「え? でも、もう外、暗いですよ?」
さも当たり前のように真顔でエコデは返した。
いや、俺、子供じゃないからな?
エコデより年上だから、そういう心配のされ方は悲しいんだが。
せめて、夜の街は駄目ですよ! とかだったら分かるけど。まさか、俺にはそんな度胸がないと言いたいのか、エコデ……!
「夜は悪魔とお化けの街ですよ。危ないです」
「な、何その可愛いんだかホラーだかわかりにくい響き?!」
エコデの口から語られるだけでファンタジー感満載だな。俺の戸惑いを他所に、エコデは大真面目な顔をしていた。
あ、マジなんだ。マジでそういう心配してくれてるのか。可愛いところがあるよな、エコデは。
どうせなら、たまに我が社に降臨する食卓を脅かす悪魔も妨害してくれると有難いんだが。
「行くんですか……?」
若干の上目づかいで、診療所にやってきた男たちを何人撃ち落としてきたか。
だが俺は慣れてるからな。それには引っかからない。
「エコデに心配させたくないしな。やめとくか」
「はい! じゃあ、果物切りますねっ!」
ぱっと表情を輝かせて、食器を片しに行くエコデの背中を見送る。
断じて引っかかったわけじゃない。これは戦略的撤退だ。戦略であり戦術の一つなんだ!
◇◇◇
ぼふっと背中からベッドに沈むと、その弾力に緊張が解れる。
俺、結構この瞬間が好きなんだよなぁ。
「はー、今日も俺は生きてるって実感したぁ」
「安い実感じゃのぉ、先生」
ふぉふぉふぉ、と笑うギフォーレ爺さん。
何か、俺のちょっと前の苦悩を返してほしい……。
まぁ、安いかもしんないけど俺にとっては食事が一番生きてるって感じるんだよな。
美味いもんを作ってくれるエコデには感謝だ。
「ていうか、爺さんいつまで居る気なんだよ?」
「そりゃあ、サタンが来るまではのぅ」
マジか。早く来い、俺の天敵。大魔王の名を冠した天使。
けど考えようによっては、チャンスか?
「爺さん、しばらく留守を頼んでいいか?」
「ふぉふぉ、夜遊びか。先生も若いのぅ」
「そんなんじゃねーし……」
むしろそれがバレてエコデにまた飯抜きを喰らうリスクは回避だ!
男としてどうかと思うけど、こればっかりは命には代えられない。
「エコデを頼むな、爺さん。なるべく早く戻る」
「行くがよい行くがよい」
すっげー不安だけど。行くしかないからな。マジで後は頼んだ、爺さん。
◇◇◇
昼間は医者、夜は別の顔。何かちょっと安っぽいドラマの設定っぽい。
いや、どうせならドラマみたいに颯爽登場! とかしてみたいけど。
俺には向いてないから、無理はしない。強がりなんかじゃない。絶対ないっ!
「あー、いたいた」
ひょいっと路地裏を覗き込んで、やっと見つける。
薄汚れた茶色の猫を抱いて、壁に背を預けて蹲ってる女の子。
俺は迷わず歩み寄って、女の子の脇に立った。
「!」
俺の気配に気づいたのか、吃驚した様子で顔を上げる女の子。エコデと同い年くらいか?
その目に、俺が映る。俺は表情を緩めて、女の子の頭を撫でた。
「よしよし、さぁ、行くか」
「あな……た、私が……見えるの?」
「おー。見えるし触れるし、聞こえるぞ」
ぱちぱちと目を瞬かせる女の子。腰まで伸びた茶色のおさげに、近所の学校の制服。眼鏡があれば完璧なんだが。ま、何事も完璧は美しくないよな。
「さ、行くぞ。いつまでも留まったら、悪霊化する率が上がるからな」
「誰が悪霊よ! 失礼ねッ!」
その子はすっくと立ち上がると、俺の爪先を思いっきり踏みつけた。
唐突な衝撃に、俺は声もなく震える。な、何で?
「あら? どうして物理攻撃が効くの?」
それは俺が聞きたい。何だ、この子。
その子は顎に手をやってしばし思考した後。
「もしかして、私が天才的過ぎるからなのかしら……」
ああ、そうかも。この子、『天災的な』悪霊かもしんない。
いるんだよな、たまに。こーいう悪霊……。
「なら!」
は?
唐突に、その子はくるっと俺に背中を向けた。ついでぽいっと抱いていた猫を放る。
猫は少女の手から離れると、音もなく消失した。
「お、おい?」
「ふふふふふ……そう。そうよ。私は悪霊」
おさげが不気味に揺れる。
あ、この子ヤバいタイプだ。どっちかって言えば、サチコが好きなタイプの悪霊。
俺は立ち上がって、少女の肩を掴んだ。
「まぁまぁ、落ち着けよ」
「あ、触らない方がいいですよ」
忠告にわずかに遅れて、
「あ……っつ?!」
あまりの熱さに手を離す。 思わず自分の掌を見て……絶句。
掌の皮膚が焼け焦げ、べろっと捲れ、肉を覗かせていた。重度火傷。
マジか。俺、医者じゃなかったら卒倒してたかもしんない。
「私、忠告しましたよ」
顔を上げると、頬を膨らませてみせる悪霊少女がいた。
いや……悪霊じゃなくて、そこらの生きてる女子高生ならまだ、可愛げがあるんだが。
ぴりぴりするし、微風でも叫びたいくらい、痛い。だけど俺は成人男性だから。ぐっと我慢。
「とっとと成仏しろ。いつまでも現世に縛られても、意味はないだろ」
「あるわ!」
ヒステリックに悪霊少女が叫んだ瞬間、じりっと空気が熱を持った。
咄嗟に防御結界を張ってなかったら、顔が火傷してたな。
危ない奴。キッと悪霊少女は俺を睨み付け、苦々しく吐き捨てる。
「ずっと、私はあの人を見てたのに。あの人は私の事なんて、微塵も気に留めてなかった……」
げっ……レイラと同じタイプか。面倒なのが悪霊化してるな。
こんな事なら、サチコが居る時に頼めばよかった……。今更俺は、後悔する。
「私のこの火傷するくらい熱い思いを受け取ってくれるまでは、諦めないわ……!」
超前向きな悪霊。正直珍しいが、流石悪霊だ。恐らく焼死体を作れるだろうな。
ぐっと拳を握りしめて宣言する悪霊少女に、俺は冷めた目を向けてしまう。
あー……手のひらから血が滲んできて痛い。
「ちなみに、何て振られたんだ?」
俺の問いかけに、悪霊少女の周囲がびきっと停止する。
やば、直球過ぎたか?
シールド出力を上げて、俺は少女の攻撃に備えた。
「……な……わ」
ぽそっと全然聞こえない声で、呟いた。
なんつった?
耳に手を添え、若干身を乗り出すと。
「ここ告白さえしてないわよっ!!」
「うぉあぁっ!」
ぶおわっと火炎旋風。慌てて俺が消去しなかったら、この周囲一帯が火の海と化すところだった。
危ねっ……こいつマジで危ない。なのに、何で乙女よろしく顔を真っ赤にしてスカートを握りしめるんだ。恋する少女か、お前はっ。
「……たく、しょーがねーな」
「何よ」
「結果は知らねーけど、告白だけでもしてみるか?」
「え」
「生き返るわけじゃないけど。……満足したら、お前だって次へ進めるはずだしな」
俺の提案に、悪霊少女はじっと俺を見つめる。
燃やし尽くされそうな恐怖を堪えながら、俺はその視線をきちんと受け止めた。
受け止めざるを、得なかった。本気出されたら、俺……負けそうだし。
勝てない戦はしない主義だ!
「……付き合ってあげなくもないわ」
そりゃどうも。
「で、相手はどこのどいつだ?」
「この方よっ!」
ずいっと眼前に携帯電話の画面を突きつけられる。
いや、近いから。近すぎてぼやけて逆に全然見えないから。
それでも何とか焦点を合わそうと俺が四苦八苦していると。
「さぁとっとと案内しなさい、愚図っ!」
何で女王様モードなんだ。そんなんで俺が喜ぶとでも思ってるのか、悪霊女子高生。
とりあえず画面近いっての。ったく……
「え?」
これは、マジですか。
◇◇◇
スキップなんてしてる、悪霊見たことない。だけど間違いなく悪霊。
周囲の落ちた紙くずや木の葉を瞬く間に焼き尽くし、あわや火事、という状況を作り出すという厄介な悪霊だった。
しかし、どーしたもんかね。まさか、こんな展開が。何か……すっげー複雑だ。
「あっ!」
不意に声をあげて、足を止めた悪霊少女。俺は首を傾げて、視線の先を辿る。
人通りのほとんどない、夜の大通り。次の角を曲がれば、診療所へ辿り着く。
そして、そんな通りに居たのは。
「やぁ、リリバスさん。夜の散歩……」
ぐしゃあっ!
「あ、悪いサタン」
悪い癖だ。サタンを見ると取り敢えず跳び蹴りをかましたくなる衝動が抑えきれん。
何でだろうな。きっと、今も何の落ち度もないのに蹴り倒されても、輝く笑顔で立ち上がってるせいだ。
「ふぉふぉふぉ、元気じゃのぉ先生」
朗らかに笑うギフォーレ爺さんに俺は深くため息をついた。
「これはもう、脊椎反射だな」
「はは、愉快な反射経路を持っているんだね」
天使スマイルを炸裂させるサタン。
我慢だ我慢! 耐えろ俺。
大体、そんな事をしに来たんじゃない。
「あああ、あのっ!」
そう。メインは俺じゃなくて、この悪霊少女。ぱっと駆け寄って、俺のすぐ脇に立たれると、凄い熱気が、ていうか最早熱がじりじりと迫ってくる。
そして、
「ず……ずっと憧れていましたっ! ギフォーレ様ぁっ!」
目を爛々と輝かせてギフォーレ爺さんへ告白を決めた悪霊少女。
爺さん、俺はあんたに初めて負けを認めるよ……。
「ふぉふぉふぉ、わしもまだまだ魅力的じゃったのぉー」
呑気に笑ってる場合か、爺さんっ!
こいつの携帯ヤバいんだぞ。何しろ、恋する悪霊少女の携帯電話の写真は、爺さんの盗撮写真に溢れていた。
凄まじいストーカーである。ドン引きした。
頑張れ爺さん。そしてもう、逝ってくれ。
「どれ、一緒に行くかのぉ、お嬢さん」
「よろしいのですか、ギフォーレ様っ!」
よいよい、と頷く爺さんの目には、こいつはどう映ってるんだろう。
自分を慕うかわいい孫みたいなもんだろうか。
つまり、俺と同列という事か?
いやいやいやいや、一緒にされたくないし。
だけどもう、何か関わりたくない……。ああ、爺さん、きっと遠くで孫が泣いてるぞ……。
「ははは、人間の愛とは不思議なものだね」
「語るな! とっとと行ってくれっ?!」
「ではのぉ、先生。世話になったのー」
「ふふ、うふふふふ……一緒だわ。これからは永遠に一緒だわ……」
悪魔の呪詛のように暗いトーンでぼそぼそと呟く悪霊。
あ、あぶねー……。こいつ、本気で滅したほうが良かったのかもしれん。
「サタン、ちゃんと爺さんを送れよ?」
「はは、任せてくれたまえ」
お前が一番心配なんだよっ!
◇◇◇
翌日、俺の診察室の上には何故かあの悪霊少女の秘蔵ギフォーレ爺さんコレクションの一つが置かれていた。裏面には、恐らくあの悪霊少女の字だろう。
『お礼よ。取っておきなさい』と命令が書かれていた。
「爺さん……。あんたのことは、忘れないよ」
びりびりびりびり。
写真を再生不可能な状態へ切り裂いて、ゴミ箱へ放った。
俺の心には、爺さんと争ったあの輝く日々が今も残っている。
それで十分だ。
誰が爺さんの乾布摩擦してる写真なんているかっ!




