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第一話 記憶喪失


暗闇に覆われた視界の奥に、かすかな光が見える。足を踏み出そうにも思うように身体が動かない。


「……セキ……を……」


 声に聞き覚えは無かった。淡い光は揺らめきを強めながら、暗闇の中に消えていった。


「……ますか。生きてますか」


 再度聞き覚えの無い声が聞こえた瞬間、身体が揺さぶられているような感覚に目を見開く。知らない青年が僕の顔を覗き込むように見ていた。短い髪を逆立てた彼の頭の向こう側に空が見え、自分の身体が横たわっていることを理解した。腕に力を込める。先ほどとは違い、思った通りに起き上がることが出来た。


「大丈夫ですか。もしかして、遭難ですか」


 彼は僕の事を心配してくれている。悪い人ではなさそうだ。


「いや……」


 遭難ではないと答えようとしたが、言葉に詰まった。頭の中に、遭難ではないこと以外何も浮かばなかった。


「あの、服を」


 彼が視線の先を困らせるようにきょろきょろとしながら呟く。


「あ……ごめんなさい」


 慌てて立ち上がり、足下にあった服を着る。


 改めて周囲を見渡した。木造りの小さな船にいること、背後には広大な海が広がっていることを理解する。これは遭難なのかもしれないと僕でさえ思ってしまう。なぜ違うと思ったのか、今となっては解らない。とにかくそう思ったとしか言いようがない。


「何も思い出せないんだ」


 そう言うと、彼は心配そうな表情を浮かべた。


「記憶喪失ですかね。頭や体に怪我はしていませんか。痛い所とか」


 痛みは感じない。念のため立ち上がり、体中を確認する。自分が横たわっていた場所も確認するが、出血の痕も見られなかった。


「大丈夫だと思う」


「よかった。何か思い出せることはありますか」


「トーキ・セキ。名前くらいしか今は」


「わたしはアニアスです。事故か何かで一時的に記憶を失っているだけかもしれませんし、落ち着ける場所に行きませんか。ここから少し行ったところにわたしの家があるので」


「どこの誰かもわからない僕になぜそこまで」


「困ったときはお互い様ですよ。食べ物もありますし、まずは腹ごしらえを」


 体躯の良い彼から見れば、僕は空腹で今にも倒れそうに見えるのかもしれない。ただ空腹であることは確かなので、彼の言葉に甘えることにした。


 アニアスに付いて海沿いを歩いていく。何度か振り返り、自分の乗っていた船を確認したが、何かを思い出すきっかけにはならなかった。


 しばらく歩くと川と海が交わる場所へと出た。そこからは川に沿って川上へと上っていく。川幅が狭くなるにつれ、木々が多くなってきた。


「ここから山に入ります」


 そう言うとアニアスは、人一人が通れる程度に整備された道へと向かう。右手に持った鎌で、邪魔な草や枝を払いながら進んでいった。



「どうしてあんな場所にいたの」


「わたしは農夫をしてまして、たまに魚を獲りに海に行くんです。久しぶりの事だったのであなたは本当に運が良かったですよ」


「セキでいいですよ。アニアスは一人でこの山に住んでいるの」


「いえ、この先にわたしが暮らす村があります」


 生い茂る木々が急に晴れ、目の前に集落が現れた。村に入ると、桶に水を張り、二人がかりで運ぶ子ども達や、斧で薪を割る住人の姿が目に入った。食欲をそそるいい香りが村中に溢れている。


「わたしの家はこっちです」


 大きな田畑を横目に進んでいく。背の高い作物の陰から、鎌を手にした男性が顔を出し、僕たちに気付いて声をかけた。


「おい、アニアス。魚は獲れたのか」


 声を荒げる彼に、アニアスは申し訳なさそうに言葉を返す。


「すみません、今日は獲れませんでした」


「何やってんだ。何のためにお前に変わって畑仕事をしたと思っている。もうやめだ」

 そう言うと彼は鎌を投げ捨てて、その場を立ち去ってしまった。


「こんなに大きな畑をアニアス一人で」


「はい、わたしは依り子なのでここを任されています」


「依り子とはどういう意味なんだい」


「そうですね、詳しい話は中でしましょうか」


 そう言うとアニアスは家の扉を開け、僕を中へと招いてくれた。一人で住むにはいくらか大き過ぎる家へと入る。入ってすぐのところに丸い机があり、椅子を引いて「ここで少し待っていてください」と言ってくれたので、僕は椅子に掛けた。しばらくしてアニアスはパンとスープを二人分、机の上に置いた。


「昨日の残り物ですが、よければどうぞ」


「ありがとうございます。いただきます」


 スープを口に含む。懐かしいに似た感覚が全身に満ちる。馴染のある味。


「美味しい。料理が上手なんだね」


「ありがとうございます。それでさっきの話しですが、これに見覚えはありますか」


 アニアスは左手から指輪を外し、机の上に置いた。白い色の石が綺麗な指輪。見覚えは無かった。


「綺麗な指輪としか。見たことは無いと思う」


「そうですか。これは神の石と呼ばれるもので、祈りを奉げ、誓いを受け入れることで所有者にご加護を与えてくれます。この石のおかげで僕には農夫のご加護が与えられています」


「特別な力がアニアスにはあるという事なの」


「と言ってもこれは祖父の物で、この村の開拓に大きく貢献したとして国王様から賜り、代々譲り受けてきたものなんですけどね」


 アニアスの言葉を聞いて少し納得をした。この家の大きさはその頃の家族に合わせたものなのだろう。


「家族は他に居ないの」


「いません、両親がいた頃は畑の管理も家族だけでまかなえていたのですが、一人ではどうしても手が回らず、たまに村人に手伝ってもらっています。ただ村の農作物は代々うちが作っていたせいか、快くとはいかず。恥ずかしい所を見せてしまいましたね」


「他の村人の分もアニアスが作っているの。それは大変だろう」


「いえ、それほどにご加護の力は大きくて。“一意専心”を誓い、農具を持っている時だけ自分の筋力を操ることが出来ます。力のおかげで普通の人よりも何倍もの作業が。そのため開拓当初から農作物は代々うちが」


「そういうつもりで国王は指輪をおじいさんに渡したのだろうか」


「そうではないと思いますが、適材適所といいますか。その分村人にお世話になっているところもあるので」


「この村ではアニアスだけに特別な力があるの」


「いえ、他にも温度を操り、食物を保存してくれる人もいますし、世界には様々なご加護があるという話です。その多くは分神石と呼ばれる、神様の力を分け与えた石で、わたしのも分神石です」


 神という言葉が心の何かに引っかかる気がした。だがそれは記憶を取り戻すには程遠い微かな揺らぎでしかなかった。


「わたしはこれから畑に行ってきますので、セキは休んでいてください。二階にはベッドもありますから」


「いや、それは世話になりすぎだよ。僕も何か手伝いたい」


「そうですか、ではこの水瓶に井戸水を溜めておいてくれますか。桶で二、三往復すればいっぱいになると思うので。井戸は村の中央広場にあります」


「わかった」


 アニアスはくわと鎌を手に田畑へと向かっていった。僕は桶を持ち、村の真ん中にあるという井戸を目指した。道中僕に怪訝な表情を浮かべる者もいたが、おおむね快い挨拶を返してくれた。


 井戸から水をくみ上げ、桶に移す。半分を超えたあたりで一度持ち上げてみた。帰り道を考えると、このくらいで一度戻った方がよさそうだ。桶を持ち、帰路につこうとした時、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「あの野郎、魚一匹捕まえられないのかよ」


 声の主はアニアスの畑を手伝っていた男だった。声の方を確認すると他にも何人かの男の姿が見えた。


「毎日パンや米だと飽きるからな」


「そうだろう、たまには魚も食いたいだろ。だから俺が手伝う代わりにたまに獲りに行かせてるんだけどよ。あいつ自分で食べるために嘘ついたんじゃないだろうな」


「もしくはお前に畑やらせて休むためだったのかもな」


「違いねえ。まんまとはめられちまった」


 アニアスと出会ってまだ半日程度の僕でも、そんなことをするような人間ではないと解る。なぜこの人間にはそれが理解できないのだろうか。ただアニアスが魚を獲りに行かなければ、僕は今ここにいないのでその部分だけはこの人間に感謝をしておこう。それにしても、アニアスや子ども達でさえ働いているというのに、こんな所で何もしていない彼らにまで作物を与えるとは、お人好しにもほどがある。そんなことを考えながら僕は帰路についた。


 三度水を運び終えると水瓶はいっぱいになった。桶を元の場所へ戻し、アニアスの様子を見に行こうと家の扉を開けると、畑の方からこちらへ歩くアニアスの姿が目に入る。背中には束ねられた稲穂が抱えられていた。身体の何倍もの大きさのその束を抱えながら、難なく歩く彼の姿は頼もしく感じられるほどだ。これも石の力なのだろうか。


「おかえり」


「只今戻りました。井戸水、ありがとうございました」


 荷を下ろしたアニアスは水瓶を見てお礼を言った。心根の優しい彼に与えられた力は、彼にとって幸せなことだったのだろうか。男たちの言葉が今後一生アニアスの耳に届かないことを願うばかりだ。


「その力は僕にも使えるのかい。明日は僕も畑仕事を手伝いたいのだが」


「それは出来ません。依り子では無い者が力を使うと命を削ると言われています。父から指輪を譲り受けた時、祖父や父と同じく一意専心の誓いを受け入れ、ご加護を賜りました」


 それは神に祈り、誓いをたてれば誰でも使えるという事だろうか。そうではないだろう、アニアスは選ばれるべき人間であると僕は思いたかった。


「そろそろご飯にしますか」


 窓の外では日が落ち始めていた。暖炉に火を灯し、机の上にはろうそくが置かれた。


「夜もパンとスープで申し訳ないのですが」


 そう言いながらアニアスが食事を机の上に置く。食事を頂けるだけで助かるというのに、この男は。


「そんな事ないよ。ありがとうございます」


 食事を終えると、アニアスは父親が使っていたという部屋に案内してくれた。掃除の行き届いた部屋で、僕はベッドに寝転ぶ。あの海岸以前の記憶は未だに戻らない。許されるのならばこのままアリアスと共に、この村で生きていくことも悪くないのかもしれない。分からない過去の事は考えず、未来の事を考えながら僕は目を閉じた。




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