第五話 旅立ち
頭上から真っすぐに伸びる光。その光は目の前に置かれた丸い台座の上に差し込んでいた。台座の上には四つの指輪。透き通った、色の無い石がはめられている。そのうちの一つを手に取り、振り返る。そこには片膝をつき、頭を下げる四人の姿があった。皆左手をこちら側へと伸ばしている。その指へ丁寧に指輪をはめる。透明な石は眩い光を放ち、鮮やかな青の石へと変わった。その輝きは次第に強まり、視界を青く染める。強い光に驚き、僕は身体を起こした。窓から日の光が差し込み、僕の顔を照らしていた。夜明けとともに出発しようと思っていたのに。少し眠りすぎたみたいだ。机の上の鞄を手に取ると宿屋を後にした。
宿屋の裏の井戸から水袋に水を注ぐ。国境までの道にいくつかの川が在るようだったので水には困らなそうだった。その口を閉じると、鞄に仕舞った。記憶を取り戻したらまた戻ってくると誓い、西の入り口から街を後にした。
日の光が高くなるにつれ、歩みを進める脚に力が入らなくなる。どうやら僕にはあまり体力が無いらしい。鞄から水袋を取り出し、喉を潤す。どのくらい進んだだろうか、振り返ってももう街は見えなかった。街道ではたまに行商人だろうか、荷を引く馬車とすれ違う。羨ましい気持ちはあった。馬を使うことも考えたが、どうやら馬は借りるのではなく購入し、行き先や使用後にまた商人に買い取ってもらうらしい。聞いたところ差額はそこまで大きくないとの事だったが、そもそも買う金が足りなかった。歩くと決めたのだ、今更そんなことを考えてどうなる。自らを鼓舞しながら歩みを進めた。
しばらく歩くと、森が見えてきた。地図の上では森は分断されていたが、どうやらわかりやすく描いていただけみたいだ。街道の両脇に背の高い木々が立ち並び、日の光は遮られていた。木陰に入り休みを入れよう。腰を下ろして鞄の中から地図を取り出す。森を抜けたあたりで日が暮れそうだ。水はまだある。乾燥肉を一切れ咥え、歩き始めた。
木漏れ日の射す街道を中頃まで進んだ時、明らかに他とは違う馬車が向かって来ていることに気付く。これまですれ違ったどの行商人とも違い、馬を操る者はおろか、馬にまで装甲が施されていた。どれほど重要な荷が載せられているのだろうか。そんなことを考えていると、道外れの森の中から数人の人影が現れた。人影は馬車の通り道に入り、頭の上に何かを掲げている。陰になっていてよく見えない。それでも馬車は速度を緩めることなく進んでいった。
「危ない」
声は間に合わず人影が馬とぶつかる。人影は弾き飛ばされ、同時にけたたましいいななきが響き渡った。装甲の間を縫うように、頭に短刀を付き立てられた馬は、血を流しながら倒れた。
異様な状況に僕はすぐさま森の中へ隠れる。弾き飛ばされた者は何事も無かったかのように立ち上がった。馬を失った馬車の中から兵士が現れ、馬を操っていた者を含めた三人は剣を抜き、人影と対峙した。人影は森の中から次々と現れ、短刀を手にゆっくりと兵士へと近付く。兵士は慣れた手つきでその腕を剣で払う。骨に当たったのか甲高い音と共にぼとりと腕が落ちた。だがそんなことも意に介さず、残った手で落ちた腕から短刀を拾い上げる人のような者。異質な光景に兵士の顔が歪む。再度切りかかり、今度は首をはねた。血も流さず、首から上を無くした人のような者はそれでも歩き続ける。
おびえた声を出す兵士はやみくもに剣を振り、辺りに人のような者の一部が転がるが、次第に追い詰められ、数人のその者たちに押し倒された。兵士の喉元に短刀が付き立てられる。声にならない声がこだました。
残った兵士は小さな箱のような物を大事そうに抱え、来た道を戻り始めた。だが森の中からぞろぞろと現れる人のような者達に行く手を遮られ、もう一人の兵士も短刀を付き立てられ動かなくなった。
僕もどうにかこの場から逃げる手段を考えなくては。武器を持った兵士があっという間にやられ、首が無くても動き続ける異質な何か。全身から熱が無くなっていく感覚に襲われる。死が目の前にある。元来た道を走り城下へ戻るか。幸い奴らの歩みは遅い。走ればどうにか、と考えたが体力が持つとは思えなかった。この場でやり過ごすか。街道に出れば見つかる可能性が高い。ならば暗い森の中を進むか。そもそも奴らは森の中から現れた。安全な保障は無い。どうするべきかと、兵士を追いかける人のような者に再度目を向けると、違和感を覚える。真っすぐ追う者もいればふらふらと道をそれる者もいた。その足元を見て気が付く。人のような者は明らかに木漏れ日を避けていた。
「日の光に向かって走るんだ」
僕は飛び出していた。なるべく木漏れ日の多い道を通りながら兵士の元へ駆け寄る。
「奴らは日の光を避けている。今ならまだ日の出ているうちに森を抜けられるはずだ。とにかく走ろう」
どちらに進むのがより近いか、など考えている暇は無かった。とにかく今は森を抜けることだけ考えよう。力を振り絞り、脚を進める。だが次第に兵士との距離が開いていく。無理もない、あれだけの鎧を着込んでいるのだ。外している暇は無い。僕は兵士の元に戻り背中を押すように走った。
「もう無理だ。これを国境兵まで頼む」
兵士はそう言うと小さな箱を差し出した。
「諦めないで。とにかく走りましょう」
「民間人を守るのが我々の務め。守られてはネイブロス王国兵の名折れだ」
兵士は歩みを止め、人のような者に向き直った。
「これを持って走ってくれ。頼む」
「……わかりました」
差し出す手を拒むことは出来なかった。箱を受け取る。声を上げながら斬りかかる兵士に背を向け、走り始めた。
どのくらい走っただろうか。口の中は渇き、脚がもつれ転びそうになるのを耐えながら、光を目指す。しばらく進んだ所で振り返ると、僕を追う者の姿は見えなかった。逃げきれたか。膝に手をつき、肩で息をする。だが顔を上げた僕は絶望した。左右の森からぞろぞろと人のような者が現れた。
「嘘だろ……」
迫る恐怖に僕の足は動かなくなっていた。
「その箱を渡せば、生きて返してあげますよ。そうします」
迫りくる人影の中から声が聞えてきた。黒い服を身にまとう白髪の男。その布は足元まで伸びている。男が手を空に掲げると、人のような者たちの歩みが止まった。その指には指輪がはめられている。薄暗いせいなのか、石は黒く見える。
「それは出来ない」
「どうしてだい。君は巻き込まれただけの人のはず。それを守る理由が無いじゃないか。そうだよ、無いよね」
どうしても渡す気にはなれなかった。名前も知らない兵士が命と引き換えに僕に託したからか、男の言葉を信用できないからか、理由はわからないが、渡すことを明らかに拒む自分がいた。
「じゃあ、奪うしかないね。うん、そうするしかない」
男は手を振り下ろした。人のような者が動き始める。短刀を構え、僕の目の前まで歩みを進めた時、頭上から眩い光が降り注いだ。人のような者の足が止まる。
「こっちから最短で森を抜けられる」
光の方から声が聞えてきた。女性の声。目を向けるが、逆光で姿は確認できなかった。木の枝を切って光を作ったのか。光の元を見て理解する。声は森の中から何度も上げられ、僕はその方向へと走った。
「もう少しだ、がんばれ」
声に従い力を振り絞る。すると次第に木々が少なくなっていった。日の光も十分届いている。
「ここまで来れば大丈夫だろう」
声の主はそう言うと、木の上から降りてきた。見覚えのある少女の姿に驚く。
「君はあの時の」
「話は後だ」
少女は森の奥に目を向けたまま、険しい表情を浮かべる。視線の先には黒服の男が立っていた。
「どうやら鬼ごっこはぼく達の負けのようだね。残念だ。負けです」
光と影の境で歩みを止める何体もの人のような者。一歩前に出て光を浴びる男。
「君たちの想像通り、ここがぼく達との境界。そちら側では二対一になるのでね、その石は諦める事にするよ。そうします」
男は不敵な笑みを浮かべる。指には確かに黒い石の指輪がはめられていた。
「ぼくの名前はジョーク。君たちの名前を聞かせてくれないか。教えてください」
「セキ」
「ミルだ」
「そうですか。名は体を表し心を写す。名体不離。くれぐれもぼく達の名をお忘れ無きよう。お願いしますね」
そう言うと、男と人のような者は森の中に消えていった。
「ありがとう。助かったよ」
僕は緊張の糸が切れ、その場にへたり込んだ。
「君は確か野盗の仲間の」
言いかけたところで、少女は僕よりも更に低い姿勢になり頭を下げた。
「すまなかった。兄貴の為とはいえ、お前の村に酷いことをした」
「正確には僕の村では無いけどね。お兄さんは大丈夫だったの」
「だめだった。あの後兄貴の所に戻ったけど、その時にはもう……。返したところで許されるとは思ってないが、盗んだ薬と食料は村に置いてきた」
「どうしてこんな所に居たの」
「居場所も無くなったからな。国を出ようと思って」
「そんなに幼いのに一人で」
「悪いがこう見えて、歳はお前とそんなに変わらないと思うぞ。食い物に困ったことのない人には理解出来ないかもしれないが」
彼女には彼女の過去があるのか。野盗としてしか生きられず、兄を失った過去を、過去の無い僕が想像するのはおこがましいのかもしれない。
「よかったら僕の護衛を頼めないかな」
あの夜、ほかの野盗と一緒に捕まっていないところを見ると、彼女はあの後すぐに兄の元に引き返したのだろう。村を襲ったことは許せないし、もしかしたらこれまでも似たようなことをしていたのかもしれない。だが、していない可能性もある。それは僕には分からない。自分の過去も分からないのにそれを棚に上げ、彼女を王国兵に突き出すようなことはしたくなかった。
「行く当ても特に無いことだし。いいぞ、この歳まで兄貴と二人で生きてきたからな、お前みたいな甘ちゃんよりは多少腕が立つだろうよ」
彼女は両腰にぶら下げた短剣を触りながら、自信あり気に言葉を返した。言葉は頼もしいが見た目が伴わないな。僕は笑みを浮かべた。
「ところで、その箱……」
「あげないよ。これは国境兵に届ける約束だからね」
「中身だけでも見てみないか」
「盗まないよね」
「当たり前だ。今はもう野盗じゃなくてお前の護衛だろ」
確かに中身は気になる。あんな恐ろしい人に狙われているものが何なのか。命を懸けたわけだし、中を見るくらいは。箱に鍵のような物は見当たらない。上蓋を掴み、ゆっくりと持ち上げる。思いのほか簡単に蓋はとれた。二人で中を覗き込む。中には親指ほどの大きさの透明な石が入っていた。夢で見た透明な石。
「幻石だ」
ミルが声を上げる。
「分神の元になるっていうあの石のこと」
透き通るその石は、吸い込まれそうになるほど美しかった。
「これはまずい、すぐに仕舞え」
彼女は慌てた様子で蓋を持つ僕の手を掴んできた。
「そんなに慌てるほどの物なの」
「当たり前だ、分神になる石だぞ。分神そのものと言ってもいい。それを手に入れるために野盗が何をしたか知っているだろう」
確かにそうだ。僕はすぐに蓋を閉じようとした。すると突然幻石が輝き始めた。日の光を直接見たような強い光に、僕たちは目を覆った。