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彼の国(かのくに)  作者: 破魔矢タカヒロ
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第6話:イスラムなクリスマスイブ


 1983年12月のクリスマスイブの土曜日。




 日本ではイブでさぞかし盛り上がっていることだろう。




 しかし、イスラム教のこの国にクリスマスイブもクソもない。




 土曜日と言えば、日本の週休二日制の企業は休みであり、だから、サラリーマンたちにとっては休日だ。そして、いわゆる週末だ。




 しかし、金曜日が休みのイスラム社会では、土曜日は1週間が始まる日だ。




 朝起きると憂鬱になる日だ。




 もっとも、この国では、休前日だろうが休日だろうが1週間が始まる日だろうが、寝ても覚めても憂鬱なのだが。




 とにかく、その憂鬱な日々の内の1日の仕事が終わった。




 終わってみたら、爽やかなナイスガイだと思っていたスジャーが実は貪欲な変態野郎であること、そして、おっかなくて仕事が出来る上司だと思っていた田坂課長が実は会社の金をくすねる悪党であることが分かった1日だった。




 つまり、今日も今日とてロクでもない1日だった。




 ところで、12月の末と言えば、日本では冬だ。真冬ではなくてもちゃんと冬だ。




 それでは、この国はどうかと言えば、やはり冬だ。




 少なくとも、この地の人々は冬だと言う。




 しかし、日本人である俺にとっては冬だなんて、ちゃんチャラ可笑しい。




 昼間の気温は20度を余裕で超え、最低気温も5度を下回らない。




 そんなのは秋だ。




 それでも、ダラっと長い民族衣装を身にまとう人々は、この国の冬は寒いと言う。




 だから、昼でもエアコンを暖房にしやがる。




 そんなもの、日本人の俺にとっては暑くて仕方がない。




 しかし、客先のオフィスで暖房を切れとは言えない。




 そんな、この地にとっての冬には、豪雨に見舞われることが何回かある。




 豪雨は、雨季というほど頻繁にはない。




 それでも、一旦降れば、バケツをひっくり返した以上にドバドバっと降る。




 視界がなくなるほどの豪雨になる。




 降ればどうなるかだが、街があっという間に冠水する。




 ダラっとした民族衣装を着た連中は、両手で裾を手繰り上げながら歩きよる。




 実は、今朝、そんな雨が降った。




 街の冠水は既に解消されたが、車道の隅の方にはまだ水が残っている。




 そんな中、1日の仕事を終えた俺は、ドライバーのアタが運転する社用車で帰路に就いた。




 ちなみに、俺のオフィスに2台ある社用車だが、2台ともアメ車でGMの車だ。




 2台ともフルサイズのアメ車で、キャディラックの大きなやつと同じ大きさだ。




 ただし、キャディラックではない。キャディラックはお高いからだ。




 車名はアメリカのそれとは異なっている。




 1台はポンティアックのボナビルといい、もう1台はビュイックのパークアベニューという。




 2台ともキャディラックではなくてもフル装備であり、なかなかに豪華だ。




 俺は、憂鬱な中でも、そのような豪華な暮らしを送っている。




 俺の社宅だって、日本ではとても住めないものだ。




 ベッドルームが5つあり、リビングルームなどは卓球場ほどの広さがある。




 家賃もかなり高く、日本円で月50万円もする。




 つまり、俺は、アメ車2台、ドライバー2人、オフィスボーイ1人、男性メード1人を使い、家賃50万の社宅に住んでいる。




 そのように、俺の今の生活は、日本なら金持ちの生活に他ならない。




 これで、この国でさえなければ天国なのだが、実際にはこの国にいるので、残酷な話をたくさん聞かされ、数奇な物事に次々と遭遇し、憂鬱なことに毎日見舞われる。




 ま、大きなプラスがあれば、大きなマイナスがある。




 そういうことだ。




 仕方がない。




 ところで、生活環境が豪華なのは何も俺だけではない。




 五菱商事の有馬氏の社宅はもっと豪華で、テニスコートとプールまである。




 商社マンをはじめとするこの地の他の駐在員の暮らしも、たいていは俺以上だ。




 なにせ、ほとんどの市民が金持ちのこの国のことだから、自宅に招くゲストたちも例外なく金持ちだ。




 だから、駐在員たちは、どのみち、質素な生活をするわけにはいかない。




 あ、車に乗ったら、なにげに余計な物思いをしてしまった。




 そうこうするうちに、俺を乗せた車は、自宅に至るまでの経路に1本だけある橋に差し掛かった。




 砂漠に橋?




 そう、紛れもなく橋だ、しかも、立派な橋だ。




 その橋の下を見て、俺はたいそう驚いた。




 だから、ドライバーのアタに話しかけてしまった。




「おい、これ何だよ!? ここは砂漠の街なのに川が流れているじゃないか。朝、家を出るときは、こんな川はなかったよな」








「ああ、今朝、雨が降ったからね。だから、水が出たのだよ。その水が流れ込んだと言うわけさ」




「ふーん、どうしてこんなところに橋が架かっているのだろうと思ってはいたけど、川が流れるからか」




「そう言えば、畑中さんは、この橋のことを聞いたことがなかったね。前任者の宇田さんは赴任した日に早速、この橋のことを聞いたのだけどね。畑中さんはやっと今か。問題意識が低い人なのだね」




「おいおい、失礼なことを言うなよ。けど、問題意識が低いって、それ、当たっているけどね。俺、実はさ、単なるミーハーなのだよ。なにせ、漠然と海外で仕事がしたくて、ウチの会社に入ったような人間だからね。ところで、この川、ぽっと現れた割には、とんでもない大河になっちゃったね、凄い水量だね」




「へっへ、問題意識が低いは確かに失礼だったけど、当たっていたか。ふーん、畑中さんは単なるミーハーか、ハッハ、だったら、俺の仲間だね。ところで、これはリバー(川)ではないよ」




「リバーでなければ、何なのだよ?」




「これはワジ(wadi)さ」




「ワジ?」




「そう、ワジ。豪雨の後にだけ現れる水の流れのことさ。ワジと呼んでリバーと区別しているのさ。この国の人は誰も、これのことをリバーとは呼ばないよ、憶えておいてね」




「そうか、憶えておくよ。ところで、このワジには、いつまで水があるのだろうね?」




「そうだな、降った雨水の量にもよるけど、今朝の雨なら、たぶん、明日になったら消えていると思うよ」




「へーえ、驚いたね。これだけの大河が明日になったら消えてしまうのか」




「そのように驚かれてみると確かに不思議だよね。けど、本当に消えると思うよ」




「でもさ、この水はどこに行くのかな?」




「さあ、俺も確かなことは知らないけど、大きなオアシスにでも流れ込むのではないかな」




「ふーん、オアシスって、そんなに大きいのか。映画とかで観て知っているオアシスは、ちょっとした泉とヤシの木が数本だけのものだけどね」




「そうか、日本人にとって、オアシスとはそういうイメージのものか。いつか見ることになると思うけど、大きなオアシスは、ちょっとした街くらいに大きくて、森みたいに見えるのだよ。ヤシの木なんか、数本どころか数百本は生えているね」




「へーえ、そんなに大きいのか。一度見てみたいな」




「どうせ近々見ることになるよ。さあ、すぐに社宅に着くからね」




「ああ、もうこの辺りか、俺の社宅はオフィスから近いものね」




 すると、アタが前方に何かを見たようで、




「あれ!」




「アタ、どうしたの?」




「社宅の門の前にサブラがいるよ」




「カリール・サブラが?」




 アタが言った通り、社宅の前には俺の同僚営業マンのカリール・サブラがニッコリとした表情で立っていた。




 サブラの隣をふと見ると、色黒の若い女性がいた。




 アタの車を降りると、サブラが俺に話しかけてきた。




「畑中さん、お帰り!」




「おい、カリール、なんだよ、オフィスで別れたばかりだろ」




「先回りしちゃったのだよ」




 そして、俺は、当然のことながら、サブラの隣に硬い表情で立つ若い女性のことを気にした。




「なあ、カリール、このレディーはどなたかな?」




「可愛いだろ! 俺の彼女だよ。フィリピン人の看護師でね、ミランダ・フェという名前なんだ」




「俺の彼女ってさ、カリールにはレバノンに奥さんも子供もいるだろ」




「ああ、それね、そのことなら、後で話すよ」




「そうか、じゃあ、そのことは後で聞くとして、俺の家に何をしに来たのさ?」




「誘いに来たのだよ」




「誘いに?」




「ああ、クリスマスイブだしさ、これから飲みに行こうよ」




「飲みに!?」




 カリール・サブラは、外国人も禁酒のこの国で、俺に「飲みに行こう」と言う。




 どういうこと?




=続く=


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