護るべきもの
自宅に戻った昇星に、部屋で彼を待っていた妻、イリスが声をかける。
「お帰りなさい、昇星にいさま」
イリスは、パタパタと足音を鳴らし嬉しそうに昇星に近づいた。
「イリス……起きてたんだな、ありがとう」
昇星は、イリスに優しく声をかけ頬をそっと撫でる。
薄暗く、明かりを落とした部屋の奥には三歳になる息子の悠星が、穏やかな寝息をたてていた。
昇星は寝ている悠星に近づき、彼の頭を愛おしそうに撫で、やがて彼のお気に入りの椅子に腰を下ろす。
昇星は一つ、深く息をついた。
「ところで、俺の奥さんはいつになったら『にいさま』がとれるんだ?」
温かいお茶を運んできたイリスに、昇星は戯けるように言う。
「小さな頃からずぅっと一緒に育ってきたのだもの……今さら無理よ?昇星にいさまこそ、そろそろ諦めてね」
そう言い、イリスはにっこりと微笑んだ。
「そうだな、俺たちはいつも一緒だったな……。俺とお前と、皇劉と、紫陽……そして、ユキヤも」
昇星は目を細め、昔を思うように言う。
「……………」
昇星の顔が、笑顔から険しい表情に変わった。
「にいさま……?」
昇星の様子がいつもと違う事を心配してか、イリスがそっと彼の大きな左手に自分の両手を重ねる。
少し俯いていた昇星は、意を決したように息を吸い
心配そうに彼を見つめるイリスに告げた。
「ユキヤが、双子を産んだ。……二人は、俺に任せてもらうことになった」
「……!」
イリスは一瞬、彼女の大きな目を更に大きくしたが、それはすぐ笑顔に変わる。
「……家族が増えるのね。しかも二人も!……嬉しいわ、本当に」
その言葉は、嘘や偽りから出たものではなかった。
昇星はイリスの言葉に驚き、やがて破顔する。
「ありがとう、イリス。……お前に何も相談しなかったことは、本当に悪いと思ってる……だが、産まれてきたばかりの子供を妖に堕とす事は、俺には出来なかった……」
イリスは、昇星の微かに震える手をまた優しく握りしめた。
彼は優しく微笑み、また言葉を紡ぐ。
「俺の判断は……間違っているのかも知れない。」
そう言って昇星は唇を固く結んだ。
自分の勝手な気持ちで、一族を、大事な家族を不幸にしてしまうかもしれない。
見えない大きな恐怖の存在を感じ、昇星は目を瞑る。
「にいさま。大丈夫……大丈夫よ」
イリスは笑顔で言った。
「例え、どんな悲しい事が起きたとしても。私は、ずぅっとにいさまと一緒にいる。一緒に悩んで、私たちに出来ることを探しましょう?だから……」
イリスは昇星の額に自分の額を触れさせる。
「笑って?太陽みたいな、にいさま」
にこやかに微笑むイリスを見た昇星は、己の手の震えが止まっていることに気がついた。
「……ありがとう」
自分が護っているだけではないのだ。自分はこんなにも彼女に支えられ、助けられている。
そう思いながら、昇星は、イリスの気持ちに答えるようにいつもの笑顔をみせた。
彼の笑顔を見たイリスは安堵し、やがて顔を綻ばせ言う。
「赤ちゃんを迎える準備をしなきゃね! 明日、ユキちゃんにお話してくるわ。きっと、心配してると思うの」
「ん、頼むな」
昇星が、二度イリスの頭を優しく撫でる。
彼女は嬉しそうに微笑んだのだった。