第二十六話 葵祭、けど留守番です
そしていよいよ五月十五日、葵祭の当日がやってきた。
「うわ、本当に快晴ですよ、水野さん!」
「そうだねー……」
「ぜんぜん喜んでませんね」
「そんなことないよー……」
棒読み状態の水野さんは、音羽の手綱をひいて、馬バスへと歩いていく。その足取りは心なしか重い。
「はいはーい、さっさと進んでね、水野君! 青葉が後ろでつかえてるんだから!」
そんな水野さんを、戸田さんが後ろから容赦なく追い立てる。
「戸田さん、その検非違使装束、すごく似合ってますね!」
「そりゃもう何年も着てるものだからね~、すっかり体になじんじゃってるわよ」
にこやかに応じる戸田さん。前を歩いていた水野さんが立ち止まり振り返った。
「俺は? 俺はどうなの? 今年が初めてだから、なじんでないよね?!」
「そんなことないですよ、水野さん! すごく似合ってます! いかにも平安騎馬隊って感じです!」
そこは嘘ではない。水野さんも似合っている。そもそも、何百万円をかけて作った装束なのだ。似合わないなんてことはありえない。水野さんは「ポリスまろん君」と嘆いているが、断じてそんなことはない。どこから見ても、素敵な平安騎馬隊員だ。
「本当にそう思ってる?」
「もちろんです。乗馬用のズボンとブーツも違和感ないですね。もちろん頭のそれも」
「そこはなかなか考えられてるなって思うわ。はいはい、水野君! 早く進んで! まずはお馬さんを車に乗せるのが先! 自分のことは後回し!」
戸田さんがさらに追い立てた。二頭が馬バスに乗りこむ。中では土屋さんが、馬と車輛の固定具をつなぐ作業をしている声が聞こえてきた。
「酒井さんも一緒なんでしたっけ?」
横にやってきた先輩に話しかけた。
「御所からうちの車で移動して、道中の要所要所で待機してくれるそうだ」
蹄鉄が道中ではずれることはめったにないということだが、なにごとにも万が一ということがある。特に今回初めて参加する音羽のことも考え、明日くる予定にしていたのを急きょ変更して、行列に同行してくれることになったのだ。ただし全ルートを歩くのは大変なので、道具をつんだ騎馬隊の車輛でということらしい。
「私、いかなくても良かったんですかね? ほら、途中でのボロ拾いとか」
「それは問題ないよ。行列には牛さんもいるからね。拾う人はそれなりに確保されてる。それに」
先輩が私を見下ろして笑う。
「お母さんが行っちゃったら、丹波がすねるだろ?」
「そんなことないですよ。丹波君だって、ちゃんとお留守番できます」
「俺はもう、男同士の友情にひびを入れるのはイヤだからね」
「でも先輩、音羽君の手綱係なんですよね? うらやましいなあ……」
今日の先輩はいつもの作業着ではなく、警察官の制服を着ている。初めて参加する音羽の手綱を引くためだ。
「そこはしかたがない。俺はチーム丹波の一員ではあるけど、今は相棒の馬がいないし、ここでは一番身軽に動ける人間だからね」
「いいなあ」
「馬越さんには丹波の訓練という重要な仕事があるだろ? 今年はあきらめなさい」
「了解でーす。広報さんが撮る動画を楽しみにしてまーす」
さすがに勤務時間中に、ローカル局の中継を見るわけにはいかない。夜のニュース番組を見るか、広報さんが撮った動画を見るしかないようだ。
「さて、出発の準備はできたか?」
隊長がやってきた。今日は隊長も制服姿だ。手綱をひくわけではないが、先導をする音羽と青葉について歩くということだった。
「水野さんがウジウジ言ってる以外は、問題なしですね」
先輩が笑いながら答える。
「そこは無視だな。御所で家族と合流したら、少しは気分も上向きになるだろ。では出発! 脇坂、留守をよろしくたのむぞ」
馬バスや先輩たちを乗せた車が出発するのを、留守番組が手を振って見送った。
「いやあ、見送るのが久しぶりすぎて、めちゃくちゃ新鮮だよ」
隊長に留守を任された脇坂さんが笑う。
「愛宕は行きたがらないんですか?」
「もうお爺ちゃんだし、街中を歩くことには執着してないからね。今日はまったり、馬場でお馬さん行進をさせるよ」
ニコニコしながら厩舎に向かった。脇坂さんの後ろについていくと、丹波が顔をこっちをのぞいている。
「置いていかれる気持ち、なんとなく理解できた気がするよ、丹波くーん」
そう言いながら、丹波の鼻面をなでた。もちろん音羽と青葉以外の馬たちは留守番で残っている。葵祭だからといって、普段やっていることが中止になるわけではない。まず朝一番にやることは、厩舎のおそうじだ。
「さて。今日は人数も少ないことだし、効率的に動かないと訓練時間が削られてしまうな。馬越さん、馬たちを順番に外に移動させていってくれるかな」
「りょうかいです」
「久世は猫車で古いワラの回収をよろしくー」
「りょうかーい」
馬房の掃除道具を手にした脇坂さんは、その場にいた全員に次々と指示を出していく。
「丹波君から順番に移動していきまーす」
「じゃあ残りは、古いワラのかき出しを開始ー!」
あちらこちらで「りょうかい」の声があがった。
実は愛宕もベテランだが、その相棒である脇坂さんも、騎馬隊に長くいる隊員だ。それもあって、隊長が不在になる時は留守を任されることが多い。実質、副隊長的存在なのだが、残念なことに本人にその自覚はまったくない、というのが他の人達の意見だ。
「馬越さん、馬たちの移動が終わったら、久世と一緒に古いワラとボロの回収作業を頼むね」
「はーい」
「音羽がいなくて良かったな、馬越さん」
すれ違いざまに久世さんがニヤリと笑った。
「別に音羽がいても問題なかったと思いますよ? そりゃまあ、まだ下克上は果たせてませんけどね」
「それ、一体どういうことをしたら、下克上達成ってことになるんだ?」
「そこがわからないから困ってるんですよ。あ、でも馬の手をしてる時は、音羽もおとなしいですからね。ある意味、調略はできているのかも」
「おそるべし馬の手」
久世さんが笑いながら、古いワラとボロが山積みになった猫車を押して、厩舎を出ていく。
それからいつもより少ない人数で必死になって厩舎の掃除をし、お馬さん達に朝ごはんを食べてもらって馬場に出る。二頭だけが留守をしているのに、やけに馬場も馬場の周りも静かだった。
「そろそろ行列が出発するって~中継が始まるよ~」
「もうそんな時間か」
「もうそんな時間ですよ~」
午前一の訓練が終わり、いつものように丹波達を洗い終えた直後、井上さんがやってきた。
「この出発直前の中継が、いちばん騎馬隊を紹介してもらえるタイミングだからね。皆、ここだけは何としてでも見るんだ」
「そうなんですか。教えてもらえて良かったです!」
ひなたぼっこをする馬たちを残し、事務所へと急ぐ。もちろん馬たちのこともあるし、そもそも今は勤務時間中。建物の中には入らず、一階の窓の外からの視聴だ。事務所にあるテレビのサイズが無駄に大きい理由、なんとなくわかった気がする。
「すごいタイミングですね。ピッタリです」
「そりゃ、ここに来て俺は長いからね。最初の頃なんて、見損ねてばかりで悔しい思いをしたものさ」
少しだけ遠い目をした。ベテランの脇坂さんのことだ。きっとわかっていて、朝の掃除も皆を急かしたのだろう。
「お、水野さん映ってるやん?」
「今回は初参加のお馬さんだからね。絶対に紹介されると思ってた」
「水野さんの奥さんには?」
久世さんがふりかえる。
「もちろん伝えておいた。この時間帯は録画するって言ってたよ」
「それは良かった」
アナウンスさんが平安騎馬隊のこと、先導をする音羽と青葉、そして騎手の水野さんと戸田さんの紹介をしている。しっかりと紹介されていたから、水野さんのお子さんもあとで見たら大喜びだろう。
「音羽、ちょっとソワソワしてますかね」
音羽が落ち着かない様子なのに気づいた。
「あれだけ人が多い場所って、なかなか行く機会がないから。しかもヘリも飛んでるし、馬的にはかなりうるさいと思う」
「それもあっての、牧野先輩同伴ですか?」
「そういうこと。隊長が同伴しても良いんだけど、階級的にほら、偉い人がそういうことをするのって、なんとなくサマにならないだろ?」
「いろいろとめんどくさいんですねえ、お巡りさんも。一般の人から見たら、誰が偉いかなんて絶対にわからないと思いますけど」
私がそう言うと、坂脇さんが確かにと笑う。
「ま、いろいろあるのさ、お馬さん以上に人間はね」
行列が動き出すと、画面は主役の斎王代やそのお付きの人達の映像に切り替わった。




