第八話 遠征
目の前には何人もの負傷した兵士。腕や脚からは血が流れ出ている。その傍らに跪く一人の女性。その指には黄色い石の指輪が見えた。目を瞑り、負傷した兵士に手をかざすと、次第に傷が塞がっていく。兵士は何事も無かったかのように立ち上がり、天幕から出て行った。兵士とは反対に、彼女は立ち上がることもままならない様子だった。青い左目がくすんで見える。ふらふらとおぼつかない足取りで、次の兵士の元へ向かう。額に浮かぶ汗が流れ落ち、地面を濡らした瞬間、辺りは暗闇に包まれた。
ゆっくりと目を開き立ち上がる。また夢か。ミルはまだ眠っている様子だった。静かに歩き、鞄の中から水袋を取り出して喉を潤す。
「おはよう」
ミルが目を擦りながら体を起こした。
「ごめん、起こしたかな」
「大丈夫。ベッドが気持ちよすぎて寝すぎたくらいだ」
「飲むかい」
「ん、ありがとう」
彼女に水袋を渡し、水を飲み終えたところで扉が叩かれた。
「はい」
扉を開くとミイネさんの姿があった。
「おはようセキ君、ミル君。早速で悪いけど支度を整えて、私に付いて来てもらえるかな」
言われるがまま、僕とミルは部屋を出た。通路は城内へと続いているらしい。僕たちは彼女の後ろを歩き、しばらく進むと長い階段を上った。次第に日の光が届き始め、一番上まで行くと正面には緑豊かな庭園が広がっていた。庭園を囲むように伸びる通路の途中に立つ一人の青年。ミイネさんは彼の前で足を止め、頭を下げる。
「連れてまいりました」
「その者達か」
「はい。エイギス様」
「父上から許可が下りた。早速その者たちも連れ、ラグナ村へと向かってくれ」
そう言うと彼は小さな箱を彼女へと渡し、僕たちの前から立ち去った。ミイネさんが口を開く。
「彼は第一王子のエイギス様、会うことがあれば不遜な態度には気を付けてね。それからミル君にこれを」
彼女は渡された木箱を開け、中に入っていた指輪をミルに渡す。
「国王様から許可が下りたわ。その指輪はあなたの物よ。その代わり、あなたたちは二人とも私の騎士団に加わることになったのだけど、受け入れてくれるかしら」
「僕もですか」
驚いた。騎士団に入ることが嫌なわけでは無いが、僕が戦力になり得るはずがない。何度か見かけた重厚な鎧の兵士。そんな物を着ては満足に動けない可能性もある。
「ミル君を騎士団に入れることが条件だったから、主人のセキ君も一緒の方がいいと思ったのだけど。嫌だったかしら」
「そうでは無いですが。僕に出来ることなんて無いと思いまして」
「体力に自信が無いのね。大丈夫、あなたには武器や食料を運ぶ後方部隊に所属してもらうつもりよ。現地に着いてからも主にみんなで協力して仕事をこなしてもらう予定だから。それなら出来そうかしら」
「それであればお役にたてるかと思います」
「では決まりね。すでに準備が進められているから、二人も加わってもらえるかしら」
「わかりました」
僕とミルは別々の部隊ということで、そこで別れた。僕は案内されるまま城内を歩き、門から外に出る。城前広場には荷台付きの馬車が並んでいて、兵士が物資を積み込んでいた。僕もその中に加わり、積み込みを始めた。水の入った樽を二人がかりで持ち上げ、荷台の上の兵士に渡す。
一通り積み終わると、僕は食糧を積んだ荷台に乗るように言われた。荷が崩れないように見張ることが仕事らしい。支給された簡素な鎧を身に着け、共に乗り込んだ兵士と二人で荷台の後ろに座った。しばらくして馬車が動き出す。
向かいの兵士は、立派な髭を携えている。鎧の隙間から見える体には、多くの傷跡がある。長らく戦場で戦ってきた跡だろうか。
「新入り君か。名前は」
兵士が口を開く。
「トーキ・セキです。よろしくお願いします」
「俺はコール。こう見えて後方部隊長なんだが、そうかしこまらなくていい。目的地まではまだまだ掛かる。気楽に行こうぜ」
部隊長と言われ少し戸惑ったが、とても気さくそうな人だった。
「騎士団に入ってもう長いんですか」
「そうだな、長い方かもしれない。脚をやっちまって前線からは退いたがな」
「僕たちはこのまま馬車で進むのですか」
「ああ、とりあえずはこのまま進んで、野営地を目指す。外を見れば分かるが、荷馬車にはそれぞれ護衛隊が付いているから安心しな」
荷馬車を覆う布をめくり、外を見ると、馬に乗った兵士が馬車の周りを走っていた。後ろに続く馬車も同じ様子だった。
「この馬車には食糧と一緒に水樽も載せてあるんだが、部隊長の中にリンバルって奴がいてな。あいつの水分操作の力を使うには自分の水分が必要なんだ。たまにミイネ団長も水は使ったりするが。ようは馬車の中でもここは、ある意味一番重要って事だ。そこは肝に銘じといてくれ」
「わかりました」
僕たちは他愛もない会話を続けた。目的地へ向け馬車は進んでいく。日が落ちかかった頃、野営地に到着した。整備された広い場所にいくつかの天幕を張り、その周りに明かりが灯される。僕たちは荷台から食料を下ろし、調理場へ運ぶ。
「じゃあセキは残った食糧を数えておいてもらえるか。俺は調理を手伝うからよ」
「わかりました」
僕は馬車へと戻り、残った食糧を紙に記していく。
作業を終えた頃、二人分の食事を器用に持ちながらコール隊長が近付いてきた。独特な歩き方。傷のせいだろうか。
「お疲れさん。飯食おうぜ」
僕らは馬車の隣に腰を下ろした。食欲をそそる香りが鼻を抜ける。
「いただきます」
猪の肉と温かいスープ。足りなければパンも貰えるらしい。僕には十分だったので、それらを食べ終えると、割り当てられた天幕へ向かった。五人一組で、外にはたき火が焚かれている。交互に睡眠をとり、一人がここで夜番を行う。僕は五番目ということで、先に休ませてもらった。地面の冷たさが体を冷やし、中々眠りにつくことが出来なかった。
夜番の兵士に起こされ、目を開ける。眠い目を擦りながらたき火に向かった。外はまだ暗い。毛皮を羽織ると、たき火のおかげもあり、寒さはいくらか和らいだ。日の出とともに兵士たちは続々と起きはじめ、出発の準備を進めた。隊列を組み、馬車は走り出す。
何事も無く騎士団は進み続け、昼頃には、目的地であるラグナ村へ到着した。村の北側には草原地帯が広がっていた。村の入り口に兵士が集められ、整列した騎士団の前にミイネ団長が立つ。
「まずは遠征ご苦労様。今回の任務は、ランセイス連合との国境に砦を建設する事と、駐屯兵の居住区の設営になる。それぞれの部隊長に役割は伝えてあるから、その指示に従うように」
彼女の話が終わると、部隊ごとに人が集められた。この日僕たちに与えられた仕事は野営地の設営。到着までに二度行った作業だけに、手際よく進められた。半日で騎士団全員分の天幕を準備することが出来た。
村の人が作ってくれた食事を食べていると、ミルが声をかけてきた。
「お疲れさん」
「お疲れさま。ミルの部隊は何をしていたの」
「おれたちは国境付近で、砦を建設している兵士の護衛。特にすることも無いから暇だったよ」
ミルは欠伸交じりに答えた。
「ミルたちが暇なことは良いことでしょ」
「そうだけどな。セキは何してたんだ」
「とりあえず今日は野営地の設営で、明日からは駐屯兵の為の家を建てる手伝いだって。建設は村の職人さんがするらしいよ」
「そっか。無理すんなよ。お前体力無さそうだし」
「出来る限り頑張るよ。そういえば指輪の力は使えるようになったの」
「ああ、だいぶ馴染んできた。こうやって目を瞑ると遠くの音とかも……」
ミルは急に黙り込み、表情を曇らせる。
「まずいことになった」
目を開いた彼女は小さく呟いた。
「どうしたの。何か聞えたの」
「大勢の足音が北から聞こえる」
「北って、国境がある方角だよね」
「ああ、とにかく急いで団長に報告しないと」
「僕も行くよ」
ここで変に騒いでも混乱が広がるだけだ。僕はミルと共に団長の元へ向かうことにした。
団長の居る天幕に行き、護衛の兵士に急ぎで伝えたいことがあると話すと中へ入れてくれた。
「どうしたの、そんなに慌てて」
ミイネ団長は驚いた様子で口を開いた。ミルが事情を説明する。
「ランセイス連合がこちらに向けて進軍しているかもしれない。北から大勢の足音が聞えた」
「そう。思っていたよりも早かったわね。距離は分かるかしら」
「正確には分からないけど、近くはないと思う。数はこっちと同じくらいかも」
「密偵からの報告で、連合が軍備を整えていることは分かっていたけど。まさかこんなにも早く兵を動かすとはね」
団長は天幕から出ると、兵士に指示を飛ばす。
「連合の進軍を確認した。早馬を出して国王様に報告を。それから北の国境へ斥候を向かわせて。なるべく他の兵にはまだ情報を伏せておくように。これから軍議を行います。部隊長を集めて」
「わかりました」
指示を聞いた兵士は足早に駆けていった。
「僕たちは何をしたらいいですか」
「君たちも軍議に参加して。特にミルの耳は近くに置いておきたい」