<生贄の子>
竜の血には毒がある。
不老不死や若返りをもたらすという神薬に加工すればだれにでも飲めるが、そのまま飲めば死んでしまうほどの猛毒だ。
そして極稀に、竜の血を飲んでも生き残るものがいて、彼らは竜の魔力を得るのだと言われていた。
一か八かの賭けに出ようとする者は古来から多くいた。
山脈の邪教団は、オルベール王国に支援者を持っていたのではないかとアマデウスは疑っている。竜の血を求める者達だ。
少なくとも自分達家族の移動経路を邪教団に漏らしたのが、オルベール王国の人間であることは間違いない。
国王が邪教団と同じすみれ色の髪だということにも意味があるのだろう。
アマデウスは、国王の母親が邪教団の所業を嫌って山を下りてきたのだとは思っていなかった。むしろ邪教団の意向で王国全体を奪いに来たと考えたほうが座りが良い。
ブランシャール大公は、邪教団の手先の女とその女に骨抜きにされた国王を始末することで王国を救ったのかもしれなかった。
だからといって、ブランシャール大公が善人だという話にはならない。
彼は彼の目的があって行動しただけだろう。
少なくともブランシャール大公は、耳触りの良い友情という言葉でアマデウスの恩人を利用していた。恩人の娘であるカサンドラをもだ。
カサンドラ──
生贄に捧げられて死にかけていたアマデウスは、竜の血を飲むことで不思議な力を得た。
時間を戻す力だ。
三回利用して使えなくなった。瞳に宿っていた銀の光が竜の血から得た魔力の証だったのだろう。
「死んじゃ駄目!」
その幼い少女は、初めて会うアマデウスの死を悼み泣きながら叫んでいた。
亡き母親を重ねていたのかもしれない。
彼女の母親は魔獣使いだったと、恩人が晩酌のときにこぼしたことがある。
魔獣使いは大暴走の原因として疎まれることが多い。
実際権力者に利用されて大暴走を引き起こしたものもいたという。
彼女の母親が亡くなっていたのは、親娘が旅をしていたのは、その辺りに原因があったのかもしれない。
朦朧とした頭で、アマデウスは彼女の声を聞いた。
竜の血を飲んでから、自分の中に強い力が宿ったことには気づいていた。
その力を利用すれば生贄の儀式でボロボロになった自分の体を治せるかもしれないことも。
邪教団は人喰いでもあった。
生贄達は竜へ捧げられる前に、生きたまま肉を刻まれ血を啜られていた。
それも儀式の一部であり、彼らは竜と同じように人を喰らうことで自分達が人と違う特別な存在だと思い込もうとしていたのだ。
アマデウスは、その少女の声を聞くまで力を使おうとは思っていなかった。
自分を助けようと邪教団に歯向かった両親は大怪我を負っていた。なんとか逃げのびてくれたものの、少女の父にアマデウスの救出を託して亡くなったようだ。親娘の会話からそれが察せられた。大好きな両親を亡くした上に、自分の外見はこの辺りでは珍しい。
今の状況では生き残っても幸せになれるとは思えなかった。
「死んじゃ駄目だよ!……あーん!」
「諦めるんだ、カサンドラ。……遅かったんだ」
カサンドラ──
なぜか無性に彼女の顔が見たくなった。
アマデウスは自分の中の力を使い、自分の体の時間を傷つく前に戻した。それが一度目。
目を開けて見た少女は焦げ茶色の髪に緑色の瞳。生き返ったアマデウスを見て、嬉しそうに微笑んだ。
従者という形で引き取られたが、カサンドラ達はアマデウスを対等に扱ってくれた。
どんなに減らず口を叩いても言葉で窘められるだけで、暴力で罰を与えられることはなかった。
アマデウスがなにを言おうとも、結局最後はいつもカサンドラのために動くことに気づかれていたのかもしれない。
成長したカサンドラは、すみれ色の髪の国王に恋をした。
初めて会ったときに恋をしたと言っているが、アマデウスは信じていない。
夢見る年ごろの少女が、恋に焦がれて思い込んでいるだけだ。本当に初めて会ったときに恋をしたのは──
アマデウスはカサンドラの恋を喜んだ。
彼女と国王の婚約は政略的なものだった。はっきり言ってしまえばブランシャール大公の都合で結ばれたものだ。
それでもお互いに愛し合っていれば、幸せになれるだろう。
アマデウスが二度目に時間を戻したのは、すみれ色の髪の国王によって不幸になったカサンドラが死亡したときだった。
自分が死んだ後のことだ。
すみれ色の髪の国王を庇って死ぬときにアマデウスが願ったからだろう。──もし彼女が不幸なまま死ぬことがあれば、時間を戻ってやり直せますように、と。
すみれ色の髪の国王からカサンドラを奪おうなどいう考えはなかった。
初めて会ったときに恋をしたなんて言葉は信じていなかったけれど、彼女が彼を愛していることだけは疑いようがなかったからだ。
カサンドラを幸せにするためなら、何度でも命を賭して国王を守ろうと思っていた。
「先ほどの誓いを取り消します。女神様に嘘はつけませんもの。私は愛せません。女神様に誓って、この命ある限りジェイク様を愛することはありません」
三度目に時間を戻して、アマデウスは体の中にあった力が消えているのに気づいた。
これではもうカサンドラのためになにも出来ないと怯えるアマデウスの前で、彼女はすみれ色の髪の国王に別れを告げた。
想像したこともない展開だった。
聖なる川を渡ったことを理由に前髪を上げると、案の定銀の光は消えていた。
隣国での穏やかで平和な生活で、アマデウスは知った。
お茶やお菓子で、言葉で、自分がカサンドラを笑顔に出来ることを。国王のために命を捨てなくても、彼女を幸せに出来ることを。
「……カサンドラ、私の愛しい人」
恩人の再婚に押されての求婚を彼女は受け入れてくれた。──少し時間はかかったけれど。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「私もそのほうが好きですよ」
風になびく焦げ茶色の髪が好きだ。
自分を映す緑色の瞳が好きだ。
アマデウスの言葉で見せてくれる笑顔が好きだ。
生贄の子はもう時間を戻せない。アマデウスの命は愛しい人を笑顔にするためにある。




