04
都会の朝は騒がしい。
特に夏ともなれば、蝉の鳴き声と人々の話し声、歩く音、電車や車の走行音が建物を反射して、外にいる人の耳を刺激する。
まだ、六月ということもあり、蝉こそ鳴いてはいないものの、相変わらず人々の話し声、歩く音、電車や車の走行音は騒がしかった。
唯加はホームから溢れるほどのサラリーマンやOLのなかに混じって、電車を待っていた。
三分に一本はくる過密ダイヤでありながらも、やってきた電車にはすでにたくさんの人が乗っていた。
さすがに心臓が圧迫されるほどの時間帯ではなかったがそれでも、背の低い唯加にはつらく苦しい時間であった。
唯加には毎日決まってやることがあった。
まず、六時五十分にくる電車の前から三両目の二番目のドアの前で待つ。
そして、やってきた電車に乗り込むとその小さい体を生かして、車両の中央付近に移動する。
中央付近に移動すると背の高い大人の人たちの隙間から、ロングシートを眺める。
これが日課であった。
目的は三両目の三番目のドア付近に座って読書をしている弾の姿を本人に気づかれないように眺めることだった。
弾の姿を見つけた唯加は周りから怪しまれても仕方がないくらい顔がほころんでいた。
唯加はスマートフォンを取り出し、何か操作をしながらも、ちらちらと弾の読書している姿に視線をうつしていたが、弾はその視線には全く気づいていないようだった。
唯加と弾が通う学校はオフィス街を通り過ぎたところにある。
オフィス街でたくさんのサラリーマンやOLが降りるが、それでも電車の席が空くことがないまま、次の駅でまたたくさんの乗客が乗ってくる。
この日もいつものように次の駅でたくさんの乗客が乗ってきた。
弾は乗客がたくさん乗り込んでくる駅でいつものように本を読むのをやめ、あたりを見渡した。
そして、一番大変そうな人に喋りかける。
この日は盲導犬を連れて乗り込んだ目の不自由な人だった。
「おじいさん。席空いてるのでよかったら案内しますよ。服の裾を掴んでもいいですか?」
おじいさんは
「ありがとう」
と言って、腕を少しあげた。
服の裾を掴んだ弾はゆっくりと丁寧に案内し、おじいさんを席に座らせた。
弾はおじいさんに
「どこで降りられますか?」
と聞くと、
おじいさんはにこやかに三つ先の駅でおりると言った。
弾はおじいさんの前に立ってつり革につかまった。
少し離れた位置からその状況を見聞きしていた唯加はとても不安そうな顔をしていた。
しばらくすると、電車は学校の最寄り駅に着く。
不安そうに見ていた唯加だったが、電車のドアが開くと名残惜しそうに電車を降りた。
そのまま扉は閉まり、おじいさんと弾を乗せた電車は発車した。
唯加はゆっくりと加速する電車を見続け、電車が見えなくなってから、一言誰にも聞こえない声で、
「三駅だから授業には間に合うよね・・・」
と言って、改札の方へと歩いて行った。
そして、駅から学校まで10分の道のりを歩き、学校に着いた唯加はいつもの日課である水やりを始める。
唯加は水やりをしながらも時々校舎の時計を気にしつつ、校門を時折眺めていた。
水やりと雑草抜きも終わり、そろそろ着替えて教室の方へ向かわないと間に合わない唯加は最後まで校門の方を見続けながら、校舎の中へと入っていった。
更衣室で制服に着替えた唯加は前の扉から教室に入る。
唯加の席の前に座っているショートカットの黒髪の女の子、大畑 佐知に
「おはよう」
と声をかけ自分の席へと座る。
自分のカバンを机の横についているフックにかけ、すぐに弾が座っている窓側の一番後ろの席を見たが、
そこに弾の姿はなかった。
その様子を見ていた佐知が心配そうに唯加に声をかける。
「ねぇ。唯加。そんなそわそわしてどうしたの?」
唯加は佐知から少し気まずそうに視線を外し、
「え?別になんでもないよ〜」
と言ったが、佐知はすかさず、身を乗り出して、
「本当に?」
と聞いた。
「本当、本当。大丈夫だよ!」
と身振り手振りで必死に否定する。
はたからみればとてもあやしいのだが、それ以上聞いても何も教えてくれないと思ったのだろうか?
佐知は
「ふ〜ん。ならいいけど」
と言って、
「今日の授業なんだけどさぁ〜」
と別の話題に切り替えた。
しばらくすると、チャイムがなり、それと同時に担任の教師が出席をとるために、教室へと入ってきた。
教卓に出席簿をおくと誰がいないのか周りを見渡し始める。
そして、教師は言った。
「あれ?津滝はいないのか。珍しいな」
弾は授業で毎日寝てはいるが、遅刻をしたことはなかったので、それを聞いた一部の生徒は少し不思議そうな顔をしているようだった。
ただ、一人事情を知っていた唯加だけは唇をぎゅっと噛みしめて顔を伏せていた。
出席を確認し終わった先生は連絡事項を生徒に伝えて、教室をあとにする。
その後、一時間目が始まる前に教室の後ろの扉が開き、弾が入ってきた。
弾は自分の席につくとそのまま机にひれ伏した。
唯加は弾の姿を一瞬だけちらっと見て、カバンから教科書とノート、筆記用具を取り出した。
教科書とノートを開いて、シャーペンを取り出す。
ちょうどシャーペンを取り出した時に、一時間目の始業のチャイムがなり、国語の教師が教室へと入ってきた。
唯加の視線は国語の教師を見ていたが、その時なぜか決意に満ち溢れた目をしていた。
学級委員の
「起立!」
の声とともに
いつもの日常が始まったが、この日は弾と唯加にとって思い出深い日になることはまだ誰も知らない。