1話
三輔地域は荒れ果てていた。
董卓の暴政、李傕・郭汜の内訌、天候不順。
前漢代には首都防衛の要地として重要視されてきた三輔は、その日の食事にさえ困るくらいに荒廃していた。
「王亭長、もう糧食が底をつきます」
そんな訴えが来るのは時間の問題だと、ずっと思っていた。が、実際にその現実を目の当たりにするとやはり気が滅入るし頭が痛い。
「そう呼ぶな」
王忠は少し前まで亭長を務めていたが、もう辞めている。
民は王忠に懐いた。広く県郡を治める役人よりも、身近にある宿駅の役人のほうがずっと深い親しみを覚えていた。何かあれば王亭長に、という風潮が狭い範囲だが、あった。
もはや無位無官の男に何を言うか、と嘆きたい気持ちでいっぱいだ。しかし王忠はぐっとこらえて方策を考えた。
家財を売るか、土地を拓くか。
駄目だ。家財を売って金策しても、買う食料がない。事実、一番に泣きついてきたのはあきんどであった。開墾は、悠長すぎる。土地が実る前に、飢える。今すぐ食わねばならん
実を言うと王忠のほうでも食料は尽いていた。
王忠がうんうんと唸ってはや三日、凶報は続く。
「どうしましょう、最近匪賊が人を襲って食らっています」
「食らう?」
「はい。文字通り」
今度は食人集団の出現だった。
此の世の混沌はここに極まったと思える異常だった。
人間は存外つよい。ぬるま湯につかれば相応の強度になるし、雨風に晒されれば相応に対応する。どちらにせよ、大体つよさは執着に起因する。財でも、家族でも、土地でも、むろん命でも、執着のためになら何にでもなれるし何にでも耐えられる。
だが、幾重にものしかかる苦境には耐えがたい。限度がある。三輔の民の最たるものが『東州兵』と呼ばれた流民たちであった。
もちろん、彼らは兵士ではない。兵士にならざるを得なかった。三輔地域の苦痛に耐え兼ね、天嶮肥沃の益州ににげた。
彼らはそこで、兵力として扱われ、益州土民との対決に使われた。『東州兵』は強かった。彼らの勁さは、土地の執着を離れざるを得なかったからだろう。執念は妨げられるほど大きくなる。
とにかく、食人集団もまた、生命と食料への執着の産物である。
文字通り、食われる。原理的で根源的な恐怖が掻き立てられた。
民の間で噂になっているということは、堂々と狂奔しているに違いない。そして、対応されていないのを見るに、郡県は動く気がないらしい。
「匪賊とは、黄巾か」
「いえ、ただの食うに困った住民です」
だから動かないのだろうか。
とにかく、食人まで横行する飢饉である。やはり、土地の執着を離れなければならないのだろうか、と王忠はやはり、煩悶していた。