喉の痛み
喉の痛みは突然やってくる。
呼んでもいないのに、
来なくていいのに、
知らないうちに、ひたひたと。
痛くなるタイミングだけは、何となく分かっている。
それは、夜だ。
疲労が溜まった日の深夜から明け方にかけて。
不思議なことに、起きているあいだは痛みの兆候がまったくない。
就寝前までは痛みゼロ。
それなのに──
朝、目を覚ます。
すると、喉の痛みは100になっている。
「やっちまった」
朝一番、そう思う。
けれど、よく考えてみればおかしい。
眠っているあいだのことを、私は何も知らないのだ。
自分の身体の中で何が起きていたのか。
いつから痛み始めたのか。
そして、なぜ起きた瞬間には、こんなにも痛いのか。
私が眠っているあいだに、何かが起きているのだろう。
そう考えると、あの「やっちまった」という感覚にも、少し別の意味が見えてくる。
私が眠っているあいだ、
私の知らないところで、
いったい、何が。
さぁ、探求を始めよう。
まず最初の疑いとして、睡眠によって免疫力が下がっているのではないか、という仮説が立つ。
自分では何もコントロールできない睡眠こそが、原因として怪しい。
が、そうであって欲しくはない。
なぜなら睡眠は休むことであり、身体を回復させる行為である。
これまでさんざん「病気なら、ゆっくり寝ろ」と言われ続けてきた。
喉の痛みの原因が睡眠だったなんて、できれば認めたくない。
それならば、私の過去にその仮説を反証する記憶がありそうだ。
もしも、睡眠が喉の痛みの原因なのであれば、私は寝れば寝るだけ、不健康になってきたはずである。
──そんなことは、なさそう。
つまり、睡眠そのものが喉の痛みを引き起こしているわけではなさそうだ。
むしろ睡眠は、身体を回復させるために必要なものだ。
では、なぜ眠っているあいだに喉は痛くなるのだろう。
問題は、睡眠そのものではない。
眠っているあいだに、何が起きているのかだ。
睡眠そのものが悪いわけではないなら、睡眠中に変化しているものを探せばいい。
まず思いつくのは、唾液だ。
起きているあいだ、私は無意識に唾を飲み込んでいる。
唾液には、口の中を洗い流したり、細菌の増殖を抑えたりする役割がある。
日中は周囲の状況によってその分泌量が変わる。
美味しそうな匂いがすれば増え、
身体の水分が減れば少なくなる。
それは日常生活で実感している。
けれど、眠っているあいだはどうだろう。
睡眠時の環境変化は少なく、眠っているあいだ、私は唾液を飲み込むことも、水を飲むこともできない。
つまり、唾液の分泌量は睡眠中、減少することだろう。
唾液の減少が原因か!?
いや、ここでそれが原因であると結論づけるのは違う気がする。
唾液が減ることで何が起きるのか。
一番分かりやすいのは、乾燥だ。
唾液が減れば、口の中は乾きやすくなる。
それは核心に近い気がするが、答えではない。
口の中の乾燥が、どうして喉の痛みに影響するのだろう。
喉が乾いたとき、普段はどう思うだろうか。
そこにこの謎を解くヒントがあるはずだ。
例えば、カラオケを夢中で歌った後。
例えば、友達との飲み会でワイワイ騒いだ後。
喉はどうなった?
──ヒリヒリと痛んだ。
喉を酷使して、潤いが失われる。
すると、ガサガサに痛む。
近い。
明らかに朝起きた時の「やっちまった」という感覚に近い。
でも、その後は水分補給することで回復する。
もう一つ、過去の体験が蘇ってきた。
乾燥したときの手の指の記憶だ。
カラカラとした冬。
白い吐息をかじかんだ手に吹きかける。
その時、手の指は、
……ひび割れていた。
乾燥すると、身体を守っている表面そのものが弱くなる。
そこからは容易に細菌やウイルスが侵入する。
そうして炎症を起こす。
では、喉も同じなのだろうか。
乾燥する。
粘膜が傷つく。
そこから何かが侵入する。
もしそうなら、朝の喉の痛みも説明できる。
……でも、本当にそれだけだろうか。
確かに寝ているときは喉が乾燥して、細菌やウイルスの侵入を受けやすいかもしれない。
けれど、なぜ朝起きたとき、喉の痛みが100なのだろう。
その答えはまだ見つかっていない。
ヒントは過去にある。
記憶を、めぐれ。
……
──何も、思いつかない。
寝ているときの記憶は、ない。
少しずつ過去を辿っても、毎日の睡眠時間はずっと空白なのだ。
思い出は山ほどある。
楽しい思い出も、辛い思い出も。
けれど、寝ていたときの記憶の積み重ねはない。
夢の記憶も儚い。
あるのは起きた瞬間の「やっちまった」だけ。
いや、待てよ。
時間は常に流れている。
意識が消えた瞬間から意識が戻るまでの時間は存在している。
そこに記憶がないだけで。
私は毎晩、ベッドの上で何をしている?
思いつかないなら、仮説を立てよう。
寝返り。
これはたぶんしている。
それによって喉が潰されている?
いや、これは違う。
脳や内蔵が再生している?
身体の傷が癒えている?
……もう少し何か要素はないか。
もっと根本的なことでいい。
心臓は動いている。
汗をかいている。
──息をしている。
寝ていても、息は必ずしている。
記憶になくても間違いない。
ならば、眠っているあいだも、私は何かを吸い込み続けている。
ふと、私は鼻づまりが酷いことを思い出した。
就寝前は、点鼻薬を鼻にシュッと塗布するくらいに。
点鼻薬を差すと鼻の通りがよくなり、よく眠れる。
疲れたときこそ、それをやる。
けれどその効果は、数時間でなくなる。
それは風邪を引いて日中差したときに知っている。
つまり、寝静まったあとの私は、鼻がつまっている可能性が高い。
するとどうなるか。
……分かった。
──口呼吸。
細菌やウイルスを受け入れ、喉を乾燥させていく。
私は日中は鼻呼吸だ。
でも、睡眠中は口呼吸になっている可能性が高い。
それが核心だ。
見えていなかった時系列が急に見えてきた。
寝る前の喉の痛みゼロ。
朝起きたら喉の痛み100。
そのあいだの事象はこうだ。
就寝前、点鼻薬を差す。
数時間後、点鼻薬の効果が切れる。
口呼吸に切り替わる。
喉が乾燥して、喉の粘膜に影響する。
喉の炎症が起こる。
そして朝起きて、喉の痛み100。
──これだ。
私は、ついに原因を突き止めた気がした。
……そう思った。
けれど。
本当に、それだけなのだろうか。
ゼロから100。
その答えが、まだ分かっていない。
けれど、ここまで推理できているなら、ゴールはかなり近い。
仮説を立てよう。
そういえば、まだ使っていないヒントがあることに気付いた。
冒頭で何気なく言った、「疲労が溜まった日」。
これが関係していないわけがない。
疲れている日ほど、喉が痛くなりやすい。
ならば、疲労もこの謎の一部なのではないだろうか。
身体は疲れている。
疲労が溜まった状態では、身体の防御機能も十分に働きにくくなる。
そこへ、睡眠中の乾燥や口呼吸が重なる。
喉が乾く。
粘膜に負担がかかる。
そして、細菌やウイルスなどによる感染があれば、それに対する身体の防御も必要になる。
疲れているときは、
その変化が起こりやすいのかもしれない。
けれど、眠る。
睡眠によって、身体は少しずつ疲労を回復させていく。
つまり、眠っているあいだに、
疲労は減っていく。
一方で、喉では乾燥や炎症による変化が進んでいる。
身体が回復していくことと、
喉の痛みが強くなっていくこと。
その二つは、同時に起こり得る。
そして私は、その過程を何も知らない。
痛みが10になったことも、
30になったことも、
50になったことも。
私は知らない。
ただ眠っている。
そして朝。
目を覚ました瞬間、
私は初めて結果を知る。
「やっちまった」
これが、私の知るすべてだった。
──けれど、本当は違うのかもしれない。
私が眠っているあいだにも、
身体は疲労を回復させ、
呼吸を続け、
外から入ってくるものに対処し、
傷ついた場所を修復しようとしている。
私が何も知らないところで、
私の知らない時間を生きている。
そして、朝になれば、
その時間に起きたことの結果だけが、
私の意識に届けられる。
喉の痛みも、その一つなのだろう。
考えてみれば、私たちは自分自身のことを、
それほどよく知らない。
眠っているあいだだけではない。
心臓が動くことも、
食べたものが身体をつくることも、
傷が塞がっていくことも。
その仕組みを知ることはできても、
そのすべてを自分の意識や記憶で見届けることはできない。
自分の身体でありながら、
自分には立ち入れない時間がある。
それでも、身体は私のものであり続ける。
私が覚えていなくても、
私が気づいていなくても。
私という存在は、
私が意識している時間だけで
できているわけではないのだ。
そして今夜も、私は眠る。
明日の朝、
何も知らない顔で目を覚ますために。




