金次郎像の恋
どうも、星野紗奈です。
こちらは、「掛川百鬼紀行 第四幕」という小説とTRPGのコンテストのために、「掛川」と「妖怪」をテーマに執筆した作品です。
そして、とてもありがたいことに、戸田賞を受賞いたしました。
お知らせをいただいた時には驚きましたが、本当に嬉しい限りです。
あるコンテンツから偶然掛川を知り、実際にその土地を訪れ、その時の思い出を振り返りながらこの作品を書き上げました。
まさか約一年後に、このようにまた掛川の地を訪れる機会が巡ってくるとは、思いもしませんでした。
不思議なご縁で結んでいただき、ありがとうございます。
前置きが長くなってしまいましたが、そんな経緯で生まれた作品を、こちらで全文公開いたします。
どなた様も、お楽しみいただけますと幸いです。
それでは、どうぞ↓↓
「魂が引かれる」とは、こういうことを言うのだと思った。
私は、二宮金次郎である。しかし、二宮金次郎ではない。どういうことかと言えば、私はある像に宿ったちっぽけな魂であって、決して偉大なる先生の生まれ変わりなどではないということである。
かの先生は、報徳という思想を説いていたという。至誠、勤労、分度、推譲の四つからなるその生き方は、大変立派なものだと私も思う。私という魂が生まれたのはつい最近のことであるが、この思想については、私にとっての体であるこの像がはっきりと覚えていた。先生の教えを実直に守ろうと信じる者の心が、造形にもあらわれたのだろう。
前述したとおり、私は先生の一部を引き継いでいるが、私は決して二宮金次郎そのものにはなり得ない。私には私の見ている世界があり、人々の話から得た情報があり、私の思考というものがある。私は、ある像に宿った魂として、日々を生きているにすぎないのだ。
そこで、冒頭の一文である。私は、「魂が引かれる」という言葉を知っていた。目の前を通り過ぎていく女子学生の幾人かが、そのようなことを話していた。人々はそれを、「恋」と呼ぶらしい。
さて、彼女のことを思い返してみよう。彼女は、週に二度、決まって日が西に傾き始める頃に現れる。現れると言っても、決して私に会いに来るのが目的ではない。彼女はいつも、私の目の前を右から左へ通り過ぎて、背後の建物へと入っていく。その建物を出入りする人々は本を手にしていることが多いから、恐らく書庫か何かなのだろうと思う。日が落ちかけると、彼女も他の人々と同様に、鞄に本をしまいながら、それを重たそうに肩に掛けて歩いていく。私、いや、先生に少し似ていると思った。重い荷を背負い、決まった時間に真摯に勉学に励むその姿に、私は感心した。それが、彼女という存在を意識し始めた頃合いの記憶である。
あの頃は、まだ感心するべき人間という程度の認識であった。しかし、その後、明確に胸を貫かれる出来事があったのだ。それは、台風から数夜明けた日のことだった。あの時は大変な嵐で、外へ出て行くものは殆どいなかった。しかし、私は像である。故に、雨風をしのぐことはできない。無論、物を避けようと動くこともできない。荒れ狂う天候がようやく収まった頃には、像の表面には葉や小枝が付着し、足元にはどこから飛んできたのかもわからない湿った新聞紙が絡まっていた。身じろぎもできない私は、その現状を黙って受け入れるしかない。そう思っていた。しかし、そうではなかった。その日、いつものように目の前を通りがかった彼女は、一瞬私の視界から消えた後、数歩戻って私の姿を見つめ直した。そうして、私の足にまとわりついた新聞紙をはがした。それを丁寧に折りたたみ、取り除いた他の細々とした枝葉をその中におさめていく。全てが終わった時、彼女は満足げに頬をほころばせ、またいつものように視界の左側へと消えていった。私は途端に、日光に肌を燃やされているような感覚がした。誰一人気にしていなかった私の汚れた姿を、彼女は見とめ、動けない私に代わって整えてくれた。なんと心優しい人だろうと、私は思った。それと同時に、みっともない姿を彼女にまじまじと見られたという事実が、喉元につっかえるようにせり上がってきて、ますます太陽の温度がひりつくような気がした。それは、単に枝葉が付着していたから、という話ではない。私という魂が宿ったのは最近のことであるが、像が作られたのは私が生まれるよりずっと前のことだ。当然、物は時の流れには逆らえない。つまり、像の表面の色が均一でなかったのだ。こんなにもまじまじと見つめられるのであれば、もっと美しい姿でありたかった、と私は改善しようのない後悔に苛まれた。
孤独に勤勉を貫き、誰に言われずとも、見返りを求めずに、己の親切心から手を差し出す。このような人が傍にいれば、どれほどの幸せを享受できるだろうと思った。間違いなく、私の魂はあの日、彼女に引かれ始めたのだ。
言葉を交わせずとも、体を動かせずとも、目の前を過ぎ去る彼女をただ数秒見られるだけで、私は満足だった。元から己の境遇は理解していた。私は、二宮金次郎ではない。私は、像に宿ったちっぽけな魂である。人間ですらないのだ、私は……。
しかし、別の人間によって、私は思いがけない事実に気がついてしまった。それは彼女よりずっと幼い年頃の、少年の行動によるものだった。蝉の音が響き始めた頃だっただろうか。少年は毎日のように私のもとへとやって来た。不思議なことに、少年の目的は背後の建物ではなく、私自身らしかった。少年は私の足元で紐のようなものを広げたかと思うと、一分も経たないうちに駆け足でどこかへ去っていくのだ。この奇怪な行動の目的を知った時、私は大変驚いた。一月ほど経って、一度だけ、少年が母親らしき人物と共にやって来たことがあった。母親は少年に、毎日こんなところで何をしているのか、と怪訝そうに尋ねた。すると少年は、いつものように紐を伸ばしながら、こうやって測っているんだ、と言った。母親が何をと聞き返せば、少年は楽しそうに、動いているから、と言った。そう、少年は、私が動いている、と言ったのだ。私は全く身に覚えがなかった。少年は続けて、母親に事細かに計測の記録を説明した。私の足の下に作られた丸い地面が、立方体の台座の天面、つまり正方形の中心から、毎日数ミリずつ道路の方に近寄っている。それをまとめて、何かの研究課題として提出するらしい。やがて、呆れるように息をついた母親と、それに対し躍起になる子どもが、私の傍を離れていった。
私は、大変なことが起きていると思った。「魂が引かれる」とは言ったものの、まさか本当に自分自身が動いているとは思いもしなかった。彼女に目を奪われている間、私の魂は少しでも彼女に近づきたいと言わんばかりに、この重たい像を引きずって動かしていたらしい。しかし、毎日ほんの少しずつ動いたところで、私の体が自由に動くわけではないのだから、本当の願いは叶うはずもない。中途半端な奇跡は、私を苦しめるばかりだった。
私は、像に宿ったちっぽけな魂である。もとより、一人の人間と生涯を共にできるとは思っていない。しかし、胸の内で確かに燻るこの想いを抱え続ける苦しみは、きっと人間が「恋」と呼ぶそれに匹敵するものだろうと思った。それでも、私は像として、ここでじっと佇む以外の選択肢はなかった。
像の表面で照り返された熱が、目の前の空気を不規則に歪める。そんな青天が続いたある日、目の前を観光客らしき数人の団体が通り過ぎて行った。そこで二つ、気になる話があった。一つは、彼らは私の方を見て、さっきと同じ像だ、と言ったのだ。私は、私の他に、同じ二宮金次郎の像があることを知らなかった。何度も繰り返すが、私は二宮金次郎の像に宿った魂である。すると、もし付近に同じ像が存在するのであれば、魂の移動ができるのではないだろうか、と私は思った。馬鹿げた推測だと笑われても仕方がない。しかし、動けない私にとって、見る世界の変わることは、どれだけ眩しい光であったかを想像してもらいたい。もう一つは、さっきと違う像だ、という発言だ。もう少し具体的に言えば、私より年老いた二宮金次郎の像がある、と彼らは話していたのだ。これは、私に直接的な利をもたらすものではない。しかし、廃れていくとはいえ老いることはない像である私にとって、老化というものに関心を抱くのは容易いことだった。私は年老いた二宮金次郎の像を是非とも目にしてみたいと思った。
目を閉じて、意識を探る。すると、五感に含まれない未知の感性が、蛍のような光を感じ取った。同じ姿の二宮金次郎像は、案外直ぐに見つかった。誰に教えられたわけでもないが、魂の移動には特段代償も必要ないようだ。彼女という存在に思い焦がれてばかりの現状において、新たな世界との出会いは良い刺激になるに違いない。私は躊躇うことなく、もう一つの二宮金次郎像への移動を試みた。
数秒か、数時間か。暫くして、視界が明瞭になる。左右には木造の建築が佇んでおり、正面には立派な正門があった。そこから右に、木でできた目隠しの塀のようなものが見える。それは大変見覚えのあるもので、その先の大きな屋根が、常に私の背後にあったあの書庫なのだろうと直ぐに分かった。視界の奥行きが前より遠く、ひどく新鮮な気持ちである。しかし、直ぐに彼女の姿が脳裏に浮かぶ。ここでは、正門以外からは、彼女の通ってくる道が見えない。さらに、その正門ですら、以前のように少し動いた程度ではちっとも近づかないような距離にあった。そう理解した途端、日差しのあたたかさが魂に届かなくなってしまったような気がした。
しばらく視界の隅々を観察していると、ふと右の木の枝の隙間から、私以外の像が見えるのに気がついた。いや、正確にはあれも私の像なのだろう。噂に聞く、年老いた二宮金次郎の像である。しかし、この場所からでは、像があるということしか分からない。木に阻まれて、像の大半の部分が見えないのだ。年老いた二宮金次郎は、私は、一体どのような姿をしているのだろうか。私は、私自身の姿すらほとんど分からないままに生きてきた。もし、もし年老いた私の姿を見れば、私の生き方は変わるのだろうか。もし彼女がこれを見ているのだとすれば、私がもう一つの私の姿を知ることは、彼女と同じ世界を共有することに一歩近づくのではないだろうか。年老いた私の姿は、彼女の隣に立つための希望を隠し持っているのではないか。
私は、意志を持って台座を動かした。あの少年が測っていたのと同じくらいずつ、数日かけて、密かに年老いた私の姿を追い求めた。そうして一週間ほど経って、枝の別れる丁度隙間から、私はいよいよ年老いた二宮金次郎像を見ることができたのだった。
遠く離れた場所に立ち尽くすその人は、表情こそ細かく見えなかったが、ひどく穏やかな空気を纏っているように思えた。袴姿で優しく鍬を差し出すその姿に、これが偉大なる先生か、と深く納得した。感銘を受けた、とも言えるのかもしれない。同時に、自分を卑下する気持ちが芽生えたことも事実である。私は、二宮金次郎ではない。あくまで私は、像に宿った魂である。しかし、私が生きた暁には、こういう人間になっていくはずだったのだ。努力した者と向き合い、称え、背を押す。彼は世を、万人の幸せを考えていたのではないだろうか。今の私のように、私欲に塗れ、一人の女性に目を奪われることなど、なかったのではないだろうか。それでは、私の生き方は、なんだというのだろうか。確かに、私には私の見ている世界があり、人々の話から得た情報があり、私の思考というものがある。私は、ある像に宿った魂として、日々を生きている。もしかすると、これは、間違っているのだろうか。
あれから、私は、元の書庫に近い方の像の中へと戻った。そして、毎日少しずつ退き、先日ようやく正方形の中心に位置することができた。毎日計測にやって来ていた少年は、私が別の像で奮闘している間にも活動を継続していたらしく、しばらく止まったと思ったら戻ってしまった、と非常に残念がっていた。少々申し訳ないことをしたように思うが、先生であればきっと、己の欲よりも人間の理を守ることを優先しただろう。
日が傾き始め、しばらくぶりに彼女が目の前を通り過ぎていくのを見た。長髪が靡く。睫毛が揺れる。その隙間から覗いた瞳が、私の魂をいとも簡単に刺した。唇がきゅっと動いたような気がした。やがて顔が見えなくなって、残された影が彼女を追いかけるようにして消える。たった数秒間の映像が愛おしくてたまらなかった。この先、あと何回彼女を見送ることになるのだろう。繰り返せば繰り返すほど、肌に焼き印を押し直され、ますます直ぐ傍で生きる彼女の痕跡が色濃く、はっきりとしていくような気持ちだった。思わず前のめりになりそうな心を戒め、鎮める。私は、二宮金次郎ではない。私は、ある像に宿ったちっぽけな魂に過ぎないのだ。人間でない私に、彼女との距離を縮める方法は、存在しない。しては、いけないのだ。この痛みと共に、私は、これから紡がれていく長い長い時間を過ごしていくことに決めた。理由は至極当然で、私が二宮金次郎の像だからである。
しかし、ただ一つ、最後に溢してもよいのであれば……。
雨が降らなければ、涙を流すふりもできない。この体は、この魂は、なんと不自由なのだろう。そう、私は思った。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!




