第六話 祈り
これはいったいどういうことだろう。透明だったはずの石が何故か黄色い輝きを放つようになってしまった。
「大丈夫……だよな」
ミルが心配そうにつぶやく。
「大丈夫さ……多分」
壊れてしまったわけでは無い。きっと大丈夫だ。自分に言い聞かせながら、僕はそっと蓋を閉じた。
「よし、国境兵に届けるぞ」
「お前、無理に明るく振る舞ってないか」
「そんなことはないよ」
思いがけない所で目的としていた黄色い石に出会う。だが何かを思い出すことは無かった。何よりまずはこれを届けなくては。小高い丘を越えると、街道が見えた。日も傾き始め、遠くに見えるあの森は、いっそう不気味さを増していた。もしまたデメルギア王国に戻ることが在ったら、あの森は迂回しようと心に決めた。
「どうするミル。もうすぐ日も落ちるよ。このまま歩き続けても国境につく前に辺りは真っ暗だ」
僕は地図を確認しながら言う。
「進むしかないだろう。あいつがまた襲ってくるかもしれない。夜に奴に襲われれば逃げ場はないぞ。ちょっとそれ貸せ」
半ば強引に僕から地図を奪い取ると、どこから拾ってきたのか、太い木の枝の先端に巻き付け始めた。
「何をするつもり」
「明かりが無きゃ進めないだろう」
そう言うと、ミルは腰に付けた袋から小瓶を取り出し、中の液体を巻き付けた地図にかけ始めた。慌てて鞄から毛皮を取り出す。
「ちょっと待って、毛皮があるから……」
「それはお前が着ていろ。おれはこの火があるから平気だ」
僕が止める間もなく、火打石を油のしみ込んだ地図に向かって打ち始めた。瞬く間に火が起こる。
「ああ、僕の地図が」
「いいだろう。行く場所は決まっているし道も分かる。他に何が足りないって言うんだ」
「その先はどうするんだよ」
「道なりに進んでいけば何かしらあるだろうさ。それとも何か、ここで一夜を明かすか。起きたら頭も腕も無いかもしれないな。まあ地図よりは安いもんってか」
「わかったよ。もういい」
本当に彼女に護衛を任せても大丈夫だろうか。少し心配になりながら僕は歩みを進めた。
時の流れを感じにくい夜に、目的地の見えない暗闇を歩き続けるのは、想像以上に疲労が溜まった。疲れで頭がぼうっとしてくる。乾燥肉を噛んで何とか意識を保つ。日が落ちると一気に気温は下がった。加えて、遮るものが無いのか時折強い風が吹く。その度にミルは身体で風を遮り、火が消えないように歩いていた。そんなちっぽけな火一つでこの寒さを耐えられるわけがない。僕は毛皮をミルの肩にかけ、火の付いた木に手を伸ばす。
「変わろう」
「おれは大丈夫だ。なんたって護衛だからな」
「もしもの時のためにその命は残しておいてくれ」
「お前、おれを餌にして逃げるつもりだな」
強引にミルの手から火を奪う。不服そうな顔でミルは毛皮にくるまった。強がりは程々にしてもらいたい。既に僕の口はかたかたと震え始めていた。ほんの僅かばかりの後悔を頭の隅に追いやり、僕は歩き続けた。
「明かりだ」
ミルが遠くに見える明かりを見つけて、歓喜の声を漏らす。僕らは歩く速度を上げ、明かりの元へ急いだ。明かりの方角の空は塗りつぶされたように星が消えていた。高い壁に空が仕切られているのだと解る。明かりは壁の下に二つ見え、そこがおそらく出入り口だろう。近付くと、馬車が二台ほど並んで通れそうな大きさの隙間が、格子状の扉で塞がれていた。付近に人影は見えない。
「誰かいませんか」
ミルが格子に手をかけながら壁の向こう側へ言葉を運ぶ。よく見ると国境兵の為の物だろうか、それほど大きくない家屋に明かりがともっているのが見える。
「誰か。ここを開けてください」
僕も一緒に声をかけると、反対側の格子扉が開けられ、松明を手に近付いてくる兵士の姿が見えた。兵士は僕たちに近付くと、眉間に皺を寄せた。
「日暮れ以降の入国は禁止されているだろう。何をしている」
「これには深い訳がありまして」
僕は扉越しに、今日起こった事の顛末を話した。箱を預かった時の事までだが。信じてもらえたのか、扉は快く開かれた。
「そんなことがあったとはな。とりあえず我々の宿舎に行こう」
宿舎へと案内された僕らは、部屋に入るなり暖炉へと走り、体を温めた。もう一人の兵士が階段上から降りてくる。
「それで、護送中だったという物は」
「これです」
僕は恐る恐る小箱を机の上に置いた。兵士は蓋を開けて中身を確認すると、怪訝な顔をする。
「ここを通す時は透明な幻石だったと思うのだが」
「それはですね……」
正直に幻石に起こった事を話した。すると兵士はおもむろに立ち上がる。
「物が物だけに、すまないが交代の兵士が来るまでここで待っていてもらえるかな。その後一緒にネイブロス王国城まで来てもらうよ」
牢屋に繋がれることも覚悟していた。ただ、黄色い石に夢で見た透明な石。夢の理由や自分の過去が知れるかもしれない、またとない機会だ。僕はおとなしく王国兵の到着を待った。隣ではミルが床に座ったままぐっすりと眠っていた。やはりただの子どもにしか見えなかった。
窓の外がかすかに明るくなってきた頃、交代の兵士が到着した。ミルを起こし、兵士の後について家を出る。
「後ろに乗ってもらえるかな」
荷台付きの馬車に乗るよう言われ、もう一人の兵士と共に僕たちは荷台へ乗り込んだ。上部は天幕に覆われている。荷台前方に取り付けられた座席に座ると、馬車は動き出した。心地よい揺れのせいか睡魔に襲われた。さすがにここで眠るのはよくないか。閉じそうになる瞼を必死に擦りながら到着を待った。
外から聞こえてくる会話の内容から、二つほど街を抜けた事が解る。日は傾き始めていた。しばらく走った所で馬車は止まった。言われるがまま降りると、馬車の前には数名の兵士が立っていた。国境兵と同じ鎧を身にまとった兵士の中に、他とは雰囲気の違う人がいることに気付く。茶色みのかかる長い髪が特徴的な女性。国境兵は彼女に幻石の入った小箱を渡すと、事の顛末を話し始めた。
すべて聞き終えた女性は、僕たちへと声をかける。
「私はネイブロス王国ミイネ騎士団団長のミイネよ。今回は大変な目にあったようだね。王城でもう少し詳しい話を聞かせてもらえるかな」
僕たちに断る理由も権利も無い。素直に頷く。
「ありがとう。デメルギア王国には新しい幻石を手配しておくから心配しないでね。王城へは街の裏手から入らせてもらうわ。君たちを連れて街の中を歩くと、変な想像をする者もいかねないからね」
王国兵に囲まれて歩く見知らぬ人間を見て、不審に思わない人はいないだろう。王城のあるこの街で過ごし難くなるのは旅の上では都合が悪い。配慮はありがたかった。
「では行きましょうか。誰か、二人を馬の後ろに乗せてあげて」
彼女は馬に飛び乗ると、兵士に指示を出した。後ろに乗るように言われ、ミルと僕はそれぞれ馬に跨った。街の周囲をぐるりと回り城の裏手に向かう。街は周囲を石の壁に覆われていた。石壁に沿って進むと裏手には湖が広がっていた。湖と街の間にはいくつかの木製の小屋が建てられている。馬を管理している場所だろうか、僕たちはそこで馬を降りた。僕とミルは女性に続いて石壁の中へと入っていく。明かりは壁に差し込まれた松明のみで、中は薄暗かった。通路は奥の方まで続いている。何度か角を曲がり、階段を上がるといくつかの扉が目に入った。女性はそのうちの一つを開き、中へと通される。
「こん所で悪けど、座ってもらってもいいかしら」
中は居住空間が広がっていた。おそらく城で働く者達の住む場所なのだろう。僕たちは丸机を囲むよう置かれている椅子に掛けた。
「まずは幻石についてだけど、この箱を開けた時は透明な幻石だった。そうだね」
「はい。僕と彼女で蓋を開けて確認した時は透明でした」
「その後に輝き出して色が付いたと。ちなみに二人は神の石を持っているのかな」
「僕たちはどちらも持っていないです」
「そうなると不思議な話ね。もし十三従神以上の指輪を持っていたのなら、突発的な分神の発生の可能性も考えられるのだけど。まさか二人のどちらかに十三従神以上の力があるということかしら」
「どういう事ですか」
「神の石はその多くが指輪のまま見つかるの。でもごく稀に幻石が突然輝き出して神の石に変わることがある。それはその神に選ばれた人間の近くで起こるとされているわ。詳しいことは分かっていないのだけれど。その場合この石は十三従神以上の神の石ということになるわね。二人のうちどちらかの」
「その場合僕たちはどうなりますか」
「神の石は国家が厳重に管理することになっているの。十三従神以上の石であれば所有者も国に管理させてもらうわ。五大祖神の可能性は、その多くがすでに発見されているから無いとしても、さすがに力は巨大だからね。野放しには出来ないの。分かってもらえると嬉しいわ。あと二人には今から、この石に触れた状態で祈りを捧げてほしい。どちらがこの神の依り子なのか、はっきりさせるためにね」
そう言うと女性は祝詞と呼ばれる、祈りの言葉を教えてくれた。メーテリアさんが使っていた言葉が脳裏によぎる。僕たちは神の石に触れ、祈りの言葉捧げた。
「祓い給え、清め給え」