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第4話 月影の宿と、風車の灯火

 冒険者登録をしてから、まだ一日しか経っていない。

 けれど、不思議と昨日が遠く感じる。

 朝は早く起きて、パン生地を確かめ、塩をひとつまみ。火は控えめ。

 昼はお皿を洗い、布を絞って床を拭く。

 耳に入るのは、木の皿のかすかな擦れと、水のはねる音。

 ――全部、昨日までと同じ。

 それなのに、胸の奥にちいさな違いが灯っている。

 腰の革袋に入れた透明な板――冒険者のカードが、歩くたびに衣擦れに触れて鳴る。

 わたしの中でだけ聞こえる、新しい日々の合図。


「リアノン、そろそろいいよ」

 かまどの火口を見ていた私に、マルタさんが声をかけた。

「はい、もう少しで片付きます」

「レーナがやっとくから平気だよ」

「お母さん、言わないでよ〜! 山盛りなんだから!」

 奥の流しで泡だらけの手を振るレーナちゃん。

「もう、夜の波が引いたよ。ほら、客はあの子たちだけ」

 食堂をのぞくと、奥の大きな丸テーブルに四つの背中。笑い声が灯りのように揺れている。

「《風車の灯火》の連中だよ」

 赤茶の短髪にヘアバンドの盗賊――レナ。

 金の髪をひとつに束ねた弓使い――リゼット。

 祈りの姿勢が似合う僧侶――オルン。

 そして、骨つき肉にかぶりつく大柄の剣士――ガルド。

 《月影の宿》の常連で、今日は二階の角部屋に泊まっている。


「でも、まだ片付けが――」

「明日に回せる分は明日。今日は、あがっておいで」

 マルタさんは、ふふ、と笑って木べらを振る。

「顔に行きたいって沢山書いてある」

「……そんなに」

「セーブルも一緒にね。あの子たち、きっと話したがってるよ」

「行きます!」

 セーブルが包丁を置く音が、いつもより軽かった。


 食堂の灯は、夜の色に深まっている。

 他の客は帰って、温かい匂いと人の気配だけがテーブルの間に残っていた。

 私たちが近づくと、いちばん早く振り向いたのはレナさんだった。


「おっ、リアノンちゃん。お疲れ!」

「お疲れさまです。……こちら、新しく入ったセーブルです」

「は、はじめまして! セーブル・アーチ・ブランシェです!」

「はじめまして!うん、いい声。座りなよ。立ってるとパンが逃げるから」

「パンって、逃げるんですか?」

「お腹のほうへね」

 レナさんの冗談に、セーブルが「なるほど……?」と真顔でうなずく。思わず笑ってしまった。


「俺はガルド。見りゃ分かるが、剣の係!」

「リゼット。やかましいコイツらの通訳」

「オルン」

 短い自己紹介が、いつも通りなのにやさしい。

 常連の人たち――戻ってくる場所の匂いがする人たち。


 丸パンの籠と、香草で蒸した芋の皿がわたしたちの前へ滑ってくる。

 マルタさんが「おかわりだよ」と言って、顎で“座れ座れ”と促した。

 ガルドさんがパンを割り、半分を私の皿へ、もう半分をセーブルへ。

「おいしいものは独り占めしちゃいけない決まり!」

「今、作った」

 リゼットさんの針のような一言。

「人の善い決まりは、その場で作っていいんだよ」

「便利」

「理屈じゃなくて心意気!」

「はいはい」

 四人が、それぞれいつもの調子で笑う。

 胸の奥で、灯がひとつ、ぽっと点る。


「この前のスープ、よかったよ」

 レナさんが目を細めた。

「夜更けに一杯もらったやつ。塩がちょっと多かったけど、芋が救ってた」

「やっぱり、分かりました?」

「鼻は利く方だからね」

「芋は、塩の罪を吸う」

 オルンさんが真顔で言って、わたしたちは笑った。――ほんの少し、緊張がほどける。


 他愛のない話がしばらく続いた。

 街外れの石畳の割れ目に咲いたちいさな花の話。

 ガルドさんがくしゃみをして小鬼がびっくりして逃げていった話。

 レナさんが罠の残骸を“記念品”と言って持ち帰ろうとして、オルンさんに眉をひそめられた話。

 灯りに揺られる笑い声が、油の匂いと一緒に食堂の空気に溶けていく。


 言葉が喉まで上がってきた。

 昨日から胸の内側でころころ転がしていた、小さな石のような言葉。

 転がしているだけでは丸くならない。言葉は、外に出してはじめて形になる。


「――私たち、冒険者になったんです」

 テーブルの上で、一拍、音が止まった。

 パン屑が一粒、静かに落ちた気がした。

「……え?」

 ガルドさんの手が空中で止まる。リゼットさんの目がわずかに開く。

「昨日、登録して。カードも、いただきました」

 革袋から透明な板を取り出し、指先を当てる。

 内側に薄い光が走って、名前が浮かぶ。――リアノン・ハートウェル。

 セーブルも真似をして、自分の名前を灯した。


「まじか!」

 ガルドさんが椅子をきしませた。

「リアノンが……!」

「意外。でも、似合う」

 リゼットさんは、口元だけ柔らかくした。

「めでたい!」

 レナさんが手を叩く。

「最初の依頼はもう受けた?」

「薬草の採取。丘でシューメルを十束。それから――スライムに」

「ぷにぷに。出たね」

「こわかったけど、セーブルがファイアボールを当ててくれて。……わたし、剣で」

「いいねいいね~、最初に受けるには丁度いい奴だね」

 レナさんがセーブルの手元に目を落とす。

「ファイアボールは失敗すると手を焼くでしょ?火傷、してない?」

「はい。大丈夫です」

「二人無事で帰れたなら、それがいちばん」

 オルンさんの言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。


「よし!」

 ガルドさんがジョッキを掲げる。泡が縁で小さくはじけた。

「新米冒険者二人の門出に、乾杯だ!」

「子どもにお酒はダメ」

 リゼットさんが淡々と釘を刺し、レナさんが笑いながら水のコップを二つ差し出してくれた。

 木と木が軽く触れ合う音。

「生きて帰った今日に。明日も、帰ってこられますように」

 オルンさんの祈りに合わせて、喉が温かくなった。


 ガルドさんは嬉しそうに一口、そしてもう一口。

 飲むたびに、顔が少しずつ赤くなる。声も、ほんの少しずつ大きくなる。

「……ガルド、もう赤い」

 リゼットさんが横目でため息を落とす。

「だってよ、こういう日はよりうまいんだ」

「うまいのは分かる。酒に弱いのも分かってる」

「弱くない。俺は強い」

「酒に?」

「心が!」

「それは否定しない」

 レナさんがジョッキの角度をそっと戻す。

「ほら、ゆっくり飲みなよ。酒は逃げないんだから」


「新人に、ひとつだけ」

 リゼットさんがパン屑を指で払う。

「逃げる事を恥ずかしいと思わないこと」

「――はい」

「引き返す判断は、勇気のうち」

 オルンさんの声は短い。けれど重さがある。

「困ったら、まず止まる」

 レナさんが人差し指を立てる。

「走るのは、考えてから。これはね、ほんと」

「覚えます」

「素直な子は、伸びるよ」


「なあ、二人とも!」

 ガルドさんが急に身を乗り出した。顔はもうだいぶ赤い。

「お前ら、今日から冒険者。だから教える。冒険者は――気合だ!」

「はい」

「気合と……あと気合だ!」

「はい」

「それから、仲間だ!」

「はい」

「それと……あー……」

 がたん。

 額が腕に触れて、そのまま動かなくなった。

「……寝た」

 リゼットさんが淡々と診断する。

「今ので!?」

 セーブルが目を丸くした。

「お酒好きだけど弱い。顔真っ赤、声でっかい、最後はイビキ。――お約束」

 レナさんは苦笑し、食堂の隅から毛布を取り出した。

「それ、ガルドさんの為に置いてあったんですか?」

「“ガルド毛布”。常連の証」

 肩にかけると、彼の頬がふわりと緩む。

 小さなイビキが、灯の揺れに混じった。

「こうしてると、平和そのものだな」

 レナさんが髪をくしゃっと撫でる。

「戦う時は頼もしいんだよ、ほんとに」

「平和な夜に酔えるのは、贅沢」

 リゼットさんの声は、さっきより柔らかい。


「部屋、二階の角だよね」

「うん。いつもの」

 レナさんとオルンさんが、慣れた手つきでガルドさんの腕を取る。

「運ぶの、お手伝いします」

 セーブルが立ち上がり、私も後ろから椅子をよけた。

「ありがと。階段、角で一回止まるからね――止まる、大事」

「ここでも効くんですね」

「効く効く」

 笑いながら、三人でそっと持ち上げる。

 階段の途中、確かに一度止まって、呼吸を合わせた。

 毛布の端がするりと床を撫でる。宿に沁みこんだ生活の匂い。


 戻ってくると、食堂の灯は少し落ちていた。

 皿はもう空、泡も静か。

 リゼットさんが「仕込み、頑張ってね」と片手を上げ、レナさんが「また明日」と笑う。

 オルンさんは短い祈りを一つ置いて、三人は二階へ消えた。――泊まりの人たち。戻ってくる人たち。


 食堂に残った静けさは、耳にやさしかった。

 私はセーブルと顔を見合わせ、自然に頭を下げる。

「お疲れさま」

 カウンターからマルタさんが声をかけ、濡れ布巾を一枚投げてよこした。

「片付けは明日。今日はもう、いい夜だよ」

「……はい」

 胸の奥の灯を、そのまま持って帰りたくなった。


 厨房に戻る。

 まな板の木目、鉄鍋の重さ、布の手触り。

 ポケットのカードは、薄く冷たい。

 胸の革袋は、昨日のぶんの報酬で少しだけ重い。

 私は鍋のふちを木べらでそっとなでた。

「リアノンー! 洗い物終わったー!」

 レーナちゃんの元気な声が響いた。

「お疲れさまです」

「ふふ、セーブルもお疲れ! 今日もがんばったね!」

「レーナさんも、です」

「えへへ。……じゃ、おやすみ!」

 レーナちゃんは手を振り、眠たそうにあくびをしながら階段を上っていった。


「リアノン」

「はい」

「……明日も、がんばろう」

「はい。まずは朝の仕込み」

「パン、逃がさないように」

「だから、逃げませんって」

 二人で笑う。

 塩は、ひとつまみから。火は、控えめから。足は、今の靴から。

 冒険は、きっとこういうところから続いていく。


 窓の外で、風がやさしく通り過ぎた。

 どこか遠くで、風車がきしむような音がした気がして――

 私は小さくうなずいた。

 “また明日”。

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