第一章
第一章
少年は、机に片肘をついたまま、欠伸をした。今は授業の真っ最中だ。けど、眠い、眠気のが勝ってしまう。
これが将来、何のためになるのだろう。
ぼんやりと考えた少年は、一応先生の話を聞き、ノートを取っている。
国語は分かるなあ。英語も分かる。けど、数学は、理科は? 理数系に進む人間なら必要かもしれない。しかし、それ以外の人間に必要な部分と言えば、本当に少ないと思う。
「――歴史は、一番重要」
少年は小さく呟く。彼にとって、それが一番重みがあると思っているのだ。
彼の名は、撰閑誠。表向きは大人しい代表の一般中学生、現在は二年生である。しかし、裏は――。
その時、授業終了を告げるチャイムが鳴る。担任の声により、一連の挨拶を日直が行い、席に座り直したところで友人たちが席にどちゃっと集まってきた。
「まーこーと。今の数学、分かったかー?」
「うん、大体は」
「かーっ、これだから頭のいい奴は」
「そんなことないよ。教えるから、一緒に理解しようよ」
「お前、いい奴だよな……!」
「嫌味が全くない、頭のいい奴って、すげえな……!」
泣き真似をしている者もいたが、本気で泣いている者もいて、誠は苦笑してしまう。そこから自動的に誠の説明会が始まる。休憩時間なので、普通に雑談してもいいのだが、この流れになることが多い。特に、友人たちが苦手な数学や英語の授業後になると、毎回行われている。友人たちも嫌な顔一つせず、聞いている。
誠は空いているノートに書きこみながら、解説をしていく。
「――で、これで答えが出るってこと」
「へー」
「なんだろうな、誠に教えてもらうと、すんなり入るのに、先生のは左耳を通って、右耳から出ちまうんだよ」
「いや、あれは子守歌だ。すぐ眠くなる」
「呪文の間違いだろ」
「そこは口論するところじゃないと思うよ」
誠は友人たちの会話にツッコミしながら、苦笑した。変なところで口論しているのに、誰もが譲らないのだ。こんなこともよくある。
しかし、ここは温かい場所だと、居心地のいい場所だと思う。友人たちが仲良くしてくれる。何の変哲もない自分と。それがすごく嬉しいことであった。
チャイムが鳴って、慌てて戻る友人たちに手を振る。これから、今日最後の授業が始まるのだ。教師が入ってきて、お決まりの挨拶を日直が行う。着席して、誠はすぐに片肘をついた。またつまらない時間が始まってしまった、と思った。けれど、授業が嫌いではなかった。何かに応用が利くのであれば、それでいいと思っていたからだ。
誠はふと気になる。
最近、特に何もないけど、大丈夫なのかな。
誠はポケットから小さな端末を取り出した。見た目は、スマートフォンより小さい、音楽機器ぐらいの大きさだろうか。それの電源を入れると、小さなモニターが表示される。教科書を立て、教師の視線を気にしながらモニターを確認する。画面を操作し、何もメッセージや電話が来ていないことを確認する。確認後、すぐに電源を切る。静かにポケットへ端末を閉まった。誰にも見られていないことは確認済みだ。ちなみに、ここまでの時間は三十秒程度。
意識を授業へ向けた。誰もが何も知らずに、授業は淡々と進んでいくのであった。
ホームルームが終わり、部活動に所属していない誠は下校する。友人たちは皆、部活動に参加しているため、教室で手を振って別れていた。
「ただいま」
帰宅して、玄関で靴を脱いでいると、とたとたと軽い足音が近づいてくる。しばらくして振り向くと、目の前には小さな弟がいた。
「おかえり、にいちゃん」
「ただいま、志恩」
まだ五つである弟の頭を撫でる。「えへへー」と笑う弟はかわいい。どうやらすでに保育園から帰宅していたらしい。基本、誠が通っている中学校のが近いため、誠が早く帰ってきていることのが多い。今日は、ホームルームが長引いたから、それが理由なのだろう。
ぼんやりと考えながら、弟の手を引き、リビングへと足を進める。
「おかえり、誠」
「ただいま、母さん」
キッチンに立っていたのは、自分の母である。にこやかに微笑んでいる。つられて誠も笑った。弟は自分の横でずっとにこにこ笑っていた。
「おやつ、食べようか」
「わーい!」
「僕、荷物置いてくるよ。先食べてて」
誠が自室へと向かおうとした時、背後から「待ってようか」と母が尋ねてくる。誠は「いいよ」と短く答えた。母は笑って「ありがとう」と告げた。誠は笑ってリビングから出ると、階段を上がった。
階段を上り終えると、奥まで進む。二階の一番奥が誠の部屋だ。部屋へ入ると、扉を閉めた。鞄を机に置き、制服を脱ぐ。着替えを済ませると、ついため息をついてしまった。
母はよくああやってお礼を告げる。別に嫌とかではないが、いちいち言わなくてもいいのに、とは思う。母の性格上であり、悪気がないのはよく分かっている。分かっているからこそ、言われたらそのままに受け止めることにしている。いろいろと気にしているのかもしれない。別に仲が悪いわけでもないし、喧嘩をしているわけでもない。
「……家族なんだから、そんなに気を遣わなくていいのに」
人に気を遣うことばかり身に着けたらしい母は、誰にでもそうだった。たまに、二人きりの時には、「愚痴を聞いてほしい」と言われることはあったが。そんな時でも、嫌な顔をせずに聞くことにしている。別に嫌ではなかったからだ。
母が甘えられる人間は、自分を生んでくれた実の母と誠だけだった。
それが、誇らしい感じがして、でも納得していない気もしていて、収拾がついていない。
「にいちゃーん!」
志恩の声で我に返る。すぐに返事をした。ふっと顔を緩める。
「考えすぎか、きっと」
誠は静かにクローゼットを閉めた。階段を下りれば、下で志恩が待っていた。志恩は顔色をうかがうかのように覗き込んでくる。
「どうしたの、にいちゃん。おそいよ」
「ごめん、ごめん。考え事してた」
「ふーん。おかし、ぜんぶぼくがたべちゃうよ」
「それは困る」
真面目に返したことによって、志恩は笑っていた。志恩と手を繋いでリビングへ戻れば、静かに母が紅茶を飲んでいた。気がついた母は、ティーカップをソーサラーに乗せた。
「遅かったわね」
次いで「どうかしたの?」と尋ねてくるので、志恩と同じように返答する。母は頷いていた。
「そっか。何かあったら、言ってね」
「大丈夫だよ」
笑って返事をし、三人でおやつを食べる。雑談してしばらく経つと、宿題を理由に自室へ戻ることにした。
今日の分はそんなに多くなかったので、三十分程で終わった。母の手伝いでもするか、と考えた時、自室の扉をノックする音がした。扉を開ければ、そこには母が立っていた。
「母さん。ちょうど降りようと思っていたところだよ」
「そうなの? けど、そうじゃなくてね」
誠が首を傾げると、母は一通の封筒を差し出した。グレーの封筒で差出人は不明。誠は目を細めた。
「今日届いていたのをすっかり忘れていたの。遅くなって、ごめんね」
「大丈夫、ありがとう、母さん」
母から封筒を受け取り、読んでからいくことを告げる。母が階段へと向かうのを見届けてから、扉を閉めた。誠はすぐに手紙の封をはさみで切った。中に入っていたのは、封筒と同じカラーの便箋。誠は文書を読むと、すぐに部屋にある小さなシュレッダーへかけた。
「こういう連絡も、データへ変えればいいと思うんだけど」
誠は部屋着から黒のパーカーと黒のパンツに着替えた。それから端末をパンツのポケットへと入れる。手ぶらの状態で、自室から出て、階段を下りた。
リビングへ顔を出し、母と志恩に告げる。
「ごめん、母さん。ちょっと外に出なきゃいけなくなったから、行ってくるね。夕飯は残しといてほしいんだけど」
「ええ、分かったわ。気を付けてね。けど、今じゃないといけないの?」
「うん、急用だからね」
駆け寄ってきた志恩の頭を撫で、誠は家を出た。
夕暮れの住宅街を歩き、近くの神社へ足を運ぶ。目的は神社ではなく、その隣にある森だ。
とりあえず、神社へ行き、手を合わせた。
すみません、少しだけお邪魔します。
心の中でそう謝罪し、一通りお参りすると、鳥居をくぐらずに、そのまま森の中へと入っていく。ずっと真っすぐに道なき道を通る。何回か通ったことがある道なため、方角は分かるし、帰りの心配もない。五分ぐらい歩けば、開けた場所へと出る。何もない広場で、誠は人目がないことを確認し、両手を胸の位置で合わせた。それから、目を瞑って唱える。
「所属コード、五一〇。撰閑誠、通ります」
合わせていた両手を離し、手の平を前へ突き出す。すると、目の前に白い空間が現れた。人が通れる程の大きさである。誠は、手を下ろし、ゆっくりと白い空間へ向かって足を進めた。
白い空間をしばらく歩いていれば、だんだんと青い枠で囲われた黒い空間が見える。出口を示しており、出た場所が見えているのだった。
誠は空間から出る直前に目を閉じた。すっとそのまま歩けば、空間を通り過ぎ、目的の場所へと辿り着く。見知った場所だ。
「あれ、お疲れ様です」
視線を下へと向ければ、出口の見張りをしていた、同じ組織の人間が驚きながらも挨拶をしてくれる。誠は笑って「お疲れ様です」と返した。
男性は近づいて誠に話しかける。
「珍しいですね。最近、姿を見ていなかったのに」
「たまたま呼ばれたんです。僕ももうしばらくは来ないかも、と考えていたんですが」
苦笑して返答すれば、目の前の男性――桝宗太も笑った。
「そうだったんですか。お疲れ様です。それと、敬語じゃなくていいですのに」
「いえ、そんなことできませんよ。桝さんのが年上なんですから……」
「誠君はいいんです。僕らは立場的に誠君たちの下になりますので、敬語は使いますが」
「それはおかしいですよ。実力なんて関係ないです。桝さんたちが行っている裏方の仕事は僕たちにはできません。桝さんたちがいなかったら、僕たちは戦えないんです。表でも裏でも仕事を行っていることに変わりはありません。だから、そんなこと言わないでください」
誠は、はっきりと険しい顔で告げた。苦笑していた桝は、それを見て目を見開いた。それから、「ありがとう」とぽつりと呟く。桝は、少し悲しそうな顔をした。
「誠君みたいな人が、組織の中で増えればいいのにね……」
「そのために、僕は実力をつけます。……桝さんたちがいなければ、僕たちは戦えていない。そのことを皆に分かってもらいます。絶対にこの組織を変えていきます、だから、もう少しだけ待っていてください」
誠は、桝に頭を下げた。そして、もう一度見つめてから横をすり抜けた。
桝は、その後ろ姿を見つめる。自分より小さな背中のはずなのに、大きく見えていた。泣きそうになるのを堪え、小さく呟いた。
「本当に、ありがとう」
桝と別れた誠は、目的の部屋へと通常より早く歩いて向かう。内に秘められたイライラの感情は、表に出さないように努め、すれ違う人と挨拶を交わす。幾分早いスピードで歩いたからか、目的の部屋にはすぐに辿り着いた。息を整えて、扉をノックした。すぐに中から、「はーい、どうぞー」と間の抜けた声が聞こえてくる。苦笑した誠は、「失礼します」と告げ、扉を開いて入った。視線の先に見える机には、一人の男が突っ伏していた。
「よく来たね、誠君」
「吉良さん、もう少ししっかりして下さい」
開口一番にそれが出ていた。もう少し違う話をしてから、と思っていたはずが、目の前の光景につい口から出てしまったらしい。誠は続けて、ため息をつく。吉良と呼ばれた男は、「たはー」と笑った。
「誠君は手厳しいねー。……急に読んで悪かったね」
「それはいいんですが」
誠は勧められたソファに腰かける。ソファは吉良の机の前に、大きめのが二つ向かい合うように並べられている。革張りの見るからに高いと思われるソファは、いつも吉良の話を聞くときに腰かける物だ。ソファが向かい合うように置いているため、誠は顔だけを吉良へと向けた。
吉良もさすがに仕事の話になったからか、真剣な表情になる。
吉良昌彦。組織を収めている組織長である。いわばリーダーであった。普段は遊ぶ癖がついているため、真面目に仕事をしていない場面のが多く見受けられるが、仕事の腕は確かであった。
吉良が両手を組んで何かを考えている中、秘書の田中美世がコーヒーを持ってきてくれた。誠は、ソーサラーに乗っていたミルクと砂糖をいれ、カフェオレにして一口。ブラックではまだ飲めないが、美味しいと感じた。
いまだに考えている吉良へ声をかける。
「……それで、今回の用件は一体」
「最近、音沙汰ないでしょ? それであまりに気になって、独自で調査したんだけど、少し気になることがあってね」
「気になること、ですか」
吉良の言葉を繰り返して呟く。吉良は机の上に書類を置いて、手前に滑らせた。少し距離があるため、誠は立ち上がり書類の束を手にした。表紙に記載してあったのは――。
「調査書。行方知らずの、童話たち……!」
誠はパラパラと調査書を捲り始める。吉良は、頷いた。
「そう、最近、書籍の主人公や敵たちが逃げ出している」
「しかし、それならいつもと同じですよね。僕たちはいつも本の住人たちを追っている」
「そう。ただし、出現回数が半端じゃない。さらに――」
「……僕たちの視線を掻い潜っている、そういうことですね?」
「ご名答ー!」
高らかな吉良の声とともに、田中がどこからか急に現れ、どこから出したのかクラッカーを鳴らす。誠はため息をついた。
毎回、毎回、大掛かりだなー、もう。
誠は口には出さずに、調査書をめくる。
確かに妙ではあった。ほぼ一日一回出ている。多い日であれば、十回を優に超えている。ここ十日間、ずっとこの状態だと調査書に記載がある。
誠は眉を寄せた。顎に手を添え、じーっと調査書を呼んでいく。今の時間だけは邪魔をしてはいけないと思ったのだろう、吉良も何も言わない。
一通り、読み終えた誠は、吉良を見つめる。吉良はにこにこと次の言葉を待っているようだ。
「……不思議ですね。僕も今日おかしいと思ってシステムを動かしました。しかし、通知も反応もなかったんですよ」
「そう、皆そう証言している。さすがにおかしいと僕も思う。まずは、どう掻い潜っているのか、それを探らないと」
「……本の住人に、何かを行わさせている、とかはありえるんでしょうか」
「んー……。なくはないと思う」
吉良はゆっくりと考えた後、静かに告げた。確かに全くないことはないと思ったが、今までの事例はない。
「確かに、事例はないけどね。逆に事例がないからこそやってみた、という可能性もあるんじゃないかな」
吉良は誠の考えを読んだように告げた。誠は苦笑する。
「そう、ですね」
誠は端末を取り出した。操作をすれば、小型の端末は姿をキーボードへと姿を変え、誠の目の前には半透明の画面が表示された。透けて向こう側が見ているが、慣れているためあまり気にならない。誠はキーボードを打ちながら、吉良へと話しかける。
「これ、本当に便利ですよね」
「だよね。基本何にでもなるし。さすが僕がリーダーなだけはある!」
「はいはい」
誠は呆れつつ、視線は画面に釘付けのままキーボードをひたすらに打ち続ける。しばらくはカタカタと言う音のみが部屋の中に響く。十分経たぬ間に、静寂を破ったのは誠がエンターキーを強く押した音であった。
「あった」
「早いね、相変わらず。田中君と隣で働いてほしいよ」
「……時間のある時はいいですが、基本僕は戦闘専門なので。却下します」
「えー」という吉良の声をさらっと聞き流し、画面を見つめる。吉良もやっと画面に釘付けになった。二人で内容を確認しながら、誠はゆっくりとスクロールする。
誠が探したのは、過去の調査書である。似たような事例があれば、それを参考にできると思ったのだ。そして、もう一つは、現在まだ調査が終わっていない調査書があることを確認するためであった。
「これだと思うんですが。『調査書・物語の改変』。これはまだ終わっていない調査書ですね。ほぼほぼ先程の調査書と似た内容です。該当作品は、『白雪姫』、『シンデレラ』、『桃太郎』の三つ」
「一つだけ日本昔話って、なんだか違和感あるよね」
「えっと、内容は――」
確認した内容はこうである。
白雪姫からは魔女、シンデレラからは魔法使い、桃太郎からは鬼がいないとのこと。しかし、鬼は複数逃げ出している可能性があり、いまだ一人もしくは一匹の姿も確認ができていない――。
「え、おかしくない?」
吉良の言葉に、誠も頷く。
逃げ出している者たちは、基本悪役かと思いきや、一人だけ違うのだ。魔法使いは、シンデレラに魔法をかけてくれ、幸せをもたらしてくれた人物だ。諸説及び解釈は違うかもしれないが。
「白雪姫、桃太郎はともかく、シンデレラは魔法使いがいないと完全に話が進まないと思うんですけど」
「そこかい? まあ、間違ってはいないけども。えっとー、やはり、世の人々は話が変わっていることにも気がついていないようだね」
物語の改変はこうである。
白雪姫は、継母と仲良く、紹介された王子と結婚して末永く幸せに。
桃太郎は、散歩していた時に、犬やキジたちと出会い、仲良くなる。貧乏ながらも祖父母や仲間たちと共に仲良く暮らした。
シンデレラは、自分でドレスを作り、家事ができることをアプローチして王子と結婚。継母たちとも仲が悪いわけではなかった。
「すごいですね……」
自分たちが知っている元のお伽噺とは全く違う物語に、誠は思わず感嘆した。
白雪姫と桃太郎はだいたい予想していたが、シンデレラは予想をはるかに超えていた。というか、シンデレラがタフすぎて、もはや何の話だったのかを忘れそうである。まず、アピールって、シンデレラのキャラが全然違う。これが本当に人々に受けられているのか、心配になるものだ。
「んー、でも違う教訓は学べそうだよね」
「ろくでもなさそうですけどね」
吉良のあっけらかんとした言葉に、誠は呆れた。
とにもかくにも、物語が変わっていることに変わりはない。さらに、その住人が悪さをしていることにも変わりはなかった。
「この逃げている三組が、先程の調査書と関連があるわけですね。そして、僕たちに気づかれずに、毎日のように事件を起こしている。ということでよろしいですよね?」
「まだいそうな気もするけど、とりあえずそれで。今はこれ以上被害が大きくならないようにするのが優先だからね」
「現実世界への影響は今のところどんな感じなんですか?」
「一つは先程の物語の改変。もう一つは、これが原因の事故や災害が起こっているところだね。異空間で何かしらの邪魔をしたり、魔法を使っていたりする可能性が高い」
「分かりました。……そのために、僕を呼んだんですか?」
「だってー、誠君のが仕事が早いんだもーん」
「ちょっと、吉良さん――」
「それに」
さすがに怒ろうと思った瞬間、吉良の声が低くなった。誠は思わず口を閉ざす。
吉良はにっこりと笑った。
「それに君が一番頼りになるし。君だって、実力をもっと皆に認めさせたいでしょ? 目的のために」
吉良はよく分かっている。だからこそ、今この話を誠に持ってきたのだろう。
おそらく、さっき僕が怒っていたことも、分かっているんだろうな……。
誠は静かに、しかし強く頷いた。
「そうです。もっと上に上がって、話を聞いてもらいたい。若造だから、とかではなくて、全員の意見をちゃんと組織内に反映させたいんです。聞いてもらいたいんです。そのために――、そのために僕は上に上がる」
意志の強い瞳が、ギラリと吉良へ向く。吉良はその瞳を受け、満足そうに頷いた。誠はキーボードを元の端末に姿を戻し、そのまま扉へ向かう。その背中へ吉良の言葉が投げかけられた。
「宜しくね、誠君。もし、人手がいるなら、誰かに声をかけていいから」
「ありがとうございます。そうします」
誠は振り返って返事をした。それから一礼し、「失礼しました」と告げた後、部屋を後にした。
誠が去った部屋で、吉良は呟く。
「……彼の意志は本当に強い。だが、それで苦しむことにならなければいいが――」
吉良の言葉は、誰かに向けたものなのか、それとも独り言なのか。田中は何も言わなかった。ただ、静かに見つめるだけだった。
誠は長い廊下を靴音を響かせて歩く。よく人が集まっている食堂へと足を進めた。誰かの力を借りたいと思ったからだ。
何か、何か引っかかる気がする。
誠はそう思った。妙に納得がいかないところがある気がする。しかし、それが何かが分からない。だからこそ、誰かの意見が聞きたかったのだ。
誰にしよう……。
そうは思ったが、だいたいの相手は決めていた。面倒な人間は、関係の問題もある。できれば、コミュニケーションの取れている人間が好ましい。食堂に目的の人がいることを願いながら、扉を開けた。
キョロキョロと周囲を見回しながら、中をゆっくりと進んでいく。すると、視線の先に、大きく手を振って自分を呼んでくれている人を見つけた。その人物を見て、誠はほっと息を吐き出し、歩み寄る。
「お久しぶりです、沙羅さん」
「やっほー! 久しぶり、まこちゃん!」
「それはやめてください」
「えー!」とぶーたれている女性は、無視して向かいの席へ座った。
彼女は、高円寺沙羅。いつもテンションの高い、元気な二五歳の女性である。現在は大学院生だとか。しかし、よくこの食堂に入り浸っており、いつも皆を笑わせていた。誠とも付き合いが長く、よく元気をもらっている。
「珍しいね、まこちゃんがここにいるの! ちょっと、身長が高くなったかなー!?」
「だから、まこちゃんは――。もういいです。身長はそう変わっていないと思いますよ。今日は吉良さんに呼ばれまして」
「へー、そうなんだ! 私は入り浸ってる!」
「知ってます」
にっこり笑って告げると、「にゃはは、ばれたかー!」と笑った。おそらく自分ですでに気がついているというか、見抜いていると思うのだが、それを口に出すところが彼女らしい。
誠は肩を落として、本題に入ることにした。その時。
「お、まこ坊じゃねえか」
頭上から新しい声がし、誠はよく知っている声に顔を上げた。予想していた人物が目の前でにっと笑っている。誠はため息をつきながら、返事をした。
「また新しいあだ名を……。お久しぶりです、狼牙さん」
「おう」
返事をしながら、誠の首に腕を回してきたのは、初夢狼牙である。彼は、高校三年生で、誠もよくお世話になっている。見た目とは反して面倒見がよく、実力も本物だ。ただし、すぐにあだ名をつけたがるため、知らないところでどう呼ばれているかは分からない。それを考えると、少々怖い。
隣に狼牙が座る。いまだに誠の首に腕は回したままだ。
「珍しいなあ、まこ坊がここにいるのは」
「まこ坊はやめてください。中学生になっているのに、坊や呼びはちょっと……」
「じゃあ、まこちゃん!」
「いや、それも――」
「なんだよ、ダメばっかじゃねえか。まこまことかにすんぞ」
「二人してもっとマシなあだ名ないの!?」
あまりに年長の二人が話を聞かないため、しまいには年上であることを忘れ、思わず叫んでいた。誠はしまったと口元を押さえた。しかし、二人は全く気にしていないらしく、あっけらかんとしていた。むしろ、喜んでいる。
「おお、まこちゃんが怒ったよ! ガロ氏!」
「誰がガロ氏だ! けど、珍しいもん見たぜ」
にやにやと笑う二人を見て、誠は頭を抱えた。
こんなことをしに来たわけではないのに――。
本題に入るどころの騒ぎじゃない。前置きが長くなりすぎて、誠はため息をついた。疲れてきているのは、おそらく気のせいではない。しかし、やらなければいけないことがある。気を取り直して、話をすることにした。
「……申し訳ないですが、本題に入らせてください。全く話が進んでいないので」
「それが今日まこ坊が来ている理由か。納得したわ」
「だから――。はあ、もういいです。まあ、端的に言えばそうですね」
誠は順番に一つずつ話をした。先程まで騒がしかった二人も、さすがに今回は口を挟むことがなかった。最後までじっくりと聞き入っている。
話し終わって最初に口を開いたのは、狼牙だ。
「ほう、なかなか興味深いな。あまり本を読まない俺も童話なら大体分かるぜ」
「んー、なんか読み応えないよねえ。だって、シンデレラは何を憧ればいいのか分からないもんね。いいことをしたら、いいことがあるよ、って話じゃなくなってる。現実の話をしているようなもんだよね」
「確かに」
誠と狼牙は沙羅の言葉に深く何度も頷いた。
さて、ここまで何の話をしているか、分からずにいることだろう。
彼らは、一つの組織「鍵の管理者」に所属している。元々は、本を管理する組織であったが、ある事件によって、物語を管理する組織へと変貌した。改変される物語を元に戻すため、また、改変を引き起こしている「ことわりの鍵」を探すために動いている組織であった。人数自体はそんなに多くはなく、五〇人未満の少数精鋭だ。物語の登場人物の力を借り、物語を本来の筋書き通りに戻すことが主な仕事となる。しかし、この組織は秘密裏に立ち上げられたため、他言無用である。状況によっては、証拠隠滅が行われているとか、いないとか……。
誠はこの組織の一員である。学校生活ではごく普通の中学生だが、この組織内では普通ではない。
さあ、話を元に戻そう。
誠は、続けた。
「とにかく、それを探るために力を借りたいんです。お願いします」
「協力するぜ、まこ坊。面白そうだ。最近、暇を持て余しているんだよ」
「私もやるー! 時間はたっぷりあるし! だけど、それは他の童話の登場人物がいると思っといたほうがよさそうだよね」
「可能性は十分にあると思います。三人程度でそんなに何回も繰り返すことができるとは考えにくい。もっと他に何かあると思うんです、人数だけじゃない、何かが」
誠がそう伝えると、二人は考え込んだ。しばらくすると、狼牙は顎に手を添えて、ぽつりと呟いた。
「魔法、か……」
「え?」
誠と沙羅が声を重ねながら、聞き返した。狼牙は、「いや」と考えながら、伝える。
「いや、魔法使いがいると考えれば、いろんな魔法が使えることを視野に入れたほうがいいんだろうな、と考えたんだよ。そしたら、姿を消すことぐらい、簡単なことかもしれない、と思ってな」
誠はそれを聞いてピンときた。今まで引っかかっていたことが急に閃いてくる。思わず、声を上げた。
「……! そうか、それだ! その手があった! なんで今まで気がつかなかったんだろう!」
誠はモヤモヤしていたことがなくなって、スッキリしていた。自分の中で何か引っかかっていたことはこれだったのだ。狼牙が的確に見事当ててくれたため、謎が解けた。
「さすが、狼牙さん! ありがとうございます!」
「お、おう。まこ坊のテンションがめちゃめちゃ上がっているんだが……」
「レアだよねー!」
驚いている狼牙と「きゃはは」と笑う沙羅。誠は言われて急に恥ずかしくなり、わざとらしく一つ咳ばらいをした。沙羅はにこにこと笑っている。
「めちゃめちゃだけど、これで一つ謎が解けたわけだし!」
「はい。ですが、まだまだ分からないことだらけです。油断は禁物です」
誠はそのまま続けた。
「他の童話の住人がさらに増えようものなら、手に負えなくなります。なんとしても、早い段階で解決したい。本当はもう少し人を増やしたいところですが……」
「……ま、面倒な人間が入るよりいいんじゃねえか」
「はーい、右に同じー!」
「ですよね」と誠は苦笑しつつ呟いた。
この組織は統括されているようで、実はされていない。というのも、考えがバラバラなのだ。先程の桝たち裏方を差別する考えもあれば、誠のように表も裏も関係ないという考えもある。吉良が何も考えていないわけではないが、組織を立ち上げた際に考えがバラバラになっていたのがそのまま引き継がれているようだ。
だからこそ、面倒な人が多くいるわけで。誠も最初はいろいろと考えるわけだが、しまいには「一人でやるか」と考えてしまう始末だ。
今回は、狼牙と沙羅の二人、仲間と呼び合える人たちに会えたおかげで困ることはない。しかし、いまだに他のメンバーには気を遣うのと同時に、扱いが大変なため、手を焼いてしまう。特に、誠は年齢の部分で言いにくく感じるのだ。もっとも、狼牙は全く気にしないので、年上だろうがバシバシ言ってしまうのだが。
「まあ、あと入れるとするなら、泰人、とかな」
「そうですね。ただ、泰人もなかなか来ないので、声をかけられるかどうか……」
「やっちゃんかー。一回見かけたけどねー、可愛かったよ!」
「泰人……」
誠はなんだかここにいない年下が不憫に思えてしまった。可愛い、と言われるのは、少し複雑である。同じ男として、さすがに同情してしまった。泰人は気にしなさそうではあるが。
「あ、まこちゃんが可愛くないって言っているわけじゃないよー!」
「まこ坊も可愛いよなー」
「そんなフォローはいりません」
誠は腕を組んで、「フンッ」とそっぽを向いた。そんな誠を見ながら、年長の二人はひそひとと話すが、ところどころ「怒ったー」とか「あーいうところだよなー」などと話しているのが耳に聞こえてくる。誠は何も言わなかった。
そろそろキリを付けて帰ろう。また、長くなりそうだし。
そう思った時、誠の背中はドンと衝撃を受けた。何事かと驚いて振り返れば、背中に誰かが抱き着いている。見えないし、聞こえはしないが、「ギューッ」という効果音が自分の元に届きそうだった。背後なため、確認しにくいが、人物をよく確認すると、噂をすればである。
「や、泰人……」
「誠だー。久しぶり」
「久しぶり。急に後ろから抱き着いてきたら、驚くでしょ。ダメだよ」
「えー……」
不貞腐れている泰人を見ながら、再度「ダメ」と念を押せば、渋々ながらも頷いた。誠は笑って、彼の頭を撫でる。目の前の少年は、嬉しそうに頭を撫でられている。年長二人は、その状態を微笑ましく見ながら、声をかけた。
「よ、泰坊、久しぶりだな」
「狼さん、久しぶり」
「やっほー、やっちゃん! 珍しいねえ、ここに来ているの!」
沙羅が手を振りながらそういえば、「あー……」と間の抜けた声を出した泰人は、再度誠に抱き着いてから告げた。
「誠が、呼んでた気がしたから……」
「呼んでない。呼んでたけど、呼んでない」
「どっち……?」
誠に向けて首を傾げた泰人。誠は頭を抱えた。
確かに、いるといいなとか考えてはいたが、呼んではいなかった。むしろ、本当にそれだけでここまで来たのであれば、本当にすごいことだ。
二人の会話を聞いて、沙羅は嬉しそうに笑った。
「いやー、仲いいよね、二人は!」
「さすがにまこ坊も年相応になるよな」
狼牙も同意した。
相田泰人。中学一年生。同じ中学校ではないが、誠に相当懐いているため毎回べったり。誠も別に嫌ではない。嫌ではないのだが、誤解を招くことをたまにぽろっとこぼすため、全力で否定しないと大変なことになる。基本はのんびりとした気の抜けている感じではあるのだが、戦闘ではきりっとして普段とは全然違う印象を与える。運動神経が抜群で、大人にも引けを取らない戦いぶりを見せる。
誠はとりあえず引っ付いている泰人をはがし、隣に座らせた。それから、狼牙たちにした話をもう一度する。泰人も頷きはするものの、口を挟まずに最後まで聞き終えた。しばし考えた後、こくりと頷く。
「うん、いいよ。協力する」
「ありがとう、泰人」
「それにしても――」
誠がお礼を言うと、泰人は真剣な顔で再度口を開く。三人が何だろうと首を傾げてみれば、彼は淡々と告げた。
「やっぱり、誠は俺にいて欲しくて呼んでたんだね」
「違うけど、違わない。……泰人は毎回誤解を招く言い方をしないでくれると嬉しいんだけどね」
「俺は誠を愛しているから無理」
「誤解を招くって!」
再度抱きつこうとする泰人を誠は右手でぐぐっと押さえ、拒み続ける。攻防が続く中、年長二人は笑っていた。
組織から帰宅した誠は、母の料理を食べながら考え込む。
結局、あれから対策という対策を考えることができず、時間だけが過ぎちゃったなあ……。説明ができただけ、まだよかったんだろうけど。
あの後は、長い長い攻防が続き、世間話をしたり、不毛な争いが始まったりとなかなか対策を練るまでに時間がかかってしまっていた。対策を練ろうと何度か軌道修正を試みたが、それも叶わず。解散の形になるのはすぐであった。誠は思い出して深いため息をついた。
「どうかしたの? ご飯、美味しくなかった?」
心配そうに顔を覗き込んでくる母を見て、誠は慌てた。
「ごめん、違うよ。出かけたときのことを思い出して、疲れたなって」
「そっか、お疲れ様」
母は微笑んで、頭を撫でてくる。誠は照れながらも、笑い返した。
夕食を食べ終え、自室に篭り調べる。今回の調査書に関連して事件が起こっているのではないか、と考えたのだ。
パソコンを立ち上げ、インターネットを使用し検索をかけていく。スマートフォンや組織で使用している端末もあるのだが、自室で調べる場合は使い慣れている自身のパソコンを愛用している。キーボードの操作に慣れているという理由も一つだった。
目当ての情報を引き当て、誠はさらに詳しく情報を引き出していく。
今日も一、二件は事件が起きている……。多くの事件の中で関与しているのは、これだけ、か……。まだ動きが小さい。しかし――。
誠はふと思う。
こんなに事件を起こしてどうするのだろうか、と。不自然だとも思った。
誠はいろいろと考え、情報が足りないことに肩を落とす。
一度視察に行こう。そしたら何か変わるかもしれない。
誠は立ち上がり、上着を手にする。ファスナーを閉め、フードをかぶる。そんな時、自身の端末が鳴る。組織の物だ。通話ボタンを押せば、電話ができる。これを考えた人は、やはりすごいと常々思う。誠は不審に思いながらも、電話へ出た。
「はい」
『おー、まこった、出たわ! お疲れ』
「人をのこったみたいに言わないでください、狼牙さん」
『お、それいいな! いただいとく』
「やめてください」
端末の向こうから不服な声が耳に届く。かすかに口元を緩ませ、それには無視をしつつ続きを促す。
「それで、何があったんですか、狼牙さん」
『あー、そうそう。本題、本題。えっとなー』
パラパラと紙をめくる音が聞こえ、それに混じるように泰人や沙羅の声も届く。どうやら狼牙の横にいるらしい。何やら騒いでいるが、内容がしっかりと聞こえないため分からなかった。しかし、狼牙が「あー、うるせえ!」と怒っているため、何か横で口を出されているのだろう。安易に想像がつく光景に、思わずクスリと笑った。
すぐに狼牙の不満をそうな声が届く。
『笑うなよ、まこった』
「……まこ坊にしといてください。まだそちらのがマシです」
『あー、しゃーねえなあ……っと、あった。本題入るぜ』
狼牙が話した内容はこうだった。
先程の事件の一環として、新たな情報が入ったという。さらに追加で逃げたのは、あの有名なシャーロック・ホームズシリーズの登場人物らしい。
「ホームズ、ですか?」
『そうだ。ホームズとワトソンの名コンビ、あれがいないんだと』
「いないって、どちらが――」
『いや、両方』
狼牙の言葉に誠は驚いて思わず大声を上げる。一階から母の心配する声が聞こえてくる。階段を上がる音がしたので、慌てて部屋から顔を出し、「なんでもない!」と半ば叫ぶように返した。母が引き返していくのを確認し、部屋に引っ込むと、咳ばらいを一つする。端末からは笑いを我慢している狼牙の声が聞こえてきて、なんとなくイラっとしてしまう。ため息をついてから、話を戻すことにした。
「……けど、そんなんじゃ話が成り立たないじゃないですか。物語としてちゃんと残っているんですか?」
『そうなんだが、とりあえず話としては成り立っている。ちなみに、ホームズの代わりに謎を解いているのがハドソンらしい』
「無茶苦茶ですね……。題名、変わっちゃいますよ」
『ああ、そこはよく分からないけどな。とりあえず、その二人が暴れていることは確かだ』
「分かりました。……狼牙さん、ちょうど今から異空間へ行こうと思っていたんです。全員いるなら一緒に行きませんか? もちろん、都合がつけばですが」
『お、いいな。俺は行くぜ。お前らはどうする?』
背後にいる二人に確認をしていると、各々了承している声が聞こえてくる。誠は聞きながら思わず、口元には笑みをたたえていた。
『全員行くぜ、まこ坊』
「分かりました、とりあえず組織に向かいます。少し待っていてください」
端末から狼牙の了承した声が届くと、すぐに切断された音も聞こえてきた。
誠は下に降り、母に一言伝えた後弟の頭を撫で、駆け出していく。
優しく行く先を見守るのは、闇夜に光る三日月のみ――。




