緋眼
蒼炎と紅輪が、五歳になった頃。
相変わらず、少しの諍いは時々起こっていたものの、双子の兄弟は仲良く毎日を穏やかに過ごしていた。
その頃、一族にとって……とても重要な出来事が起こる。
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一族の集落より少し離れた小高い丘に、白い大理石で出来た建物がある。
ここは緋眼が祈り、未来視を行う場所だった。
たった一人で祈りを捧げる為に使うには大きすぎる様な部屋には、両壁一面からさらさらと水が流れ落ち、その空間は清浄な空気に満ちている。
天窓から優しく降り注ぐ光がその水を照らし、美しく輝かせていた。
部屋の最奥には祭壇があり、緋眼はその前で床に両膝を着き、胸の前で手を合わせる。
水の落ちる音だけが響くこの空間で一人、緋眼は両目を瞑り、祈りを捧げていた。
「……………」
彼女はやがて目をあける。
鮮やかな緋色の瞳が、少しだけ揺らめいた。
金色の豊かな髪がふわりと動き、彼女はそっと呟く。
「……これが最後の、未来視………」
彼女の言葉を吸い込むように、きらきらと輝く水が、止まることなく流れ続けていた。
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緋眼からの言付けで、族長と五人の長老がとある一室に集められていた。
まだ明るい昼の最中、窓から入り込む光は部屋を明るくする。
だが、明るい部屋とは相反して、六人は皆……暗い表情をしていた。
彼らは、誰も何も言葉を発さず、それぞれがこれから緋眼が告げるであろう事について考える。
ほどなくして、緋眼がゆっくりと皆が集まる部屋にやって来る。
皆が一斉に彼女へと視線を向けた。
「皆、集まっているわね」
緋眼はそう言い、にこりと微笑む。
「……はい。緋眼さま……此方へ」
族長である皇劉が、光の差す窓際の席へと彼女を促した。
「ありがとう」
そう一言いい、ゆっくりと椅子に腰をかける。
緋眼は、集まった六人の顔を見回し、微笑んだ。
「……………」
六人は皆、固唾を飲んで彼女の言葉を待つ。
緋眼が言葉を発するほんの数秒の間。
それは、とても長い時のように感じられた。
彼女は、決意したかのように、一度唇を固く結んだ後、ゆっくりと大きく息を吸い込み、言う。
「……未来視が、見えました。
間もなく、次代の緋眼が誕生します」
「…………っ!!!」
皆が驚愕する。
否、本当は心のそこではわかっていたのかもしれない。
しかし、全員がそれを否定していた……したかったのだ。
族長である皇劉や紫陽、他の長老……そして、昇星さえもが皆、不安に駆られる。
それは、緋眼の力の継承が理由であった。
緋眼の未来視の力は、次代の緋眼が生まれると同時に先代から継承される。
つまり、次代の緋眼が成長し、理解し、未来視が出来るようになるおよそ七年もの間、彼らは緋眼の加護を受けられなくなるのだ。
それは、彼ら一族にとって、力の源である両眼を失うことと同意だった。
皆の表情が曇る中、彼女は凛とした声で言う。
「皆も知っている通り……次代の緋眼が生まれると同時に、私は未来視が出来なくなります。次代の緋眼が成長するまでの間……特に、今は……不安や恐怖があるかと思います。ですが、あなた方にはきっと、何が起きても乗り越えられる強さがあると……私は、信じています」
彼女の言葉が、六人の心に響く。
窓から穏やかに降り注ぐ光が、彼女の美しい金色の髪を、より一層輝かせ、その光は、彼女自身をも輝かせる。
それはまるで、黄金の陽光。
影を使役し、闇と呼ばれ……他者から恐れられる彼ら一族が、求めてやまない太陽だった。
「緋眼さま……」
族長の皇劉が、ぽつりと呟いた。
その言葉に、時間が止まってしまったかのように感じていた皆が、自分を取り戻す。
緋眼は、もう一度皆の顔を見回して笑顔を見せた。
「私は、次代の緋眼の教育と、緋眼の護り手を決めた後、歴代の緋眼が眠る水晶宮へ移ります…皆、今までありがとう……」
そう言い、優しく微笑む彼女は、とても清々しく、美しい表情をしていた。
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「昇星、少し……いいかしら?」
皆が退室する中、緋眼に呼び止められた昇星は少しぎこちない笑顔を見せる。
最後の一人が部屋から出ていき、扉が静かに閉まった。
「何だ?ばーさん」
少し緊張しているかのような様子の昇星を見て、緋眼は微笑み、言った。
「昇星、今まで……護ってくれてありがとう」
「………ありがとうなんて、言うなよ」
昇星は、ふいと顔を背ける。
「私が、あなたを護り手に指名してから…十五年経ったのね。貴方は幼い頃からまったく変わらない。いつも明るくて、無邪気で……ふふ……」
彼女は、昔を思い出したかのように笑みをこぼした。
「な、何だよ」
緋眼の笑みの原因を知ってか知らずか、彼は、自身の顔に血液が集まってくるのを感じる。
「……貴方、護り手になる前からも、なってからも……私を『ばーさん』って呼ぶんですもの……それが可笑しくって」
「可笑しいって……ばーさんは、ばーさんだろ…」
顔をほんのり赤らめながら、昇星はぶつぶつと言う。
「そんな貴方だから、皆、貴方の元に集うのね……。でも……」
彼女はほんの一瞬、悲しそうな表情を見せた。
「……貴方は、本当は……ユキヤ達と共に外界に行きたかったのでしょう?」
突然の緋眼の言葉に、昇星は動揺を見せる。
「……そんなこと、ない」
ぽつりと言った昇星の言葉に、緋眼は頭を振った。
「いいのよ、本当の事を言っても。……それでも、貴方の気持ちをわかっていてもなお、私には貴方を外界に行かせることは出来なかった。だから、護り手として、ここに留めてしまった」
「ばーさん……」
「未来視でわかっていても……どんな未来になろうとも、私はそれぞれの判断に、自分自身の未来は自分で決めるようにして貰いたかった…いえ、そうしてきたわ、貴方の事以外は」
そう言って、緋眼の瞳が悲しそうに揺らめく。
「貴方が外界に行ってしまった後の世界は……哀しみと、絶望に満ちていた。……皇劉や、紫陽、そしてイリスの哀しみは……計り知れないものだったの……。だから、私は……貴方の気持ちをわかっていながらも……知らない振りをして、私の護り手として、ここに留めたの」
彼女は、真っ直ぐに昇星を見つめ言う。
「今まで、貴方を役目に縛り付けてしまって……ごめ……」
「いいんだ、ばーさん」
昇星は、緋眼の言葉を優しく遮った。
「俺の方こそ、すまなかった。……護るつもりが、護られてたなんてな……」
そう言う昇星はとても優しい瞳をしている。
「ばーさんのお陰で、俺は大事な存在……イリスや、悠星や、一族の皆と…人間として過ごす事が出来たんだな……」
そんな昇星の言葉に、緋眼の瞳に輝く雫が現れた。
「昇星…これからは、貴方の思う通りに生きて」
緋眼はそう言い、澄んだ瞳で微笑む。
昇星は、そんな緋眼の言葉を受けとめ、彼女に少し近づき深く頭を下げた。
「ありがとう、ございました」
昇星は、今までの思いを、感謝のすべてを言葉に込める。
彼女の色褪せない緋色の瞳は美しく煌めき、昇星の言葉を、彼の気持ちを、優しく受けとめたのだった。