番外編 かつて無才と呼ばれた男
それほど広くは無い庭に置かれた丸太。人に似せて作られたそれに木剣を打ち込む少年。その体のいたる所には擦り傷が残り、血が滲んでいた。
「どうしたその傷は。また負けたのか」
そんな彼に声をかける男。笑みを浮かべる男とは対照的に、少年の目には涙が滲んでいた。父親にその顔を見せたくない少年は、口を閉ざしたまま木剣を振り続けた。
「あなた、からかうのは止めてください」
家の中から母親が顔を出し、男の言葉を咎める。男は申し訳なさそうに言う。
「すまない。あいつは俺に似ず、負けず嫌いな所があるからな。あまり頑張り過ぎず、もう少し気楽に生きてほしいんだがな」
「あの子はあなたの様な騎士になるんだって毎日頑張っているんです。そんな事を言わず、もう少し稽古をつけてあげたらどうですか」
「そうだな。よし、久しぶりに見てやるか」
男は右足を引きずる様に歩きながら少年に近付いた。
「構えが大きいな。もう少し脇を締めろ。切っ先は目線の位置に合わせて」
少年は歯を食いしばり、涙を堪えながら言われた通り脇を締めて構え直す。いつか父親のような騎士になる。その背中に追いつきたい。だが目標としていた男は足の怪我を理由に、戦場から退いた。同じく騎士を志す者に負けた事よりも、何よりそれが悔しかった。目標とした背中はもう見えない。それでもウィンスは木剣を振り続けた。
――――
久しぶりに実家に戻り、庭の隅に追いやられた練習用の丸太を見て、かつての自分を思い出す。住み慣れた家の扉を開けると、母親の姿が目に入った。
「ただいま、母さん」
「あら、おかえりウィンス。久しぶりね。突然帰ってくるなんて、手紙で知らせてくれればよかったのに」
「団長の付き添いでね。急な事だったし、ごめんよ」
「本当にあの人そっくりだわ。いつも突然なんだから。そしてすぐに謝るの。それで、しばらくこっちに居るのかしら」
「いや、日暮れ前には街を出ると思う。今日はこれから同行した団員の訓練があるんだけど、その前に父さんと母さんに会っておきたくて」
「そう。忙しいのね。ご飯だけでも食べて行きなさい」
ウィンスは部隊長を任されている事を直接父親に伝えたかった。やっと追いつくことが出来たよと、声には出さずに亡き父に報告した。
食事を済ませると彼は街に戻った。このところ国境付近の街では、連合との小競り合いが続いている。今後の方針を話し合うため、所属する騎士団の団長が王城に呼ばれた。同行した団員たちは空いた時間を使い、稽古場で鍛錬を行っている。ウィンスもそれに合流する為、稽古場に向かった。
大通りを稽古場に向け進んでいると、彼の事を早足で追い抜いていく男の姿。背後からは慌てた様子の女性の声が聞えてきた。
「盗人です。誰かその男を捕まえてください」
ウィンスはすぐさま脚に力を込め、男の背を追いかける。振り返り彼の姿を確認した盗人の男は、手にした女の鞄をウィンスに向かって投げつけた。荷物が辺りに散らばる。体勢を崩したウィンスが前方に向き直ると、男は短剣を手にしていた。近くに居た街人の女性を捕らえ、その首に刃を向けていた。
「それ以上罪を重ねるな」
ウィンスは腰に携えた剣を抜く。
「黙れ。俺に指図するな」
「その人を離さないのならば、私はお前を斬らなければいけなくなる。刃物を今すぐ収めるんだ」
「俺は、俺にはもう何もない。この女を殺されたくなかったら剣を捨てろ」
ウィンスは剣を静かに地面に置く。男の様子を窺うと、短剣を握っていない方の腕の手首から先が無かった。
「その手はどうした」
「仕事で失った。だがこの手のせいで俺は仕事を辞めさせられたんだ。理不尽じゃないか。なんで俺が。今まで俺がしてきた事は何だったんだ」
男は冷静さを失っていた。今にも女性の首に短剣を突きたてようとしている。騒ぎを聞きつけ、守衛の兵士も集まってきた。男を刺激しないよう、ウィンスは兵士たちの剣を下ろさせる。
「危害を加えない。だから女性を放してくれ」
「どうせ捕まれば俺は殺される」
「そんな事は無い。心を入れ替え、罪を償うんだ。今ならまだ引き返せる」
「引き返したところで俺には生きている価値がない」
「自分で自分の価値を決めるな。人の価値は他人が見出すものだ。きっと君の価値に気付き、見出す人間が現れる。だから今は剣を下ろしてくれないか」
ウィンスはその場に手を付いて、男をなだめようとする。その姿を見て男は女性を放し、短剣を彼に向けた。
「知るか。お前も一緒に死ね」
男は短剣を構え、ウィンスに向かって走り出した。彼は近くに落ちていた、盗まれた女性の鞄を男に向かって投げる。それは男の顔に当たり、短剣の軌道が僅かに逸れた。ウィンスは立ち上がり、男の手を掴むと、体を反転させる。体の流れた男は、体勢を崩し地面に倒れた。手首を掴む手に力を入れ、短剣を奪い取る。
「手が使えなければ、足を使え。足が使えなければ頭を使え。現状を憂う前に今出来る事を考えろ。私はそんな男を知っているぞ。君にはまだ生きる価値があるはずだ。簡単に諦めるな」
取り押さえた男を兵士に引き渡す。男の話と職場の者の話をよく聞き、処遇を決めるよう伝えて。
人質となった女性に怪我は無かった。彼女を兵士任せると、ウィンスは散らばった荷物を拾い集める。それらを鞄に戻すと、付いた土を払い、謝罪と共に盗まれた女性に返した。
地面に置いた剣を拾い上げようとした時、一人の兵士がウィンスに声をかけた。
「ウィンス、随分と隊長に似てきたな」
「お久しぶりです、リンバル隊長。ではないですね、今は騎士団長でしたか。つい昔の呼び方が。すいません」
「いや、構わないよ。隊長は隊長だ。君の父親もな」
ウィンスの父親の元部下である彼は、ウィンスの剣を拾い上げる。懐かしそうにその片刃の剣を眺めながら、言葉をこぼした。
「あの時も……」
言いかけた所で彼は言葉を飲み込み、剣をウィンスに渡した。
「どうしたのですか」
「いや。これは話すなと言われていてな」
「父の事ですか、聞かせてくださいよ」
「さっきの男に向かって言った言葉。あれは隊長の事だろう」
「それは、まあ」
照れくさそうに言うと、リンバルは話し出した。
「昔、まだ俺も隊長もただの一兵士だった頃の話だ。訓練の中で、当時部隊長に一番近いと言われていた男が隊長に言ったんだ。才能の無いお前は戦場ではすぐに死ぬ。足を引っ張る前に支援部隊に配置換えしてもらえってな」
「父に才能が無かったんですか」
「信じられないかもしれないがな。確かにその時の隊長には剣の才能が無かったのかもしれない。体もそれほど大きくなかったからな。でも隊長は毎日誰よりも遅くまで訓練をしていたし、積極的に戦術の勉強もしていた。ある日、俺は鍛冶屋の前で隊長を見かけたんだ」
「鍛冶屋ですか」
「ああ、そこで隊長はじっと剣が打たれている所を眺め続けていた。何日も通っていたのだと思う。そしてある日この片刃の剣を持ってきた。君にはこの方が振りやすく、扱いやすい。なんて言っていただろう」
「はい。そう聞いています」
「本当は、その男より力の無かった隊長が、両手でその剣を防ぐために片刃にしたんだ。まあ実際、隊長にはこっちの方が扱いやすく、その後すぐに戦果を上げて隊長になったのだけどね」
「そんな事があったんですか」
「息子は俺に才能があると思っているから、この話はするなよと言われていたのだけど。あっちで怒られたら謝っておくか」
リンバルは空に向けて笑った。ウィンスは自分の剣を眺める。そこに込められた父親の意思を改めて受け取り、彼は訓練場へと向かった。




