振りかかるは迷惑、与えられるは枷、そして吐き出すは呪詛
と、表でそんな会話が繰り広げられている間、裏……無名のテキスト・チャットでは、全く別の話が繰り広げられていました。カエデラント家が管理しており、ログは保存されず、会話の一切が不明になる空間。
表の馬鹿騒ぎは倫理委員会を撹乱する目的で、本命はこちらだったりします。と言っても、今回は特に、何か話さなければならないこともないので、閑散としていますけどね。
ここは僭越ながら、この私めが話題を提供しましょうかね
「そもそも、虫人が諸外国の領地を侵蝕し始めたのは、魔王国の執政……厳密には簒奪王ヴォールが発端です。つまり、私たちは完全なるとばっちりなのです」
「おい、無用曹長、謝罪しろ。お前の親戚のせいだ」
「確かに、俺の祖父様が仕出かしたことが原因ではあるが、寧ろ当時は諸外国からも賞賛されてただろ。それでも文句を言いたければ、易々と魔王位を明け渡した魔王シェードか、祖父様に勇者の称号を与えて増長させる切欠を作った聖王国に言え」
ヴォール・アフトクラトル・ペラ。簒奪王の他に、盗賊王ヴォールとも。幼い頃の魔王シェードから王位を簒奪し、また奪い返された悲劇の王。元は私掠部隊を率いて魔王軍に壊滅的な被害を与え、聖王国から勇者の称号を賜った彼でしたが、魔王国の有力者である蟲伯に唆され、魔導に堕ちたと言われています。また、多くの妻を娶り、二十を越える子と五十を越える孫を成した好事家とも。
シェードの復権後、彼の親族の一部は極刑に処されたましたが、大半はロズデルンやマファトロネアなどに亡命、または幾人かの許された妻や子は魔王国内に残ったそうな。無用曹長――と、態佐が付けた変な渾名で認知されていますが、彼、ラッド・ペラ曹長もそんな亡命者の一人であり、簒奪王ヴォールの孫に当たる人物です。
簒奪王ヴォールが王位に座していたのは六十年余り。その間、彼は歴代の魔王が行わなかった多くの政策に取りかかりました。その中で最も有名なのは、魔導院の設置と、スカン島を始めとしたアルネシア列島の島々へ行った様々な支援ですが、今回は虫と瘴気に関することに着目したいところです。
「僭越ながら、この私、ブラジャー情報曹長が補足しますと――虫口の増加に苦慮した簒奪王は、未開の地を開拓するよう、虫に勅令を出しました。虫は他の動物と比べて、瘴気に高い耐性を持つので、瘴気に汚染された地域を浄化するのに利用しようとしたようです」
今から六十年程前の時代……。今でこそ、人類の六割近くは我々、超常人で占められていますが、その時代はそうではありませんでした。
常人――今でこそ少数派ですが、かつては世の多数派だった存在。彼らは瘴気への耐性が低く、また瘴気に対抗する術も持たない。そんな彼らに取って、虫人に依る瘴気の浄化計画は渡りに船だったのです。
また、諸外国全てに攻撃的であった魔王アレクシリオンの息子、シェードから魔王位を奪い取った勇者と云う肩書だけでも、世界の人々がヴォールを手放しで受け入れる条件としては十分なものだったようですね。
ですが、魔王に選ばれるからには、やはり魔王であって……。ヴォールの執政は全て、何かしらの軋轢を生じさせ、戦争や社会問題へと繋がっています。それは、今回の黒恐慌を見ても明らかでしょう。
「俺の祖父様は異名の通り、奪い取ることを推奨しているからな。これは魔族の倫理観とも合致していた。まぁジルディガンズとライディガンズは、元は同じハイト人。考え方が似ていて当たり前だ」
何故か得意気な無用曹長の横顔が眩しい。
そして引き起こされた野生虫人の増殖と、その被害については、言わずもがな。虫だって、瘴気に汚染された地域をへーこら耕すよりも、元から安全なところに棲み着きたいのです。私が虫人だったとしても、そうするでしょう。
一説に拠れば、簒奪王は虫人がそのような行動に出ることを予測していたと言います。彼は瘴気汚染区域を浄化すると謳い、諸外国に対して、虫人が無断で領土を通過することや、そのために必要な道路を建設する許可を出すよう、要求しました。
当時、これに対して、一部の人は懐疑的な意見を述べていましたが、世論の大多数は容認または歓迎する意見が多く、否定的な意見は一蹴されてしまったのです。また懐疑的な人々も、ヴォールに対して淡い期待を寄せている節はあったので、そのような人の殆どが、静観や沈黙を選びました。
結果は、ご覧の通り。
「根絶ヤシニスルノ! 神モ悪魔モ、龍ニ獣、聖人ヤ魔族マデ全テ、可愛イ女ノ子以外ハ、コノ世カラ消シ去サレバ良イノダワ。ソウスレバ、瘴気問題ハ万事解決。ソウヨ! 私ガ新タナ造物主、神ニナレバ良イノ!! 女ノ子ダケノ理想郷!」
「マヒロ、落ち着きなさい」
「無名チャットでも誰か分かるって凄ぇーな……」
「それは、愛が成せる業かな?」
「違うと思う」
「マヒロに愛情なんて一切感じてないけど誰か判ったぞ」
「ウィルスを根絶やしにするには生命が絶滅すれば良い理論」
「瘴気はウィルスじゃないけどな」
「平和は無用な人間を殲滅すれば実現するって、俺の祖父様がよく言ってたわ」
「お前の爺さん怖いな。何者だよ」
「先代の魔王なんだが」
「魔王マヒロ爆誕」
「尚、これは補足と云うよりも持論になりますが、簒奪王ヴォールがそのような政策を行った理由の一つとして、彼らハイト人が持つ精神的な枷……ダラァ信仰も影響しているのではないかと推測します。私の魂でありアイデンティティ――昨日、購入したばかりの、ワイン・レッドの紐ブラを賭けても構いません」
「この、話の流れを無視する丁寧なテキストは……ブラジャー情報曹長だな?」
「もっと他に着目すべき点があるだろ」
「これ誰か当てるゲームじゃねーから」
ダラァ信仰。ダラァの呪い、ダラァの縛り、ダラァの掌とも。ダラァはハイト人の神話に登場する神格で、太祖リコスに逆らったために、粛清されたとされています。ダラァは最期のとき、自らの想いがリコスに届かなかったことを嘆き、大声で泣き叫びました。その声はハイト人の全てに届き、彼らに呪いを与えた。それは、ハイトの血を引く者がダラァの掌よりも広い土地を専有することができなくなると云う、精神的な枷だったと言います。
「ダラァ信仰に依って、一人が専有できる土地面積は、約二百平方メートル。これはハイト人のみではなく、人種や血筋、種族に関係なく、聖王国と魔王国の臣民であれば、全てに適応されるようです。ですから、彼らは土地をシェアする文化が発達した訳ですが……。これは、国土が人口に縛られる呪いでもあります。人魔戦争の折り、領土拡大を目指した魔王国に取っては、致命的な呪いでした」
もしかしたら、これは古代術式の一種かもしれません。まだ発掘されていない巨大な原始術式群があったとしても、不思議ではありませんから。
「彼ら魔族が虫を人として認め、自らの陣営に率いれたのも、このダラァ信仰が要因になっているとの見方が強いようです。虫は直ぐに増殖しますから。しかし、それも裏目に出ました。……裏目と言っても、ブラジャーや火器類の話ではありませんよ?」
「解ってるよ」
「お前ブラジャーって言いたいだけだろ」
「虫は一部の種を除いて、土地開発能力が著しく乏しかったのです」
そりゃそうです。土木能力がありそうな虫なんて、蟻と蜂、シロアリ以外には思い当たりません。他にも探せば、蜘蛛や蟷螂の仲間にもいそうな気はしますが、それも数える程でしょう。そもそも彼らは、そんなものは必要とすらしないのですから。
何故なら、虫は人間よりも高い環境適応能力を持っているからです。あの夜と踊る虫が、僅か数代を経るだけで様々な薬剤に耐性を付けるのも、それ故のこと。毒があるなら毒を除くのではなく、自らが毒に対応してしまう。……そんな調子では、彼らの間にフロンティア精神なんてものが芽生えることなどありえません。
思想は発明であり、発明は必要から生まれてくるものなのです。そのことに、人類はもっと早く気が付くべきでした。もし、あと八十年ぐらい早くに気が付いていれば、私たちは今ここでこうして、辛酸を舐めてなどいなかったことでしょう。
……八十年前と言えば、私は出生すらしていません。ですが、私だって人類の一員です。先人の知恵と知識、築き上げてきた技術や伝統、文化に文明を頼るならば、彼らの失敗や挫折を知り、受け止め、尻拭いをするのが、後世に産み落とされた者の役割でしょう。そうやって、人類は発展してきたのですから。年長者へ恨み節を呟いでも仕方ありません。
「けど、それは1800~60年代に起こった虫人大移動の原因であって、昨今の虫人大移動はとは無関係な話じゃないのか?」
「それ以後なら、簒奪教徒のせいだな」
「なんだそれ」
「俺の祖父様の熱烈なファン」
簒奪教徒。簒奪派とも。魔族の倫理観では、弱者が強者から何かを奪い取ることは、美徳であると考えられています。このことから、僭王は血筋に関係なく崇拝の対象となり、神格化されるのです。そのため、彼らのような思想家一派は、いつの時代も一定数いるそうです。
今から二十年程前。魔王位がヴォールからシェードに戻ったことで、過激的なヴォール崇拝者は国を逐われることになりました。ヴォールは、虫や獣を始めとした人外魔族や、吸血族に食人種など、魔族の中でも忌避される傾向がある種族を重用していた向きがあるため、簒奪教徒の多くも、これらで占められていると言います。
「ヴォール時代に起こった虫人大移動と、簒奪教徒の大移動は、別物と考えた方が賢明でしょう。簒奪教徒は、多種多様な種族が混在しており、虫人だけではありませんから」
「獣人とかな。魔王国から追い出されて帝国に移民してきた奴らが、自由開拓地の獣人と一緒にお祭り騒ぎしやがるせいで、こっちにも飛び火してる」
「魔王国から亡命してくる獣人が増えたって話か? けどフォーヴ地区って、帝国が占領下に置く以前から獣人が住んでた地域だろ? 大して問題ないんじゃね? 自由開拓地は知らんが」
「そうじゃない。帝国に移民して帰化し帝国臣民となった獣人が、義勇軍として、ハチコモリ自由開拓地の争いに参戦してるんだ。その中で、セリニ族に同化する奴まで出ている始末だ。迷惑極まりない」
ハチコモリ自由開拓地は、ハチコモリ南部一帯……帝国からは西、エガリヴ連邦からは南にある地域のことです。瘴気の汚染度が比較的低度な地域を人が住めるように整備した勢力に、その土地の所有権を認めると云う条約の下、各国が争うように土地を開拓しています。
しかし、ハチコモリ南部の先住民である狼化人の血統――ネウロイ人の一部族が、この土地の所有権を主張し、各国に対してテロを行っているのです。
帝国は内部の獣人たちの手前、あまり強く抑え付けずに、ハチコモリ自由開拓地には獣人が優先的に居住できるよう法整備を行ったため、激しい対立は防げました。ですが、エガリヴ圏の人々は、その宗教観から獣人を忌むべき悪しき存在と考えがちなために、獣人を如何に上手く排斥するかに注力しています。
……まぁ、気持ちは解りますけどね。彼らの先祖で人間を食ったことがない者など、いないでしょうし。
けれど、双方の言い分や三分の理を理解できたとしても、配慮してやる義務はありません。帝国としては、エガリヴと不要な軋轢が生じるのは避けたい。帝国と連邦を争わせたい者もいる現状、「テロ活動にロズデルン出身の協力者がおるぞ!」と云う誹りは、単純な誹りでは済みません。
我々ルエイエの民は、そうした歪を常に肌で感じながら、日々を過ごしています。
「おい、シシキバ、謝罪しろ。お前の親戚のせいだ」
「さっきから文句垂れてるのが、そのシシキバ伍長様なんだがな。お前たちはそれで良いかもしれないが、最も被害を受けている俺たちは、誰に謝って貰えばいいんだ?」
そんな被害者であるシシキバ伍長も、連中からは尻尾巻いて人間に媚びる負け犬と称されています。
●
その後、「虫や獣が無闇に繁殖するのが悪い」「シェードがヴォールの治世を評価しているのも遠因」「そんなシェードが増長しているのは、政敵である大佐の大伯父が頑張らないのが悪い」などと、生物差別や隣国の悪口を散々言い募った挙句に、「つまり全て態佐が悪い」「やっぱインテリなら社会主義だよな」「人類のために神を殺せ」「世界を滅ぼせ」「社会が悪い」「私が人ではないのならば、法を守る義務もない」と、身内批判や母国批判のみならず、宗教批判や社会批判、階級闘争にまでにも発展し始めた頃、空間転移が現地に到着した。
そんな最高にハイな俺たちを出迎えたのは、フォーヴ巨獣部の後方支援部隊と瘴気が滾る森と――自動鎧を格納できる特殊車両が4台。そこには14機の自動鎧――我らが愛すべき、スネーク・キャンディーが控えていた。
「この棘々しい造形と顔を会わせるのも久し振りだな」
自動鎧には様々な分類が存在し、スネーク・キャンディーは軽自動鎧ないしは中自動鎧に属する。これは主に、人や軽車両と相対することを想定した規格だ。なので比較的小さめではあるが、やはり鎧であるためか、それとも色のせいかのか、できれば近寄りたくないと思わせる風貌をしていた。暴徒鎮圧を想定してるから、そこはまだ良いとしても、災害時には不向きな容姿ではないだろうか。
カメムシの仲間に、こんなカラーリングの奴がいたな。ニシキキンカメムシだったか? 確か、それも絶滅危惧種だったような……。なんとも世知辛い世の中よ。しかし、虫の中では美麗として扱われるのに、それが道具になったら毛嫌いされるのは、警告色としての役割を全うできていると云うことなのだろうか。なんとなく、皮肉めいている。
絶対的な美は世にはなく、主観にしかないものなのかもしれない。
「あれ? 1機多いよ」
「ヘルバの分だ。お前らよりも先に、鎧だけこっちに移動させたから」
「……あれは、悲惨な事故だったね」
この女、あれを事故で済ませるつもりらしい。
「俺の何番だったっけ?」
「知るかよ」
「残ったやつだろ。ヘルバとお前じゃ体格が違うんだから、それで判断しろ」
各部位を部分的に覆う駆動外殻とは異なり、全身を隈なく覆う自動鎧は、身体の差異から他者の鎧を流用するのは困難な兵器だ。例えば、個々人で手足や胴の長さは様々で、頭の大きさや目鼻の位置も異なる。更に獣人は、耳の形状が大幅に異なる。自動鎧は、それらの差異を考慮して、できる限り広く流用できるように設計はされているが、それにも限界はある。特に、骨格の差は極めて重要で、これが異なるものを着用すると、関節を痛めたり、ときには脱臼や骨折することもある。
「早く着装しろ。待たせてるんだから」
自動鎧には、着脱方式に依る分類もある。鎧の背面が開いて、そこから入ることで着装する背面着装式と、前面が開く前面着装式(それらを纏めてポップアップ式と呼ぶ)。鎧の上部と下部が分離する分離着装式。珍しいものには、左右分離なんてものもある。
スネーク・キャンディーは分離前面着装方式だ。鎧が腰を起点に上下に分離しており、胸部から腹部が跳ね上がるように開いている。腿はそのまま足を通し、膝から下はスケート・ブーツを履くようにして着装し、膝で大腿部と接続する。着脱が容易な反面、上部と下部を繋ぎ合わせる手間があり、また耐久面でも懸念が残る設計だ。
それでも、着脱はフルオートで行われるので、所要時間は数秒から数十秒……なのだが、ここにいるメンバーは久しくこの鎧に袖を通していないので、メンテナンスや調整も必要になり、どうしても時間がかかってしまう。急な災害時には困ること必至である。
「お前ら遅いぞ。普段から弛んでるから、こう云うときに困るんだ」
普段から自動鎧を使う任務が多い釣り軍曹は、さっさと着装し終えてしまい、手持ち無沙汰になってしまったようで、鎧の腿から取り出したナイフを掌のアタッチメントに固定し、ペン回しの如くぎゅるんぎゅるん回して暇を潰していた。
「軍曹。極めてテンアゲなところ悪いが、ナイフの出番はないと思うぞ」
「……なして?」
「我々の目的が駆除ではなく、捕獲及び放逐だからですぞ」
「放逐。放逐な。分かるか? 放逐だよ」
捕獲ではなく放逐を強調する態佐。
「そんないけずなこと言わずに、目的を放逐じゃなく、駆除とか殺傷にしませんか? 今ならまだ間に合うと、私の神も仰っています」
「マヒロ、諄い」
「何処の神だ。いけずなのはお前の方だよ」
「お前は殺戮が教義の邪教徒か」
やれやれだ。辛いのは分かるが、現実を受け止めろ。
「態佐、銃は何処ですか? 各員に小銃一丁しかありませんが」
ナイフを仕舞った釣り軍曹は得物の検分を開始したようだが、どうも武装に不満があるらしい。
スネーク・キャンディーの標準装備は警邏のシュッツァー系ではなく、憲兵に配備されているヴィーパー系に準拠しており、メイン・アームとして小銃と対鎧銃が一丁づつ、サイド・アームにオートマチックの拳銃と無柄の光子剣が付属している筈だが……。
「小銃は各員に一丁で、光子剣は六本しかなく、拳銃に至っては見る影もないんですけど」
「ないぞ。不要だろ」
「万が一、クレに遭遇した場合はどうする気ですか?」
「殴り殺すか術式で対応しろ」
だから頭揺らせばいいとあれ程。
「そんな無茶な……」
アルティベルグ少尉が情けない声を出した。けど、態佐にリミッターがかけられている現状、対クレ戦ならこの人が一番強かった気がするのだが……。
「アルティベルグ少尉、シシキバ伍長を見習い給え。彼は殺る気だ」
「人外と一緒にされても困ります」
「少尉、好い加減に獣人のことを差別するのはやめ――」
「いえ、シシキバ伍長個人が人外であって、獣人は人です。そもそも、僕の先祖にも獣人いますし。そんなことより、作戦への参加者がクレ化した場合、鎧ごと破壊しなければならないでしょう? 鎧ごと蒸発させるとしたら、携行用の発力器では、エナジー不足は否めないのですが。デスク・ワーク派な僕は、怪我をしてしまいます」
蒸発させることが前提のあんたも十分、人の道から外れてるしデスク・ワーク派ではない。遺族に遺体を持ち帰ろうと云う優しさはないのか。
「そこの蝿が重力を他のエナジーに変換できるから、それを頼れ」
……蝿?
見ると、そこには巨大な蝿がいた。
●
「蝿ぇえぇえ!!」
「ななな、なんですかな、いきなり! 随分な挨拶ではありませぬか!!」
巨大な蝿である。紛うことなき巨大な蝿が、テレパシーで人語を繰っている。
正確にはタマバエ科に属し、分類上は蚊に近い昆虫だ。成虫よりも朽木に虫瘤を作る幼虫が目撃されることの方が多いため、俗に朽木蝿と呼ばれている。多くの油虫に取っては天敵となる存在であるため、虫保護政策に於いては、繁殖の抑止と駆除要員として、ロズデルン帝国を含む各国に派遣されている。
「遅くなりましたが、今作戦に当たって、魔王国から派遣された協力者を紹介します。虫に認められている大切な権利を守る会――虫守会のウーム・マーイウス・デッドウッド氏です」
「ヨーク中佐、少し冷静過ぎやしませんか?」
虫守会。魔王国生態調査庁の外郭団体。生態調査庁は、国際環境保護区域の管理に当って、他国行政との調整や協力要請などを行う機関だ。今回、僕らが立ち入る区域の中にも、国際環境保護区域に指定されている区画があるから、その関係なのだろう。
国際環境保護区域。対魔連を前進とし、人間を含めた多種の高知能生物の代表で結成される、高等連合に依って設定される地域。元は、先々代の魔王であるアレクシリオンが、獣人のために切り開いたり、他国から奪い取った土地であるか、瘴気が濃く動物の生存には適さない土地であることが多い。どの国家も領土、領海、領空として保有することが許されておらず、高等連合の許可がなければ、誰であろうと立ち入ることができない。
尚、立ち入り許可の可否などを含めた実質的な管理は、高等連合が区域毎に任命した組織に一任されているが、これには厳正な取り決めがあり、違反した場合は責任者の首が物理的に飛ぶことになっている。しかし今のところ、これが適用されて処分された者はいない。
フォーヴから西の地域一帯は、確か……グリモワール・リーダー家が管理を請け負っていたと思う。
「なんでグリモワール・リーダーの関係者じゃなくて、ジルディガンズの蝿なのよ!!」
「某、当主のザルキィー様とは再従兄弟でして、本日はそちらの代表としても赴いております」
「ザルキィーの野郎、面倒になって逃げやがったな……」
グリモワール・リーダー家には、虫と交配する魔術も伝わってるんだっけ? 魔導の極致だね。何が面白くて虫とヤったのか、僕には理解できない世界だ。ヤらせる分には面白いと思うけど……。あ、そっか。なるほどね、そう云うことか。
「協力虫がいると言っただろ。蝿如きに何を怯えている」
「あの、さっきから蝿、蝿と連呼されていますが、某は蝿よりも蚊に近いのですが」
「あー、諸君。鎧を着ている間、蝿もといマーイウス氏から今回の標的について説明があるので、適当に聞き流すように」
「標的? 適当? 蝿もといマーイウス氏? ヨーク中佐殿、聞き流すとは、どう云うことですかな?」
「ぎゃあぁああ!! イヤァァアア!!」
「……うるさいですな。それと、協力者でして、虫であることは否定しませんが、某は虫人であるからに――」
「いやあぁあああ!! 蝿ッ! 蝿ぇええぇえ!!」
「某の話に耳を貸してくれませんかねぇ……?」
「蝿もといマーイウス氏、話を先に進めろよ。俺は眠いんだ」
「……もう勝手に話しますぞ。まず皆さんに留意して頂きたい点は、彼らの顎です。通常の[えつらんきんしっ!]では卵の殻や木片を砕くのが関の山ですが、彼らのそれはもう立派なもので、人間の骨など砂に等しい。頭蓋などバリバリやって粉々にできるのです」
それはもう知ってるよ。
「よく[阻止]ちゃんが触角を舐めているところを見かけますが」
「見かけねーよ」
「あれは、触角の汚れを落としている仕草なんです。では何故、この作業が必要なのかと説明すれば――」
「大体、整備兵が一人も来てないとは、どう云うことですかねぇ」
「こんな危険地域に貴重な整備兵を回せるか馬鹿め」
「普段から怠っている方の落ち度です。本人がいないのに、自動鎧の整備なんてできません」
「犬人間、てめぇは自動鎧格闘の先駆者だろ。なんで基本的な手入れもしてないんだよ」
「好きで先駆者になった訳ではない」
「そもそも市街地での活動が主な我々には、滅多なことでもない限り自動鎧など無用では? ……こいつ、なんのために開発されたんだ?」
「ォヨダメタルスニシヤ絶根ヲ虫害畜鬼」
「実験機」
「カタハト重工と西部陸軍の癒着」
「予算を使い切りたかった」
「廃品を押し付けられた」
「俺たちゃ人柱か」
「研究所送りにされてないだけ人道的だと思われ」
誰も蝿の話を聞いちゃいない。他人のことは言えないけど。
「全く、某からしてみれば、信じられんことです。ロズデルン帝国には、多種多様な[排除]が生息しており、[排除]の研究には持って来いの土地だと云うのに、[排除]の研究が一向に進んでいないのは、誠に残念です。これは教育のせいだと言わざる得ません」
ロズデルン帝国の教育水準が低いのは事実だけど、こればっかりは、教育とは無関係だと思う。
「我々、虫人からしてみれば、コックロ[言わせないよ]物はポピュラーなジャンルだと云うのに……。貴方たち人間には! コック[だから言わせないって]の魅力が分からんのですかっ!?」
分かるようになったら人として終わるよ。人を終わらせるのは愉快かもしれないけど、誰だって自分が終わるのは嫌だ。
「つか、虫人つっても色々いるだろ……。異種姦物がポピュラーなのか?」
器齧りの交尾って、前戯があるんだよね。
「肉食的に美味しそうって意味だと思うぞ」
「蝿って、闇に愛されし孤独とは無縁の虫を食うのか?」
「だから某は虫人でありまして、蝿よりも蚊に近い種でありまして」
「蚊なら食うのか?」
「病原菌を媒介する蚊なんて絶滅しちまえ」
「貴方方に唯一近寄って来る雌だと云うのに……」
「うるせぇな。女なんてクソだろ」
「貴様らが蚊だろうがクソだろうがどうでもいいから、早く鎧を着装しろ。重力制御装置の搭載と設定とテスト運転もしなくてはならんのに」
「態佐ー、こっちカーボン靱帯が足りないんすけどー」
「どうでもいい……? どうでもいいですと? あのですね。これは重大な人権問題でして、認識を改めて貰わねば困りますぞ」
「カーボン靱帯なんて無用だろ。戦車の相手をする訳でもなし」
「そうですよ、態佐。虫人の問題は、男女問題や獣人問題とも無関係とは言えないのですから。オーヴァーランド神学を履修して下さい」
「万が一ってこともあるだろ。自動鎧に取って、足は生命線だぞ」
「! 帝国にも、この問題をご理解している方がいらしたとは……! なんか耳が毛深いですけど……まぁ気にしません。このウーム、感激のあまり目から汁が……」
「重力制御装置付けて飛ぼうってのに足のことなんざ放っとけよ」
「我が主神たる獣神は、人と争わずに虫を食えと仰りました。なので、枯渇すれば飢えまてしまいます。絶滅なんて以ての外。虫は我らのごはん」
「お前みたいな偉い人には分からんかもしれんがな、足ってのは、そりゃもう大切なもんなんだぞ、ヴィジュアル的に。これでスネーク・キャンディー1/15プラモの売上げが落ちたらどうしてくれる」
「この腐れ外道がああァア!!」
「お前は玩具会社の回し者かっ」
蝿の薀蓄と小言を背にしている間、皆の整備作業も大詰めに差し掛かっていた。本来、スネーク・キャンディーには搭載される筈がない装置――重力制御装置の取り付けである。
重力制御装置。引力の軽減だけでは移動はできないので、大概はガスを用いた推進装置と対になっている。更に、軽減だけでは遠心力で吹き飛ばされて機体が揺れるため、揺れを軽減する姿勢制御装置を各部位に装着する。これらに相応のエナジーを必要とすることから、重力制御装置は燃費が悪い。また当然ながら、推進装置のガスにも残量があるため、装置に依る長距離移動は避けた方が無難。
なので、飛行能力に特化した航空自動鎧も、一部の例外を除けば空挺部隊での運用が主体となっている。ミサイル・キャリアーの護衛は、依然としてヘリの役割だ。
「あ、言い忘れていたが、目標の近くまでは格納車で移動し、補給車や蝿で補給を行いながら、目標をちまちまと追い詰めるのが、具体的な作戦内容だ」
そう云うことはブリーフィングのときに言って下さいよ……。
「最初の空間転移炉での移動時に伝える予定だったが、何処かの誰かに殴られたせいで、気を失っていたのでな」
「それ、十中八九あんた自身のせいでしょうが。気が触れた何処かの馬鹿の気に障るようなこと言うから。十中一ニは何処かの馬鹿のせいだが」
「私は被害者だぞ!」
「被害者が善人だとは限らない典型例だな」
被害者が元凶なのは珍しいことじゃないです。
「全く無駄口ばかり叩きおって……。もう時間が惜しい。テスト運転はなしで本番行くぞ」
「八つ当たりかよ」
「それ、誰かが墜落して死ぬフラグでは?」
「そんな迷信など知らんわ。腕でなんとかし給え。少尉らや一部を除けば、諸君ら元は空挺部隊所属だろ。かつての山勘を思い出せ」
「今は変態のせいで陸軍ですけどね」
その一部に含まれている僕はどうしろと。
「帝国軍人としての気概とか、なんかそんな感じの、何か意気込みっぽいものを見せてみよ。なくても作れ、捻り出せ。四捨五入すれば、大まか常勝にして不敗のロズデルン人なら、多分やってやれないことはない筈だと思ってる。なお、これは個人の意見ではなくお国の意志であるため、断じて私に責任はない」
「これが古き悪しき根性論ですわ。俺らはランプの魔神じゃねーんだぞ」
「隊を4つに分ける。名を呼ばれた者から整列して、格納車へ乗り込め」
ロレンス・カエデラント鎧科・砲科・警邏・空戦大佐
粉曹長
釣り軍曹
アーサー・アルティベルグ少尉
屍漁り呪科准尉
萎まない男伍長
アレキサンダー・アークブルグ少尉
梯子外し兵曹長
レオン・シシキバ鎧科伍長
セレスタン・グレイン少尉
無用曹長
ブラジャー情報曹長
マヒロ・フーロ光士伍長
賽之目伍長
「態佐。僕の隊、僕を含めて役立たずしかいない気がするんですけど」
「アハハハハハ!! 虫なんて! 虫なんて、かき揚げにしちゃうのよ!!」
さっきから気絶と発狂を繰返せすマヒロさんが面倒臭い。この人、整備は終わったのだろうか。
「グレイン隊は、全体の支援を頼む。無用曹長は索敵。ブラジャー情報曹長はメディカル監視。フーロ伍長は術式動作管理。賽之目伍長は通信」
「役の割り振りが適当な気がするのは俺だけか? 索敵って……俺は具体的に何をすれば良いか分からんぞ。リコとリリーがあるから無用だろ」
「その場の状況を見て、即応的に対処し給え。実際、何が起こるか分からん。各員、不足の事態に備え、柔軟に動けるように心掛けておけ」
この命令は何も命令していないのと等しい。
「相変わらずの無茶振りっすね」
「我々は、特殊事案“対応”課だからな」
対策ではないところがポイントだ。この名称は、本当によく考えられていると思う。この部隊、設立された当初から対策を練ると云う概念が存在しない(何かなければ仕事しないから)。常に行き当たりばったりで、時々に合わせて動かなければ死ぬなんて状況は珍しくない。これはもはや、解呪できない呪いに等しい。
各員、苦笑にも似た溜息を吐いて。
「了解、了解」
修正:ルビ