食うからには食われることもある
事実を元にしたフィクションなファンタジーです。
「これだけか」
突如、その場にはいなかった者の声が響く。その声は、我々が無意味に続けていた、汚い談笑を中断させるには、十分な効果を持ってしていた。
それは、自身に注目を集めるために発したものだろう。その思惑に乗せられた我々は、特事課の出入り口に立っている、その声の主に目をやった。
そこにいたのは、我らが誇るべきゴミ。
「態佐、なんか用ですか?」
俺が疑問を向けたのは、蛇苺隊のボス、ロレンス・カエデラント態佐だ。
傍らには、先月この蛇苺に左遷されてきたアーサー・アルティベルグ少尉と、アレキサンダー・アークブルグ少尉もおられる。
異様な組み合わせだ。態佐が無断欠勤するのは、いつものことなので、あまり気に留めていなかったが、本日は休みである筈の少尉殿二名が、態佐と共に現れるのは、不吉なことの前触れとしか思えない。今月の初めにも、こんなことがあった。あのときの組み合わせは、アルティベルグ少尉とグレイン少尉だったが……。
当時の我々は、連続婦女殺人犯を探していた筈なのに、何故か西部倫理委員会ルエイエ支部の地下にある、術式実験場を襲撃した。
もう、あんなことは勘弁して欲しい。あのときは万事上手く行ったから、我々の首は繋がったものの、もし失敗していたら、物理的に首を刎ねられていたところだ。こちらが首を刎ねる側に回るのは吝かではないが、刎ねられる側になるのは、甚だ遺憾である。
「荒事は勘弁して下さいよ……」
俺と同じことを考えていたのか、釣り軍曹が、そう呟いた。その願いは、態佐に向けたものなのか。はたまた、神への祈りなのか。
その呟きに応えたのか、俺の疑問に答えたのか、燃える栗毛を揺らすアルティベルグ少尉が、態佐に成り代わって声を発する。
「事情を説明するのは後にしよう。とりあえず、このメンバーで現場に向かうから、話は空間転移炉内でするよ」
どうも、事態は急を要するらしい。
黄色いマグカップの中身のことは忘却することにして、今は我々に降りかかった災厄が、どう云うものなのか想像することにしようか。あまり考えたくもないけど。
●
軍用の空間転移炉。それは、その地域で最も大きい基地の地下に設置され、それぞれが相互に繋がると同時に、各政府機関のものとも繋がっている。
ルエイエ基地にあるそれは、二個師団を各地の空間転移炉に転移させることが可能なものから、小隊を近場に転移させるための小規模なものまで、一〇三機存在する。現在、使用しているのは、小隊から中隊を転移させるためのもの。行き先は――
「フォーヴ基地だ」
帝国西地方、デンイェン・カトラヴィーナの西。魔の棲む領域と呼ばれ、人々から恐れられる森が、直ぐ側にある地域だ。多くの獣化型獣人が住んでいることで有名で、我らが蛇苺隊の一員、シシキバ伍長の故郷でもある。
「アルティベルグ少尉。早く、どう云うことか御説明願いたいのですが」
それ僕じゃなくて、カエデラント大佐に言うべきことじゃないかな。
「大佐、神妙な面持ちでエロ画像の検分なんかしてないで、皆に説明をお願いします」
無用曹長の要望に応えるため、僕は大佐を急かしてみた。多分、無駄だろうけど。
「アルティベルグ少尉、検分なんかとはなんだ。なんかとは。私は変態貴族として、飢えに苦しむ憐れな狼たちに無償提供する、おかずの毒見をしながらタグ付けを――」
「俺たちには、あんたのボケに付き合ってる暇などないんです。態佐は大佐としての責務を果たして下さい。無能な上官は無用です。好い加減にしないと、殺々《ころころ》しますよ」
無用曹長の目は本気だった。
数々の上官殺しの嫌疑をかけられ、その何れも証拠がないために無罪放免になったものの、蛇苺に左遷されてきた人の目は、本気だった。未だにロレンス・カエデラント大佐が不審死を遂げていないのは、ルエイエ基地七不思議の一つに数えられている。
「……う、うん。そこまで言うなら、仕方ない」
態とらしい咳払い一つ。大佐は襟を正し、その場にいる十三名(ヘルバ上等兵は病欠)を見回してから、重々しい口調で、話し出した。
「今回、我々に与えられた任務は、絶滅の危機にある巨大ゴキブ――[規制されました]の放逐だ」
……今のノイズ、何? 規正されましたって、何が?
「はぁ? なんでですか? 巨大な餓鬼道の住人なんて気色悪いもの、駆除しちまえばいいのに!」
「そうですよ。あいつら、人類がその叡智を集めて絶滅させようと、意味もなく躍起になっても、しぶとく繁殖し続ける都市の怪物なんですよ?」
口々に不服を申し立てる、蛇苺の面々。マヒロさんに到っては、恐慌状態に陥っている。いやいや、そんなことよりも、さっきのノイズ、何?
「それがな、この種は絶滅の危機にあるんだ。お前たちは信じられんだろうが、ゴキブ――[規制されました]はコスモポリタン種が、その個体数を増やす一方、こう云う完全な野生種は、絶滅の危機に晒されているものが多いんだ」
なんでゴキブ――[規制されました]が、倫理委員会の規正用語に引っかかってるの? 誰が無断でNG登録したの?
「で、でも、自然なんて、そこら中に溢れ返っているじゃないですか。ルエイエだって、ちょっと郊外に出れば直ぐに森が……」
ロズデルン帝国は、中央大陸の中西部一帯を支配している、超大国だ。その東部は、広大な砂漠と切り立った岩山が広がっているが、打って変わって西部になると、人の侵入を拒む樹海が広がっている。
古都ルエイエも、世界に名立たる発展都市の一つとは云え、まだまだ多くの自然を残し、無数の生物が生息している地域であるのは変わりない。
「そう云った森にはゴキブ――[規制されました]の天敵も多い。昨今は知能の発達した野生虫人や、蜘蛛魔虫が急激に増えてな。それもこれも、魔王シェードが人気取りに行った、虫保護政策の効果だ」
帝国の北東に位置し、魔王シェードが治める魔王国は、多種多様な高知能生物が共存している、多種族国家だ。
その中でも、その数を安定して増やし続けているのが虫人だ。
虫から進化した彼らは独自の言語を持ち、更には他の体系にある生物の言語を理解するまでに、知能を発達させている。故に人と称されるが、所詮は何処までいっても――虫。彼らは数に任せて、魔王国内での発言力を強めるどころか「わし、虫やから」と、理解不能な理由で国境を無視。その地の虫と交配を繰り返して、森を勝手に占領している。例えその行為を蝗や蛆と罵ろうが、本当に蝗や蛆なのが困るところ。
だが、諸外国も「まぁ、ええわ。……うん」と、それを無視。民衆すらも、当初は彼らが、こちらの主権を侵す訳でもなかったので「まぁ虫やし」と甘く見ていた。
しかし、知能が発達したと云えど――やはり虫。
それに変化が訪れたのは、今から五十年前。蜂人と交配し、中途半端に知能が高まった蜂が、突如ルエイエを襲ったのだ。こうした、虫人と虫の愛の子、野生虫人の被害は、各地で相次ぐことになる。
それらの事件を皮切りに、各地で虫人排斥運動が高まり始める。民衆は武器を持ち、近くの森にある虫人の巣を襲撃した。元々、犬人や猫人などとは違い、魔王国以外では人として見られることが、あまりなかった虫人だ。各地の世論も、それに反発する者は少なかった。
その戦闘の殆どは、虫人の圧勝に終わる。だが、民が殺られて黙って見ていては、国家としての体裁もへったくれもない。各国は次々に「虫人は人とちゃう。虫人は虫や。せやから人権もクソもあらへんわ」と声明を出し、本格的な虫人駆除を開始する。民衆と違って、やはり正規の兵だけあってか、虫人の巣は、悉く駆除されて行った。
これに反発したのは、魔王国内の虫人だ。「虫人は人やゆーとるやろ! せやから殺すんやめろやボケ。ついでに、虫食うのもやめーやカス」と声を挙……鳴き始める。
この鳴き声に対して各国は「虫人が人やゆうんやったら、不法入国やな。不法入国者は見付け次第、死刑やから。それと、害虫駆除は勝手にやらせてもらうで!!」と鳴きご……反論。
かくして、異種族会議が開かれるようになっても「害虫がなんでこんなとこおんねんボケェ!!」「ああ!? わてらの同胞食うとる下等生物が何ゆうとんねんゴラァ!?」「おんどれらも人間様食うとるやないかいっ!!」と言った具合で、この問題が解決される兆しはなかった。
この現状を打破すべく、魔王シェードが掲げたのが、左記の虫保護政策だ。
「虫人が精力的に、各国の地域住民との交流を深め、理解を得ることに尽力。また、自らで野生虫人の駆除や違反を犯した虫人を取り締まる、と云ったものですね」
早い話が「虫のことは虫に任せたらええやろ」と云うものだ。
「そうだ。今回の作戦にも、魔王国に生息する協力虫が参加する」
「無理にでも協力者って言いたくないんですね」
だが、この虫保護政策も裏目に出ているところがある。虫保護政策の実施地域では、各国政府が虫人駆除をやめたことにより、結果として野生虫人の数が増えているのだ。
虫人と虫の交尾は禁止されているが、なにせ数の多い虫のこと。誰が何処で何時、どんな体位で何発ヤッたのか把握するのも一苦労。取り締まりなど、もはや不可能なのが現状だ。
こうして増え続ける野生虫人は、その地の数少ない原生種までも駆逐し始め……今回のゴキブ――[規制されました]絶滅危機に繋がる。
だからなんで、ゴキブ――[規制されました]が規正されてるの?
「それで、その巨大カマドウマの隣人、どうするんですか?」
「森の奥深くに帰――」
「す。と見せかけて、ぬっ殺すんですね? 分かり――」
「森の奥深くに帰す」
●
「嫌だぁぁあああ。嫌だぁぁあああ」
「フーロ伍長、うるさいっす」
「それで、これがそのターゲットだ」
その言葉と同時、皆が共有視認設定しているブラウザに、ロレンス・カエデラント大佐が何かを表示した。――刹那、各員は音速を超越する速度でブラウザを最小化。
「いーやーだー。いーやーだー」
「おいこら、何故閉じる貴様ら」
「大佐、こっちにも心の準備と云うものがあるんですよ」
「そうですよ。ちょっと深呼吸する猶予くらいは与えて下さい」
少尉二名の苦言から調子付いたか、大儀ありで我らも続けと、他の面々も大佐を罵り始める。
「いーやーだぁぁあああ。いぃぃぃぃやぁぁぁだぁぁぁあああ」
「配慮ゼロ男」
「だからモテないんだ」
「三十にもなって、嫁の来手がないのも頷ける」
「素人童貞」
「うぐ、えっぐ、い、やだよ。もうこん、なのって、ない、よ……!」
矢継ぎ早に繰り出される口撃。回避する間も与えず、それらは全て、ロレンス・カエデラント大佐に直撃する。
両手の指を額の前で絡ませ項垂れる、ロレンス・カエデラント大佐。その様子に我らの勝利と、皆が勝ち誇ろうとした。――だがその瞬間、悲劇が訪れる。
「貴様ら、それがブーメランだと云う自覚はあるのか?」
時空が凍り付いた。
「嫌だ。嫌だもん」
マヒロさんの、不服の意を示す声だけが、空間を刺激していた。
そうして暫し、沈黙の時。その間は、数秒にも満たない間だったと思うが、僕にはそれが、永遠に続くものと錯覚しそうになる程だった。
すると、息を大きく吸う音が聞こえてくる。
周囲を見回す。胸に手を当て、天を仰ぎ、静かに目を瞑る男たちの姿があった。その儀式を終えた者から順々に、そっと、ブラウザを開いていく。
「嫌だー……。嫌だよー……。お家に帰りたいよー……」
「うわ、気持ち悪りぃ」
「意外と、そこまで黒くないんだな」
さっきのことは、なかったことになったらしい。
ブラウザに映るのは、正しく茶翅の害虫だ。静止画像を見ただけなのに、背筋に虫が這うような感覚を得る。今にも「カサカサ……カサカ……カサカサカサカサカサ」と云う、ゴキブ――[規制されました]が這い回る音が聞こえてきそうだ。
「あっ、もう駄目。アカン。これはヤバイもんが出てまう」
相手が巨大であるせいで、下から撮られた画像になっている。皆、一度は目に触れたことがあるだろう、あの脚の付け根部分が、確かな肉々しさと立体感を持って浮き立っていた。
「吐き気がするな」
「態佐ー、マヒロちゃんが吐いてるー」
「放って置け」
「う、うぐ、げぇええっう」
「もうこいつ嫁に行けねーな……」
全ての肢に、トゲトゲした毛が生えている。前二本の肢は、比較的短く、最も長いのは後ろの二本だ。
そして、ドアップで映し出されたそれは、いつもは見えない部分まで鮮明に表示している。
口だ。下顎が発達して前に飛び出しており、しゃくれた顎ような構造になっている。通常サイズのゴキブ――[規制されました]でも、樹木の皮を砕くことができる強靭な顎は、このサイズのものになると、人の腕や脚を骨ごと噛み砕いて、引き千切ることも可能らしい。
「お家帰るー。もうお家帰るぅぅううう!」
「全長は約五メートル。このサイズになると、人を襲って食べることもある」
「こんなのが、何匹も湧いてるんすか……?」
あまりのことに、皆、気分を悪くしているようだ。やはり、詳しい事情を告げずに連れ出したことは、正解だったらしい。もし、今作戦の概要を説明していたら、きっとこの人たちは命令違反を犯していたに違いない。僕らだけで、こいつらの相手をするなんて、絶対に嫌だったからね。
「そもそも虫、あるいは昆虫なんて生物が存在している意味が解せません。奴らは、なんのために生きているのでしょうか? もっと突き詰めると、生命はなんのために存在しているのでしょう? インテリジェンスな神様が玩具にするためなのでしょうか? 本当に神様が人間のことを想っているならば、斯様な生物が現世に存在している訳がありません。そうです。人類のために神を殺せぇえ!!」
「ところで――」
今にも胃液を床に打ち撒けそうな顔をしている面々に、ロレンス・カエデラント大佐が語りかける。
「貴様ら、ゴキブ――[規制されました]をNGワードに入れるのやめろ。鬱陶しい」
「宗教上の理由で、その提案は却下させてもらいます」
……梯子外し兵曹長、それは何処の宗教なんですかね。
修正:ルビを正しく(ry