13.眠れない夜の後に
いつまでも戻ってこないクロエを心配したのか、ユーゴが様子を見に来た。
ラインハートがすでに去ったテーブル。立ちすくんだまま、流れる涙を拭うこともせずに空を見上げているクロエを、兄はそっと抱き寄せた。
「馬鹿だな、クロエ」
「……っ、……」
何があったのかは訊かれなかったし、恥ずかしくて話せなかった。
ただ、小さな声で「ラインハート様」と何度か繰り返して、涙を流した。
変なことを聞かなければよかったのか。
何が悪かったのか、と考えれば、最終的に行きつくところは「自分が悪い」しかなかった。
自分が悪かった、と自覚したところで、ではどうしたら? 謝ればいい?
何をどう謝っても、取り返しがつかないような気がして。
「クロエはどうしたんだ?」
心配そうな祖父の声が、自室のドアの向こうから聞こえてくる。
大好きなおじいちゃまにも心配をかけてしまったことが情けなくて、恥ずかしくて。
母が「大丈夫よ、心配ないわ」と明るい声で答えてくれているのを聞いて、それもまた涙が出る。
守ろう守ろうって思っていたけれど、結局自分がしたことと言えば、周りのみんなに心配をかけただけ。
情けなくて悔しくて、布団をかぶって自分の殻に閉じこもった。
次の日は、ラインハートからもらった本を読んだ。
相変わらずの丁寧な筆致で描かれるラブロマンスに、気が紛れる瞬間もあり、傷が抉られる場面もあり。
日が暮れて読み終わった時には、心と体が空っぽになったような錯覚に陥るほど、すっきりしていた。
布団の中で一人になると、数々の素晴らしい小説の場面が脳内を駆け巡る。気付くとその中に自分が登場していたり、ラインハートの顔がチラついたりと忙しく、熟睡できないままに朝を迎えた。
それが何日も続くと、日中ぼんやりすることが多くなり、食事もとったのかとらないのか分からなくなった。
ついに、反応が鈍くなった姉を心配したフィンは、クロエの膝に縋り付いて大きな声を上げて泣き出した。
無意識で柔らかな髪を撫でていたクロエの手をフィンが強く払いのけたとき、はっと我に返った。
「ねえさま! しっかりして!」
「――フィン……」
「バカねえさま!」
ぎゅうぎゅうときつく抱きしめられて、だんだん散り散りになっていた思考が中心に集まり始めた。
フィンの背中越しに見まわすと、どこかほっとしたように目を細めた父が立っていた。
「お、とうさま? あれ、お仕事は?」
「お父様とお母様は、交代でいつもこの部屋にいてくれたんだよ! 何で気付かないの! 心配してたんだよ!」
「あ、ちょっと耳元でうるさ、」
「何その言い方、いつものねえさま過ぎて、ほんとによかったよ!」
心配しながら責め立てるという器用な芸当に、父テオドールはフィンを引きはがしながら笑った。
「フィンの性格は、お母様似だね。愛情深くて激高しがちで」
フィンはぷりぷり怒りながら、「昼寝してくるし!」と叫んで部屋を出ていった。
去り際にちょっとほっとしたように目が潤んでいるのが見えて、優しい弟に心配かけてしまったことを悔いる。
急に静かになった室内で、クロエはテオドールに頭を下げた。
「――ごめんなさい、お父様。私、その、」
「クロエ、謝ることはない」
愛想のいい方ではない父が、柔らかい表情で見つめてくれる。
「親は、子供を心配するのが仕事だから」
「で、でも、」
「やりたいようにやってごらん」
父は、今は喫茶店で飲み物を入れたり母を甘やかしたりするのが仕事だが、実は貴族出身である。
母のことが好きすぎて実家を捨てたという、なかなかの我儘親父だ。
だから、並大抵の我儘や無鉄砲は許してくれるつもりなのだろう。
口も手も出さず、気持ちだけ寄り添ってくれる。頼れる父だ。
「……また、迷惑をかけるかも」
「ポーリーンを泣かせなければ、それで構わない」
クロエに一度頬を寄せて、父は言葉少なに部屋を出た。
結婚して15年ほど経つのに、いまだに深く愛し合っている両親を見ていると、恥ずかしいような勇気づけられるような、そんな気持ちが沸き起こってくる。
めそめそしていても仕方がない。
一度、お顔だけでも見に行きたい。
抜け殻になりそうなほど考えて、最後に残ったのがその想いだった。




