12.遥かな空の果てまでも、キミと飛び立つ
サタンを見た瞬間、俺の体は基本的に、反射で動く。
しかもエコデの傍らに現れた瞬間には……尋常じゃない焦りが俺の中に生じた、というのは本人には秘密だ。何かこっぱずかしいから。
「うん、このインスタント丁度いい薄さだね」
悪かったな!
エコデがいないと俺は分量も湯加減も分からないどーしようもない野郎だよっ!
この天然系天使、本気で俺とは合わない……。
飯食ってないのも災いして、苛立ちが半端ないな。早く回復してくんないかな、エコデ。
でもいつも頑張ってもらってるし、俺が頑張るターンなんだよなぁ。
にこにこしてるサタンに苛立ちがMAXまで溜まる前に、俺は問いかける。
「で? 何でエコデの前に」
「はは、いや湿気ると飛べなくなるからね。偶然、窓の鍵が開いていたのがちょうどこの診療所だったわけさ」
きらきら星が飛び交う笑顔に正拳突きを喰らわせたい。マジで繰り出したいが、我慢だ。
「僕が言うのも変だけれど、不用心だよ、リリバスさん」
「ほんとになッ!」
そこから侵入したお前にだけは、言われたくないわ。
サタンはスーツの内ポケットに手を入れ、すっとそこから一枚のカードを取り出した。
そして、それを机の上に置き、俺の前へ。
白地に、青い囲いの入った紙製のカード。表面がきらきらと光って見える。天使の羽根と同じ光り方。そのカードには、名前と時刻が書かれていた。
それが、俺の心に、深く突き刺さる。
くしゃっと、俺は前髪を掴んで俯いた。
「……覚悟は、さ。してんだけどな。俺、一応医者だし」
「そうだね。今更リリバスさんに伝えるのも、失礼な話だった」
「いや、助かる」
前髪を掴んでいた手を離し、俺は心配そうな顔をしている殿堂入り美麗天使とやらを見やった。
折角の美貌が台無しだな、サタン。思わず苦笑する。
「時間は、あるんだな。まだ」
「そうだね。僕も、彼には世話になった身だ。だから……甘さが出てしまうのかもしれないね」
「お前の話はあれ以来何回か聞いたよ。……いっつも同じことしてるだろ」
サタンは苦笑を返した。こいつ、相当な甘ちゃんだよな。
まぁ、……いいか。
視線を再度、サタンの差し出していたカードへ落とす。
「最後に何か、してやらねーとな」
ギフォーレ爺さん。あんたとの付き合いも、ここまでになるんだな。
◇◇◇
サタンはギフォーレ爺さんのところへ顔を出すと、雨の中徒歩で出て行った。
流石に哀れなので傘を貸そうとしたら、羽根が入らないから無用さ、とか訳の分からん理由でもっていかなかった。
いやな、サタン。傘は羽根を雨から守るためだけにあるわけじゃないんだが。
まぁ、あいつも大概馬鹿だから、聞く耳は持ってないけどな。
「さてと。どーするかな」
「リリバス。私、帰る」
エコデの見舞いに来ていたポアロの声に、俺は振り返った。
ポアロは何やらうすら寒い笑みを浮かべている。何か、怖いな。取って食われそうなんだが。
「また来る」
「あ、……あぁ……うん」
ご機嫌な様子で出て行ったポアロを見送り、俺は身震いした。
なんだろ。凄い怖いものを見てしまった気がする。療所入口の扉を閉めて、俺は深く息を吐き出した。
「……先生?」
振り返ると、まだぼんやりした顔でエコデが顔を覗かせていた。
寒そうに、カーディガンを肩に羽織って。
「エコデ、まだ寝てろ。熱が下がってないだろ?」
「だいぶ元気になりました。えっと……お腹すいたなぁ、って」
はにかむエコデに、俺は表情が凍り付く。
……マジか。俺にそれを期待するか、エコデ。
俺に何か作らせたら、黒焦げか、どろどろに溶けてるか、色味が明らかに怪しいか、基本的に食材が原形をとどめていないんだが。間違いなく腹を壊す。
それでも良いというのか?!
ていうか、俺は嫌だぞ。そんなの病人に食わせるのは!
ぎこちない笑顔で誤魔化していた俺に、エコデはくすっと小さく笑う。
「だと、思いました。ご飯、作りますね。簡単なのですけど」
「いやいやお前は寝てろって! 頑張って俺が作るから!」
「先生、作れないでしょ」
返す言葉もない俺に、エコデはまだ元気なさそうな笑顔を向けた。
「ほんと、困った先生です」
すみません、エコデさん。お手数おかけします……。
◇◇◇
空腹って最高のスパイスだ。
かつてもそんなことを思ったことがあったけど、何だろうな。
それを越える感動がここにある。
「すみません、先生……これくらいしか出来なくて」
「いやいい。最高。胃に染みる……」
卵雑炊を作ってくれたエコデがこんなに輝いて見えたことない。
まだ苦しそうなのが、何か申し訳ないけど。
「……先生、聞いて良いですか?」
「んー、どした?」
診療件数は聞くな。エコデの見舞いに来た野郎は湧き出る蛆虫のごとく大量に来たが、肝心の稼ぎはゼロなんだ……!
エコデは微かに首を傾げて、問いかける。
「サタンさん、誰を迎えに来たんです?」
俺は思わず手を止めた。エコデも、天使の仕事は分かってるはずで。
ましてや、自分の隣に居られたら気が気じゃないよな。
「エコデじゃないから、安心しろ」
「答えてください」
強い口調で問い詰めたエコデに、微かに俺は怖気づく。
何だか、誤魔化しは認めないって目で訴えて来た。それにはどうも、逆らえない。
「……ギフォーレ爺さん。……明後日の二時」
エコデは微かに目を見張ったが、取り乱したりは、しなかった。
何か、そういう時強いよな。エコデは。俺はサタンが来た時点でパニックになるってのに。
「……先生、何か手伝えること、ないですか?」
「え?」
唐突な申し出に、俺は面喰う。エコデは俺をじっと見て、答えを待っていた。
「先生は、何かしてあげようって、考えてるでしょう?……その手伝い、させてください」
「エコデ……」
まだ自分だって熱で辛いだろうに。気を使わせるなんて、俺はまだまだ、駄目だな。
だけど、その気持ちは正直有難い。俺には頼れるやつって、少ないから。
「ありがと、エコデ」
俺以上に嬉しそうに笑ったエコデには、何か敵わない。
◇◇◇
けどなぁ、何をしてやればいいんだろうな。俺と爺さんって、結局患者と主治医の間柄だし。それでも、何か悲しくなるのは……なんでだろう。
俺が死んだときも、あの時の先生は、悲しんでたんだろうか。
……なんか、そんなこと今まで考えたことなかった。俺は、やっと楽になれるなぁ、とか思ってたのに。残される人の気持ちって、こうなんだな。
俺の生前の主治医の先生は、若かった。インターン終わったばっかり、初心者マークが外れたばっかりの、そんな感じの先生。なのに俺に当てられちゃって、随分苦労したんだろうな。
俺は夜中に何度も危篤状態に陥った。その度、先生は必死になって処置してくれた。何か、その気持ち、今なら少しわかるかも。
……そう、か。
俺が、一番爺さんの気持ちを分かるんだ。俺が、死ぬ間際に思ったこと。死ぬ直前に、したかったこと。それはきっと、一番近い答えだ。
うーん。俺が、先生にしてほしかったこと、なぁ。
「先生、思いつきました?」
ベッドの上に半身を起して、ホットミルクの入ったカップを抱えて居るエコデが問いかけた。
俺は曖昧に笑って、頭を掻いた。
「うーん……思い出してみては、いるんだけど」
「僕も考えましたけど、思いつくのって一つしかないです」
「え? なになに?! 参考に!」
食いついた俺にエコデは困ったように視線を伏せた。
何だ? 言いにくい事なのか? ……はっ!
「まま、まさか俺の秘蔵コレクションをじーさんにやろうってんじゃ……!」
「まだ隠してたんですか、先生」
おぉ、弱ってるエコデのその冷たい目も悪くないな!
あれ、俺最近変態レベルが上昇してる気がするけど……まぁ、いいか。
エコデは小さく息を吐くと、ぽつりと告げた。
「イフェリアのシフォンケーキです」
「あぁ、なるほど。あのシトラスシフォンは俺と爺さんの戦いの歴史そのものだからな……」
その苛烈にして華麗なる歴戦こそが、爺さんと俺の戦友の証だ。
今でも瞼の裏に思い出せる。財布から金を取り出し、店員に渡すまでのコンマ一秒の世界を争った日々を。あれほどの僅差で勝利をしたことを、俺は一生忘れることはないだろう。
「でも……今は、季節じゃないんですよね」
「あー……あれ、季節限定だからなぁ」
「だから、別のを考えなきゃ、駄目ですね」
そうでもないぞ?
シトラスシフォンの原料さえ分かれば、何とかなる。季節限定、というあたり、恐らくその季節の果物だろうな。裏ワザで簡単に手に入る、けど。
それを使ったら、俺は自分の能力に甘えてることになるよなぁ。
エコデにもどう説明していいやら。残念な事に、この世界は中途半端に科学が発展している。
ミサイルや自動車はあるけれど、ハウス栽培や養殖魚は、存在しない。
お陰で店先に並ぶ生鮮食品はいつでも旬のものだ。……つまり天然物は、今の時期存在しない。
「でも、ギフォーレ爺さん、あんな高齢でも甘いもん好きだよな。俺、尊敬してるよ、そういうとこ」
「先生の甘い物好きも、晩年まで続くといいですね」
続かせて見せるぞ?俺、生前は基本的に美味いものを食ってこなかったから、今回の人生は美味いものを食って、老衰で死ぬのが目標だからな!
「……ていうか、考えて見れば、俺と爺さんってそれしか接点がないな」
「逆に、そういう接点があるって珍しいですよ?だって先生はお医者さんで、来る人はみんな患者さんですし」
それは確かに。うーん、と唸る俺に、エコデは笑顔を向けた。
「先生がそこまで考えてくれるなんて、ギフォーレおじいちゃんも、嬉しいと思いますよ」
「……どーだかなぁ」
「前に、言ってました。ギフォーレおじいちゃんにとって、先生って孫みたいなもんなんだって。……ほら、お孫さん、遠くに暮らしてるらしいから」
初耳だ。受付でエコデは、そうやって患者とコミュニケーション取ってるのか。
俺が知らなくて、エコデが知ってる情報もあるんだ。
「孫、なぁ……何か、……うん」
くすぐったい、そういうのって。でも、孫なら……何でもないふりして、いつも通りにしてやるのが、きっといいんだよな。
「っし。じゃあいっちょ奮発してやっかな!」
季節外れだなんて、気にするな。俺には俺なりの、爺さんへの最後の贈り物を、してやるか。
「エコデ、お前シフォンケーキ作れるよな?」
「え? は、い」
「手伝うから、作ってくれ。爺さんに、最後の美食だ」
目をぱちくりさせるエコデの頭をわさわさ撫でて、俺は笑った。材料もレシピも、俺に取り敢えず任せとけ。
◇◇◇
イフェリアを遠隔透視してレシピを模写。材料はちょこっと時間を歪めて最低限の分を調達。
正直、こんだけ私情で能力使うのは気が向かない。
俺はこの無駄に付加された能力を、あんまり活用しないで、平穏に生きていたいから。
エコデは、材料とレシピをそろえた俺を若干不審がったけど、すぐに作成に取り掛かってくれた。
手際がちょっと危ないから、材料を図るのとか、切るのは俺が引き受けて。流石に材料の加え方とか、混ぜるのとかはエコデに任せた。そういう微妙な所は、むやみに手を出すと後が怖い。
大体俺はそこで失敗するし。
「はい、先生、これ」
そうして完成したシトラスシフォンを綺麗にラッピングしてくれたエコデには、感謝しても、しきれない。本当なら、エコデも一緒に行かせたい。でもまだ熱もあるしな。
「ごめんな、留守番頼む」
「いいえ。……行ってらっしゃい、先生」
「ん。行ってくる」
そうして、俺はやっと雨の止んだ夜の空の下へ踏み出した。
湿った匂いがする、薄暗い町。
せめて、明後日は晴れるといいな。
◇◇◇
爺さんの状態を、一番理解してたのは、俺だ。
そして、人が通常死ぬ間際になる状態を一番知ってるのも、俺だった。
それでも、俺は医者を選んだ。最初は気まぐれだったけど、それでも俺はこの街で、医者として生きる道を決めた。
そしてこれは、医者としての通過儀礼。
ありがとな、爺さん。俺の最初の看取りが、ギフォーレ爺さんで良かったよ。
もう、爺さんは意識がない。サタンは家族の誰にも見えないように、結界張って、眠る爺さんの傍に立っていた。
きっともう、爺さんがシトラスシフォンを食べてくれることはないだろうけど。
それでも、俺は家族にそれを渡して、帰路についた。
……そして、約束の日は、良く晴れた日だった。
◇◇◇
快復したエコデとギフォーレ爺さんの葬式に参列した、帰り道。
俺とエコデは無言で歩いていた。遠くで見送りの鐘の音が聞こえる。
何だろうな、複雑な気持ちだった。
人はいつか必ず死ぬ。通常、年齢の順に。でも、じーちゃんより俺は先に死んじゃったんだよな。
母さんと父さんよりも先に。すっげー、親不孝もんだな。今更、痛感する。
何だかすごく、気が重くなる。
ギフォーレ爺さんの家族は、俺にありがとうと頭を下げた。
最後を見てくれたことと、病気を見てくれていたことに。
俺が医者として、ちゃんと対応してくれたことに。
「……俺は、医者に向いてないな」
ぽつ、と呟いて俺は自分で傷ついた。ちゃんとやっても、救えないものは救えない。
俺の望む、老衰って本当に幸せなのか、よく分かんなくなってきた。
「……先生」
「ん?」
そっと俺の腕に触れて、エコデは心配そうな目を向けていた。
「先生は、先生のままでいいですよ」
「え?」
「医者だから、患者さんと距離を保とうとか。……そんな器用な先生じゃ、ないですよ」
それは言えてる。俺は自分でも思うけど、生きるのが下手だしな。
そして、エコデはいつもみたいに、ふわっと笑う。
「先生が先生らしく居られるように、僕がちゃんと美味しいご飯作りますからね」
人間の三大欲求の一つ。死んだらなくなる、大事な欲望。俺の大事な生き方の一つだ。
「じゃあ俺、今日は久々に、シチューパンが食いたい」
「はーい」
俺は、今度はちゃんと、順序を守って生を終えなきゃなぁ。
それがせめて、前世への罪滅ぼしだ。
やっとたどり着いた我が社の入口。少しは、この診療所も役に立ってんのかな。
そして扉を開けると、
「ふぉふぉふぉ、今帰りかの。戴いとるよ、先生」
俺しか見えないギフォーレ爺さんが、凄く嬉しそうにシトラスシフォンを食べながら、受付の椅子に座っていた。
ほんと、爺さんは甘いもんが好きだな。思わず、足を止めてしまう。
「先生、どうしたんですか?」
不思議そうに首を傾げるエコデに、俺は首を振った。
「何でもない。また今度、季節が来たらシトラスシフォン作ろうな、エコデ」
「あ、そうですね。味見もしてなかったし」
心配いらんぞ、美味い美味い、と嬉しそうな爺さんがエコデにも見えればな。
死んでも甘党か。やっぱギフォーレ爺さん、あんたは俺の尊敬する本物の甘党だよ。
でもまぁ、俺は総入れ歯にはならない人生を送る事にしよう。




