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第8話 焦げた袖と午後の風

 ギルド裏の塀に、白い布が結ばれていた。

 風にあおられて、ひらり、ひらり。


 あの目印を見つけるだけで、胸の内側が少しだけ明るくなる。


 布の下には、剣士のバッツさんと、魔法使いのルイスさん。

 二人とも、もう準備万端といった顔で立っていた。


 私とセーブルが到着して間もなく、ギルドの扉の方からミーナさんの声がした。


「お待たせ。こっちの二人も、今回の参加者よ」


 ミーナさんの後ろから、背の高い少年と、小柄な少女が出てくる。

 少年は肩で息をしながらも、目はきらきらしていた。


「カイルです! よろしくお願いします!」


 少女はその勢いに少し驚いたように肩をすくめ、両手を胸の前にそっと重ねる。


「み、ミレイユといいます……はじめまして」


 全員が揃ったところで、ミーナさんが一歩前に出た。


「ではあらためて紹介。剣の講師がバッツ、魔法の講師がルイス。

 どちらも現役の冒険者で、うちのギルドが信頼してる人たちよ」


「お前らみたいな初心者が怪我しないようにすんのが、俺の役目だ」

 バッツさんは短く言い、腕を組む。


「ルイスです。焦らずに、深呼吸から始めましょう」

 ルイスさんは、目尻にやわらかい皺を寄せた。


「じゃあ、受講生のみんなも自己紹介を。名前と、ひとこと目標をどうぞ」

 ミーナさんが促す。


「俺はカイル! 父ちゃんが元冒険者で、俺も一人前の冒険者になるのが夢です!」

「ミレイユです。……が、頑張ります」

「セーブルです。魔法使いを目指しています。……上手くは、ないけれど」

「リアノンです。強くなりたいです。よろしくお願いします」


 顔を合わせただけで、ちょっとだけ仲間になれたような気がした。


「よし。じゃあ始めるぞ」

 バッツさんが手を打つ。


「攻撃より先に、怪我をしないように体を慣らすんだ。全員、受け身と転び方、力の逃がし方だ」


 時間は、その言葉どおりに過ぎていった。


 土の上の白い目印へ戻る場所として体を置く。

 正面で止めず、半歩だけ斜めへ。膝を伸ばしきらない。肩で受けない。


 何度も何度も、同じことの反復。

 痛みはない。けれど最初の一歩を出すときの小さな怖さが、少しずつ薄まっていく。


 転んだ音が柔らかくなり、起き上がるのが早くなる。

 袖口に土の匂いが移るころ、さっきよりも落ち着いて立てている自分に気づいた。


 休憩の合図。木陰で桶が回る。

 水の縁は陽を吸って、少しぬるい。


「リアノン、最初よりずっといい感じ!」

 カイルが親指をぐっと立てる。


「ありがとう。カイルは動きが速いね」

「ほめられた! でも先生の顔が調子乗るなって言ってそう」

「合ってるぞ」


 いつの間にか近くに来ていたバッツさんが、淡々とした声で言い、私たちは笑った。


 少し離れて、セーブルとミレイユが並んで座っている。


「ミレイユ、転ぶの、もう怖くなさそう」

「ううん、最初は足が固まってた。けど、何回かやると、怖いのが薄くなってく……不思議」

「……うん」


 セーブルは短く頷くだけで、表情は読み取りにくい。

 でも、私には分かる。緊張しているときの顔だ。


 休憩が明けると、バッツさんが木箱を引いてきて、地面に道具を並べた。


「貸出用の武器だ。剣、短剣、槍、棍、斧。

 形が違えば、得意な距離も違う。実際に持って重さを知れ。――握りすぎんなよ、支えろ」


 柄に指をかけると、手の中に“重みの性格”が居座る。

 少し持ち直すと、その性格が腕から肩へ細く流れる。


 注意されたところだけを直す。

 それだけで次の動きが扱いやすくなるのが分かった。


「魔法側の貸出は、杖とローブ。気負わなくていい」

 ルイスさんは落ち着いた声で言った。


「ただ、どんな道具でも、いちばん大事なのは自分の呼吸だ。

 呼吸が乱れるなら、それは道具が合っていない」


 ミレイユは、地面に並べられた武器たちの前で立ち止まっていた。

 剣、槍、短剣、杖……視線がそれぞれの刃先や柄を泳ぐ。


 何かを決めかねているのが、見てすぐ分かった。


「どうした?」とバッツさんが声をかける。

「……あの、わたし……何を使うのか、まだ決められなくて」


 ミレイユはおずおずと口を開いた。


 ルイスさんがその横顔を見つめ、穏やかに言う。


「それなら、まずは魔法を試してみるのはどうかな。

 君には魔力の流れが見える。きっと、素質はあるよ」


「魔力……わたしに?」

「うん。呼吸の仕方がいい。魔法は、まず息の通り道を作ることから始まるんだ」


 ルイスさんは笑って、貸出用の杖を手に取る。

「握ってみてごらん。怖くなければ、そのまま少し魔力を通してみよう」


 ミレイユはそっと杖を受け取り、目を伏せる。

「……わかりました。やってみます」


 その声は小さいけれど、芯のある音だった。


 ルイスさんは満足げに頷くと、杖を支える手を軽く添えた。

 セーブルは横で、黙って見ている。視線は真っ直ぐだが、どこか遠い。


 もう一度だけ全員で基礎をさらってから、二手に分かれた。


 剣組――私とカイルは、受けてずらす動きを木剣で繰り返す。

 言葉は少ないが、直しどころははっきりしていて、木と木の触れる音が少しずつ小さくなっていく。


 足の置き換えはまだぎこちない。けれど、最初と比べると、ずっとよくなってると思う。


 魔法組――地面に描かれた白い円の中で、静かに呼吸を合わせ、短い詠唱を口にしていた。

「ミレイユさん、三つ吸って、一つ吐く。吐く一つを“外に通す”感じでやってみよう」

「……はい」


 針の頭ほどの小さな火花が、杖先の前に生まれては消えた。

 ミレイユの肩が、ほんの少し軽くなるように見えた。


「次、セーブルさん」

「……はい」


 セーブルが円に入る。

 吸って、吸って、吸って――吐く。


 火は、生まれない。


「今のは、魔力が少なすぎるかな」

 ルイスさんは、急かさない声で言う。


「もう少し流してごらん。何かあっても僕が止めるから大丈夫」


 セーブルが一度だけ私を見る。目が合った。

 私は頷く。


 彼女は小さく息を吸い直し、真っ直ぐ前を見て――もう一度、吸って、吸って、吸って――吐く。


 空気が、薄い紙一枚、歪んだ。

 指先の前で目に見えない密度が膨らむ。


 不意に、足下の土の匂いより強い、熱の匂いが立った。


「セーブル、止め――」


 言葉より先に、ルイスさんの杖が動く。


 ぱん、と乾いた小さな音。

 風が輪の中に広がり、熱と魔力を薄く散らす。


 次の瞬間、セーブルの袖口で、ぷつ、と焦げる音。


「……熱っ」


 セーブルは反射で腕を引いた。

 ルイスさんがすぐ手を取り、風で布を冷ます。


「大丈夫。少し袖が焦げただけ。火傷はしていない?」

「……すみません」

「謝ることじゃない。――今の“怖さ”は、覚えていて。

 魔法は怖い。でも、怖いと思える人のほうが、上手くなれる」


 セーブルは小さく頷き、焦げた縁に指を触れる。

 口の形だけで、「また」と言った。声にならないほど小さく。


 訓練は、そこから一度だけ短く繰り返して終わった。


 バッツさんが「怪我ゼロ」と言い、ルイスさんが「焦げひとつ」と肩をすくめる。

 カイルは「次も来る!」と弾んだ声で手を振り、ミレイユは「わたし、もう少し長く灯したい」と杖を抱え直す。


 帰り道。


 四人と二人は自然に前後に分かれ、前は明るく、後ろは静かになった。

 カイルとミレイユは並んで話す。


「いやあ、楽しかったな!」

「うん……わたしも、次、もう少し上手にできる気がする」


 二人の声は、石畳の目地を軽やかに跳ねる。


 少し離れて、私とセーブルは並ぶ。

 セーブルは焦げた袖を指でつまんだまま、顔を上げない。

 歩幅は半靴一足ぶん、小さい。


「……やっぱり、私には、魔法向いてないのかも」


 風の音に紛れそうな、かすれた声。

 それでも、私にははっきり届いた。


 私は歩幅を合わせ、横顔を一度だけ見てから、前を向いたまま答える。


「そんなこと、ないよ」


 返事はなかった。

 少しして、セーブルが小さく息を吐く。

 それから、とても小さく、首を縦に動かした。


 夕方の光で影が長い。


 前の笑い声は角を曲がって遠のいていく。

 私たちの影は二本、路地の石目を細くまたぎながら、並んで伸びた。


 焦げた袖の縁に残る色だけが、歩くたび、かすかに揺れて見える。


 どこかの家の窓が開いて、夕餉のにおいが風に乗った。

 その匂いに混ざって、ほんの少しだけ、焦げた布の匂いが残っている気がした。


 すぐに風がそれをさらっていく。


 けれど、袖の縁は確かにそこにあって、

 今日という日の印みたいに、静かに触れていた。


 私は、セーブルの歩幅に合わせて歩く。

 彼女の沈黙が、私にだけ届くように。


 次の角まで、二人分の影は、長いままだった。

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