6.イーサン=アドルからの手紙
貴族ではないゴドルフィン家ではあるが、資産価値としては貴族と同等、いやそれ以上である。
だが注目されているのはその資産だけではない。当主ポール=ゴドルフィンの顔の広さや人徳、長けた商才もまたそれ以上に価値が高い。
となれば当然、ゴドルフィン家と縁を繋ぎたいと考える者も多岐に渡り、貴族や豪商、王族に所縁のある方から、果ては隣国からも声がかかる。
クロエは本日も、十数通貰った封筒を手にして大きく息をついた。
「……終わらないんですけど」
「結婚が決まるまで終わらないんじゃない?」
器用にペーパーナイフで開封してくれるフィンは、にっこり笑ってそう言った。
ちょっと前までよちよち歩きだったくせにもう刃物を使うようになるなんて、と弟の成長を感慨深く思うのは、ちょっとした現実逃避かもしれない
「他の縁談が進んでいるので、とか言って断るのはどうかしら」
「え、それってノヴァック辺境伯のところの? いいの?」
「よくはないわね……」
「ならだめでしょ」
お会いしたにも関わらず求婚してきた、気合の入った強欲(もしくは特殊性癖か脳の不具合)のラインハート氏を言い訳に使う案は、一瞬出てすぐ頓挫した。
そう、そしてクロエは気付いてしまった。
金に目がくらんでやってきたやつらに「こんなにブスでしたー、残念でしたー!」と迎え撃つことばかりを考えており、それを乗り越えて求婚してきた人への対策が不十分であったことに。
「――今から考えるんでも、遅くはないわよね」
「素直にごめんなさいしちゃうのがいいと思うけど」
ね、と首を傾げるフィンは、天使のような顔でいつも正しく愛らしい。
母に似ているとクロエは思うのだけど、母から見ると、フィンは叔母に似ているらしい。父の妹らしいが、外国にいるためクロエはまだ会ったことがない。
開封された手紙を渡されたが、中身を読む気がまったく起きない。
上から順番に名前だけ見ていく。
「商人、商人、貴族、外国、貴族、商人、……アドル商会だ」
「イーサン=アドル?」
先日、爆笑とともにお断りされたはずのイーサン=アドルからの手紙。
まさか、家に帰ったら「顔ぐらいなんだ、もう一回行って来い!」とか怒られて再申請してきたのかしら。
それはそれでとても面白いからもう一回会ってもいいけど、初対面の人をからかうより気楽だし、といそいそしながら封筒から便箋を取り出した。
ふわりといい匂いがする。手紙に香水を振る、なんて小洒落た芸当が出来る男だとは知らなかった。
2枚綴りの便箋を丁寧に開くと、そこには予想外のことが書いてあった。
『きみ、姉妹はいる?』
何て脈絡なく失礼な手紙なのか。内容も言葉遣いも!
前回は振っていなかったいい香りも、もしや、いるかも分からない姉妹に対していい格好をしようとした結果とかそういう……? クロエはブスだからお断りだけど、違う顔の姉妹がいたらそっちでもいいかな、とか?
クロエは無表情のまま手元にあったメモ用紙に「いませんけど」と走り書きして、イーサンから届いた封筒にそのまま入れ、封をするのも面倒だとばかりに開口の端を折り曲げた。
「これはこのままお返しし、……」
ちょっと待って。
「クロエ? どうしたの? その手紙、」
「うん、ううん、大丈夫。ちゃんと考えて返事を書くわ」
そういえば、この前呼んでもいないのにイーサンとラインハートがうちに来ていたことがあった。事前の約束なく押し掛けてきたもんだから、お見合い用の化粧もしていなかったし、何なら昼寝中だったから会話もしていない。
この「姉妹」っていうのは、もしかして、そのとき見つかったすっぴんクロエのことを言っているのかしら。「綺麗な子だなー」と言われたことを思い出して、ちょっとだけ気分がよくなった。
姉妹の有無を問う文の続きに目を通してみることにした。
『――もしよろしければ、今度ラインハートと伺った際、姉妹の方にもお会い出来たらと思います』
ほほう。
さてどうしてくれようか。
「クロエの姉ですぅ~とか言ってすっぴんでからかい倒してお帰りいただくのも手か」
「手か、じゃないよ」
いつの間にかドアのところに立っていたユーゴの声に、びくっと肩を震わせた。
「兄さん……」
「これ以上、ややこしくしないこと。いいね」
「で、でも、こいつ失礼で、」
「クロエのやってることの方が失礼。でしょ?」
そうかもしれないけど。そうだと思うけど。自覚はすごくあるけども。
「でも」
「でもじゃないの。うちには女の子は一人しかいない。そんなの、調べるまでもなくすぐバレるんだからね」
ユーゴ、クロエ、フィン。ゴドルフィン家の子供は三人。
「……姉妹はおりません、可愛い弟はおりますが、って返事するのは?」
「それは嘘じゃないからいいんじゃない?」
よしよし、となだめるように頭を撫でられて、小さく息をついた。
ユーゴは嘘が嫌いだ。クロエの化粧は、「嘘」ではないから黙認してくれてはいるけれど、嘘を吐くのだけは許さない。
大好きな兄に軽蔑されるのだけは避けたい。
クロエは、さっき封筒に押し込んだ殴り書きのメモをくしゃりと握り潰し、サイドテーブルから真新しい便箋を取り出した。
『当家には、娘はわたくしのみでございます。また、お時間ございましたら遊びにいらしてくださいませ』
丁寧にそう綴り、ちらりと兄の顔を盗み見る。
優しくうなずいてくれたユーゴの笑顔にほっとして、香水は吹かずに、きちんと封筒に入れた。