第二話 夜襲
強い風が吹き付け、前髪が目にかかる。払おうとしたが、身体の自由が僕には無かった。夢を見ていることを理解する。
真っ赤な空は、手を伸ばせば届きそうなほど近く、空と地の境には特徴的な山々が並んでいた。眼下には人々が群をなしている。僕は彼等よりも少し高い所に立っているらしい。次第に目の前が霞んでいく。これが記憶の欠片なのだとしたら、少しでも多くの情報がほしい。何とか身体を動かせないかと考えていると、僕の左腕が群衆に向けて伸ばされた。自分のそれよりも細く感じる。視界はますます覆われていき、目の前は暗闇に包まれた。最後に見たその手には黄色い石の付いた指輪がはめられていた。アニアスの物とは違う色。そこで僕はアニアスの家で眠ったことを思い出す。
目を開けようとすると今度は思いのままに体が動いた。まだ暗さは残っている。体を起こすと、窓から月明かりとは違う光が入ってきていることに気付いた。赤い光の元を確認しようと歩き出した時、扉が強く開かれた。
「セキ、村を野盗に襲われました」
振り返るまでもなく、光の元は火であると想像がついた。アニアスは言葉を続ける。
「野盗は何をしてくるかわかりません。幸い火の手は村の北側です。中央広場を抜けて西に逃げればまだ助かるはずです」
僕たちはすぐさま部屋を出る。
「アニアス、このまま村の東から森に逃げられないのかな」
村に簡単に火をつける者達だ。命も軽く見ているだろう。見付かれば殺されるかもしれない。僕はすぐに村を離れるべきだと思った。だがアニアスは首を横に振る。
「野盗がどの程度周辺の地理に詳しいか分かりませんが、日も出ていない今、森に入るのは危険です。それに西の道は、国王の居る城に繋がっていますから。既に村人が救援の要請に馬を走らせているはずです」
「そうなんだね。わかった、とにかく急ごう」
階段を駆け下り、扉を開けて家を飛び出す。田畑の横を走り中央広場を目指した。
広場に近付くにつれ、逃げ惑う住人も増えていく。
「みんな落ち着いて。西の道から城下を目指しましょう」
アニアスは村人に声をかけ続ける。中央広場の北側の道と交わる場所に立ち、住民を誘導した。
「助けてくれ。誰か」
北側の道で横たわる人影を見つける。アニアスに酷い言葉を投げつけていた男だった。足を怪我しているのか、中々立ち上がることが出来ないようだ。アニアスがすぐさま駆け寄り、肩を貸して立ち上がらせる。
「アニアス、僕たちも早く逃げないと」
「セキは先に逃げてください。村人を置いては行けません」
アニアスは男の体を支えるようにして歩き始める。到底逃げられる速度ではなかった。二人とも死んでは意味がないだろう。僕も男に駆け寄り反対側の肩を担ぐ。
「すまない」
「もし助かったら今後アニアスへの態度を改めると誓えるか」
「も、もちろんだ」
「だったら死ぬ気で歩くんだ」
男は動かせる方の足で強く地面を蹴る。火の手が目前まで迫っているのを肌で感じた。熱が僕らの背中を包む。中央広場を抜けた所でアニアスが歩みを止めた。
「どうしたの」
「わたしは村に残ります。セキ、彼を頼みます」
アニアスは男から手を放した。
「何を言っているんだ、一緒に逃げよう」
振り返ると、僕らに背を向けて立つアニアスの視線の先、中央広場まで火の手が押し迫っていた。よく見るとその炎の中に人影が見える。人影は炎の中を進む。到底人間が耐えられるとは思えなかった。
「なんだあれは」
「おそらく神の石。温度操作の力を使っていると思います。村人の物を盗まれた」
「でも、そんなことをしたら命を削ると言っていたじゃないか」
「いとわないのでしょう。自らの命が尽きる前にその力で神の石を集める。野盗の常套手段だと聞きます。このままでは三人ともやられます。奴らの目的はわたしのこの石です。出来るだけ時間を稼ぐのでセキたちはその隙に逃げてください」
迷っている暇は無かった。僕がこの男を連れたままここに残ると言ってもアニアスは受け入れないだろう。
「絶対に死なないでくれ」
「大丈夫です」
アニアスは笑った。僕は男と共に村の西側の入り口を目指して歩き出す。
出口に向かう道中、小屋に繋がれたままになっていた馬を見つける。
「あんた、馬は操れるのか」
「ああ。村の人間は皆出来る」
すぐに繋がれた馬の紐をほどき、その横に膝をついて頭を下げる。
「その足で乗れるか」
「すまない」
僕の背中に足を乗せ、男は馬に跨った。
「これであんたは逃げるんだ」
「お前はどうする」
「僕はアニアスの所へ戻る。そもそもあんたが居なければ、彼を置いて来てなんかいないんだ」
「そうか……すまない。助かった」
男は西の入り口から村を出て行った。
すぐに彼のもとに戻らなければ。僕は小屋の中に戻り、辺りを見回す。なんでもいい、何かないか。使えそうな物は鎌くらいしかなかった。何もないよりは幾らか良いか。二つを手に取り元来た道を走った。アニアスの姿を見つける。何人もの野盗が引く弓が、彼に向けられていた。
「その石を渡しな」
「そうすれば村から出て行ってくれるのか。今後近付かないと約束してくれるのか」
「うるせえ。いいから渡せ、殺すぞ」
僕はアニアスに駆け寄る。
「アニアス、男は逃がした。僕たちも逃げよう」
「他にも逃げ遅れたやつがいたのか」
野盗の弓が僕へも向けられる。
「セキ。なんで戻って来たんですか」
「君を見殺しには出来ないよ」
アニアスに鎌を渡した。
「そんな物で俺たちと戦おうっていうのか」
弓を引く野盗達の奥、ひと際体躯のいい男が声を上げた。身に着ける装飾品が周りの者達と違う。おそらくあいつが野盗の長だろう。
「頭、もういいだろう。食料と薬は手に入ったんだ。早く兄貴の所へ戻らないと」
男の事を頭と呼ぶ少女。彼女は男の腕を掴みながら声を上げた。およそ野盗に似つかわしくないその少女は、振り払われても尚、訴え続けていた。
「うるせえミル」
男は声を荒げ、少女を振り払う。体勢を崩して地面に倒れた彼女に言葉を続ける。
「お前の兄貴は石を使いすぎた。もう薬じゃ助からねえ。そもそもその必要さえない。動けない人間は邪魔なだけだからな、こっちに来る前に楽にしてやった」
「そんな……」
少女は力なくうなだれた。仲間じゃないのか。命の重さが違いすぎる。だが湧き上がる怒りをぶつける手段が僕には無かった。
「ちょうどいい、減ったら増やせばいいだけだ。そこの二人、俺達についてくるなら命は助かるが、どうする」
アニアスは黙ったまま俯いていた。答えは決まっている。何をどう間違えてもアニアスは首を縦には降らないだろう。だが断ればすぐさま矢が降り注ぐことになる。手詰まりだ。そう思った瞬間、村を強い風が吹き抜ける。風に煽られた炎が僕らと野盗の間を遮った。
「アニアス、今のうちだ走ろう」
僕たちは村の入り口に向かって走り出した。野盗が慌てて矢を放つも、風に流されて僕たちには届かなかった。
「あの数の矢に射られてはひとたまりもない。こうなったら一か八か森に入るぞ」
村の入り口を出てすぐ道をそれて森に入る。僕たちは鎌で枝葉を払いながらとにかく前へ進んでいった。
「助けは後どのくらいで来るんだい」
「わかりません。ここは城下に近い代わりに、見回りの兵が少ない。城下から来るとすれば、まだしばらくかかると思います」
「やはり戦うしかないか」
「無理ですよ。こんな鎌じゃ勝てるわけない」
「これだけ木があれば弓は打てない。アニアスの力を使えば十分戦えると思う」
「出来ません。そんな事をすれば誓いに背くことになります」
「君の誓いは農具に限る、だろう。用途までは誓っていない。それに自分の命が危険にさらされているんだ、神も許してくれるさ」
「それはそうですけど。でも……」
アニアスは心を決めきれない様子で言葉を飲み込んだ。
必死に走り続ける僕らの後方から、枝葉の折れる音が鳴り響く。人がかき分けて進むものとは明らかに違う音に、僕は後ろを確認した。巨大な影が僕らを包む。見上げると、大きな木が僕らに向かって倒れてきていた。
「危ない」
アニアスに飛びつき横に逃れる。木は僕たちをかすめて地響きと共に倒れた。逃げる僕たちに向けて木を倒したのか。およそ人の力とは思えない。他にも神の石を思っている奴がいるのか。体勢を立て直し立ち上がると、倒れたはずの木がふわりと浮く。幹を辿ると野盗の一人がその木を軽々と持ち上げていた。
「ほら、どんどん逃げ場が無くなるぞ。どうするんだ」
野盗は木を僕らの頭上に放り投げた。慌てて横に逃げる。倒木を避けて進もうにも、いつ次の木が襲ってくるかわからない。僕たちはその場から動けなくなってしまった。
「これで終いだな」
野盗は隣に生えていた木を引き抜くと、僕たちに向けて再度放り投げた。頭上に木が迫る。鎌でどうこう出来る太さではない。
諦めかけた時、目の前が暗闇に覆われた。まるで夢の中のように一つの光も無い。死んでしまったのだろうか。だが、すぐにけたたましい音が鳴り響き、硬い何かに僕たちは包まれていることを理解した。頭上からゆっくりと月明かりを取り戻す。
「間に合ったね。もう大丈夫だよ」
声の方を振り返ると、黄色い髪をなびかせる女性の姿があった。その身は鎧に包まれている。
「あなたは……」
アニアスが驚きの表情を浮かべる。女性は野盗に向けて声を上げた。
「デメルギア王国、護衛団団長ギア・メーテリア。野盗どもよ、おとなしく投降せよ」