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17.モスグリーンに想いを馳せます

 机の上に置いてある、褐色のファンデーション。

 最後に使ったのは、あの日。ラインハートを悲しませてしまった日だ。

 それ以降もお見合いの申し込みは何件も来てはいた。が、それまで「全件撃破!」とばかりに受けていたのが嘘のように、クロエは差出人を見るだけですべて断っていた。


 ラインハートからもらった手紙は、鞄の中で眠っている。

 何度も読もうと思ったけれど、どうしても開けなかった。

 読んでしまったら、そこで自分とラインハートをつなぐすべてのものが切れてしまうような気がした。

 

「はぁ……」


 ファンデーションの蓋をくるくるとなぞっていたらため息が出た。


「どうしたどうした! クロエらしくないな!」


 不意に明るい声がして、振り返った。

 にこにこして大きく手を広げている叔父に、びっくりしてクロエは固まった。

 父の弟、ヴァルター=フォン=ホイットモー侯爵だ。


「叔父さま! どうしたんですか!?」

「ちょっと近くまで来たからね。可愛い姪っ子の顔でも見ておこうかなって」

 おみやげ、と渡された子熊のぬいぐるみにちょっと笑う。いつまでも赤ちゃんだと思っているようだ。

「ありがと、叔父さま」

「これはフィンに」

「……渡しておくね」

 おそろいの子熊。フィンも14歳の男の子なんだけど、と思うと可笑しい。


「兄さんは店に出てるのかな。義姉さんも?」

「はい」

「そっか……じゃあまた今度でいいか。お邪魔したね、クロエ。今度、うちにも遊びにおいで」


 ひらひらと手を振って、ウィンク一つ残して叔父は去っていった。

 何の用だったか聞くのを忘れた。今度でいいということは急ぎではないのかも?

 

 けれど、いつも楽しいヴァルター侯爵と話ができたのは嬉しかった。

 父の弟とはいえ、侯爵。先代が早々に隠居してしまったため正式に爵位を継承しているので、一般商家の小娘がそうそう会える人ではない。……父、テオドールが爵位を継がなかったせいで、叔父も苦労性だ。


 さて、と立ち上がってハンガーから帽子を取った。


「今日も街に出かけますか」


 誰にともなくつぶやいて、クロエは鞄に子熊を入れた。この子にちょうどいいリボンを買おうと思う。

 色は……モスグリーンなんか、いいと思う。




 天気のいい昼下がりなので、やはり今日も街は活気がある。

 手芸屋さんに行くのがいいか、それとも雑貨屋さんに行くのがいいか。どうしようかなと考えながらも、どうしても雑踏の中にあの人の影を探してしまう。


 あれから何度も街へきているが、ラインハートには会えていない。

 運がないのか、避けられているのか、それとも何か別の理由があるのか。

「でも今日は、リボンが目的だから」

 子熊の入った鞄を抱き寄せて、言い聞かせるようにそう言った。


 手芸屋さんなら、いろいろな色や素材のリボンが多数ある。選ぶんなら手芸屋さんかしら。

 雑貨屋さんなら、すでに素敵に装飾が施されたリボンがあるだろう。悩ましいところ。

 そうだ、両方行けばいいわ。とクロエは一人頷いた。まだ時間は早い。急がなければいけない理由もないし。


 まずは雑貨屋さんへ、と視線を送った先に、モスグリーンのジャケットが見えた。


「――っ!!」


 思わず、駆け出していた。

 

 あれが誰だ、なんて認識する前に体が動いていた。

 自分でも驚くほどに自然に、彼の数歩後ろで足を止めた。


 雑貨屋のショーウィンドーの中を眺めている、ラインハート。

 どことなく浮かない表情が、ガラスに反射して見える。

 何を覗いているのかしら、と一歩近づく。ガラスの向こうには、煌めく若葉のような色のペンダントが飾られていた。


 綺麗。

 黄緑の光が反射して、彼の瞳がチカリと輝く。


「あの、」


 そう声を出してから気付いた。この姿でラインハートに会うのは2回目、まだ名前も知らない……ことになっている。

 寂しそうな横顔がこちらを振り向いて、驚いたように固まり、ふわりと笑顔がほころんだ。

 どきりと胸が鳴る。


 私は豪商ゴドルフィンの孫、クロエ。

 豪胆を絵に描いたような女。しっかりしなさい。


 一瞬で腹をくくり、クロエは町娘のようにちょこんとお辞儀をした。


「こんにちは。この前はぶつかってしまって、ごめんなさい」

「――こちらこそ」


 じっとこちらを見つめる瞳。

 先ほどまでの寂しさをまだ微かに滲ませたまま、優しく甘くクロエをとらえて離さない。


 クロエはこくりと喉を鳴らして、

「お、お詫びもしていなかったので……少し、お時間あります? お茶でも、」

 こんな風に男性に声をかけて誘うなど、初めてだ。

 変な汗が背中を伝うけれど、発した言葉は戻らない。

 キョトンとした顔のラインハートを笑顔で見つめたまま、心の中では後悔の嵐が吹き荒れている。


 彼は、そんなクロエの胸中を知ってか知らずか、心底楽しそうに笑って、こちらに手を差し出した。


「お誘いありがとうございます。……君に見せたいお茶があるんだ、一緒に来てくれる?」

「! はい!」


 伸ばされた手のひらに、少し迷いながらも自分の手を重ねた。

 彼はそれをためらいなく優しく握り、「こっちだよ」と引いてくれる。


「もう、会えないかと思った」


 そんな声が聞こえて顔を見上げると、ラインハートは少し泣きそうに眉を寄せて、不器用に笑う。

 つられて、クロエもぎこちなく笑んだ。

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