1. 雨の降った日(3)
「絹」の読み方は「けん」です。
降り始めた大雨の中、寮に飛び込んできたのは一人の少女だった。
青いパーカーにジーンズというボーイッシュな出で立ちの彼女は、ドアを開けた時と同じように勢いよく閉めた。
バタン!という激しい音がロビー内に響く。
私たちはあっけにとられてそちらを凝視していた。
当然、ロビーにいた人は皆同じ方向を見ていたわけで、本人もそれに気付いて気まずそうに奥へ歩いてきた。
近付けば近付くほど、顔がはっきり見えてきた。
非常に整った、中性的な美形、とでもいうのだろう。
そして、パーカーのフードを外したので、顔全体が露わになった。
彼女、否、彼は男だった。
男子にしては華奢だったし、無表情だったせいで勘違いしてしまったのだ。
彼はポーカーフェイスを崩すことなくずぶぬれのパーカーを脱いで、腕にかけた。
そして、周りを見回すと、おもむろに黄色い紙を鞄から取り出してなにやら読み始める。
そういえば、彼は随分大きな荷物を持っている。身長の半分はあるかというような大振りのスーツケースに、重そうなリュックサック。休暇中帰省でもしていたのだろうか。
突然走りこんできた美形にみんな興味津々だ。
彼は紙をしまうと、階段に向かって歩き出した。
大量の視線が彼の動きを追う。
しかし、順調に進んでいた彼は突然謎の失敗を犯した。
重そうによろよろしながら、なぜか階段を右に上がっている。ロビー中央の大階段は踊り場から右に上がると女子寮、左に上がると男子寮だ。やっぱり女の子だったんだろうか・・・。
そのまま美少女(?)は女子寮のドアへと消えていった。
「・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
なんとなく沈黙がおりて、私たちはまた果物剥きの作業に意識を戻した。
そのとき。
突然、さっき美少女が入って、閉まったはずのドアが開いて、すごい勢いで彼女が飛び出してきた。
「なんだ?」
かっちゃんがつぶやく。全員の代弁をしたかっちゃんに私たちはうなずいて同意を示した。
彼女はかなり焦っている様子だ。
そして、なんとこっちに歩いてくるではないか。なんとも挙動不審な子だな。
「あの!」
やっぱり私たちのところに来て、その子は口を開いた。声は明らかに男だ。
「はい。」
私が最初に応えた。座っているため見上げる姿勢になる。
「ここって、女子寮なんですか!」
「は?」
なんだろう。西地区の人じゃないのだろうか。寮を移ってきたグランカ生とか?
「いや、男子寮に行きたいんでしたら階段を左側ですよ。」
疑問に思いつつも教えてあげると、彼は目を見開いた。まるで今初めて知ったような顔だ。
やっぱり新入生かもしれない。
「新入生か?」
かっちゃんが横から会話に入ってきた。
「そうみたいだね。―――ここは男子寮と女子寮が階段の所で分かれてるの。左が男子で右が女子。」
「はあ、そうなんですか。」
彼は間の抜けたような返事をして、にこっと破顔した。笑うと可愛いな。
「ありがとうございます。あ、俺、寺田絹です。今日からここに住むので、よろしくお願いします。」
「よろしく。何号室?」
かっちゃんが聞いた。
「424ですけど。」
「ふーん、じゃあ荷物手伝うよ。行こうか。」
「え、でも悪いですよ。」
「一人でこの階段登るのはきついと思うけど。ここエレベーター無いんだ。」
少年は、え、と絶句した。
そう。西地区寮にはエレベーターがない。最高7階まで自分の足で登らなくてはならないのだ。
特別に必要な人はそれのある中央地区か北地区の寮に入っている。
かっちゃんもまあお人好しな。
「じゃあ、ちょっと行ってくる。」
かっちゃんたちはロビーにいた全員に見送られて、階段を上って行った。