狩り
昇星たちが、緋眼から『次代の緋眼』の事を聞いている頃、蒼炎は一族の集落からそう遠くはない、妖が住む森へと初めての狩りに出ていた。
彼ら一族は、五歳の年にまず弱い妖を影にする。
そうして鍛練を積み、より強い妖を影とするべく精進するのだ。
鎧衣を身に纏った蒼炎は、緊張を誤魔化すかのように、胸の前で右手を固く握りしめる。
そんな彼の様子に気がついた三歳歳上の悠星が話しかけた。
「そうえん、だいじょうぶだ。何も心配する事なんてないさ」
悠星は蒼炎を励ますように言う。
「まるぼし、おいで」
悠星がそう呼び掛けると、悠星自身の影から現れた黒い霧は、金色の耳の長い小動物に変わった。
「こいつは、おれが最初に影にしたやつ。何もできないけど、かわいいだろ」
悠星の肩や頭の周りをちょろちょろと動き回る彼の影。
そんな影を見る悠星の目はとても優しい。
「さいしょは弱くてもいいんだ。少しずつ、強いやつを影にしていける…それって、すごくおもしろいと思わないか?」
そう言い、悠星は弾けるような笑顔を見せた。
蒼炎は、彼の言葉を受けとめ、破顔する。
「うん!ゆうせい兄ぃ!おれ、がんばるよ!」
そんな二人の様子を見て微笑む成人した影使いの男は、一匹の妖の気配に気づいた。
彼は妖に気付かれないように、二人にそっと告げる。
「いたぞ、彼処だ」
二人は、彼の指を指した方向を見た。
そこには、赤い色の翼をもった小さな獣がいた。
「よし!さいしょにおれが手本を見せてやるからな!」
そう言って、悠星は獣の姿の妖の前に飛び出した。
「あっ!兄ぃっ!!ずるいぞ!!」
そう叫ぶ蒼炎の声に、悠星は聞こえない振りをしてペロリと舌を出す。
「さーて、お前の名前、何にしよっかなぁ~……」
次の瞬間、悠星の赤い眼が怪しく光輝き、目の前の妖がまるで金縛りにあったかのように小刻みに震え、動きを止めた。
やがて、妖の周りを小さな赤い炎が取り巻く。
「うーん……決めた!お前は――はなぼし!!」
悠星が叫ぶと、周りの炎が一瞬のうちに妖の首に集まった。
それは首輪のようになり、妖の首に巻き付く。
やがて赤い炎が消えると、妖の首には赤色の刺青が彫られていた。
きゅるきゅると喉を鳴らし、影となったはなぼしが悠星の足元にじゃれつく。
そんな妖を、悠星はそっと抱き上げた。
「今日からお前は、おれの影だ!仲よくしような~」
そう言って、嬉しそうに笑う悠星に、蒼炎は頬を膨らませる。
「ゆうせい兄ぃ!ずるい!!きょうは、おれの狩りなんだぞ!!」
「ははっ!わるいわるい!!」
顔を真っ赤にして怒る蒼炎に、悠星は笑いながら謝る。
「でも、わかったろ?瞳の力で動きを止めて、くっぷくさせる。で、名前をつけたらおわり……かんたんだろ?」
「……わかってるよ、そんなことくらい」
「まぁまぁ……蒼炎、機嫌治せよ」
まだ怒りの収まる様子を見せなかった蒼炎に、 同行している男は困ったように微笑み、新たな獲物を指差した。
「ほら彼処……いるぞ」
蒼炎は、獲物の方を見る。
そこには、黒い色をした小さな妖が此方をじっと見ていた。
「蒼炎、行けるか?」
緊張で強ばっている様子の蒼炎に、男は声を掛ける。
「……うん」
蒼炎は頷き、妖の前に出た。
「そうえん!がんばれよー!!」
悠星の元気な声が蒼炎の背中を押す。
蒼炎は、深い呼吸を幾度となく繰り返しながら、少しずつ妖へと近づいていった。
*******
心臓の音が、まるで耳元で鳴っているかのように五月蝿い。
蒼炎は、ごくりと喉を鳴らしてゆっくりと妖へと近づく。
蒼炎と妖は、お互いに視線を逸らせないでいた。
『眼を逸らせては駄目だ』
『自分がお前の主人だとを教えるんだ』
『絶対的な力で服従させろ』
蒼炎は、昇星の教えを反芻する。
さっきまで、五月蝿かった心音がいつの間にか聞こえなくなっていた。
『いいか、蒼炎。どんなに弱く見える妖でも、決して油断はするな。彼奴らは人間じゃない。少しでも油断をすればーー……』
どうしたらいいのか、わかっていた。考えるよりも先に、身体中の細胞が知っている。
蒼炎は、息をするよりも自然に……生まれて初めて瞳の力を解放した。
蒼炎の鮮やかな緋色の瞳が輝く。
「おれの、かげになれ」
蒼炎が呟くと、小さな黒い妖の動きが止まり、やがて小刻みに震え始めた。
(もう……少しだ……)
そう思い、つい気を緩める蒼炎。
その瞬間を逃さないかのように、妖の黒い瞳が鈍く光る。
『コーウ……コーウ……』
耳鳴りの煩わしい音に混じって妖の鳴き声が聴こえた。
蒼炎の足が、手が、枷を付けられたように重くなり動かない。
『コーウ……コーウ……』
全身から、汗が噴き出しているような感覚。
『油断をすれば――――喰われるぞ』
昇星の声が聴こえた気がした。
蒼炎はその声に自分を取り戻す。
震える唇を真一文字に結び、目の前の妖に意識を集中させた。
(おれの、かげになれ…っ)
声は出ない。 だが、心に呼応したかのように、妖を縛る力は強くなった。
(……かげになれ……っ!!)
蒼炎が再び思った次の瞬間、妖の周りを蒼い炎が取り囲む。
それはとても強く、美しい炎だった。
そうして炎は、未だ抗おうとする妖との距離を、じわりじわりと縮めて行く。
妖の首へと巻き付こうとする一歩手前、漸く諦めた様子の妖が、抵抗するのを止めた。
やがて炎は首を取り囲み、蒼い炎は黒い鎖の刺青になる。
(やった……かげに、できた……)
黒い妖の首に刻まれた刺青を見て、安心した蒼炎は、とうとう意識を手放し、その場に倒れ込む。
薄れ行く意識中で、悠星が駆けてくるのが見えた。
*******
「………えん!!そうえん!!」
近くで悠星の大きな声が聞こえる。
その声に意識を取り戻した蒼炎は、ゆっくりと目を開けた。
未だ視界がはっきりしない中、ポタリ。と、蒼炎の頬に雫が落ちる。
不思議に思い焦点を合わせると、泣きじゃくる悠星が心配するように蒼炎の顔を覗き込んでいた。
「……兄ぃ……」
ぽつりと呟く。その声に気付いた悠星は次第に顔を真っ赤にさせ言った。
「この……っ!バカ!!急にたおれるから心配したんだぞ!!ずっと起きないし……っ!!」
幼い悠星は、余程恐ろしかったのだろう。
顔を背ける悠星の肩は小さく震えていた。
「兄ぃ……ごめん……」
ぼんやりとする意識の中、蒼炎は謝罪する。
その言葉に、悠星は右腕で目を乱暴に拭った。
「……お前がぶじなら、もういい……」
ぽつりと言い、悠星は白い歯を見せて笑う。
その様子につられ、蒼炎も弱く微笑んだ。
「コーウ……」
蒼炎は、可愛らしい鳴き声をさせながら彼の頬に擦り寄る存在に気づく。
「その影、おまえが気絶してからずぅっと側を離れなかったんだ」
悠星の言葉に、蒼炎は小さな影に優しく触れた。
「これから……よろしくな、こうや」
蒼炎の指先にじゃれる影に、彼は嬉しそうに言う。
「こうや……ってつけたのか?」
「うん……真っ黒くて、夜みたいで……コウって鳴くから……だから、こうや」
まだはっきりしない頭で、蒼炎はぽつぽつと言葉を紡いだ。
その様子を見ていた影使いの男は、蒼炎に優しく言う。
「お前が気絶した時は肝が冷えたが……いい妖を影に出来たな。それに、良い名だ。こうや……漢字を当てはめると……こうなる」
男は、地面に字を書いて蒼炎へ教えた。
『更夜』
「これが、こうや?」
不思議そうに聞く蒼炎に、男は優しく微笑む。
「そうだ。これは、夜更けという意味だ……お前の影にぴったりだな」
そう言って微笑む男の言葉に、蒼炎も笑う。
「更夜……」
蒼炎の声に、影となった更夜は嬉しそうに擦り寄ったのだった。