空いた席 ~ 貴方の席はもうありません ~
読んでいただき、ありがとうございます。
私は、劇場のボックス席で、ポツンと一人。
この数ヵ月…………私の待ち人が、この席に訪れる事は無く、ずっと空いたままだ。
「そろそろ、決心しないとね」
一人しかいないボックス席に、私の声だけが静かに響いた。
私の待ち人は、婚約者のニール。
ニールとは幼馴染で、子供の頃からいつも一緒だった。
両親達の仲も良く、学院に入ると私達の婚約が結ばれ、卒業と同時に私はボルジア伯爵家に嫁ぐことになっていたが、半年ほど前から態度がおかしかったニールは、卒業式を前に、とんでもないことを言い出した。
「アニル、俺達の婚姻だが、一年先延ばしして欲しい」
「どうしてなのニール」
「俺は学院を卒業すれば、騎士見習いだ、覚えないといけないことが沢山ある、そんな状態でアニルを迎えても、寂しい思いをさせるだけだと思うんだ」
「…………いろいろと既に準備が整っているけれど、ボルジア伯爵はなんて?」
「うちの両親は納得してくれたし、アニルの両親にも話してある」
「そうなの、お仕事であるならば仕方ないわね…………。」
カーラ王女殿下が、理由ではないのかしら…………。
学院の中では既に有名な話だ、私の婚約者であるニールを含む、3名の騎士団候補生が、カール王女殿下の取り巻きとなっている。
カーラ王女殿下は、側妃様のお子様で、4番目の王女だ。
私とニールが卒業する年に入学すると、騎士科の中から見目の良い学生に声をかけ、学院内での護衛を命じた。
実際には、近衛騎士が学院の中でもカーラ王女殿下をお守りしているので、必要ないのだが…………。
声をかけられたとき、近衛騎士を目指していたニールは、喜んで私に報告に来た。
学院内とは言え、王族に声をかけられ、護衛を依頼されたのだ、ニールがのぼせ上るのも仕方ない。
そう思い、学院の間は我慢して来たけれど。
黙り込んだ私に、ご機嫌を取る様に、ニールが提案したのがこの観劇。
「俺の休みは5の付く日だそうだ、仕事中は忙しくするが、休みの日はアニルの好きなことをして過ごそう」
「何がいいかしら、その時の天気や気分で行先を決めてもいいわね」
「そうだな、でも天気に左右されるのは嫌だし、そうだアニルの家は、劇場のボックス席を年間契約しているだろ、そこを5の付く日だけ貸して貰おうよ」
「え ええ。まあ許してくれると思うけど…………。」
そうして結んだ約束は、一度も果たされることは無い。
コンコン。
「お嬢様、今日もニール様は、カーラ王女殿下に呼び出されて、観劇にはいけないとの連絡です」
「わかったわ…………メイ。ありがとう」
何度手紙を出しても、会いに行っても「時間がない」「カーラ王女殿下のご用事が優先だ」の一点張り。
最近は、顔を見ることもできない。
「はぁ~」
私は、大きくため息をついた。
……………………。
「あの、お嬢様」
退室したとばかり思っていた、侍女のメイに声を掛けられて、ハッと我に返る。
「ごめんなさいメイ。ちょっとぼんやりしていたわ、どうかした?」
「お嬢様に、ご相談があると言うお方が」
メイの後ろから大柄な男性が入ってくる。
「失礼いたします。私はスペンサー公爵家のアドルフと申します。観劇が好きで、時間が空いた時に飛び込みで見に来るのですが、今日はあいにく満席で、あきらめようと思っていた所、侍女殿に空席があると聞きまして」
「まあ、それはお困りですね、公爵令嗣様。私はポーモント伯爵家のアニルと申します、このボックスは、当家が年間契約しているボックスですので、このままご利用ください」
「それはありがたい。では同席をお願いしても?」
「いえ、私はこれで、おひとりの方がゆっくり観ることが出来るでしょうから」
「やあ、アニル嬢。男一人でのボックス席は、痛ましいだけだ、時間が許すのであれば、一緒に見てもらってもいいだろうか」
私は思いもよらぬ申し出が、直ぐに飲み込めなくて、眼をパチクリさせて公爵令嗣様を見上げる。
「あ、いや男性と2人きりになるのは困るだろう、侍女殿も同席で構わない」
「いえ、公爵令嗣様にお誘いいただき、驚いてしまっただけですので、私の様な伯爵令嬢が、ご一緒させていただいてもいいのですか」
公爵令嗣様は、大きく肯いた。
「いや公爵令嗣と言っても、私はただの騎士馬鹿だ、一緒に観てくれ、それと俺のことは名前で呼んでくれていい」
そう言うと、アドルフ様は、空いている席に腰を下ろす。
それを見て、メイが入り口にある小さな丸椅子に腰を下ろした。
「まあ、アドルフ様は、騎士なのですか?」
「ああ、第二騎士団で団長をしている」
アドルフ様は伏し目がちに、自分の口に大きな手を当てる。
「その、もし騎士団に知り合いがいる様なら、私が観劇愛好家であることは…………秘密にしてもらえないだろうか」
一人掛けのソファーに座り、大きな体を丸める公爵令嗣様が、急にかわいらしく見えた。
私は、少しだけ胸を張る。
「まあ!次期公爵の騎士団長様が、空席を探すほどの観劇好きなことは、売店の氷菓子ひとつで、黙っておきますわ。ふふふ」
「ようやく笑ったな」
うぅ。美丈夫が無意識にキラキラ笑顔を、私に向けているわ。
「ははは、侍女殿。お使いを頼めるだろうか、売店で氷菓子をふたつと、紅茶をふたつ」
「畏まりました」
「メイ、いつもの焼き菓子もお願い」
「はい。お嬢様」
「お、その焼き菓子は、おすすめなのかい?」
「はい、ガレット・ブルトンヌなんですが、他の店よりも少し塩味が強めで、氷菓子など、甘いものを食べた後につまみたくなるのです」
「ほう。俺はあまり焼き菓子を食べたことが無いのだが、ぜひ試してみたい」
「バターのしっかりした風味も、味わえます」
「それは楽しみだ」
アドルフ様は、とても気さくな方で、開幕を待つ間、お茶をしながらいろんなことを話した。
子供の頃のことや、好きな食べ物や本。
そしてなんと、趣味は乗馬!
私も小さな頃から乗馬が好きで、お父様とよく遠乗りに出かける。
ポーモント伯爵領でも、広い領地を活かして、馬の育成が盛んにおこなわれている。
「アニル嬢も乗馬をたしなむのか、ポーモント伯爵領には広い牧場があるんだな~。我が家には牧場は無いが、広い厩舎があるぞ、個別の馬房が10もある」
「わぁ。凄いですね~。単馬房が10室もあるんですか、馬も10頭いるのです?」
「今は8頭だ、中でも自慢は白毛!鼻の先はほんのりピンクでかわいいが、気性が荒い牡馬だ」
「まあ、家の領地には青毛や月毛は居るのですが、白毛は居ないのです。見てみたいな~」
「ほう、月毛もいるのか、月毛は俺も見たことが無い、本当に金色に輝くのか?」
「確かに光の加減でそう見える事もありが、クリーム色から黄白色ですかね」
「ほう、是非見てみたいな。しかしまずはうちのロワをアニル嬢に紹介したいな、是非見に来てくれ」
「良いのですか?」
「おっほん」
私が両手を胸の前で組み、眼をキラキラさせると、メイが大きな咳払いをした。
「いや、不躾に令嬢をお誘いしてしまいすまない」
「いえ、わたしこそ…………でも機会があれば是非、ロワ様にお会いしたいです」
ちょうど開演を告げる鐘の音が響き、私達は劇に集中する。
この劇は、ロマンス小説がヒットして舞台化されたもので、気弱な伯爵令嬢が、傲慢で意地悪な婚約者である伯爵令息と、婚約破棄をして自分の道を切り開くストーリー。
「凛とした女性だな」
小さく聞こえた、アドルフ様のつぶやきが、私の心を揺さぶる。
私はこの劇を、何度も見たことがある、セリフのほとんどを覚えるほどに。
ヒロインは素敵だ、物語の中だもの…………。
私はそっと隣で劇に見入る、アドルフ様の横顔を覗く。
月毛みたいな、柔らかな金色の瞳が、ヒロインを見つめていた。
私は眼を閉じて、胸いっぱいに空気を吸い込む。
ゆっくりと息を吐きだして、観劇に視線を戻す。
劇の中ではちょうど、ヒロインが屑婚約者に、婚約破棄を告げていた。
私はぎゅっと握る手に力を入れる。
できることをやってみよう。
✿ ✿ ✿
私は、ニールのことを調べることにした。
本当に、業務に邁進しているだけなら、それでいい。
でも、入ったばかりの騎士見習いが、王女の護衛に、そんなに呼ばれるだろうか…………。
私は自己資産で探偵を雇い、ニールの調査を開始した。
そして5の付く日は、今まで通りに、劇場のボックス席に向かう。
あれから毎回、アドルフ様はボックスに来てくれて、食事をしたり、馬の話をしたり、劇について討論したり。
約束はしていないけど…………。
アドルフ様が、来てくれるかもと思うと、気持ちが弾む。
今日は、ビーフカツをモリモリにサンドした、うちのシェフ一押しのサンドイッチが入った籠を抱えて、劇場に向かう馬車に乗り込もうとすると、帰宅したお父様とすれ違う。
「アニル。今日はニール君とデートか?婚姻を延期されたときは心配したが、このところは楽しそうでよかった」
お父様とお母様は、私が5の付く日に劇場のボックスで、ニールと過ごしていると思っている。
今日は、ニールの報告書が届く…………。
例え彼が潔白だったとしても、今の状況で結婚などできない。
私のわがままで婚約を無効にするならば、個人資産を慰謝料に当てて、私は修道院へ入ろう。
決意を固め、私はお父様に笑顔を向ける。
「お父様、戻ってきたらお話しする時間をいただいてもいいですか?」
お父様は、ニッコリと微笑む。
「もちろんだ、いい話が聞けるといいな」
「では、お父様。行ってまいります」
✿ ✿ ✿
アドルフ 視点
「姉上、いい加減休みの俺を、観劇に連れまわすのはやめていただけますか?」
「まあ、いいじゃない。私はこんなに観劇を愛しているのに、うちのダーリンは劇が苦手なのよ~。」
「はあ~」
「もう心優しいこの姉が、行き遅れの弟のために、観劇好きの令嬢を探してあげてるんじゃない、よく見ればいい男なのに、どうしてこうも、令嬢が寄ってこないのかしらね~。」
俺は次期公爵の上に、第二騎士団長。
爵位も仕事も申し分ないはずだし、姉が言うには、俺の顔は美男子らしいが………何しろ目つきが悪い。
最近はやりの細身の筋肉質でもなく、体格もがっしりしていて、熊にみえるそうで、学生の頃にはすっかり令嬢達から怖がられ、いつも一歩引かれていた。
気の利いたことも言えないから、黙って一人で過ごすことが多くなり、それは外見の怖さを、さらに引き立たせる結果になった。
「いい子がいたら、私が申し込んであげるから言いなさいよ~。」
姉上は、オペラグラスで、周囲をきょろきょろと見回す。
スペンサー公爵家が持っている、観劇のボックス席からは、館内全体が見渡せる。
いつもボックス席にぽつんと一人で座る、令嬢が俺の目に入る。
「今日も一人だな…………。」
俺の小さなつぶやきに、姉上が反応する。
「なになに、いい子がいた?どこどこ」
バシバシと俺の背中に、グーパンチが叩き込まれる。
「痛いよ、姉上。右に見えるボックスの、いつも一人で来ている彼女」
「ん~。どれどれ」
姉上は、オペラグラスを令嬢に向ける。
「あー。あの子は私の情報網によるとね、あんたたち騎士団のウジ虫達の婚約者のひとりよ~。」
「第四王女の…………。」
「でも、愚弟にしては、見る目があるじゃない♪彼女は優秀な子よ、伯爵家ではあるけれど、あの子なら公爵夫人にもってこいだわ」
姉上の情報網は、令嬢の個人情報まで広いのか…………我が姉ながら恐ろしい。
「どうする?手を振る?私が呼んでこようか?」
「いや、別に親しくなろうなどと…………。」
「そんなことだからダメなのよ、一度話すだけでも話してきなさい」
「いや」
「嫌もへったくれもない、直ぐに行く!」
俺は姉上の鉄扇に脅されながら、おずおずと立ち上がる。
こっそり帰るか…………。
「帰ろうとしても無駄よ、ここでちゃんと私が見てるからね!黙って帰ったらただじゃおかないわよ」
俺は両手を上げて、ボックス席を出る。
大きなため息をつきながら、目当てのボックス席の扉までたどり着くと、少し開いたドアのすき間から、声が漏れ聞こえた。
「お嬢様、今日もニール様は、カール王女殿下に呼び出されて、観劇にはいけないとの連絡です」
「わかったわ…………メイ。ありがとう」
軽く頭を上げながら、出て来た侍女殿と眼があった。
「あの、何かお困りごとですか?」
「いや観劇を見に来たのだが、あいにく席に空きがなく、どうしたものかと」
「それでしたら、こちらはポーモント伯爵家が所有するボックスなのですが、約束の者が来ないので、席が空いておりますが」
思わず嘘が口を突いて出たが、姉上の鉄扇をお見舞いされるよりましだ。
「是非、同席を頼めないだろうか」
「お嬢様に聞いてみましょう」
侍女殿は、そのままくるりと体の向きを変えて、令嬢に声をかける。
「あの、お嬢様」
令嬢は、ハッとしたように振り返る。
「ごめんなさいメイ。ちょっとぼんやりしていたわ、どうかした?」
「お嬢様に、ご相談があると言うお方が」
俺は思い切って侍女殿の前に出た。
「失礼いたします。私はスペンサー公爵家のアドルフと申します。観劇が好きで、時間が空いた時に飛び込みで見に来るのですが、今日はあいにく満席で、あきらめようと思っていた所、侍女殿に空席があると聞きまして」
「まあ、それはお困りですね、公爵令嗣様。私はポーモント伯爵家のアニルと申します、このボックスは、当家が年間契約しているボックスですので、このままご利用ください」
「それはありがたい。では同席をお願いしても?」
「いえ、私はこれで、おひとりの方がゆっくり観ることが出来るでしょうから」
いやいやそれでは、姉上の鉄扇が回避できない。
「やあ、アニル嬢。男一人でのボックス席は、痛ましいだけだ、時間が許すのであれば、一緒に見てもらってもいいだろうか」
アニル嬢は、眼をパチクリさせて俺を見上げる。
うぅ。なんて大きな瞳だ。
俺は急に照れくさくなり、頭を掻いた。
「あ、いや男性と2人きりになるのは困るだろう、侍女殿も同席で構わない」
「いえ、公爵令嗣様にお誘いいただき、驚いてしまっただけですので、私の様な伯爵令嬢が、ご一緒させていただいてもいいのですか」
俺は、大きく肯いた。
「いや公爵令嗣と言っても、私はただの騎士馬鹿だ、一緒に観てくれ、それと俺のことは名前で呼んでくれていい」
俺は同席してくれることに安心し、空いている席に腰を下ろす。
公爵家のボックスで、姉上のオペラグラスがキラリと光っている…………。
「まあ、アドルフ様は、騎士なのですか?」
アニルは、ニコニコしながら、俺を見ている…………怖くないのか?
「ああ、第二騎士団で団長をしている」
あんなキラキラした視線を向けられたのは初めてだ…………俺は顔が熱くなるのを感じて、思わず顔を伏せた。
そう言えば、ウジ虫とはいえ、婚約者は騎士団見習いだ、俺が姉上に連れられて、頻繁に観劇に来ていることが、団員に知られては…………。
いろんな思いが頭を駆け巡る。
「その、もし騎士団に知り合いがいる様なら、私が観劇愛好家であることは…………秘密にしてもらえないだろうか」
アニルは少し背筋を伸ばして、少し口角を上げる。
「まあ!次期公爵の騎士団長様が、空席を探すほどの観劇好きなことは、売店の氷菓子ひとつで、黙っておきますわ。ふふふ」
いつも無表情で、ボックス席にぽつんと座っていたアニルが…………。
「ようやく笑ったな」
俺の言葉に頬を染め、両手で顔を覆うアニルはなんとも愛おしい。
令嬢に対して持っていた、苦手意識も、言いようのないもやもやした固まりも、アニルの笑顔でパッと吹き飛んだ。
「ははは、侍女殿。お使いを頼めるだろうか、売店で氷菓子をふたつと、紅茶をふたつ」
「畏まりました」
「メイ、いつもの焼き菓子もお願い」
「はい。お嬢様」
「お、その焼き菓子は、おすすめなのかい?」
「はい、ガレット・ブルトンヌなんですが、他の店よりも少し塩味が強めで、氷菓子など、甘いものを食べた後につまみたくなるのです」
「おう。俺はあまり焼き菓子を食べたことが無いのだが、甘いだけでないならぜひ試してみたい」
「バターのしっかりした風味も、味わえます」
「それは楽しみだ」
それから俺達は、子供の頃のことや、好きな食べ物や本など、いろんな話をした。
そしてなんと、アニルの趣味は乗馬!
ポーモント伯爵領の牧場のことや、我が家の広い厩舎やロワのこと。
令嬢と二言以上会話が出来たのは、アニルが初めてだ。
ほわほわした感覚に、胸が躍る。
侍女殿にたしなめられた後の、あのはにかんだ笑顔。
「いえ、わたしこそ…………でも機会があれば是非、ロワ様にお会いしたいです」
あの屑に渡すわけにはいかない。
例え、俺の隣でなくても、もっと彼女が幸せになれる相手と、共に歩めるように。
第四王女の愚行は、王宮の中では公知の事実。
ウジ虫の婚約者達の家からは、王家に進言が何通も届いているが、どうして王家は対応しないのか………側妃腹のことなど放置なのか。
しかし、貴族に問題視されているのに…………。
とにかく俺は、アニルに有利な証拠を集めよう。
そしてアニルに、ロワを紹介したい。
アニルを馬車まで送り、馬車が見えなくなるまで見送っていた俺は、直ぐに姉上に連行され、根掘り葉掘り質問された。
しかしその見返りに、アニルが5の付く日に、必ず観劇に訪れるとの情報を手に入れた。
それと、チョコレートが好きだと言うことも。
やはり姉上の情報網は凄い!
5の付く日には、チョコレートやチョコレートケーキ、ホットチョコレートを持ってアニルに会うため、劇場のボックスに向かった。
アニルも俺の好きな、肉をいっぱいに挟んだサンドイッチや、ガレットを持ってきてくれる。
レンズ豆は苦手だが、アニルの持ってきたものなら何でもおいしい。
家族や友人、仕事や小さな悩みまで、アニルには素直に話せる。
そんな日々が二カ月ほど過ぎた頃、俺は決心を固める。
あのウジ虫を、アニルから引きはがす。
アニルを悲しませたあいつを、必ずぶっ潰す。
俺はその日、アニルが好きな菓子店のチョコレートと、集めた証拠を持って、劇場へ向かった。
✿ ✿ ✿
アニル 視点
劇場のボックスに着くと、既にアドルフ様が待っていた。
「まあ、アドルフ様♪お待たせしました」
「いや俺も今来たところだ」
「今日は、ビーフカツサンドを持ってきました。シェフがほとんど作りましたが、私も少しお手伝いしたんですよ」
私が籠を開けると、アドルフ様はサンドイッチを手に取り、パクリと一口。
モグモグして、口いっぱいのサンドイッチを飲み込むと、私を見て破顔した。
うう。心臓に悪い。
「アニルが作ってくれたものは、一段と美味しいな」
!!!
もしやアドルフ様は、私の息の根を止める気では…………。
「お嬢様、紅茶をお持ちしますね」
「ありがとうメイ」
劇が始まるまでの時間、アドルフ様と、たわいない話をしながら軽食をつまむ。
「アニル。今日はこれを持ってきた」
「わあ。これはココニコのチョコレート♪私このチョコレート大好きです」
思わず顔がほころぶ。
アドルフ様が、突然両手でご自分の顔を覆い俯いた。
耳が赤い。
「アドルフ様?どうされました?体調でも悪いのですか?」
「いや、なんでもない。アニル、この劇を見終わったら、少し時間をくれないか」
「はい。大丈夫です」
私の返事と共に、劇の始まり絵緒告げる鐘の名が鳴った。
「始まるな」
「はい、今日もロマンス小説を題材にした物語ですね」
「最近のロマンス小説は、婚約破棄が流行りなのか?」
「ふふ。アドルフ様は、ロマンス小説を読まれたことがあるのですか?」
「いや、姉上が嫁ぐ前は、ロマンス小説を読んでは、俺に内容を話しに来たから…………俺が読んでいたわけではない」
「ふふ。素敵なお姉さまですね、一度お会いしたいです」
劇中の曲が始まり、私達は劇に集中した。
物語は進み、劇中のヒロインが、婚約破棄を告げるため、家を出た瞬間。
ボックス席のドアがノックされた。
メイが応対に出たが、なにやら外で揉めている。
「どうかしたのでしょうか?」
ドアを振り返ると、勢いよくドアが開き、ニールが入ってきた。
アドルフ様には目もくれず、ニールは私に詰め寄る。
「アニル、カーラ王女殿下が、劇を見たいとお忍びでおいでだ、今すぐ席を譲れ!」
「どうしてです。ここはポーモント伯爵家が契約しているボックスですよ、劇をみたいなら、チケットを購入して観劇なされば良いのでは?」
「俺が良い席があると、王女殿下をお誘いした!婚約者の顔を立てろ!」
ニールの大声が、劇場中に響く。
舞台の上では、ちょうどヒロインが不実婚約者に婚約破棄を告げ、婚約者が反論しようとしたところ。
劇場内は、水を打ったように静まり返る。
……………………。
すると突然、劇場主が舞台端に現れ、声を上げる。
「本日はお客様にも、二人目のヒロインをお願いしています」
その声と共に、私達に明かりが向けられる。
突然のことに驚いて、私は息をのむ。
……………………よし!女は度胸。
私は拳を握りしめ、声を張り上げる。
「この半年間、顔を見たこともない、婚約者をですか」
「この!」
ニールが、私に掴みかかろうとした手を、アドルフ様がひねり上げる。
「ア アドルフ団長様が、なぜここに」
「お!ヒーローの登場です」
劇場主が、合いの手を入れる。
「まあ~。アドルフ様~。以前からお会いしたかったんです、いつ近衛騎士になっていただけるのですか~」
全く空気を読まない、カーラ王女殿下が、アドルフ様に駆け寄る。
「触るな!汚らわしい」
「まあ!あれ、第四王女じゃない?」
会場が騒めく。
「カーラ様、お忍びですよ」
ニール達と一緒に来た騎士が、カーラ王女殿下を、ボックスの外に連れ出す。
「ボルジア伯爵絵令息、お前も出ていけ」
「おい、アニル!これはどういうことだ!俺に隠れて、不貞をはたらいているのか!」
ニールが私を睨みつけるが、アドルフ様が私を背にかばう。
「不貞をしているのはお前だろう」
アドルフ様が書類の束を、ニールに投げつける。
ニールに当たり、飛び散った書類の数枚が、ボックス席から下の客席に舞い落ちた。
拾い上げた者たちから、驚きの声が上がる。
「まあ!やっぱり第四王女は、尻軽なのね」
「噂どおりだな」
「周りの男達も、どうせどうしようもない連中なんだろう」
「ウジ虫~」
勢いよくドアが開き、カーラ王女殿下が戻ってきて、手すり壁に駆け寄る。
「あんた達!王族への不敬よ!ただじゃ置かないからね」
王女殿下の罵声に、客席が反応する。
「おやー。役者なのによく似てる」
「やだ、あんな屑王女に似てるなんて言われたら、役者さんがかわいそうよ」
「はははは、そりゃそうだ」
「いいぞー屑王女」
カール王女殿下は、テーブルの籠を握りしめ、観客に投げつけようとするが、騎士に羽交い絞めにされて、ボックスから出て行った。
……………………。
「さあ、名演技の王女殿下の邪魔が入りましたが、続きをどうぞ」
一度、劇場主に向いていた明かりが、私達に向けられる。
「……………………。」
「さあ、ヒーロー!不貞のセリフから」
劇場主に促され、アドルフ様が叫ぶ。
「不貞をしているのはお前だろう!」
ニールは、アドルフ様の迫力に、一歩下りながら私を見る。
「いいのか、俺がお前を貰ってやらなかったら、嫁に行ける先など無いのだぞ」
「あなたと生きていくくらいなら、一人の方がましよ!」
私の宣言と共に、客席から拍手が起こる。
「ウジ虫と暮らすなんて無理よね~」
「お嬢さん!かっこいいぞ~」
「帰れウジ虫!」
「良く恥ずかしくないな~」
お客さん達の声に反応して、ニールは転がる様に逃げ出した。
「ほら、ヒーロー。頑張ったお嬢ちゃんの肩を抱いて!」
劇場主に促され、アドルフ様は、私の肩を抱くどころか、ガシリと両手で私を抱きしめた。
真っ赤になる私を見て、また客席から大きな拍手。
「さーみなさん、参加イベントはここまで、どうぞ本編の続きをどうぞ」
劇場主がベルを鳴らすと、私達に向けられた明かりは消え、薄暗いボックス席で、アドルフ様は、私を抱きしめたまま。
「おっほん」
メイの咳払いで、漸く我に返ったアドルフ様は、腕の力を抜くが、私を離さない。
「アニル、このまま、ポーモント伯爵に、この証拠書類を持って、会いに行ってもいいだろうか」
私はこくりと頷いた。
アドルフ様に連れられて、スペンサー公爵家の馬車に乗り込むと、後ろから超絶美しいご婦人が、一緒に乗り込んできた。
「わー。近くで見たら、むちゃむちゃかわいいじゃない」
驚いて目を丸くする私を、ご婦人はぎゅうぎゅうに抱きしめる。
「姉上、アニルが潰れてしまいます」
「なに言ってるのよ、アドルフもさっき、抱きしめてたでしょ~」
「ア アドルフ様のお姉さまですか?」
「そうよアニル。私のことは、マーサお姉さまと呼んでいいわ」
…………。
「さあ!言ってごらんなさい」
「マ マーサお姉さま…………。」
「わー。もうこれで決まりね、私に妹が出来たわ~。こんなかわいい妹を、婚約者のことをちゃんと調べもせずに放置した、ポーモント伯爵には、私がお灸をすえてあげるからね♪」
それから長身の二人に挟れる小柄な私は、マーサお姉さまに、抱きしめられたまま帰宅した。
公爵家の馬車で戻ってきた私に驚いた父は、私の依頼して集めた資料と、アドルフ様が集めた資料に、顔面蒼白となり、更にマーサお姉さまに、こってり絞られて、大急ぎで私の婚約を破棄しに出かけて行った。
「さーてと、もうひと仕事するから、帰るわよアドルフ!」
そう言いながら、マーサお姉さまは、ふわりと私を抱きしめた。
「アニルはいろいろあって疲れたでしょ~。ゆっくり休んでね」
マーサお姉さまは、アドルフ様の肩を軽くたたいて部屋を出て行った。
「あ…………の、アニル。今度は、スペンサー公爵家のボックスに招待したい、受けてもらえるだろうか」
アドルフ様が大きな手を差しだす。
「はい」
私は、大きくて暖かな手を握り返した。
✿ ✿ ✿
次の日、第四王女の愚行は、一部の貴族だけでなく王都中に知れ渡り、沈黙を貫いていた王家も、対応を余儀なくされた。
第四王女は、生娘でなくても良いと言う、他国の16人目の側妃として嫁がされ、誰に見送られることもなく、国を出て行った。
第四王女に群がっていた騎士達は、騎士の職を解かれ、家からも見捨てられ貴族籍を抜かれた者や、修道士になった者もいる。
ニールは、どうしたかと言えば、私との婚約破棄後、家族に嘘をつき婚約者を蔑ろにしたことを、ボルジア伯爵に激怒され、貴族籍を抜かれて慰謝料の返済のため、採掘場に働きに出されたそうだ。
そして私は、次の5がつく日。
メイにピカピカに磨かれて、劇場へ向かう。
「ねえ、メイ。これ派手すぎない?」
「お綺麗ですよ、お嬢様」
指定されたボックスに着くと、執事がドアを開けてくれた。
「ポーモント伯爵令嬢様ですね、お待ちしておりました。さあ、中にどうぞ」
扉の先には、伯爵家のボックス席の二倍はある広い空間。
カウンター席には、お酒や飲み物の準備ができるスペースがあり、数名が食事を取れる大きなテーブルもある。
部屋の真ん中には、正装をきっちり着こなすアドルフ様が、大きな包みを抱えている。
「アドルフ様…………。」
直立不動のアドルフ様に、声を掛けると。
アドルフ様は包みを私に差し出して、直角に頭を下げる。
「アニル!席がないなどと嘘をつき、ボックスを訪ねて悪かった、ずっと一人で劇を見ているアニルのことが気になって、姉上に背中を押されて会いに行った」
「…………。」
「アニルと一緒に過ごすうちに、俺は初めて。これから先、一緒に生きていきたい人を見つけた」
私の眼から、大粒の涙が溢れる。
「こんな不調法な俺だが、どうか俺の手を取ってくれ! アニル。俺と結婚してください」
私は、アドルフ様の手に、そっと自分の手を重ねる。
「はい。喜んで」
私は一瞬で、包ごとアドルフ様に抱きしめられる。
同時に空いた扉から、マーサお姉さまが入ってきて、アドルフ様から私を引きはがし、ぎゅうぎゅうに抱きしめた。
「やったー。私に妹ができた~」
「姉上、俺のアニルから離れて下さい」
「嫌よ~」
私はふたりの暖かな腕に包まれる。
ずっと空いていた私の隣の席は、優しく温かい、新しい家族の席でした。
~ 終わり ~
(*^-^*)
ちなみにアドルフが渡した大きな包の中身は、大量ねチョコレートと
ジュエリーボックスがひとつ(*˘︶˘*).。.:*♡




