12.あなたのお考えをどうぞ聞かせて
素顔の時に出会ったラインハートの顔を思い浮かべると、少し怖い気がした。
(何か言ってくるかもしれない)
(婚約の申し込みはなかったことに、といわれるかもしれない)
もし仮にそうなった場合、では素顔のクロエとして出会って恋に落ちるなんてことはできるだろうか。
出来るわけがない。
クロエはどう転んだってゴドルフィンの孫なんだから、結婚に至った時には必ずばれる。
結婚の申し込みにやってきた男性を試すような女であることが、ばれてしまうのだ。
こくりと喉を鳴らして中庭の見えるテラスへと出ると、ラインハートがこちらに気付いて立ち上がった。
「クロエ!」
丁寧にお辞儀をして頭を上げると、前回会った時と変わらない笑顔の彼がそこにいた。
ほっとして思わず表情が緩む。
「いらっしゃいませ、ラインハート様」
「お招きありがとう、クロエ。今日もとてもキュートだ」
甘く瞳を細めてそう言い、彼は微笑む。
裏表を感じない。どうしてだろう。
好き……になってしまったから、目が曇ってしまったのだろうか。
こんなことで、祖父の財産をきちんと守れるのか。不安になってしまう。
「あ、クロエ。この前、街に出たときに」
どきりと胸が鳴る。動揺を悟られないように、きょとんとした顔を作って首を傾げた。
「これ、買ってきたんだけど読む?」
「アナスタシア先生の新刊……!!」
すっと差し出されたそれは、あのラインハートに素顔で出会った日に発売された本だったとのこと。あのまま本屋に行っていたら絶対に買っていただろうに、例の件で動揺してしまって帰宅したせいで、見つけそびれていたらしい。
「ありがとうございます! よろしいんです?」
「うん、もちろん。これはあなたのために買ったものだから」
受け取ろうとした手の甲に、ラインハートの手が重ねられた。びくっとしたが払いのけることができずに固まってしまう。
じわりと彼の温かさが伝わってきて、頬が熱くなってくる。
「あ、あの、」
「ごめんね、可愛くてつい」
ぱっと手を離すと、まったく悪びれる様子もなくそう言われた。
可愛くて、とか。キュートだ、とか。そんなわけないでしょ、と理不尽なのはわかっているけれど気分が悪い。
もう、そろそろいいだろう。
クロエはじっとラインハートを見つめると、ゆっくりと切り出した。
「ラインハート様」
「はい」
真剣な空気を感じたのか、彼もせすじを伸ばしてこちらを見つめる。
凛とした表情に思わず見入ってしまいそうになるのを耐えて、口を開いた。
「どうして、私に求婚などするのです」
その質問は、ラインハートにとって予期していたものだったのか。
彼はびっくりするようすもなく、にっこり笑った。
「一目惚れです」
「信じません」
「おや、どうして?」
心底不思議そうにこちらを見つめるラインハートの瞳には、噓を吐いているような揺らぎはなかった。それがひどくクロエをいらだたせる。
「私は、こんなですから。100人の男性に袖にされ続けた容姿です」
「みんなの見る目がなくって良かったな」
「率直に伺います。ゴドルフィンの資産をあてにされておられますか」
婉曲的に聞いてもかわされるのであれば、と直球で聞いてみた。
ラインハートは、ほんの少し寂しそうに目を細めて、口元だけ笑んだ。
しばらくの間、彼は何も答えずにじっとクロエを見つめていた。
視線をそらさないクロエから強い意志を感じたのか、ふっと小さく息をついて、ラインハートはゆっくりと立ち上がった。
「今日は、ここで失礼します。……お渡ししたいものも渡せたので」
「! ラインハート様、」
「お茶、ごちそうさま。……また」
歯切れの悪い挨拶をし、姿勢の良い礼を取り、彼はテラスを出て行った。
モスグリーンの上着の背中を見送りながら、クロエは挨拶の言葉を投げることもせず、そのまま長い時間立ち尽くしていた。
彼は、何も答えなかった。
それが、クロエの質問に対する何よりの答えだったのか。
目論見がばれてしまったから逃げたのか、とちらりと思った。
けれど、去り際の寂しそうな瞳を思うと、どきどきと心臓が痛い。
あまりにも失礼な物言いをしてしまったのでは、という後悔。今まで、ここに来るお見合い相手たちには感じたことのなかった思い。
追いかけて行って、ごめんなさいというべきか。
でも、本当に彼が財産目当ての悪人だったら?
引き留めてどうするの?
好きですとでもいうつもり? こんな、人を試すようなことばかりしている私がどんな顔をして言うの!
ぽろりと涙がこぼれた。ファンデーションはそれでもよれることもなく、滑稽だった。
ラインハートが、求婚なんてしてくれなければ。
あの時、街でぶつかったときに、ただ出会ったばかりの何の裏も策略もないままに恋に落ちることができたなら。
もし、そうだったらクロエだって、資産がどうのなんて思わなかった。
後で貴族だと知って、こちらの家のことも知ってもらって、そうだったのねって笑えたかもしれないのに。
家なんて関係ないわ、って手を取り合えたかもしれないのに。
「わたしが、いけなかったのかしら」
ぱたぱたと涙を流れるままにして、空を見上げた。
木漏れ日が暖かくて、それがまた悲しかった。




