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***


私の名前はセシリア。十六歳の時、社交界一の美男子・クリス様と婚約をした。


クリス様は本当に美しくて優しくて、理想的な男性だった。政略結婚だったけれど、私は心からクリス様を愛していた。そしてクリス様も私を愛してくれる…私はあの頃、世界一幸せな女だと信じて疑わなかった。


けれどクリス様はいなくなった。私の屋敷の中に、クリス様が専用に使用していた部屋があったのだが、その部屋に血だらけの服があった。おまけに窓が全開。きっと何かの事件に巻き込まれたのだろう。


クリス様は帰ってこなかった。私に何も言わず、帰ってこなかったのだ。


私の心はぽっかりと穴が開いてしまった。愛していた人を失った私は、これから一体どうやって生きていけばいいのだろうと。悲しくて寂しくて、私の心はずっとこの数年間泣いて叫んでいた。




そうして三年が過ぎ、十九歳になった時にミハエル・ベーレンズ侯爵家の末息子と婚約をした。ミハエル様は「堕天使」と言われるくらい表情がなく、そして冷たく、毒物と病気の研究をしているという変わったお人だった。


かつての婚約者・クリス様とは全く違った人だったので戸惑ったものだ。ミハエル様は全然優しくもないし、笑顔もない。常に無表情だし、私よりも研究をすることの方が楽しそうだった。


こんな人とうまくやる自信はなかった。それにミハエル様は私の事を決して異性として見ているわけではないとも分かった。私よりも一つ年上の彼からしたら、もしかしたら私は子供っぽいのかもしれない。大人の女性の方が好みかも…と思い詰めたら悲しくなる。愛したクリス様はいなくなり、次の婚約者はそもそも私に興味を抱いていないなんて…。


しかしミハエル様は決して冷たいだけの人間ではなかった。


洞察力は優れているし、何より感情より理性を優先させる人だった。そこら辺もクリス様とは違う。クリス様はどちらかと言うと、己の感情を良くも悪くも隠さない人だったから。そう考えると、ミハエル様は何事も頭でじっくり考えてから行動をする人なのだろう。


ミハエル様と腹を割って話す機会が二度か三度あった。クリス様と私のこと。ミハエル様の研究のこと。これからの二人のことなど。ゆっくり二人で歩んで行こうとミハエル様に言われたとき、私の心はここ数年味わうことのなかった安堵感に包まれたものだ。


この人とならば、穏やかな夫婦になれるかもしれない。そして心から好きになれるかもしれない。最初はクリス様の代わりとしてしか見ていなかったけれど、段々と彼のことが好きになりつつあるのを感じていたから。不器用なところも、自分の好きな事に熱中するところも、次第に好ましく思っていったから不思議である。




そんなミハエル様から、二人で話したいことがあると言われた日のことだ。


ミハエル様は私を黄色の花畑へ連れてきた。一面が黄色の見事な花畑をミハエル様は大層気に入ったそうだが、私はこの場所は好きではないし、来たくはなかった。しかしミハエル様は私の気持ちなど気付くこともなく、花畑の広がるところで降りると、庭師が使うような土を掘る道具-ようするに鍬―を取り出した。


ひやりと背筋が冷える。それで一体、何をするつもりなの…?


「セシリア、こっちにおいで」


ミハエル様の声が聞こえる。でも私は固まって動けない。


そんな私を一瞥すると、ミハエル様は花畑のあるところで足を止めて、その場所を掘り返した。ざっく、ざっくと…。私の心と体は麻痺し、ただミハエル様の行動を眺めていたが、ミハエル様の手が止まり私と彼の視線が混じり合ったとき、私は馬から降りてミハエル様の元へ駆けていた。


「いや…いや!お願い…やめて…!」


私は自分でも気づかないくらいに大粒の涙を流していた。そんな私に同情するかのような目を向けてくるミハエル様がいる…。ああ、もう駄目だ。私はミハエル様にすがりながら、彼が掘り出した「それ」を見つめた。


「……この花の下に埋まっているもの…。人、ですね…。これはクリス・ボーヌセマ様ですか…?」

「………っ!!」


そう。黄色い花畑のある場所に埋まっている「それ」。私のかつての婚約者・クリス様だった。


見ることができなかった。白骨化したクリス様を。かつて愛した人が、そこにいるということを。


がくっと膝から力が抜け、私は土の上に座り込んでむせび泣く。ミハエル様は私の前に膝をついて、低くて冷静な声で話しかけてきた。


「セシリア、この黄色い花はね…。薬にも毒にもなる花なのだが、珍しい特徴を持っている。それは土の種類によって、その花の色を変えるのだよ」


言われてみて気付いた。クリス様が埋まっているところに咲いている花の花弁の色は黄色ではない。赤と黄色が混じり合ったような、濁った色だった。ミハエル様は、なぜここだけ色が違うのだろうと気になったから掘り出してみたと言った。たった、それだけの理由で。


「僕が研究者だからかな…。些細な事でも疑問に思ってしまうのだ。そして突き詰めて解決させないと気持ち悪くってね…」

「…そんな…」

「……まさか死体があるとは思わなかったよ…。服の中に懐中時計があって、その裏にボーヌセマ公爵家の紋章が彫られていたから、この人はクリス様だなって気づいたよ…」

「う……!うう………」

「………さっきからの反応を見れば…君は既に、彼がここに埋まっていることは知っていたのだね…」


もう隠せなかった。この三年間、私が必死で隠してきたことを暴かれてしまったのだ。私は泣きながらミハエル様に告白をした。


「私が…!私が殺しました…!殺すつもりはなかったのですけれど…、結果的に私が殺して埋めました」


大泣きをした私を落ち着かせようと、ミハエル様は優しく頭をなでてくれた。


「…理由を、聞いても?」


三年前を思い出す。あの日、私はこの花畑でクリス様と会っていた。今日ミハエル様に呼び出された時のように、話があると言われたから、この場に赴いたのだ。護衛も付けずに二人で話をしたいとこっそり言われ、胸を高鳴らせて花畑へ来た。


するとクリス様は普段とは想像もつかないくらいに冷たい顔で


「他の者たちには聞かれたくないからね…。ここで話をしよう。いいかい、君と私は家同士が決めた結婚相手というだけだ。君は僕と愛し合っていると周囲に話しているが…正直迷惑なのだよ。夫婦のことを他人にペラペラ話す浅はかさ、私に愛されていると勘違いしている愚かさ…君のそういうところ全てにうんざりしている」


そう言い放たれた時、ガンと鈍器で頭を殴られた感覚がした。クリス様からそんな暴言を聞かされるとは思わず、言葉が出なかった。


挙句、「私は心から愛している者がいる。言っておくが、私はその者を二番目の妻として迎えるつもりだ。君とはあくまで政略結婚だ。私に期待しないように。あと愛人は作るなよ。体裁が悪いからな」と言われたのだ。


言いたい事だけ言い残して私に背を向けたクリス様に、私は気づいたら護身用の短剣を突き立てていた。背中からざっくりと、短剣で貫いていた。


「ぐ…っ!な…何を……!」


大量の血を流しながら死んでゆくクリス様を、私はただ眺めていた。いや、何も出来なかったのだ。頭が働かず、これは悪夢ではないかと思う程にぼんやりと目の前の出来事が流れるだけ。


クリス様が死んだとき、彼に言われた言葉に再び絶望し、そして己のしてしまったことに恐怖した。私は人を殺してしまった。殺すつもりはなかった。ただ気づいたら刺してしまった。


それから無我夢中で土を掘り彼を隠し、夜になれば鍬を持ち出して再び土をかけた。その間の記憶は曖昧だが、彼から血だらけの服を脱がし、部屋に置いておいて窓を全開にすることは忘れなかった。公爵家の息子を殺したとなれば、私はただでは済まない。自分の保身のために必死で走った。


けれどそれは全て、この瞬間に崩れた。ミハエル様が私の罪を暴き、こうして私の前に立ったことで。


「今更言い訳はしません…。どうぞ、私を罰してください」


泣きながら頭を下げれば、ミハエル様は少し困惑したように言葉に詰まる。しかしややあって


「今まで苦しかったな…」


と優しく言ってくれて私を抱きしめてくれた。そんな事をしてくれるなんて夢にも思わず、ミハエル様の顔を見上げた。


「安心していいよ。別に僕は誰にも言うつもりはない」

「……っ!?な…なぜですか……」

「なぜ?なぜって……ん~……なぜだろう?」


ミハエル様自身も不思議だったのか、空を仰ぎながらひとりごちる。苦笑しながら考えるように言葉を選んで口を開く。


「セシリアの話を聞いて、クリス・ボーヌセマ様は嫌な男だなって分かったし…。まあ自業自得かなって」

「で…でも…。私は人を殺してしまって……」

「まあね…殺人はいけないね…。でも王宮では殺人や暗殺なんて話は珍しくないしね。実際、僕はその手の話はよく知っているよ。知っているだろ?僕の仕事は毒物と病気の研究だ。良いようにも悪いようにも使えるのだよ」

「……でも…」

「だったらこう言えばいいか?誰かを殺すことくらい、僕もやったことあるよ。勿論僕の場合は毒だけれどね」

「!?」


ニヤリと笑ったミハエル様に対して少しだけ恐怖を感じる。けれども同時に黒い笑顔はなぜか言いしれない魅力を放っていた。


「今まで一人で辛かったね、セシリア。これからはその苦しみを僕と分かち合うといい。クリス様の骨はもう少し違う場所にうまく隠すよ。僕に任せておいて」

「………どうして…そこまでして下さるのですか…?あなたには何の利益もないでしょうに…」


ミハエル様はまた少し考え込むと、にやりと楽しそうに笑った。


「セシリアに惚れたから。それでは理由にならないか?」


今の流れで、どうして私に惚れようなどと言えようか。それとも別の何かを隠すように、わざとそんな事を言っているのだろうか。呆気にとられた私を一瞥すると、ミハエル様はまた笑う。「堕天使」などと言われているが、あながちそれは間違いではない気がしてきた。





ミハエル様の仰った通り、クリス様の白骨死体が見つかったなどという話はついぞ出なかった。ミハエル様にそれとなく聞いたところ、骨は研究の実験で使用したから気にしなくていいとあっさり言われて背筋が冷える。


もしかして私は、とんでもない人と婚約をしてしまったのではないかと不安になってしまった。クリス様を殺した張本人のくせに何を言っているのだろうかと責められれば何も言えないのだが。


「ミハエル様…。こんなことを言ってはお怒りになるかもしれませんが…。私はミハエル様に変えられていくような気がして怖いです…」


意を決してそう言ったことがあった。ミハエル様はその台詞を楽しそうに聞いており


「そうかもね。僕は‘月の天使’と呼ばれていた君の翼を折ったにも等しい存在だ。君にとっては苦しいかも」

「……苦しくはないのですが…怖いです…」

「最初はそんなものだよ。知らない世界に足を入れるということはね。でも怖がる必要はない。あなたに害を与えないようにするから」


どうしてだろう。婚約した頃は、ミハエル様は私のことなんか興味なかったのに。クリス様の骨を見つけて二人で秘密を共有するようになってから、ミハエル様は私の事を本当に想って下さるようだ。


今だって愛おしいと言わんばかりに私を後ろから抱きしめてくれる。彼に抱きしめられる事が嬉しいと感じつつも、やはり少しだけ怖いと感じる自分もいるわけだ。


「僕は今のセシリアの方が好きだよ。以前の君はあまり面白くなかったから」

「………ミハエル様は…やはり変わっておられます…。罪に濡れた私のどこがいいと言うのですか」

「人間らしくていいと思う。天使なんて呼ばれている君は…人形みたいだった」


まあ酷いと言ってやれば笑って頬に口づけをくれる。さっきまで怖いと思っていたのに愛されていると分かれば心が穏やかになるなんて…。私はどうしようもない人間だ。







段々と分かってきたのだが、ミハエル様の研究と仕事は私の予想以上に危険を伴うものであった。いや、毒物や病気の研究なのだから常に危険なのは理解できるのだが、どうやらそれとは別に秘密の仕事もしているらしい。以前にさらりとそう教えてくれたことがある。


「僕の奥さんになるくらいならば、多少の事では動じないようにしてもらわなくちゃね」

「……!それは…どういう意味ですか」


多少震えながら聞き返すと、ミハエル様は楽しそうに笑いながら、私の耳元に唇を寄せてきて囁く。


「そのままの意味だよ…。大丈夫、クリス・ボーヌセマ様を殺したことは気にしなくていい。その罪は僕が引き受けたから」

「っ…」

「僕はどちらかと言うと‘裏’の人間なのだよ。セシリアのした事を隠蔽することなんて造作ない。だからもう気にしなくていい。……こんな僕と一緒になるあなたには同情するけれど…これも運命だと思って諦めて」


裏の人間であると教えられた時、ああそうかと納得した。同時にほっとした。それは自分の罪の重さを彼が救ってくれたような気がしたから。本当に私は浅ましく愚かな人間だ。


「こんな事を申し上げてはいけないのかもしれませんが…、ミハエル様に感謝しております。私の罪を一緒に分かち合って下さり、そして私を助けて下さって。心よりお礼申し上げます」

「……まあ…僕も悪いことはしているし…」

「しかしそれはお仕事なのでしょう?私は…完全に個人的な理由で、ただの殺人で…」

「……セシリア」


ミハエル様の黒い目が私を見つめる。私も彼の眼差しを受け止めた。


「お互いに背負った罪は軽くない。その事を忘れることは許されない」

「………はい……」

「でも一人ではない。あなたがその罪を告発されて罰に処されるならば、僕も同じ罰を受ける。それが罪を共に背負うということだと僕は思っている」

「……はい」


それだけの言葉で私の心は軽くなった。一人で背負うのには重すぎる罪。いつか私はその罪を償う日が来るとは思う。けれど一緒に罰を受けてくれると言ってくれただけでとても嬉しい。涙がぽろりと零れ落ちる。


「でしたら、ミハエル様がもし罰せられる日が来るならば、私も一緒に罰せられますわ。それがあなたを支える妻としての役目です。ミハエル様が私と共にいて下さるように、私もミハエル様から離れません。それを、お許し下さいますか?」


ミハエル様は私の言葉に目を丸くさせて口をぽかんと開けていたけれど、しばらくして楽しそうに笑う。そしてゆっくりと私の唇に自分のそれを合わせてくれた。


「……勿論だよ。僕はあなたのもので、あなたは僕のものだ。普通の夫婦ではないかもしれないけれど…そういう関係もスリルがあってアリだと思う」

「……スリルはあまり求めていませんけれど…」


くつくつと楽しそうに笑うミハエル様に胸がきゅっと締めつけられた。私はもうとっくに、この人のことを好きになっていたのだろう。


「危険な事をするときは…一言教えてくださいね。あらかじめ覚悟をして準備しておきますので」

「……そこまで覚悟しなくてもいい。あなたには危険な事をさせるつもりは毛頭ないから」


ミハエル様の手が私の頬に触れて優しく撫でる。


「では今日はこれで…。また明日来る」

「……はい、お待ちしております。お気をつけて」


ミハエル様はこれから王宮の研究所に向かう。会えるのは明日だ。婿として私の家に入る日はそう遠くないので、私の家から通う日がいずれ来るだろう。


「早く…一緒に暮らしたいです」


「堕天使」と言われるミハエル様は、確かにその名がお似合いのところがあったお方だった。けれど私を救ってくれた唯一の人と思えば、彼は私にとって「天使」でもある。これから先、私たちに待ち受ける定めは天国か地獄か。でも今は深く考えない。あの人と手を取り合い、歩んでいくと決めたから。




息抜きで書いていたものですが予想以上にシリアスになってしまいました…!

誤字脱字ご報告、いつもありがとうございます!

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