第二十二話 かつて神と呼ばれた男
机に向かい本を広げる青年。彼は紙に文字を書き記していく。その様子を傍らで見ていた女性が声をかける。
「サムナフ、また書き物なの。たまには畑の方も手伝ってちょうだいよ」
左側だけ青い瞳が特徴的な女性。彼女は頬を膨らませながら睨みをきかせていた。
「ごめんよ、リンナ。村の子ども達が僕の話を聞きたがるものだからつい。彼らの好奇心には驚きだよ。次々新しい言葉を覚えていくんだ」
男は嬉々として話した。リンナは大きく息を吐く。
「まあ子ども達が勉強熱心なことは良いことだけどさ、最近は雨が降らず、作物の出来が悪いのよ。まずは食べ物でしょう」
「そうだね。だったら僕は祈りを捧げに行くよ」
男は部屋を出た。小高い丘の上に登り、眼下に広がる村を眺める。畑で腰を屈める大人や、駆けまわる子ども達の姿。男は静かに目を瞑り、胸の前で両手を合わせると、空に祈りを捧げた。すると辺りを光が包み、女神が男の前に姿を現した。
「サムナフ、いつも祈りを捧げてくれてありがとう」
「女神様。このところ雨が降らず、大地は枯れ果てています。どうか恵みを頂けないでしょうか」
女神は頷き、空に両手をかざす。
「敬虔な者達に神のご加護が在らんことを。祓い清め給え」
唱えられた言葉に反応するように、その指にはめられた指輪が輝きを放つ。虹色の輝きは広がり、空を雲が覆った。雲は大地に雨をもたらし、村の者達は空に手を合わせる。
「ありがとうございます。女神様」
「また困ったことが在ったら祈りを捧げて。神はいつでもあなた達を見ていますから」
女神は村に視線を移す。喜び駆けまわる子ども達がその姿に気付き、手を振った。女神は優しくそれに答える。女神はいつの間にか姿を消し、雨は大地を潤し続けた。
「女神様、奇跡をありがとうございます」
丘を登ってきたリンナも膝をつき、空に感謝を述べた。
――――
村の子ども達がひと所に集まり楽しそうな声を上げている。その真ん中にはサムナフが、自分の本を片手に座っていた。子ども達にそれを見せながら、書かれた文字を読み上げる。
「抜苦与楽、これはみんなの苦しみを取り除いて、楽しみを与えてくださることを意味する言葉だよ。さあ言ってみて」
「ばっくよらく」
子ども達は慣れない言葉を、繰り返し声に出した。その様子にサムナフは笑みを浮かべる。
「みんな上手だね。次は怨親平等、嫌いな人も好きな人も無く、みんな平等に扱おうねって意味だよ」
「おんしんびょうどう」
「そう。みんな本当に上手だね」
子ども達の笑顔に囲まれるサムナフのもとに一人の女性が駆け寄る。
「助けて、サムナフ」
「リンナ、どうしたんだいそんなに慌てて」
「村はずれの森で弟が怪我をしてしまって。動けずにいるの。手を貸して」
「わかった。すぐに行くよ」
サムナフは山へと駆けていく。その後を追ってリンナも走った。山の中は薄暗く、思うように進めない。
「サムナフその先よ。足元に気を付けて」
生い茂った草木を足で払い除けると、その先に大きな穴があった。穴の底にうずくまる子どもの姿を見付ける。サムナフは辺りを見渡す。穴の底へと続く弦を見付け、それを掴むと慎重に下に降りた。
「もう大丈夫だよ」
彼の声を聞いても男の子は泣き叫ぶだけだった。落ちる時に切ったのか、脚を怪我している。傷口からは血が流れだしていた。血は地面にも溜まっている。サムナフはすぐに着ていた服の裾を引きちぎり、傷口に結び付けた。
「急いで村に連れて行って治療をしなければ」
子どもを背負い、弦を掴むが重みでそれは切れてしまう。次第に男の子の声が小さくなっていく。傷口に巻き付けた布は既に真っ赤に染まっていた。穴を上れずにいると、声はとうとう聞えなくなった。
「もう無理よ、間に合わないわ。女神様、どうして。どうして弟を助けてくださらないの」
「神に責任を押し付けてはいけないよ。諦めないで。大丈夫、僕が必ず助けるから。正気を保って僕を見るんだ。さあ」
「……ごめんなさい」
「よし、じゃあその手を伸ばして」
サムナフは子どもの体を精一杯持ち上げた。その手をリンナが掴む。今度は脚を持って穴の上に子どもを押し上げた。
「ごめんね。大丈夫よ、絶対にお姉ちゃんたちが助けてあげるからね」
サムナフも穴から這い上がり、二人は急いで村に戻った。
処置は間に合い、男の子は次第に元気を取り戻した。
――――
サムナフはいつものように丘に登り、膝を折ると神に祈った。
「いつも我々を見守ってくれてありがとうございます」
不意に女神が彼の前にその姿を現す。
「こちらこそ、いつも祈りを捧げてくれてありがとう。サムナフ」
女神の指にはめられた指輪の違和感に気付き、彼は口を開く。
「指輪の色が変わっていませんか」
虹色だったはずの指輪が黄色く輝いていた。
「世界中に苦しむ民がいることは分かっているわよね。私一人では皆を等しく救うことが難しくて。彼らを助けるために、私は力を分け与える事にしたの」
「神の力を人間にですか」
「民を導くべき者達にね。あなたにもその資格があると思うの。残ったこの力を受け取ってもらえないかしら」
「それは出来ません。それは女神の力だ。人間に扱えるものではありませんよ」
サムナフは首を振った。そんな彼を困った様子で見つめる女神。そこに二人の女性が現れた。
「リンナ、ターナ。どうしたんだい二人揃って」
「私たちも女神様に祈りに来たのよ」
女神をみて二人は膝を折った。すると何かを思いついたように女神が口を開く。
「そうね、では残った力の少しずつを三人に分け与えるのはどうかしら。三人で力を合わせて、民を守ってあげてほしいの。これならば受け取ってもらえるかしら」
「それならば。分かりました」
何のことか分からないという風に首をかしげる二人に、女神が黄色い石のはめられた指輪を差し出す。
「まずはリンナ。あなたには“癒”の指輪を。この村で傷つき苦しむ民を救ってあげてください」
指輪を受け取ったリンナは深く頭を下げた。
「分かりました。この身を捧げ、私の気力を分け与えてでも皆を癒すことを誓います」
「次にターナ。あなたにはこの“時”の指輪を。作物を育て、民を飢えから救ってあげてください」
「分かりました。心穏やかに、民を見守り続けることを誓います」
「最後にサムナフ。あなたには“音”の指輪を与えます。民の声を聞き、正しい方へ導いてあげてください」
「分かりました。この目、この口が無くなろうとも、最期まで民の声を聞き続けることを誓います」
「みんなありがとう。民の事をどうかお願いします」
女神は指輪を託すと、村の者たちに手を振り、風の中に消えていった。三人は指輪の重みを胸に刻み、その使命を固く誓った。
――――
ターナは空に祈りを捧げ、荒れた大地を緑で埋めた。周りに集まる人々は彼女に感謝する。
「ここも何日持つか分からないな」
本を片手にサムナフが言った。
「そんなことを言っていても仕方がないわ。私たちはみんなが安心できる場所を造るだけよ。あなたが諦めてどうするの」
「そうだな。すまないターナ」
そこに大勢の人を連れたリンナが現れた。その顔は疲弊し、力を使った事をサムナフは理解する。
「その人たちも戦禍に巻き込まれたのかい」
「ええ、住んでいた村が戦争に巻き込まれて、逃げていたところを見付けたの。傷を負った人たちも多かったわ」
「なぜなんだ。民を救うために与えてくださった力だぞ。なぜそれを争いの道具にし、民を苦しめるんだ」
サムナフは目を覆う。すると遠くに広がる草原の方から声が聞えてきた。
「邪魔する奴は殺せ」
「死にたくない」
「助けてくれ」
「従えないやつは殺していい」
「子どもだけは……」
声がやむことは無かった。すぐさま彼は指輪を外して、地面に投げつける。
「僕が聞くべきはこんな声ではない。こんな声を聞くくらいなら、力なんていらない。女神よ、なんと人間は愚かか。そんな事の為に神は力を与えたわけでは無いのに」
「諦めてはいけません」
女神がサムナフの前に姿を現す。
「もう無理です。人間はあなたを裏切った」
「それでも私は人を諦めません。民の心を女神が諦めてはならないのです。これから私は彼らを止めに行きます」
「だめです。そんなことをしてはあなたが」
「私は民を幸せに導く神。心配いらないわ。私の意思はここに確かにある。あなたの中に。あなたたちが繋いでいってください」
女神は自分の指輪をサムナフに渡した。
「私の意思を継いで、民をどうか導いてください。あなたにはそれが出来る。この“天”の力はあなたの未来に光を与えてくれる。民に奇跡を、どうかお願いします」
「私は……私は誓います。民を導き続けると。あなたの思いを繋ぎ続けると」
「頼んだわサムナフ。でも無理は禁物よ。たまには休んでくださいね」
そう言うと女神は彼らの前から姿を消した。神の意思を民に託して。




