第5話 街を歩いて、夢を見つけた日
朝の仕込みがひと段落したころ、かまどの火がぱちんと弾けた。
「今日は二人とも、休みでいいよ」
大鍋の蓋を押さえたまま、マルタさんが言った。
「えっ、本当に?」
「昨日までよく働いたからね。今日は客も少なそうだし街でも見ておいで」
「いいなぁ〜! おみやげよろしく〜!」
流し場で泡まみれの手を振るレーナちゃん。
「床、すべりますよ」
「わっ、本当だ! ……いってらっしゃい!」
エプロンを外すと、背中がふっと軽くなった。
「この間、レナさん達に聞いたお勧めのお店に行こうリアノン!」
「うん!」
セーブルが胸の前で小さく拳を握る。私も釣られて笑った。
昼前の通りは、光の粒でいっぱいだった。
白い石畳の目地に小さな草が揺れ、屋根と屋根の間を渡る洗濯紐には、淡い色の布が風に踊る。
パン屋から甘い小麦の匂い、露店からは香辛料の刺激。樽の上に並んだ蜜柑の皮が、陽に透けて輝いていた。
建物は、低い石積みに、上階が木骨づくり。斜めに組んだ梁が影を落として、窓辺には小さな花台。
通りの角で、鉄で打った看板が風に鳴る。剣の輪郭が切り抜かれたその看板に、私たちは足を止めた。
《グラフト武具店》。
分厚いオークの扉には、手のひらの形に磨かれた真鍮の取っ手。押すと、低く鈍い鐘の音が鳴った。
中は、ひんやりとした鉄と油の匂い。床は堅い木で、靴がこつこつと小さく鳴る。壁面いっぱいに並んだ武器は、窓から差し込む斜光を受けて、刃の線だけが細く白く光っていた。
「いらっしゃい。今日はどんな用だい?」
奥の鍛冶場と店を区切るカウンターの向こうから、肩幅の広い男の人が現れた。灰色の髭を二つに結い、腕は樽みたいに太い。
「えっと……装備を見てみたくて。まだ、ギルドで借りた物しか持っていないので」
「そうか。見学でも歓迎だ。まずはどんな物があるか、じっくり見ていくといい」
壁には色々な物がある。細身の短剣、刀身の長い不思議な形の剣、石を射る投石紐、握れば手に収まる鉄の籠手ナックル。
盾の棚には、丸いバックラー、楕円のスモールシールド、木芯に鉄の縁を回した軽いタイプ、中央にトゲがついたもの。
「腕力が育つまでは、短剣と小盾の組み合わせも悪くない」
男の人が、革のベルトに通せる小ぶりのバックラーを手渡してくれる。
「わ、軽い……!」
「受け止めるんじゃなくて、払って逸らす。それが小盾のやり方だ」
同時に、刃の根元が厚い実用短剣を示す。
「刃渡りは手首から肘くらい。鞘ごと抜き差ししても衣が傷みにくい作りだ」
セーブルが、装飾のついた細い短剣を持ち上げて、すぐにおずおずと戻した。
「よ、よく切れそう……。でも、綺麗……」
「うちの剣はよく切れる。気をつけないとスパッと手が切れるぜ」
男の人は口の端を上げて、次に腰帯を示した。
「鞘を吊るす金具が二つ。揺れが少ない。走るならこういうのがおすすめだ」
私は、丸いバックラーを前腕に当ててみた。内側の革の匂い。手首で固定すると、身体の線が一つ増えた気がして、ちょっと背筋が伸びる。
「似合ってるぜ。ちゃんと冒険者だ」
「冒険者……」
言葉の重さに、胸の奥がきゅっとなる。けれど、不思議とわくわくもしている。
「初心者だと中古もおすすめだぜ。あっちだ」
示された棚に、刃の根元に小さな欠けのあるショートソード、表面が擦れた木盾、縁取りの革が柔らかく馴染んだベルト。
札には、銀貨の数字が丁寧に書かれている。
この一本は、誰かの最初の一本だったのかもしれない。
指でなぞると、指先が少しだけ黒くなった。
ショートソードを一本、両手で受け取る。思ったより重い。――でも、悪くない。
値札には、銀貨四枚。
まだ届かないけれど、心のどこかで、私はこの剣をこの子と呼んでしまっていた。
「いつか、必ず買いに来ます」
「おう、待ってるぜ」
灰色の髭を無でながら、男の人は優しく笑っていた。
店を出ると、外の風が甘く感じた。油の匂いが、陽の匂いに変わる。
「リアノン、盾似合ってたよ」
「ありがとう。短剣と小盾、覚えておきます」
通りを二本抜けると、淡い青の庇と、針の絵が描かれた看板に《ミーネの仕立て工房》と書かれている。
ガラス窓には、レースのカーテン越しに白いドレス鎧が飾られている。胸元に銀糸、裾には薄青の刺繍が波のように走って、光が布の上でやわらかく跳ねた。
扉は白木。取っ手は小さな貝殻の形。押すと、鈴がころん、と軽い音を立てる。
「いらっしゃい。今日はおつかい?それとも何か探し物かしら?」
布の埃をやさしく払う仕草をしながら、仕立ての人が笑った。
「見学です。いつか、自分の防具を買いたくて」
「あら、それなら触って、動かして、鏡で見て。それが一番よ」
店内は、糸と布の香り。壁際には布鎧、柔らかな革の胸当て、肩を守る小札革、膝に合わせて曲がる革膝当て。
天井からは、裾の広い旅用マントがいくつも下がり、窓辺では冒険靴の革が陽に温められている。
「あなたたちなら、まずは綿詰めの上衣と薄革の肩がいい。重ね着で守りが効くし、普段の動きにも差し支えないわ」
仕立ての人が、淡い茶色のギャンベゾンを私に当ててくれる。
「肩……動かしやすい」
「肩が詰まるとすぐ疲れる。縫い代を逃がしてあるの」
セーブルは、指なしのレザーグローブをはめて握ったり開いたり。
「わ、手が強くなったみたい!」
「握り心地が合うのは大事よ。杖の滑り止めにもなるし、鍋つかみの代わりにもなるわ」
「万能……!」
視線の先、窓の白いドレス鎧が風にそよいだ。
「これ……ドレスじゃなくて鎧、なんですよね?」
「そう。布の下に細い鎖が入ってる。軽くて、礼装にもなる。――“戦う人も、美しくあっていい”。そういう思いで作ってみたの」
「いつか、こういうの、着てみたいです」
口に出してから、顔が熱くなる。
「鏡の前で想像してごらん。“いつか”は、今の姿勢から始まるわよ」
仕立ての人は、私とセーブルの肩幅と腰回りを軽く測り、紙に控えを書いた。
「焦らず、少しずつ。欲しい一着がある人は、ちゃんと強くなるわ」
そういってパチリとウィンクしてくれた。
値札は正直で、数字はどれも今の私たちには大きい。
それでも――胸の中に、細い糸が一本、ずっと先の未来に結ばれた気がした。
いつか着たい。それを、ちゃんと持てた。
通りの奥、石壁に星の象嵌が嵌められた細い路地を入る。
《星読堂》と書かれた看板を掲げた店。
扉は黒く、取っ手は冷たい銀。開けると、涼しい空気と、薬草と紙の匂いが混ざった香りが鼻をくすぐった。
天井からは丸い硝子灯が柔らかく光り、棚は深い色の木。背の高い本棚には、背表紙に金の紋が入った本がびっしりだ。
「いらっしゃい。何をお探し?」
カウンターの向こうで、静かな声の青年が微笑んだ。
「杖と……それから、魔法に良い装備を見たいです。まだ見習いなので」
「分かった。それなら触ってみるのが一番だよ。えーっと……これが初心者向けの杖。梛で作ってあって、魔力の流れが素直だよ。疲れにくいはずさ」
渡された杖は、指に吸い付くように滑らかで、木目が川の流れみたいに走っている。
セーブルが握る。――杖の先が、ほのかに灯った。
「……光った!」
「うん。魔力の波が澄んでる。あなたは素直だね」
「素直……!」
セーブルの耳まで赤くなる。
「ローブなら、これは魔力の消費を少し抑える。赤い布に黒糸で符を縫ってある。
こっちは冷気耐性の青いローブ。冬場や地下で楽だよ」
ハンガーのローブはどれも軽く、襟の裏に細い銀糸が縫い込まれていた。
「小物もあるよ」
小さなトレイに並ぶのは、銀糸の指輪、襟留め、小瓶。
「指輪は暴れた魔力をまとめる働き。襟留めは詠唱中の乱れを抑える。
この小瓶は、魔力を吸って色が変わる。魔力の出力練習の目安になる」
「わぁ……便利!」
「ふふ、好きなだけ見ると良い。きっと君の気に入るものがあるはずさ」
セーブルは赤いローブと白銀のローブの前で、真剣に困った顔になった。
「どっちも欲しい……」
「今日は見るだけにして、心に置いておくといい。杖も、ローブも、選ばれるのを待ってる」
「うーん……お金が溜まるまでに決めておきます!」
セーブルはそれぞれの値段をメモすると元気よく返事をしていた。
通りに戻ると、午後の日が斜めに傾き、建物の影が石畳に長く伸びていた。
風が甘い。すう、と鼻を抜ける香りの方へ、セーブルが躊躇なく曲がる。
「こっちからいい匂いする!」
白い漆喰の外壁、窓辺の花箱、鉄の細工で形づくられた百合の紋。
吊り下げ看板には手描きで《白百合亭》。扉は薄い青。取っ手は冷たい陶器。
中に入ると、床板がやわらかく鳴り、小さなベルがちりん、と澄んだ音を立てた。
壁はクリーム色、椅子は白木。テーブルは丸い大理石で、指で触るとひんやりする。
棚には絵皿、カップは薄く光って、黒いエプロンの制服がきりっと見える。
厨房の方から、焼き菓子の香りと、ミルクが温まる甘い匂いが重なって流れてきた。
壁の黒板には、色とりどりの季節メニュー。
《焼き林檎パフェ》《木苺のタルト》《蜂蜜ミルクティー》《白百合プリン》。
小さな絵が添えてあって、見るだけで甘くなる。
「どれもおいしそう……!」
「うーん……プリンも気になるけど、季節のパフェって書いてある」
「パフェにしよう! ほら、絵がきらきらしてる」
「絵で決めた……?」
「決めました!」
顔を見合わせて笑う。
「ご注文はお決まりですか?」
明るい声の店の人が、メニューをそっと受け取る。
「季節のパフェ、小さい方を一つ。半分こで」
「はい、すぐに」
カラン、とカウンターでスプーンが当たる音。
ほの甘いミルクの匂いが漂ってきて、ほどなく運ばれてきたグラスを見て、私たちは息を飲んだ。
白いクリームの上に、桃色の飴の花びら。下には果実と透明な層が幾重にも重なって、
小さな宝石箱みたいだった。
「わぁ……!」
「ねぇ、これ、絶対おいしいやつですよ」
「おいしいやつって、どれもそうじゃない?」
「でもこれは特別そう!」
二人でスプーンを差し入れる。
冷たさが舌に触れ、ふわりと甘さが広がって、果実の酸味が追いかけてくる。
口の中で溶けた甘さが、今日歩いた街の色をもう一度思い出させた。
石畳、陽の匂い、風に揺れる花、剣の光、布の手触り、銀糸のきらめき――ぜんぶ、この一口に混ざっているみたい。
「買えなかったけど、欲しいものがはっきりしました」
「うん。私は、赤いローブと杖。それから……あの指輪も」
「私は、短剣と小盾。あと、肩の楽な上衣」
「いっぱいあるねぇ」
「夢が、いっぱい」
私たちは、ふふ、と笑った。
「次の休みには、またここ来ましょうね」
「今度は……プリンにしようかな」
「じゃあ私はタルト。半分こしましょう」
「うん、約束!」
窓際の席に西陽が差し込み、カップとグラスが小さく光を弾く。
外の喧騒が少し遠くなって、代わりに、温かい時間が店の中いっぱいに満ちていく。
スプーンをもう一度掬う。――この街の光も、人の声も、全部甘い。
今日の“初めて”を、ひと口ずつ味わいながら、私たちの小さな冒険は、まだ続いていく。




