表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/24

二話「日常風景」

 メリッサ=ファルシオンの今日は、いつもよりもずっと早く始まった。

 パチリと眼を覚ますなり、枕の横に置いてある携帯電話を手にとり、目覚まし機能を解除しておく。片手で大きく伸びをしてみせれば、携帯電話を枕の上に放った。

 髪ゴムを取って口に咥える。頭を少し下げるようにして髪の毛を手で一箇所で固定すると、手際よく纏め上げる。ぱちンとゴムが小気味良い音を立てた。

 違和感を消すために微調整をする。基準は頭皮の感触。バランス。手早くポニーテールが出来上がる。

 Tシャツ一枚とパンティーだけが寝間着の全て。女物のパジャマなんて着ていない辺りが彼女の性質をよく表現していた。

 生ぬるいような、温かいような、中途半端な朝の大気。

 メリッサはベットから静かに下りると、部屋のカーテンを横にどけて窓を一気に開け放った。

 潮風が部屋になだれ込んでくる。メリッサは思わず顔を手で覆い隠すと、眼を細めてしまう。眼を開けてみれば、そこには太陽――地球のそれとは異なるのだが――が作り出す朝の光景があった。

 小さい島を埋め尽くす人工都市。そこから延長されて海の中にまで進出している、人の住処。港からは朝早くから船が出発しており、轍が遥か遠くにまで続いている。海鳥は街のあちらこちらで鳴き声を上げて、空には白い雲がぽつんと浮かんでいて。

 いつ見ても飽きない光景に、一瞬言葉を失いかける。


 「っていけない。朝早く起きた意味が無いじゃない」


 首を振ると自分を叱咤する。

 朝早く起きた影響で眠いしダルい。ぼーっとしていられるならしていたいが、そうも行かない。するべきことがあるのだから。

 早速自分の机に座ると、上に置いてあった本を隅に追いやって、工具箱を取り出す。

 机の上には機械類は置いていないにも関わらずである。

 朝早くからの機械修理。真相は、こうだ。

 メリッサは自分の右の肩甲骨付近を指でまさぐると、「何か」を押して数秒数えた。

 すると、電子音が響いて「上腕部の皮が自然と捲れ上がる」。 否、皮のように見えたのはシリコンあるいはゴムや樹脂などからなる素材であり、スライドするようにして移動したのだ。

 その部分に視線をやるメリッサ。そこには、通常の人間にはないモノが露出していた。

 肌色の棒のようなものが何本か集合していて、その間を縫うように配線が巻きついている。明らかな人工的な光沢を持つ機械部品が集合、目的を持って各部と連携して繋がって、体の一部となって彼女の腕にある。

 世間一般で言う「義腕」である。

 捲れ上がった皮の間から指を入れて義腕の一部を押し込む。すると、カシュ、と音を立てて義腕本体が振動して、全体が手の方向にせり出していく。それが止まったのを見計らって左腕で右腕を掴んで、一気に引く。かすかに音を立てつつその義腕は取れてしまった。

 自分の腕を持っているというのも奇妙で怪奇な光景だが、特に驚くことでもない。

 長年付き合っていれば慣れるのだから。

 続いてメリッサは机の上のボールペンを口に咥えて、器用にも左の鎖骨付近をぐっと押す。電子音がして右腕と同じように左腕の上腕部の皮が捲れ上がる。そう、両方とも義腕なのだ。


 「……んむ」


 ボールペンを噛んで、義腕の取り外し用の部分を押す。

 するすると音も無く左腕も前に突き出てくる。左腕を自分の股に挟み込んで、引き抜く。

 両腕が無くなった状態で一人椅子に座っているメリッサ。

 徐に頭を上げると、ドアの方に向かって声をかけた。


 「入って」

 「毎度~」


 既に待機していたユトが、ドアを開けて陽気な声で入ってくる。

 メリッサはやや眉を吊り上げて、相手を睨みつけるようにするが、悪い表情は浮かべていなかった。



 「ナニが毎度よ。商売じゃないでしょ」

 「ごめん、ほら朝っぱらのテンションという奴で……うわん」


 ユトがつい今しがた背中に氷を張りつけられたような素っ頓狂な声を上げた。


 「普通は深夜のテンションって言わない?」

 「……メリッサ。頼むからパジャマを着て欲しい。俺が来るのが分かってるなら着てくれよ」


 両腕が無い状態ではどうしようもないわけで、顎で机の腕の義腕二本を示した。気まぐれで両腕を外しているわけはないのだから。

 だがユトは動かない。何故なら、メリッサの格好を見てしまったからである。

 Tシャツにパンツ。椅子に座っているとはいえ、その格好で居ることに変わりは無い。Tシャツの裾がパンツの黄金三角を隠しているが、眼に毒。

 眼の保養とも言うらしいが、どんな楽園だって直視(入らないと)しないと意味を成さない。

 というより、じっくり眺めていたら動悸息切れで救心されるハメになりそうだったりする。

 メリッサは脚が長く、女性的な凹凸もしっかりと持っている。上はTシャツしか着ていないので胸の形が良く分かってしまうし、下はパンツだけなので両脚が丸見えの状態。

 大物なのかただ単に無防備なのか。

 視線を部屋に置いてあった錨型の時計に合わせるユト。

 メリッサは悠々と立ち上がり、ユトの側まで歩いていくと、ワザとらしく両腕を振って見せた。手は付いていないので肩を揺らすような感じで。


 「この体勢でいつまで待たせるつもり?」

 「あ、あぁ……OK、そこに座って」


 両腕無き彼女は、椅子に座って足を組んだ。

 視線を出来るだけ合わせないように俯いたユトは、彼女の両腕を机から取ると、床に置いてから工具箱も取る。中から道具を広げると、義腕の整備をするために指をポキポキと鳴らす。

 義腕の皮の一部を捲りあげていって、その内部を覗き道具を差し込んでいく。

 部品の磨耗や回線の不良が無いかどうかを確かめるために皮の内側にあるシリコン製パーツにくっついたスイッチを押す。義腕のフレームまでが見えるようにシリコン製の覆いが開閉した。


「―――……特に問題は無いな。油を差して、電池交換。うん」


 右腕の内部に油を差していく。

 続いて、あらかじめポケットに入れてきていた電池を床に置いて、中に入っていた電池を取り出すと交換する。きゅいぃぃん、と音がした。

 生体電気をもとに発電したりするものもあるが、いかんせん馬力が足りない。今も昔も電池式なのだ。

 次は左腕。

 同じようにシリコン製の外部を開けて内部を覗き込む。

 問題なし。油を差して電池を交換する。

 ふんふんと鼻歌交じりに整備の様子を見ていたメリッサは、作業が終了したのを確認すると、自ら右肩を突き出す。

 ユトは出来る限り下を見ないように歩み寄っていき、右義腕の向きを確かめて接続する。

 ぐいっと押し込んでから右回し、左回し、最後に強く押し込む。


 「……ッ、ぅぅぅ………んンッ!」

 「我慢。我慢」


 神経と擬似神経の接続のときにかかる負担が痛みとしてメリッサを襲う。 麻酔を使うなりすれば苦痛はなくなるが、整備のたびに麻酔では薬物中毒まっしぐら。

 歯を食いしばっていたが意味を成さなかった。

 メリッサの足の指が床を這い、ぎゅっと閉じられた瞳がぴくぴくと痙攣する。

 ユトは更に体を寄せていくと義腕とメリッサの体を引き寄せていく。

 義腕はちょっとやそっとでは接続できないように出来ているのだから。


 「んぁああああっ!!」

 「……耐えてくれよ、悪いけど」


 耳元で絶叫するメリッサの背中をさすりながらも、作業が早く終わるように義腕を押し付けていく。義腕内部で神経を接続して各部の微調整を行っている動作音がしている。

 10秒か、20秒か、ひょっとすると1分か、やっと接続が終了したのか、ぐったりとメリッサの体から力が抜けた。

 荒くなった息を整えるように胸を上下させている。

 視線を上げると、滲んでいる涙を右腕で拭って、机に拳を叩き付けた。


 「これなんとかなんないの!? 生理痛よりもタチ悪いわよ!」

 「セイリツウって……恥じらいはないのね」

 「正直な感想言ってんの! いいから次くっ付けちゃってよ。じわじわ後伸ばしされたらそれこそ発狂しそう」


 ボロボロと涙をこぼしながらもいつもの性格は変化していないのは流石というべきか。

 ずずいっ。左肩を差し出すと、なにやら挑戦的な目つきでユトを睨みつける。

 呼吸はまだ元に戻っていない。

 赤らんだ顔で荒い呼吸。なんというか、官能的でもあったが、今はそんなことを言っている場合ではない。

 もう片方の義腕を取って、左肩に近寄せる。体も近寄せていって固定すると、義腕を宛がった。

 耳元に口を寄せて言葉を発する。


 「いくよ?」

 「いつでも」


 簡単なやり取り。

 ユトは、義腕を接続するためにぐっと押し付けた。


 「よっ……!」

 「ッ  !!」


 肢体をジタバタさせながら耐えるメリッサ。咄嗟にユトの背中に右手を置くと、爪を立て始めた。手加減抜きの威力にユトの表情が歪む。爪の鋭さは服の上からでも十分な力を持っているのだ。

 ようやく接続できた頃、二人して涙目だった。

 いい歳して(18歳)涙目。

 誰にも見られていないのが救いと思えばなんとかなる。


 「爪立てて欲しくなかったよ、メリッサ」

 「嘘………やっちゃった? これは本当にゴメン」


 ユトはそう口にすると溜めるまでもない、痛さゆえの息を吐いた。

 密着した体勢を元に戻し、それぞれが自分の体の痛い箇所を擦っている。

 ユトは背中を。メリッサは両腕の付け根を。

 義腕は問題なく動作していて、指の曲げ伸ばしから指パッチンまで問題なく追従してくれる。確認が終わったのか、義腕の手と手を合わせて、片目を瞑りながら謝る。

 ユトは背中に滲んだ血を手のひらで拭って、うん、と頷いた。

 相棒、あるいは――そんな関係の彼女の苦痛からくるハプニングを許容できないほど心が狭い人間ではなかった。

 メリッサは勢いよく立ち上がると、部屋の隅においてあったツナギを片手にとって肩に置いて、ドアの位置で立ち止まる。

 ユトは工具箱を元の位置に戻してそれを追う。


 「そろそろポンピリウスの整備しないとマズいと思うんだ。朝食摂ったら行こう」

 「おっけー。あ、私が作るから机に座ってて」


 今日も二人は平和だ。






 『潜水機』と書いてなんと読むかはメーカーや個人によって異なることが多い。理由はいくつかある。

 それは歴史的背景、二つに法律による明確な規定の無さである。

 潜水機はかつて第二地球政府に敵対した海賊と呼ばれた連中と争うために製造されたパワードスーツを原型にする。そしてダイバーたちは実質的には遺跡荒らしに近いトレジャーハンターのような職種として誕生した。海賊狩りの兵器をもとに改良を加えたそれをトレジャーハンターがこぞって利用して遺跡に潜る。この状況を政府は認めようとせずこう着状態にあったが、いつしか黙認するようになったのだ。簡単に言えば法律による守りも規制もなく死んでも全て自己責任ということである。

 歴史的背景から、様々な呼び方が生まれた。皮肉を込めるものもいれば、愛着を持つもの、新時代の技術と目を輝かせるもの……。

 法律による規制の無さもそうだ。例えばバイクを定義する法律が無ければ、それをバイクというカテゴリーに当てはめることさえできない。

 ある会社では「ダイヴ・マシン」と呼び、またある会社では「サブマリン・フレーム」と呼び、とある有名ダイバーは「ダイブマン」と呼び、また別のダイバーは「サブマリナー」と呼び、専門整備士は「ポセイドン」と呼び、政府機関は「アクアロボット」と呼ぶ。

 さて、その潜水機には大きく分けて4つの(これも見解によって違う)部位に分けられる。

 人が乗る耐水操縦席、人型の体部、体部に内臓される電池、脚部のスラスター、そして主に帰還する再に使用する背面部の大型スラスター。

 機体の性能を決める要素は複数存在し、組み合わせや改造次第で変化してしまうので一概には言えないが、「電池の性能」「推進力」「探査用機器の性能」「潜水深度」で決まると言われている。

 運動性機動性スペースの関係上内燃機関を搭載できない潜水機は全ての動力を電池に依存している。その電池が貧弱では話にならない。

 水中での推進力が低いと機動性や移動速度が低くなってしまう。

 探査用機器の性能が低ければ、到底宝など見つけることなど出来まい。

 遺跡に到達する前に水圧に耐えられなければ意味が無い。

 と、一通り書いたが、これも状況によって変化してくる。

 短時間しか使えないが強力な電池や、長時間使用しても問題ない大容量電池。そういった電池を補うための予備電池。その他組み合わせで変化するため、「これが一番」と断言することは出来ない。


 「ソフトウェア起動しちゃって」


 とユトが機内から言う。

 ここは潜水機専用の整備室。水から上げられた潜水機は各部を拘束され、ケーブルにつながれて立っている。

 二人が乗る潜水機「ポンピリウス」は、どことなく寂しそうに見えた。

 人間で言う股間の部分が開いていて、そこからユトの声が響いてくる。潜水機の搭乗口はそこにあるのだ。

 整備室備え付けの鉄製の机の上でパソコンを操作していたメリッサは、自分の髪の毛を手櫛で整えながら返事をしようと顔を潜水機の方向に向けた。聞こえないだろうということで多少強めで。


 「今定着して起動中。どう、ちょっと情報の表示の仕方を変えてみたんだけど」

 「あー、ちょっと待って」


 ユトは、メインシステムを手動で起動すると、潜水モードに移行する。その状態で前回のデータを再現させると、今まで以上に見やすくなった情報表示のモニターが複数展開された。重要と思われる文字が強調されている。流石メリッサと呟いてみた。

 操縦席を飛び降りてハッチを閉めた。


 「いい感じだと思う。ところでさぁ、魚雷ランチャーについてなんだけど」

 「なによ」


 ユトはそう言うと、機体の直ぐ側に置かれている魚雷ランチャーをぽんぽんと手で叩いた。その隣にはカーボン製の汎用ブレードが鎮座している。

 6連リボルバー式魚雷ランチャー。

 人間の使用するグレネードランチャーに良く似た外見で、単純に言うと短魚雷の発射装置である。

 炸薬量を減らした代わりに速度と爆発力を高めていて、6発発射した後はランチャー後部につけられているマガジンから自動装填されるようになっており、最大で18発撃つ事が可能となっている。 弾頭は成形炸薬および通常炸薬。セミ・アクティブおよび指定航路進行を可能とする。

 大型の戦闘兵器と渡り合うにはいかんせん威力不足が否めないのだが、相手がガードロボ程度なら十分なのだ。

 他にも圧搾空気を使用した水中銃なども存在するが、コストや信頼性などの関係上魚雷を採用している。何しろ構造が「魚雷を収納しておいて引き金を引かれると魚雷が自分から飛び出る」というものだからである。携行ロケット弾の在り方に近い。

 当然のことながら重量も軽い。

 その黒々とした銃身に手を置きつつ、メリッサの方に眼をやる。


 「オヤジさんが新しいのを造ったとか言ってたんだけど、買い換えたいなーなんて」

 「ダメ」

 「どうしても?」

 「ダメ。この前の失敗を忘れたとは言わせないわよ。整備、続けましょ」


 ユトのおねだりを一刀両断したメリッサは、パソコンを机に置いたまま立ち上がって、機体へと歩み寄っていく。機体周囲にあるキャットウォークをとんとんと軽快な動きで上がっていくと、取り付けられている計器を操作する。機体の整備をするための分解しようということらしい。

 整備室のクレーンなどが稼働し始める。

 ユトは、専用の手袋をはめて、まずはメインスラスターと帰還用スラスターを取り外そうとして歩き出す。メインスタスターは通常推進に使用し、帰還用スラスターは文字通り帰還の際に使うが実質サブスラスターに近い。

 全長9mほどの鉄の機械を相手にするには人間は小さく見えてしまう。

 潜水機の頭部をぼんやりと見つめていたユトだったが、メリッサに叱責されることで慌しく作業を開始した。





 整備作業に要する時間は外見と反してそれほど必要ではない。

 地上を歩行するように造られていないため間接部の磨耗は極端に少ないし、スラスターや電池も換装させるだけでいい。問題は潜水機の神経とも言うべき回路類や、生命維持に関わる部分である。

 ロボットアームなどを使ったり、全自動整備の部分も存在しているため、人の負担はかなり小さくなっているのだが、人の手は必ず必要となってくる。

 回路に傷が無いか、故障はないか、丁寧に調べていかなければならない。一通り調べた後は潜水機自体に任せておけばいいのだが、全てを任せられるほど信頼出来ない。

 生命維持装置の整備に至っては大半が人の手で行われる。小型化・自動化されているとは言え、一つ間違えば海の藻屑となりかねなのだから。なまじ量産の効かないものを組み合わせているだけに手抜きはできなかった。

 ユトは額の汗をタオルで拭うと、生命維持装置の制御中枢から送られてくる情報をパソコンで一つ一つ確認していく。酸素供給、二酸化炭素除去、気温湿度の調整、その他。

 全てが異常無しと判断すると、生命維持装置が収められている機体の中にライトを当てる。見たところで異常はなさそうだ。テスト装置を様々なところに差し入れては数値を見て、問題があれば改善していく。必要とあれば取り外して修理を行う。

 メリッサのほうは各種センサー類の動作を確認していた。

 機体の頭部に当たる部分にあるメインセンサー群を一つ一つ外しては傷や凹みを観察。取り外せないものは端末を差し込んで動かして外の風景を映させる。

 どれだけの時間が経ったのか、ふと気がつくと夕方になっていた。

 全ての部分を確認整備することは出来なかった。

 二人は、汗で濡れた顔をタオルで拭きながら整備室を後にする。

 しばらくの後に照明が自動で落とされて潜水機は暗闇の中に閉ざされた。

 右を歩くメリッサは、火照りを薄めるためにツナギの胸元を開けて手でパタパタと風を送り込むようにする。


 「疲れたぁ………ねぇ、飲みに行かない?」


 纏め上げていたポニーテールを崩して頭を振ると、長い髪の毛が腰まで垂れた。

 ふわりとした甘い体臭が漂う。


 「一杯ですぐ酔っちゃうのに飲みに行くの?」


 実はウワバミなユトは、眼鏡の位置を指で直しながら言った。

 近くにあるダイバーの集う飲み屋に行こうと言っているメリッサを、なんとなく心配そうな目つきで見つつ歩いていく。

 メリッサはカチンと来たのか頬を膨らませた。

 ユトよりも一歩先に歩こうとして歩幅を変える。


 「飲んでれば鍛えられるでしょ、そんくらい」

 「それ迷信だから」

 「お父さんが言ってたんだけど?」

 「………とにかく迷信だから、注意しないとダメだよ」


 そんな会話をしながら二人は家を出ると、舗装された街へと歩いていった。

 オレンジに染まった空には雲一つ無い。

 人類が最初に造った都市。島一つを都市に変えているため、まるで一つの集合体であるかのような雰囲気を持っている。集合体のように見えるのに一つ一つは不規則な機械や加工物なのだから不思議だ。

 飲み屋は二人の家から10分ほど歩いた場所にある。

 店名はそのものズバリ「AQUA」。古びた印象を受ける店で、コンクリートむき出しのそれなりに大きい居酒屋である。

 ドアを開けると、イルカの形をした飾りがガチャガチャと音を立てて揺れた。

 体に張り付くようなダイブスーツを着たまま酒をかっ喰らう一団、二人と同じようにツナギのままで談笑する二人組み、書類を読みながら酒の入ったコップに口をつける男、煙草をもくもくと吹かす女性。

 二人の姿を見た口ヒゲの店長は、店員に一言二言何かを言うと、自分はかつかつと歩み寄っていく。

 店長はパンパンと両手を叩きながら陽気な調子で声をかけてきた。


 「いらっしゃあーい! ナニにするヨお二人さん」

 「私は合成のイチゴ酒で」

 「なら俺はいつものビールかな」

 「OKちょっと待っててネー」


 妙に間延びした片言を聞きつつ、一番近い机に座る。

 メリッサは指を上げると厨房の奥に向かって大声で怒鳴った。


 「店長ツマミも適当にお願い!」

 「あいヨー!」


 その様子を見ていたユトは、机に肘を突くように体重を預けて、眼鏡を取る。ポケットからハンカチを取り出すとだらしない格好で汚れを拭き始めた。

 一方のメリッサは両脚をバタバタとさせながらユトを見つめている。

 なんとなく気まずかった。

 眼鏡を拭き終えたユトが視線を上げてみると、見事なまでにメリッサと視線があった。

 じっと見詰め合ってみる。数十秒ほど続いたそれは、やや赤面したメリッサが右を向いて、ユトが左に視線を反らす事で終了する。

 ドンドンとした足音が響いてきた。

 二人の間に古びた二つのジョッキと、魚のカルパッチョの乗ったお皿が置かれる。


 「ごゆっくりネ~」


 メリッサは苺色の液体で満たされたジョッキを取ると、ユトにもそうするように視線で促す。ユトがジョッキを持ったのを確認すると、ジョッキとジョッキを軽く触れさせた。


 「乾杯」

 「かんぱーい」


 気だるげな声のメリッサと、気だるげというより疲労が見られるユト。

 ちびりちびりと苺酒を飲みながらカルパッチョを食べる。うんうんと小さく頷く。

 ユトはあっという間にビールを半分ほど飲んでしまっていて、ジョッキを机に置きながら心地よさそうに「ぷはぁ」と息を漏らした。

 メリッサはビールの入ったジョッキをしげしげと見つめると、苦い表情を浮かべる。


 「アンタってなんでそんなに苦いモノ飲めるの?」

 「え?」


 カルパッチョを食べていたユトは苺酒を一瞥する。カルパッチョからは煙草の臭いがした。

 ビールジョッキに口をつけると、手の甲で口元を拭う。


 「そうだねー。実は慣れが必要なんだよ」


 言うと、ビールジョッキを相手の方に押しやる。

 泡の付着したジョッキをまじまじと見つめていたメリッサだったが、すぐに相手の方に返還する。

 かつて飲んだときの苦味を思い出したのだろうか、甘い苺酒を一口飲んだ。合成された安っぽい味が咥内に広がって苦味を消してくれるような感覚。


 「いらない」

 「無理にとは言わないよ」


 ユトは苦笑すると、あっという間にビールジョッキを空にしてしまう。そして新しく注文をするために厨房のほうに顔を向けた。

 二人の話題は余り多彩とはいえないのだが、とめどなく会話が続く。お酒が入っているということもあって、店の奥で殴り合いが始まっても気にすることなく談笑する。酒場独特の汚れや湿気が雰囲気を盛り上げてくれた。

 大体1時間が経過した頃、二人のうち一人だけが完全に出来上がっていた。


 「もーいやぁー………でも飲むの、ちょうだいよぉーっ」

 「メリッサ……言わんこっちゃ無い」


 耳まで真っ赤にしたメリッサが顔を机に押し当てながらブツブツと呟いている。上からちらりと覗く首筋は真っ赤になっていて、時折体が跳ね上がることから酔っていることが容易く分かった。

 ジョッキ3杯呑んだのにも関わらず顔色一つ変えていないユトは、どうしていいのか分からず、まるで焚き火で暖を取っているときのような格好であわあわとしている。

 苺酒のジョッキにはまだ多く残っている。一杯飲む前に酔ってしまったらしい。

 こればっかりは仕方が無い。

 ユトはひとまず店員を呼ぶと、自分が全部の料金を払った。

 メリッサに顔を寄せて肩を揺すりつつ声をかける。

 するとその酔っ払い女は顔をぐるりと横に向けた。むわぁとアルコール臭がした。


 「歩ける?」

 「むり。おんぶ」

 「おっ、おんぶ!?」


 動揺するユトを知ってか知らずか、メリッサは両手を広げて相手の方を見る。

 すべきなのか。いやいやそんなこと出来ないと……。思考がぐるぐると循環する中、突如ユトの肩に手が置かれた。振り向いて見ると口ヒゲ店長がニコニコと笑って側に居た。


 「ここでいかにゃーオトコが廃る………ってアニキが言ってたネ」


 アニキって誰なんだ。

 疑問を口にするのが億劫になってきたのか、それとも観念したのか、ユトはこくりと頷いた。

 満足げな表情を浮かべる店長。ユトがメリッサの手を握った辺りですたすたと厨房の奥に消えていった。

 手を握ってメリッサが背中に来るようにして両脚を持ち上げておんぶの体勢にする。

 ツナギの上からでも脚は柔らかかった。ついでに背中に柔らかいものが二つ押し当てられる。というか苺以外にもいいにおいがしてるような気がしてならない。

 煩悩が爆発しそうになるのをグッと堪えると、なんとなく危うい歩調で店から出た。

 寝ているのだろうか、メリッサの規則的な呼吸が首筋を撫でる。


 「おーい、起きてる?」

 「いきてる~……」


 幼い返答に思わず口元を緩めてしまう。

 通りで出くわした人は「あぁ酔ってるんだな」と思っているため、不審な目で見られることは無い。だが本人は内心恥ずかしかったりする。おんぶしているほうが恥ずかしいという妙なことになっていた。

 空を見上げてみると黒に近い群青色。

 街灯が帰り道を照らす。


 次の日、おんぶされたことに関する話題は何故か忘れ去られたようだったとか。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ