第二十三話 僕の意思
光を取り戻した僕はサムナフから体を離す。彼は体を起こして僕の前に膝をついた。ミルの方へ視線を向けると、彼女を包んでいた石は無くなっていた。ミルが僕の隣に立つ。
サムナフに頭を合わせるため、僕も同じように膝を折った。彼と向かい合い、声をかける。不敬であることは承知のうえで。女神を装って。
「サムナフ、もう休んでいいですよ」
「女神……。私はあなたの意思を正しく民に伝えることが出来ませんでした。いつしか心は闇に呑まれ、人間を憎んだ。私を神と崇める者達を導き、あなたの分身になろうとした。あなたの為に。あなたの力を取り戻すために……」
涙を流し、頭を下げ続けるサムナフの肩を抱く。その時、背後の扉が開いた気がした。吹き抜ける風が僕らを包み込む。聞き馴染のある声と共に。
「あなたはよくやったわ。もう次に繋げましょう」
「久しぶりだね。そうか僕を迎えに。ああ、そうだな、そうしよう。すまない……」
彼の手から零れ落ちた本。風が紙を捲る。何も書かれていない真っ白の紙に文字が刻まれていく。何もないはずのそこに、誰かの影を落としながら。
“典は転じて天と成る”
サムナフの指輪が光を取り戻し、その光が彼の体を包んだ。穏やかな表情を浮かべながらサムナフの身体は光の中に消えていった。彼の居た場所には二つの指輪と一冊の本。それらを拾い上げ、“天”の指輪を指にはめた。何も声は聞こえない。僕は立ち上がると、声のした扉の方に振り返った。だがそこに彼女の姿は無かった。
扉を開けて外に出る。首をひねりながら何かを考えているミルに声をかける。
「どうしたの」
「おれが聞いたこの指輪の声っていったい誰のものだったんだろう」
「ミルもあれを見ていたの」
「ああ。この石の力は結局あいつが捨ててしまったけど」
「きっと誰かがその意思を継いだんじゃないかな。その石には人の意思が宿っている。そしてミルがそれを引き継いだ。僕はそう思うよ」
「そうだな。でもこの事はあんまり言わない方がいいと思うぞ。セキがもっと変な人だと思われるかもしれないから」
「もっとってどういう意味かな」
「皆の所に戻るぞ。さっさと乗れ」
僕たちは馬に跨り、戦場へと戻った。
ノライトを捕らえたという知らせは瞬く間に戦場に広がり、敵兵は戦意を喪失させた。今はこれでいい。討ったと言えば彼らは復讐心を燃やすだろう。消えたと言っても信じるはずがない。これから時間をかけてゆっくり話していけば、彼らもいずれは。
中央の戦場に戻ると、ウィンスが何やら困った顔で僕らを待っていた。
「団長、この子をどうにかしてください」
そこには泣きじゃくる女の子の姿があった。
「この子は」
「あの怪物が突然女の子に変わって」
馬を降りたミルがその子に駆け寄る。
「力を失ったんだろうな。まさかこんな子どもだったとはね」
「あんたも子どもじゃないか」
涙を流しながら女の子はミルに言葉を返す。その手には鳥の刺繍が施された鞘のようなものが握られていた。ミルが彼女の頭を撫でる。
「こう見えておれはな……まあいいや。セキ、この子はおれが預かる。いいか」
「ああ、任せたよ」
「セキ団長、やったんですね」
傷跡だらけのリクスとシュウカイが駆け寄ってきた。
「無事だったようだね。お疲れさま。本当に良かった」
「はい、何とか」
「シュウカイも。君がいてくれてよかった。無事で何よりだ」
「まあどこぞの非力より先にくたばる訳にはいかないんでね」
「おい、何度俺がお前の傷を癒したと思っている。戻ったら決着つけてやるからな。逃げるなよ、でかぶつ」
「望むところだ」
なんとも頼もしい仲間たちだ。皆のことを確認して、僕は右軍の戦場へ向かった。腐食の力も失われ、司教の女は他の兵と共にビーガス王子に捕らえられていた。そこに彼女の姿は無かった。
「ターナさんはやっぱり――」
「お呼びですか」
僕は振り返る。そこにはターナさんの姿があった。服は所々破れ落ちている。でも怪我は無さそうだった。居てくれて本当に良かった。
「てっきり消えてしまったのかと」
「消えるとは、何のことですか」
「さっき城に」
「いえ、私はずっとここに居りましたよ」
「本当ですか。ちなみに変なことを聞くようですが、その指輪って本当に“恵”の力ですか」
「それは神のみぞ知る、でございますわ」
彼女は笑って見せた。かつて王城で侍女をしていて、今は一緒に暮らす仲間のターナさん。それ以外の何者でもないか。自分を納得させ、僕たちは皆の所へ戻った。
戦いは終わり、捕らえた兵を連れ王城へと帰る。途中、ラグナ草原で僕はリンナさんに祈りを捧げた。あんな形ではあったけど、その意思は確かにリクスが受け継いでいます。どうか安らかに。あの時は助かりました。
城に戻った僕は、国王から褒賞として元ノライト教国の領地が与えられた。それに伴い、増兵の許可も下りる。取り返した“地”の指輪は国王へと献上することにした。代わりに“天”の指輪を賜る。この指輪が五大祖神最後の指輪だという事は胸の中に仕舞った。この指輪だけは僕が繋ぐと誓って。
世界に散らばる、神の意思をないがしろにした者達が使った指輪。神の力と人の意思が込められた石の付いた指輪。今の僕にはまだそれを持つことは出来ない。
国王に掛け合い、僕はサムナフの従えた兵を騎士団に迎えた。初めこそ反発したが、今ではしっかりと働いてくれている。僕の気持ちは届いたのか、それは分からないけど、今はただ繋いでいくだけだ。元ノライト教国の領民はとても穏やかな人たちばかりだった。確かにそこにはサムナフの意思が、女神の意思が残されていた。
僕は城の中にある台座に向かう。あれから夢も見なくなった。未だに記憶は戻らないけれど、不安は無い。僕が何者なのか、それはあまり重要な事ではないのかもしれない。失った記憶の隙間に、女神の記憶が流れ込んでいただけかもしれない。深く考えることはやめよう。いつか、もしかしたら僕の家族が現れるかもしれない。そんな期待を胸に僕は前を向いた。
「こんな所にいたのか」
「ねえ、ミル。僕は誰だと思う」
「セキはセキだろ。あの村で会った時から何も変わらず」
「そうだよね。僕は僕だ」
「これからどうするんだ」
「指輪を集めようと思う。もちろん奪ったりはしない。僕は僕なりのやり方で。僕の意思を持って」
「そうか。まだまだ先は長そうだけどな」
月明かりが指輪を照らした。僕たちの指にはめられた神の石を。




