凍えるようなマンボウ
「……ねえ、知ってる? マンボウって、あまりのショックで死ぬこともあるくらい繊細なのよ」
私は、目の前の巨大な″氷の塊″を睨みつけながら呟いた。
私の名前は潮崎ナギ。
海洋学部で深海生物を専攻している、どこにでもいる(?)女子大生だ。
そして今、絶賛アルバイト中の水族館【アクア・パレス】のバックヤードで、人生最大のピンチに直面している。
目の前には、搬送用の大型タンクの中で、なぜかカチンコチンに固まりかけているマンボウがいる。
原因は、水温調節システムのバグだった。
設定温度を18℃にしたはずが、どういうわけか極低温設定が暴走。
気づいた時には、期待の新人(?)マンボウの【まんぷく君】は、シャーベット状の海水の中で白目を剥いていた。
「ちょっと! ナギちゃん、どうにかして! 館長が来たら僕たちクビだよ!」
先輩飼育員の佐藤さんが、情けない声を上げて右往左往している。
海洋学専攻の私に期待の眼差しを向けているが、私の専門は″深海の高圧環境″であって、″マンボウの急速冷凍″ではない。
「佐藤さん、落ち着いてください。マンボウはフグ目マンボウ科。皮膚が厚いから、まだ芯まで凍ってはいないはずです。要は、マンボウ・デフロスト作戦ですよ!」
私は必死に脳内の知識を検索した。
ステップ1: 緩やかな加温。
急激に熱するとタンパク質が変性する(煮魚になってしまう)。
ステップ2: 皮膚の保護。
マンボウの体表は寄生虫対策の粘液でベタベタだが、凍結で剥がれやすくなっている。
ステップ3: メンタルケア。
マンボウは繊細だ。
起きた時に「え、僕凍ってた?」と気づかせない配慮が必要だ。
私はお湯を沸かし、ぬるま湯を作ってタンクに少しずつ注いだ。
「いい、まんぷく君。あなたは今、南の海の暖流に乗っている……。ここは熱海じゃない、ハワイよ……」
一時間後──。
タンクの中から「プハッ」という、間の抜けた音が響いた。
ゆっくりと、巨大な円盤状の体が動き出す。
まんぷく君が、その独特なとぼけた顔で私を見上げた。
その瞳には「なんか……ちょっと寒かった気がするけど、気のせいかな?」という哲学的な虚無感が漂っている。
「……生きてる。マンボウ、凍結耐性あったっけ?」
「ナギちゃん、それはたぶん″気合″だよ」
佐藤さんが涙ぐみながらマンボウの背びれを撫でた。
──いや、マンボウに気合はないと思う。
結局、まんぷく君はその後、何事もなかったかのように展示水槽へとデビューした。
時々、水槽のガラスに正面からぶつかって「あ、死ぬかも」みたいな顔をしているが、あの氷点下の試練を乗り越えた彼にとって、そんなのはかすり傷に過ぎないのだろう。
私はといえば、この事件のレポートを【マンボウにおける一時的凍結状態からの覚醒に関する一考察】というタイトルで教授に提出しようか本気で迷っている。
「……ま、単位にはならないわよね」
私は長靴に溜まった冷たい水を捨てながら、水槽の中でゆっくりと回転する″元・冷凍マンボウ″に、そっと敬礼を送った。
〜〜〜おしまい〜〜〜
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