番外編 かつての友の意思を継いだ者
海辺に座り波の音を聞く女性。水平線から登る朝日を眺めながら、彼女は天に祈りを捧げた。
「女神様、今日も一日我々を見守りください」
彼女が毎日欠かさずに行う祈りを、村人たちは知っていた。彼女の姿を後ろから眺めながら、共に祈る男性。声をかける事はせず、彼女のその姿に小さくほほ笑む。
「あら村長さん、見ていらしたのですか」
振り返った女性が彼に声をかけた。
「気付かれてしまいましたか。しかしターナ様、そんな風に呼ばないでくださいよ。私はただ皆を連れていただけの男です。住む場所を失った私たちに知識を与え、助けてくださったのはターナ様ではないですか」
「いえ、私の力などではありません。今の暮らしがあるのは村の皆様のおかげですよ」
男性の指には彼女と同じ黄色い指輪がはめられていた。
「あなたが与えてくれたこの“知”の力は、私たちに生きる力を与えた。おかげで村を造り、こうして毎日穏やかに過ごすことが出来ています」
「それは何よりです。“積厚流光”その力は知識を積み重ねることで次の者に知識を与える事が出来ます。どうかみんなの意思を正しく繋いであげてください」
「わかりました。そうだもうすぐこの村に初めての子どもが産まれます。私の子です。どうかターナ様にその名を付けて欲しいのですが。どうでしょうか」
「私が名前を。それは責任重大ですね。分かりました。良い名を考えておきますね」
世界の端で誰からも縛られず、慎ましく暮らす村人たち。ターナはそんな彼らを見守り続けていた。自分が持つ“時”の力は、民に楽をさせるためのものではない。神の残した意思を彼女は受け継ぎ、苦しみが村を襲った時にだけ、その力を借りた。
――――
「急いでください。もうすぐ産まれます」
ターナを急かす村人の女性。朝の祈りを済ませた直後、彼女は声をかけられた。身籠った女性が産気付いたと言われ、二人は急いでその家へ向かった。
石造りの小さな家。家の中には息張る女性の必死な声が響き渡る。女性の周りには、両手を合わせ祈り続ける父親と、彼女の出産を助ける村人たち。その他の村人たちも彼らの家の周りで祈りを捧げ続けた。
しばらくして、村に赤子の声がこだまする。
「産まれましたよ。男の子です」
赤子を取り上げた村人が声を上げる。子供の両親が安どの表情を浮かべた。
「よく頑張りましたね」
ターナが母親に声をかける。滝のように流れ出た汗を拭った。
「ありがとうございます」
取り上げた女性から赤子を受け取り、ターナは母親の顔の傍まで近づけた。その顔は慈しみの気持ちに包まれているようだった。母親が子供の小さな手に優しく触れる。
「産まれてきてくれてありがとう。ほら、あなたもこの子に顔を見せてあげて」
「……ああ。そうだな」
涙を堪えきれず、くしゃくしゃになった顔で、父親は恐る恐るその手に触れた。指の先だけ、触れるか触れないかの距離で。いっそう涙は溢れた。赤子が彼の指を握る。
「ありがとう。ありがとう」
子供の誕生は村人に活力を与え、その日は夜通し喜びを分かち合った。安住の地を見付け、暮らし始めた時よりも。農作物の成長が著しい時よりも。彼らの顔は喜びに満ちていた。
母親の体力も回復し、歩けるようになった頃、ターナは彼女たちの家に招かれた。赤子は母親の腕の中で自由に声を上げている。
「ターナ様。この子に名前をお願いしてもいいですか」
母親が言うと、ターナは一枚の紙を差し出した。海岸で頼まれてから考え続け、何度も書き直した名前。願いと思いを込めた名前の書かれた紙。
「セキという名前はどうでしょうか」
二人は顔を見合わせてほほ笑み、頷く。
「とても良い名ですね。トーキ・セキ。今では失われてしまった“奇跡”という言葉。皆の思いの込められた、この村の未来に相応しい名前だと思います」
「セキ。あなたは皆の宝物です」
母親は何度も名前を呼びながら、赤子の頭を撫で続けた。
――――
「あの光はみんなを見守ってくれているのですよ」
掴まることでようやく立てるようになった子供の手を優しく握りながら、ターナは一緒に朝日を眺めていた。彼女の真似をして目を瞑る子供。
そこに村人の男性が現れた。農具を片手に彼女に話しかける。
「ターナ様、少しいいですか」
「どうしましたか」
「北の方の空が赤く光っていて、なんだか恐ろしく思いまして」
「北の空ですか」
「はい。畑から見えまして」
ターナは子供を抱きかかえ、畑のある方へ歩いていく。この場所より北には帝国の領地がある。だがかなり距離は離れていた。一抹の不安を抱きながら畑を超え、小高い丘の上に向かった。
「まさか、こんなに近くまで来ているなんて」
空まで伸びる炎の柱。近くは無いが、確実にその戦の火はこの村に近付いていた。
「すぐに村の皆に伝えてください。ここを離れなければいけません」
「わかりました」
男性はすぐに村へと走り出す。ターナは視線を炎の方へと戻した。
「ここまで届いてしまうのですね。かつての友をも飲み込んだ人の意思が。女神様どうか民をお救いください」
彼女は神に祈りを捧げた。もう届くことは無いと知りながら。
子供を両親のもとへ連れて行く。話はすでに伝わっていた。父親がその子を両手で包み込む。
「皆の思いを込めて願います。この子の未来を照らし、清め給え」
左手の指輪が輝き始め、光が二人を包んだ。
「何をしているのですか」
「この子に、私たちの意思を託しました。ターナ様、この子をお願いします」
「いけません。皆でまた新たな地を探しましょう」
「これは村人の皆で考えた事です。いつ争いに巻き込まれるか分からない。連れてはいけません。この子をどうかお願いできないでしょうか。未来に連れて行ってはもらえないでしょうか。私たちにはこの指輪の力があります。これからは私たちだけで大丈夫です」
隣に立つ母親は静かに頭を下げた。
「……分かりました。必ずこの子の未来を守り、あなたたちの思いを繋いでいきます」
「ありがとうございます。……セキをどうかお願いします」
二人は深く頭を下げると、荷物をまとめて家を後にした。溢れた涙を我が子に見せぬよう振り返らずに。
ターナは子供を連れ、いつもの海岸に向かう。漁に使う簡易的な船に子供を乗せ、父親の服をその子にかける。
「ごめんなさい。私はあなたをこの世界で守りながら生きていく力はありません。でも心配はいりません。私は少し先であなたを待っています。そこであなたを守ると、導くと誓います。今はとにかく安全な場所へ。大丈夫です。あなたの中には確かに皆の思いがあります。かつての友の思いさえも。あなたに神のご加護があらんことを願って――」
ターナは空に祈りを捧げる。
「従属たる時の意思よ、霊代を導く燈火となり、その身を清め給え」
光は広がりセキと船を包んだ。波に乗り、船は海岸を離れた。
ターナは覚悟を決めて歩み出す。託された子の未来を護る為に。




