第十九話 恵み
怪物は飛び去り、壊れた城壁の隙間から雨が入り込む。僕は泣き崩れるメーテリアさんのもとに駆け寄った。
「大丈夫ですか。辛いでしょうが、今は街の民を守ること考えなくてはいけません。あなたの力が必要です。メーテリアさん」
「……ええ、そうね」
彼女は力なく立ち上がる。目の前で起こった事実と責務に挟まれる彼女の肩は震えていた。それでも足を踏み出すメーテリアさんに僕は手を貸した。
「セキ。その必要はありませんよ」
彼女の肩を支え、玉座の間の入り口に目を向けると、そこにはジョークの姿があった。激昂したミルが剣を構えてその身に近付く。
「次から次へと、お前たちは」
ミルが剣を握った手を伸ばす。だが彼は何の抵抗もせずその剣を受け入れた。腹部に剣がつき立てられる。ジョークの手が、剣を握るミルの手に伸ばされた。剣を放し、彼女は飛び退く。放された剣の柄を掴み、それをいたって穏やかな表情で彼は引き抜ぬいた。血が噴き出す。その行動に戸惑い、ミルの足が止まった。その場に居た全員の視線がジョークに集まる。彼の手を放れた剣は床に落ち、鋭い音が鳴り響いた。ジョークの足元は瞬く間に流れ出た血液で赤く染まっていく。
「必要ないというのは……、すでにこの街には、あなた方が対峙するべき脅威は無いということです」
ジョークは口から血を吐き出しながら答えた。彼はゆっくりと僕へ近付く。
「どういう意味だ」
「どうもこうもない。……教国兵はぼくが退かせました。もう街にはいません」
「何のためにお前はそんな事を」
「あの日見た光……あれはまさしく神の光。あの日以来感じた事の無かった強い光は、ぼく達をまた救ってくれた。光の中に彼の魂を感じたのです。ぼくはそれに従うのみです」
「君は一体何を言っているんだ」
「名は体を……」
ゆっくりとした足取りで近付き、僕の前で片膝をつくジョーク。左手の指にはめられた黒い指輪を外し、彼はそれを差し出した。黒い石は瞬く間に色を失い、透明な幻石へと戻っていく。それを受け取ると同時に、ジョークは力なくその場に倒れた。
「どうか……名前を忘れないでいてください。僕たちの名を……」
その言葉を最後にジョークはこと切れた。彼の血が床に広がる。彼の顔は穏やかなままだった。
指輪を懐に仕舞い、三人で城を出る。すぐに街に向かうが、ジョークの言う通りそこにノライト教国兵の姿は無かった。
迅速な避難誘導のかいもあり街人に被害こそ無かったが、王国兵士の何名かが犠牲となった。あの男は指輪を集めると言っていた。次はネイブロス王国に危険が及ぶかもしれない。デメルギア王国兵と共に戦っていたというケプラに、ネイブロス国王へ報告に走るよう伝えた。
僕とミルは、悲しみに暮れるメーテリアさんを兵士に託すと、混乱を抑えるために走り回った。今はとにかく安心させなければ。特に壊された外壁付近は家屋の被害も大きかった。
街がある程度落ち着いたことを確認すると、僕たちはネイブロス王国へと戻ることにした。未だ回復しないメーテリアさんの事をアニアスに頼み、街を出た。
王国に戻ると、国王から招集が掛かる。騎士団長が集められ、今後の方針についての話し合いが行われた。そこにはビーガス王子とミイネ騎士団長の姿もあった。
密偵の話から、すぐに教国兵が動くことは考えにくいと、ミイネ団長から報告が上がる。デメルギアは奇襲のようなものだった。ネイブロスに攻め入るならばそれなりの兵を動かす必要がある。時間はかかるだろう。
話し合いは続き、すぐにノライト教国への兵を出すべきかどうか、団長の中でも意見が割れていた。相手の態勢が整う前に攻めるべきだと言う者。こちらの態勢を整えてから兵を出すべきだと唱える者。様々な意見が飛び交い、会議は中々まとまらなかった。
夜通し行われた末、王国軍を三つの部隊に分けてノライト教国へ向け兵を動かすことにまとまった。ノライト教国領までの道のりの最短距離に中継地点を築く先遣部隊。食料や軍備を運ぶ後方部隊。そしてエイギス王子が指揮を執る主力部隊の三つに。先遣部隊長を単身戻ってきていたミイネ団長が務め、後方部隊長はリンバル隊長が担う事となった。僕の騎士団は主力部隊に配属される。
先遣部隊はすぐさま準備を始め、日暮れ前には先だって王城から出発した。主力部隊と後方部隊の出発は二日後と決まった。それまでに武器や食料の準備を整える。僕はひとまず家に戻ることにした。
家に着くとターナさんが洗濯物を取り込んでいた。
「おかえりなさいませセキ様」
「ただいま。ターナさん、いつもありがとうございます」
「大変なことになりましたね。すぐに出られるのですか」
「いや、僕たちはもう少し後らしいです。それまでにしっかりと準備を整えないと」
「まずはゆっくりとお休みください。お風呂の準備は出来てありますが、入られますか」
「ありがとうございます。そうします」
「ではこちらを。替えの服でございます」
僕はそれを受け取り中に入ると、浴室へ向かった。
脱衣場で服を脱ぐ。間仕切りの向こう側に置かれた浴槽に体を沈めた。熱が体の芯を温め、肩の力が抜ける。気持ちが穏やかになった気がした。体を洗っている時、間仕切りの向こうからターナさんの声が聞えてくる。
「お湯加減はどうでしょうか」
間仕切りの向こう側とはいえ、少し恥ずかしくなる。
「はい、大丈夫です。とても気持ちがいいですよ」
意味も無く体を隠しながら僕は答えた。
「それは良かったです。着ていた服はまた後で洗濯しておきますので。持っていきますね」
「はい。ありがとうございます」
体を流しながら返事をすると、乾いた音が鳴った。硬いものが床に落ちた音。そういえばジョークから受け取った指輪を懐に入れたままだった事を思い出す。僕は慌てて声をかける。
「ターナさんそれには触らないでください」
幻石に戻ったとはいえ、あの恐ろしい力の指輪だ。何が起こるか分からない。だがターナさんはいたって落ち着いた声で言葉を返した。
「綺麗な指輪ですね」
「駄目です」
僕はすぐに間仕切りを越える。突然現れた裸の僕に驚き、慌てて顔を覆うターナさん。その手には黄色く輝く指輪がはめられていた。
替えの服を着て、ターナさんと食堂へ行く。幻石だったはずの指輪に色が付いた。ミルやリクスと同じ黄色の。だが二人の時と違い、その指輪の力や言葉は頭に浮かばなかった。
椅子に掛けると、僕の話も聞かずにターナさんは祈りを捧げてしまう。リクスの時に扱い方を見ていたのは分かっていたが、まさか突然行うとは。驚く僕を横目にターナさんは微笑みながら口を開く。
「私も選ばれたようですね。神の力に」
「もしかして、声が聞こえたのですか」
「はい。“恵”の神の声が。誓いは“安心立命”物事に動じず、心穏やかに保ち続ければ神の恵みを賜ることが出来ると言われました。なんとも穏やかで可愛らしい声の神様でしたよ」
「理解が早いと言うか、そうも楽し気に言われるとどうも」
「みなさんとお揃いですね」
何のためらいも無く祈るとは。物事に動じずと言うが、早速僕の裸に動じていたような気もする。本当に大丈夫だろうか。僕の心配をよそに、ターナさんはその指輪を愛でるかのように、大事そうに石を擦っていた。
「本当にあなたは何者なんですか」
「それは神のみぞ知る、でございます」
彼女はごまかすように笑ってみせた。




