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緑影騎士ー聖騎士の帰還ー  作者: 清竜
─聖騎士の帰還─
3/17

第三話

 これは夢だ。エリスはすぐにそう感じた。どこまでも続く草原で、幼い自分が嬉しそうに蝶を追いかけているのを見ながら、エリスはそれが子供の頃の記憶だと悟った。

 ふわりふわりと誘うように舞う蝶を捕まえようと、足元など構わずに幼いエリスは走っていく。

 がくん、と突然足に衝撃を感じた。絡み合った草が足に引っかかったのだ。受身を取る余裕もなく、顔面から地面に突っ込んだ。

 うわあぁん。

 その痛みに大声で泣き出した。地面に転がったままで、エリスは声の限りに泣き叫んだ。

 ……泣かないで……

 そう言って身体を起こしてくれたのは、黒髪の少年だった。三つ年上の幼馴染で、エリスの兄と同い年の少年は、優しくエリスを抱き起こすと、ほらもう泣かないでと、何度も頭をなでてくれた。

 兄と少年と、いつも三人で駆け回って遊んでいた。それが当たり前で、ずっと続くと思っていた。

 だから、突然少年がいなくなったときは、誰も手をつけられないほどに泣きじゃくったのだ。

 本当に突然だった。何の別れの言葉もなく、再会の約束もなく、夕方にいつものように「また明日」と別れたのだ。まさか翌朝には少年の家族ごと国を出ていようとは、幼いエリスでなくとも予想できなかったであろう。


 ……エリス……


 別れしなに、少年が念を押すように振り返って手を振った。思えばそれが別れの言葉だったのかもしれない。だがそれきり何の連絡もなく、どこにいるのか、無事でいるのかどうかさえ解らず、そして何故突然国を出てしまったのかも解らないまま、月日は流れた。

 少年が姿を消したその日、エリスは涙も枯れよと泣きじゃくった。それこそ周囲の大人があきれるほどに。

 だが、翌日には何事もなかったかのように、涙を見せることはなかった。

 大人たちの誰もがあきらめたのだろうと納得したであろう。

 けれど、エリスの兄だけは────ディーンだけは気づいていたようだった。

 あきらめたのではない。いつか帰ってくる日を信じているのだと。


 時は流れた。解放王ルークは病没し、女王ロゼ-ヌが即位してから、国は乱れた。素朴ながらも笑顔が耐えなかった大通りには血の絨毯が敷かれ、広場は公開処刑の場となった。両親を捕らえられたディーンとエリスは反乱軍として女王と戦うことを決意した。

 時代は変わった。それも、激しく。

 それでもなお、エリスの想いは幼いあの日のままに、変わることはない。

 もう一度、あの少年に逢いたい、と。


「エリス……?」


   -----------------------------


 自分の頬に触れる温もりでエリスは目を醒ました。

 そこは見慣れた自宅の寝室だった。気を失っている間にここまで運び込まれたらしい。そして、昔の夢を見て、知らず涙を流していたのであろう、視界が大きく揺れている。

「エリス……?」

 涙をぬぐってくれた温かい指を力なく握り締めて、エリスは嗚咽をこらえながら声の主を瞳に映して、囁いた。

「リグル……さん」

 あとはもう、泣くことしかできなかった。

 逢いたかった、ずっと逢いたかった人がそこにいる。

 いつかと変わらぬ笑顔のままに。

 伝えたいこと、聞きたいこと、たくさんあったはずなのに、何も言葉にはならなかった。

 ただ、涙だけがあふれだして止まらない。

 その様子を彼は────リグル・シルヴィアは困ったように見守っているのだった。


 三英雄のひとり、ウュリア・シルヴィアは戦が終わったとき、褒美にとジルベール国王ルークに王妹ベルティーナを要求した。以前から恋仲だったのは周知のことだったから、国王はそれを快く認め、ふたりは結ばれた。

 その間に生まれたリグルと、同じく三英雄のひとり、リーヴ・アープの子であるディーン、エリスが一緒に育ち仲良くなったのは自然なことだったかもしれない。三英雄はやはり和平が訪れた後も一般市民からは浮いていたから、他に同じ年代の友達がいなかったのだ。

 親が英雄だからといって幼い子らに何らかの特別な力があるわけではなかったが、リグルだけは父の黒髪を継いでいた。この国で──否、この世界で黒い髪、黒い瞳なのはシルヴィアの血を引く者だけだ。少なくとも、この国の民の知る限りでは。だからジルベール建国当時、まだ英雄と言われる前のシルヴィア、つまりリグルの曽祖父はかなりの異端であったに違いない。だがジルベールもアープも彼を異端に見ることは決してなかった。だからこそ偏見で見られずにすんできたのであろう。

 力強く逞しい父ウュリアと違ってリグルはどちらかといえば穏やかでいつも微笑んでいるような少年だった。王妹であるベルティーナに似たのかもしれない。優しくて暖かい春の陽射しのような空気をいつも漂わせていた。

 それは、今も変わらないのであろう。

 そばにいるだけで、こんなにも心が穏やかになる。

 ようやく落ち着いてきたのか、エリスは身体を起こし息を整え、

「……おかえりなさい」

「……ただいま」

 そっと、抱きしめた。


「兄さんには会った?」

 エリスをここに運んできたということは、必ず階下にいる誰かに会ったはずだ。ディーンもリグルに会いたかったはずなのに、今ここにいるのがふたりきりというのはどういうことなのか。

「……会ったよ、ここに来る途中で」

「兄さんは? 今、下に誰がいるの?」

 答えるリグルの声がどこか重いことに気づいた。ほんのわずかだが視線が泳いだのを見逃しはしない。

「ディーンは下にいるよ。十人くらいの人と話してる」

 おそらく反乱軍の仲間と会議をしているのだろうが、それなら何故リグルを呼ばないのだろうか? 彼もまた三英雄の血を引いているし、何より今の独裁政権を認めはしないだろうに。

 何かを言いかけるエリスよりも早く、リグルは簡単に言った。

「俺はよそ者なんだよ」

 よそ者?

 エリスがその意味を飲み込めずに首を傾げると、ドアが開かれ彼の名を呼んだ。

 ディーンが、険しい表情でそこにいた。

「兄さん……」

「気がついたか……話は後でな。すまん、少し来てくれるか」

 冷たい声でリグルだけを呼びつけ、ディーンはすぐに踵を返した。

 事情が飲み込めないエリスは呆然とした。ディーンはリグルに会いたくはなかったのだろうか。

 ドアを見つめていても、答えが出てくるはずもない。


   -----------------------------


 針のむしろ。その表現が一番的確だったのではなかろうか。リグルが階下に下りた途端、空気が一瞬にして殺気立った。そこにいた全員の鋭い視線がリグルひとりに注がれている。その黒髪、紛うことなきシルヴィアの証──。

 自己紹介などいらなかった。その黒髪、黒い双眸が血の証。

 これが会議という場でなければ、石が投げつけられそうな、そんな雰囲気だった。

 それらの敵意と殺意をすべて流して、リグルは表情さえ浮かべずにそこに佇んでいた。黒い髪が映える白い衣装、腰には銀色の鞘に収まった剣を佩いている。特に大柄な訳でも、筋肉質な訳でも、鬼神のような形相をしている訳でもないのに、それだけでその存在を感じてしまう、不思議な空気を纏っていた。強いて言うならば、それが血の為せる業だろうか。

「よく聞いて欲しい。今後、同士として共に戦うことになった……」

「待てよディーン!」

 ディーンが言い終わらない内に、その場にいた何人かが椅子を蹴倒して立ち上がった。

「納得行かない! 俺たちは今までだってやってきたんだ、今さら十年も前に国を捨てた奴の力なんかいらねえよ!」

 それが、この場にいるすべての者の本心だったのだろう。そうだそうだとみなが同意する。

 リグルは──否、シルヴィア一家は誰にもその理由を告げずに国を去った。ある朝、忽然と姿を消した。夜逃げと嘲笑う者もいただろうし、現在この国で理不尽な苦しみを強いられている者にとっては、「国を捨てた」のだと罵られても仕方がないことだろう。

 今にもリグルに掴みかかろうとする男たちを前に、おもむろに剣を抜いて、その曇りなき刃をまっすぐに構えた。

「この剣にかけて誓う。俺は国を捨てたりはしない。独裁王を許したりはしない。この剣と我が血をもって、必ず平和な日々を取り戻してみせる……!」

 一点の曇りも、わずかな刃こぼれもないその長剣こそが伝説の『覇王剣』。岩をも砕き、大気さえ引き裂くという。シルヴィアが振るい、かつてモルタヴィア最後の独裁王ファリウスⅦ世の首を落とした剣。それが、今目の前に輝いている。

 伝説の輝きに怯んだのは一瞬だった。それでもなお食って掛かろうとする者たちを黙らせたのは、部屋の一番奥で腕組みしたまま立っていた濃茶の髪の青年だった。

「いい加減にしろ!」

 意外な者の声に、ディーンがはっとそちらを見ると、アレク・シェイドが目を怒らせながらも一歩も動かないまま怒鳴りつけた。

「国を捨てた奴だろうが、今は少しでも戦力が必要な時だろう!? 仲間内で争ってる場合か!」

 一切の感情を抜きにして考えれば、アレクの言う通りなのだ。言い方を変えれば『利用できるものは利用してしまえ』ということなのだが、一応は反乱軍に所属することを認められたリグルは、誓いを立てた剣を鞘に収めた。

「……俺はあんたが嫌いだ。国が乱れたそのときにいないで、何が騎士なもんか。国を出た理由は聞かないでおいてやる。けどな、こいつだけはハッキリ聞かせてもらうぜ」

 所属を認めながらも、アレクはリグル自身を認めた訳ではないのだということを、はっきりと宣言した上で黒い双眸を正面から睨みつけた。

「何故あんただけが帰ってきた。どうして、今帰ってきたんだ」

 アレクの言葉に、ディーンがリグルを見つめて答えを促す。エリスを運んできたときに顔を合わせているし、そのときに女王軍と戦う意思があることは確認していたのだが、時間もあまりなかったし、何故ひとりなのか、何故急に今帰国したのか、何一つ聞いてはいなかったのだ。

 ディーン、アレク、他その場にいた全員の視線をすべて受けて、リグルは息を吐いて、淡々と告げた。


「父が殺され……母が連れ去られたんだ。俺は母を助けたい」


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