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第10話 焦げあとを抱いて

 夕方の風は、昼より少し冷たかった。

 台所の窓から差し込む光が、鍋の縁を金色に染める。

 セーブルは棚の上のクロスを畳みながら、ちらりと私を見た。


「……そろそろ、行く?」


「うん。ギルド、今の時間なら空いてると思う」


 声は小さいけれど、昨日よりずっと落ち着いて聞こえた。

 彼女の指先がわずかに緊張で震えているのを見て、私は笑ってうなずいた。


「大丈夫。ルイスさん、怖い人じゃないよ」


「うん。……知ってる」


 彼女はそう言って、杖を両手で抱えた。

 焦げの跡が残る袖口が、夕陽の中でわずかに赤く光った。

 私は彼女の隣に立ち、宿の扉を押した。


 外は橙色に沈みかけていた。

 通りのパン屋からは、焼き菓子の甘い匂いが風に乗ってくる。

 石畳の隙間に入りこんだ光が、波のように私たちの足もとで揺れた。

 人通りはまばらで、家々の窓に灯がともりはじめている。


「……なんだか、静かだね」


「うん。昼の忙しさが終わったあとって、こういう匂いがする」


「どんな匂い?」


「……ほっとした匂い、かな」


 セーブルが小さく笑った。

 その笑みを見て、私の胸の奥が少しだけ温かくなった。


 ギルドの建物は、広場の端にある。

 木の看板に刻まれた紋章が、夕陽に照らされて淡く光っていた。

 扉を押すと、乾いた木の音と、紙とインクの匂いが混ざり合って鼻をくすぐる。


「いらっしゃい。……あら、二人とも」


 受付にいたミーナさんが顔を上げ、いつもの笑顔を見せた。

 彼女の後ろでは、書類を束ねる音と、ペンの小さな走る音がする。


「少し、ルイスさんに相談があって」


「なるほどね。ルイスなら、今ならいるわよ。ちょっと呼んでくるね」


 ミーナさんが軽く手を振り、奥の廊下へ消えていった。

 ギルドの中は、以前の喧騒が嘘みたいに静かだった。

 窓から差しこむ光が床の板を縞模様に染め、その上を埃が金色に舞っている。

 セーブルは杖を抱いたまま、小さく息を吸って吐いた。


「緊張してる?」


「……ちょっとだけ。なんて言えばいいのか、うまくまとまらなくて」


「大丈夫。ゆっくり話せば、ルイスさんが聞いてくれるから」


 そのとき、廊下の向こうから足音がした。

 柔らかな靴底が木の床を叩くたび、空気の緊張が少しずつほどけていく。


「やあ、君たちか」


 現れたのは、いつものローブを羽織ったルイスさんだった。

 肩まで伸びた銀髪が夕陽を受けて淡く光り、瞳の奥には深い青色が宿っている。

 その目が私たちを見て、ゆっくりと微笑んだ。


「さて、今日はどんな相談かな?」


 セーブルは一瞬だけ言葉を詰まらせ、それから少し俯いて答えた。


「……魔法が、うまく出ないんです」


「うん」

 ルイスさんは頷き、机の向こうを手で示した。


「座って話そう。焦らずにね」


 部屋の中は小さく、壁際に古い魔導書や杖が並んでいた。

 乾いたハーブの匂いが漂い、窓の外では風が枝を揺らしていた。

 セーブルは静かに腰を下ろし、膝の上で指を組んだ。

 ルイスさんはその向かいに座り、穏やかに問いかけた。


「最近、調子はどう? 体が重いとか、頭が痛いとかは?」


「いえ、そういうのはありません。魔力は感じるんですけど……発動の瞬間に、消えるような感じで」


「なるほど。少し見てみようか」


 ルイスさんは手を伸ばし、セーブルの手に軽く触れた。

 その瞬間、空気がふっと沈む。

 指先から淡い光が滲み、波紋のように広がっていった。

 光は静かに揺れ、やがてルイスさんの掌へ戻っていく。


「……流れはきれいだね。詰まりも滞りもない。

 特に異常があるようには感じないね」


 セーブルは視線を落としたまま、小さく頷いた。


「家でも調べてもらったことがあるんです。

 魔力の量も流れも問題ないって……でも、どうしてもうまく発動しなくて」


「そうか」

 ルイスさんは腕を組み、少しだけ考えるように目を細めた。


「今のところ、身体のほうに異常は見られない。

 けれど、何か――魔力の流れを止める“きっかけ”がある気がする。

 すぐに答えは出せないけれど、調べてみよう」


「……調べて、くださるんですか?」


「もちろん。似た例や資料を探してみて、原因の糸口を見つけよう。

 焦らずに、ひとつずつだ」


 ルイスさんの声は、まるで火を包む毛布のように柔らかかった。

 セーブルは小さく息を吐き、指先を見つめる。

 窓から差す光がその手を照らし、焦げた袖の縁を金色に染めた。


「……ありがとうございます」


「いいんだよ。後輩の悩みを解決するのは、先達の務めだからね」


 ルイスさんがそう言って微笑むと、

 セーブルの肩からわずかに力が抜けた。

 私はその隣で黙って頷き、二人を見つめていた。


 外では、夕暮れの光がゆっくりと夜の色へ溶けていく。

 窓の外の風がハーブを揺らし、かすかな香りが漂った。


 *


 ギルドを出ると、空には薄い月がかかっていた。

 石畳の上に灯が並び、風がローブの裾を揺らす。

 セーブルは杖を抱いたまま、歩きながらぽつりとつぶやいた。


「……ちゃんと調べてもらえるって、ちょっと安心した」


「うん。きっと見つかるよ。ルイスさん、頼りになるし」


「……そうだね」


 笑い声が風に混じって消えていく。

 宿の灯りが遠くに見えはじめた。

 その明かりを目で追いながら、私は言った。


「焦げるのは、頑張ってる証拠だもんね」


 セーブルが振り返って、少しだけ笑った。

 夜風が二人の髪を撫で、月の光が静かに道を照らしていた。


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