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8.そうだ、本屋行こう。

 クロエは、100人以上の男とお見合いをした猛者である。

 また、文字が読めるようになってから10年間毎日欠かさず読書をし、週に5冊で年間250冊、延べ2500冊余りのロマンス小説を読んできた恋愛の達人でもある。と、自分では思っている。

 だから、恋に落ちる状況も恋する人間の心の動きも、それを表す声もしぐさも表情も、余すことなく習得していると自負している。

 

 そのすべての経験と知識を総動員して考えても、とても不思議だ。ラインハートが自分を見る瞳に、どうしても人を騙そうとしているとか侮っているとか、そういう感情が見えないのだ。

 どう考えてもおかしい。

 好かれることはしていない、確実に。そもそも、貴族と商人。接点はほぼほぼ無く、会ったのだって数回。

 初対面の金持ちブスに抱く感情として正しいのは、「金蔓」「ブス」のどちらかであるに決まっている。2500冊がクロエに教えてくれたのは、「ブスに男が愛を囁くのは、金か名誉のため」という定説だ。


「……考えててもしょうがないか」


 ラインハートからもらった銀細工のしおりを、読んでいた本に挟んだ。残りページ数が少ないことに気付いて、クロエは鞄とケープを手に取り立ち上がった。

「あれ、お出かけ?」

 チェスボードを抱えたフィンが、ひょこっとドアから顔を出して残念そうにそう言った。

「本屋までちょっとね。夕食までには帰るって伝えてくれる? チェスは、……お母様にでも相手してもらって」

「お母様は強いからなぁ」

「あらなに? わたしには勝てるとでも?」

 クロエの、フィンに対するチェスの勝率は6割弱。姉として威張れるものではないけれど、勝ち越しは勝ち越しだ。ここ3か月くらいで見ると、負け越してはいるが。


 フィンは「どうかなぁ」と呟きながら、クロエの姿を上から下まで眺めた。

「なに、なんか変?」

 ちょっとそこまで、の気分でいたから、今着ているのは出掛けるのに支障がない程度の部屋着。ケープを羽織るから大丈夫だと思っていたけれど、みっともないかしら。

 弟の視線に居心地の悪さを感じていると、フィンはニコッと笑った。

「ううん。いつも通り、綺麗なねえさまだよ」

「あ、ありがとう?」

「いつもそうしていればいいのに。わけわからない変装なんかしないでさ」


 さらさらの髪も素敵だし、色白のお顔も美人なのにね、と呆れたように肩をすくめる弟に、クロエは「行ってきます」だけ伝えて部屋を出た。

 わけわからない、って毎回言われるけれど、そんなにおかしいかしら。

 

 何とも言えない複雑な気持ちを振り払うように一度強く頭を振って、切り替えた。

 さて、今日はどんな本を探そうか。アナスタシア先生の新刊が出ているといいけれど。

 お財布の中身を頭の中で計算しながら、足取りも軽く家を出た。


 ◇ ◇ ◇


 前に来たのはいつだっけ。

 最近はお見合いだ何だと予定が入ることが多くて、なかなか本屋に足を運べる日が少ない。それでも週に一度は通っているけれど。


 人通りの多い、通い慣れた道を早足で歩く。うきうきした気持ちで角を曲がった瞬間、

「ぷっ!」

 どん、と誰かにぶつかった。顔から突っ込んでよろけたクロエの身体は、力強い腕にふわりと支えられた。

「失礼しました……怪我は?」

 柔らかい声が、心配そうに降ってくる。

 慌てて体勢を整え、頭を下げた。

「大丈夫です! ごめんなさい、前をよく見ていなくて、」

「いえ、こちらこそ」


 どことなく聞いたことがあるような声。

 顔を上げると、そこにはラインハートが立っていた。

 気遣わし気にクロエを見つめるその視線にどきりと胸が鳴る。まさか、ここで彼に会うとは思ってもみなかった。一瞬でいろいろな考えが脳内を駆け回って混乱しかけたが、ふと我に返った。


 今日はお見合いメイクではないんだった。だから、クロエであることには気付いていないはず。

 動揺を態度に表さないように気を付けながら、クロエは取り繕うように微笑んだ。


「支えてくださって、ありがとうございます。それでは」

「あ、あの!」


 そそくさとその場を立ち去ろうとしたクロエに、ラインハートの声がかかる。

 まさか何か、と振り返ると彼は眩しそうにクロエの瞳を見つめて、甘く目を細めて微笑んだ。


「――いえ、何でもないです。気を付けてね」


 何か言いたそうに口を開いた彼は、それだけ言って軽く会釈した。

 クロエはラインハートのその表情に何とも言えない気持ちがこみあげてきて、「はい」と囁くような声を絞り出し、頭を下げて逃げるようにその場から去った。


 何だったんだろう、今の顔。

 早足で大通りを歩くけれど、ラインハートの最後に見せた表情が脳内から離れてくれない。

 顔に熱が集まっていく。

 あの目。クロエは、あの目をよく知っている。


「あんな、お父様がお母様を見つめるときみたいな」


 兄とも違う、フィンとも違う、父や母がクロエを見るときとも違う。

 熱いような甘いような優しいような。

 自分の頬を手のひらで包む。そのまま、店の壁に寄りかかって顔を手で覆った。


「あんな、あんな、……なんでよぅ……」


 心臓が痛いくらいにどくどくいっている。

 ずるずると壁にもたれたまま、クロエはその場に崩れるように座り込んだ。

 膝を抱えて小さくなった。何だか、このまま消えてしまいたいような、立ち上がったらそのままふわふわと浮かんでしまいそうな、今までに感じたことのない感情に呑まれていく。

 

 

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